2 中央アジア諸国とコーカサス諸国
(1)中央アジア諸国
安倍総理大臣は、地球儀を俯瞰する外交の一環として、2015年10月22日から28日にかけて、中央アジア5か国を訪問した。日本の総理大臣として、ウズベキスタン及びカザフスタンには9年ぶり、トルクメニスタン、タジキスタン及びキルギスには初の訪問となった。訪問では、各国大統領との首脳会談及び二国間共同声明の発表のほか、日本人抑留者墓地への献花などを通して、日本と中央アジアの絆を確認した。
最後の訪問国カザフスタンでは、日本の対中央アジア外交の基本方針についてのスピーチを行い、①中央アジア各国との関係の抜本的な強化、②中央アジア地域共通の課題への日本の積極的関与及び③グローバルな舞台での協力という日本の対中央アジア外交の三本柱を示した。また、今回の訪問では、5か国全てから中央アジアの「開かれ、安定し、自立的な発展」を支え、地域・国際の平和と安定に寄与する日本外交への歓迎が示された。特にカリモフ・ウズベキスタン大統領から、日本の積極的平和主義外交を高く評価する発言があった。

また、今回の訪問には民間企業や大学関係者など計50団体が同行し、トルクメニスタン、ウズベキスタン及びカザフスタンにおいてビジネス・フォーラムが開催された。5か国を通じて官民合わせて87件の文書が署名され、それぞれの国で両国首脳がフォーラムに参加したことにより、日本企業の中央アジアでのビジネス展開を後押しすることとなった。
安倍総理大臣の中央アジア訪問に先立つ3月には、中央アジアへの日本の世論の関心を高める目的で、シンポジウム「未来を見据えた中央アジアの今:チャンスとチャレンジ」を開催した。
そのほか、中央アジア各国との二国間関係も、おおむね順調に進展した。日本からは、薗浦健太郎外務大臣政務官のキルギス・カザフスタン(4月)、ウズベキスタン(7月)及びトルクメニスタン(8月)訪問、山際大志郎経済産業副大臣のトルクメニスタン訪問(6月)、鈴木馨祐(けいすけ)国土交通大臣政務官のウズベキスタン訪問(9月)、世耕弘成内閣官房副長官の永世中立20周年記念式典出席のためのトルクメニスタン訪問(12月)が行われた。中央アジアからは、ベルディムハメドフ・トルクメニスタン大統領が第3回国連世界防災会議出席のため訪日(3月、於:仙台)したほか、アジモフ・ウズベキスタン第一副首相兼財相(1月)、ホジャムハメドフ・トルクメニスタン副首相(7月)、ガニエフ・ウズベキスタン対外経済関係・投資・貿易相(10月)、アンナメレドフ・トルクメニスタン鉄道・運輸相(12月)の訪日と活発な要人の往来が行われた。
(2)コーカサス諸国
コーカサス諸国との関係も更に強化された。
欧州との統合を目指し、日本とも自由・民主主義の価値を共有するジョージアとの関係においては、4月に「グルジア」から「ジョージア」への国名呼称変更が施行され、5月に薗浦外務大臣政務官がジョージアを訪問し両国間の外交査証免除措置にかかる口上書交換式を実施したほか、11月にヒダシェリ国防相が訪日した。
豊富な天然資源を背景にコーカサス地域の経済を牽(けん)引するアゼルバイジャンとの間では、1月に城内外務副大臣、5月に麻生太郎副総理兼財務大臣(アジア開発銀行(ADB)総会出席)、10月に甘利明経済再生担当大臣が同国を訪問し、アゼルバイジャンからは、4月にアサドフ国会議長、8月にハサノフ副首相が訪日し、ハイレベルの相互訪問の活発化を通じ両国関係が強化された。

(5月4日、アゼルバイジャン 写真提供:財務省)
IT分野を始めとする人材に恵まれたアルメニアとの関係は、1月の在アルメニア日本国大使館開設の機会を捉え、城内外務副大臣がアルメニア訪問を行ったほか、東京・エレバン双方においての大使館開設を記念した様々な文化関連行事が実施され、両国関係強化の機運が高まっている。
一方、コーカサス地域においては、ジョージアにおける南オセチア・アブハジア紛争(2)やアゼルバイジャンとアルメニア間のナゴルノ・カラバフ紛争(3)といった領土をめぐる紛争が存在し、依然として関係国間に緊張が生じている。解決に向けた取組は引き続き行われたが、具体的な進展は見られていない。
2 2008年8月、ジョージアからの分離独立を目指す南オセチアとジョージアの武力衝突にロシア軍が介入し、ジョージア・ロシア両国の武力紛争に発展したが、紛争発生後約1週間でEU議長国であるフランス等の介入により停戦。その際の合意に基づき、関係者間で安全保障及び人道問題に関する協議を行う国際会議がジュネーブで行われている。
3 ナゴルノ・カラバフをめぐるアルメニアとアゼルバイジャン間の紛争。アゼルバイジャン内に存在する同地域住民の大半はアルメニア人であり、ソ連末期にアゼルバイジャンからアルメニアへの帰属変更要求が高まったため、1991年のソ連解体に伴って、アルメニアとアゼルバイジャン間の紛争へと発展した。アルメニアは、1993年までにナゴルノ・カラバフのほぼ全域及びその周辺7地域を占拠。1994年、ロシア及びOSCEの仲介により停戦合意したが、現在まで死傷者を伴う衝突が繰り返されている。OSCEミンスク・グループによる仲介で、1999年以降、アルメニア・アゼルバイジャン両国首脳・外相など様々なレベルで直接対話が継続して行われている。