(在東ティモール日本大使館 福島秀夫)
第8話 ベストを尽くせ
南の島にも梅雨の晴れ間というものがあるのでしょうか。本格的な雨期に入ってから約2ヶ月、毎日スコールと湿っぽい小糠雨とが交互に降り、いささかうんざりしていましたが、その日は朝から久々の青い空でした。空気の澄んだこの島特有の刺すような直射日光を浴びて、全身真っ白に塗られたブルドーザやショベルカーなど重建設機械が数台、自衛隊駐屯地に並んでいます。空の青さと建機の純白は、かたわらではためく国連旗の誇らしい彩りそのものです。この日は、昨年9月から半年間PKO業務を務めてきた第2次自衛隊施設部隊が任務を終え、第3次隊にこれを引き継ぐ交代式でした。その機会をとらえ、部隊の方々が任務で使ってきた道路建設機材の一部を東ティモール政府に譲与する式典が開かれたのです。式典参列のため、国会などでご多忙な時間を割いて防衛庁の小島政務官も駆けつけて下さいました。
自衛隊の施設部隊は、いわゆる工兵部隊です。東ティモールPKOの中では、主要道路や橋の維持・補修が主な任務です。自前の建設機器を駆使して、山がちなティモールの悪路を次々と補修してきました。これらの重建設機械は、今回部隊規模が一部縮小される際と、来年6月にPKO全体が撤収する際には、日本に持って帰るよりも東ティモールの人たちに残していこうということになりました。これには部隊が進めてきた国土の復旧作業を、これからは東ティモール人が自分たちでやれるようになってほしい、という願いが込められています。そのために自衛隊ではこの半年間余り、本来任務のかたわらで、ティモール人操縦者の訓練コースも続けてきたのです。私も一度、訓練現場を見学しましたが、東ティモール公共事業省の職員でもある訓練生たちの実習態度は真剣そのものでした。合計60名ほどに上るこれらの操縦者は機材の維持管理も覚え、とりあえず簡単な道路補修作業なら十分こなせるくらいまで上達しました。
その日の式典はこれら訓練生にとってもお披露目の晴れがましい機会でもありました。冒頭、小島政務官から慰労と激励のご挨拶を頂いたあと、先方公共事業大臣との間で譲渡の公文書が交換されました。さらにアルカティリ首相から、これらの建設機械はかならず国造りのために有効に活用する、ティモール人の主体性を尊重してもらい感謝したい、との力強い言葉がありました。今回指導を受けたティモール人操縦者たちが建設現場で経験を積んで実力をつけ、さらに次の若い世代を自ら育成していく。国が独り立ちをしていくためにこの投資が生かされるならば安いものです。場内ではひとつずつ譲与建設機械の種類と名前が紹介され、名前を呼ばれた建設機械を、黄色いヘルメットが初々しいティモール人操縦者が運転し、行進していきます。その後は部隊交代式に移りましたが、2次隊の大坪郡長より、この半年間「常にベストを尽くせ」をモットーに任務に邁進したこと、ティモールの人たちにもこの精神が伝わったものと信ずる、とお別れの挨拶がありました。道具は結局、人が動かすもの。訓練を通じてティモール人が受け取ったもっとも大事な贈り物は、常に前を目指す不屈の大和魂だったかもしれません。
この建設機械譲与を初めとして、このひと月ほどは日本から東ティモールに対するいろいろな支援が具体化しました。母子保健、学校建設、港の復旧、構造改革支援など、いずれも東ティモールの国造りにとって今何が重要か、我々が真剣に検討してきた結果が反映されています。この国はいまだに過渡期にあります。昨年末の首都ディリでの暴動に加え、年頭には国境山村において複数の武装集団が家屋やバスを襲撃し、死傷者が出ました。西ティモール側から越境してきた旧統合派民兵の関与が疑われ、国連PKO削減計画の見直しも検討されている状況です。新生国家としての脆弱性や不安定性がにわかに注目されるようになりました。経済、社会などいろいろな面でまだまだ基盤固めが必要なのです。ティモール政府は1月末に「安定プログラム」として、今後1年間ほどに着手すべき喫緊の政策課題を閣議でとりまとめ、ドナー諸国にも支援を求めました。行政や警察など国家統治の強化、雇用の創出、教育や保健などの貧困削減施策がその主な柱です。いずれも新しい話ではありませんが、日本としてもあらためて何が協力できるか相談していかなくてはなりません。今回実現した幾つかの支援も、この趣旨に沿ったものです。
とくに教育分野に関しては、自衛隊の訓練と同様、この国の将来がかかっています。大使館にはふだんから学校建設を中心として各方面から支援の要請が上がってきますが、こうした草の根レベルの援助にもできるだけきめ細かに対応したいと願っています。その一つとして、ディリ近郊のラコト村の保育園への草の根無償支援が実現されることとなったので、先日、現地での署名式に参加し、授業の様子も見せてもらってきました。ラコト村は首都ディリから30分ほど山を登ったところにあるティモールでは一般的な貧村です。街中から少し山に入ると直ぐに路は九十九折りとなり、図体の大きなランドクルーザーではすれ違うのもやっとになります。崖のような山の斜面に張り付くようにしてぽつんぽつんと掘建て小屋の民家が散在しています。薄紅のブーゲンビリアが美しく咲く猫の額ほどの平らな土地にその「保育園」はありました。壁がなく、屋根と柱だけの本当の仮校舎です。
ここはもともと保育園と言っても近隣に小学校がないので実際には学童も預けられており、地域社会にとって重要な施設だったのですが、近年の騒乱などを機に校舎も荒廃しうまく機能しなくなっていたのです。この窮状を見かねて手をさしのべていたのがシャナナ・グスマン大統領夫人のクリスティさんのお母さん(豪州人です)だったそうで、昨年この件を私に持ちかけたのもクリスティさんでした。まだ若いクリスティさんは大統領夫人という立場に責任を感じ、ティモールの女性の自立や子供の教育・保健の問題に積極的に取り組んできている情熱的な女性です。
現地ではすでに沢山の子供達とお母さん達が集まっていて、お絵かきやパズルなどで楽しそうに保育の様子を見せてくれました。通訳を通じてお母さん達の話を聞くと、保育園が整備されると自分たちも安心して子供を預けられる、だから農作業や仕事もできる、ということで、コミュニティ全体がこの支援に感謝している、とのことでした。遅れて駆けつけたクリスティさんも意を強くして、今度校舎が完成したら、文字の読み書きが出来ない多くのお母さんたち自身の勉強の場もそこに設けたい、と語ってくれました。最後にみんなで記念写真を撮ったときに抱き上げた女の子の軽さに驚きました。保育園ができて村の暮らし向きも良くなれば、この子達ももう少し太ることができるかな、とも思いました。
こうした何かと忙しいなか、東京から来られたTV番組制作チームの取材も受けました。宍戸開さんという若手の爽やかな俳優さんが番組の主役です。東ティモールでの日本のODA支援がどのように役に立っているか、現地レポートの取材にこられたのです。宍戸さんはカメラ撮影が趣味ということで途上国も数多く廻り、お隣のインドネシアのスラベシ島など、かなり環境の厳しいところも行かれているとのこと。取材の際にはティモールの子供達の笑顔を熱心に自ら撮っておられ、温かい目でこの国を見ておられるのが感じられました。取材チームのディレクター原田さんは以前、東京で仕事をご一緒したことがあり、思わぬ再会にびっくりでしたが「この国が本当に自立して行くために何が必要なのか。そのために日本の強みが生かせる援助をしては」と励まされました。気持ちの温かい方々の作った番組がどのように今の東ティモールを描いているか、いずれ拝見するのが楽しみです。
東ティモールは今、過去の確執を振り切ることと未来の発展との狭間で微妙に揺れています。心のわだかまりと生きていくことのさし迫った要請とに折り合いをつけ、とりあえず前を向いて歩まなければなりません。先日、国連が支援する東ティモール検察当局が、1999年の住民投票後の騒乱の際の責任者として、インドネシアのウィラント元国軍司令官を起訴しました。次期大統領選出馬も噂される大物政治家です。起訴理由は、民兵による虐殺行為を放置したかどで、反人道罪です。しかしこれに対してシャナナ・グスマン大統領が「このような起訴はインドネシアとの今後の関係発展上、国益に合わない」と公言し、彼を尊敬するティモール国民の間で波紋が広がっています。過去の清算のためには正義を貫く鉄の意思が必要なのか。それとも歴戦の元ゲリラ司令官が説くように、大局を取るべきなのか。国の経済発展にとって、隣の大国との未来の関係は死活的に重要です。かつて大きな犠牲を受けた人たちにとっては難しい判断ですが、東ティモールが前に進むためには避けて通れない課題でしょう。一歩前に進むために、今彼らが「ベストを尽くして」これを乗り越えられるか、そんな正念場であるように思います。