近年、ロシアは、豊富な天然資源があるにもかかわらずインフラ整備の立ち遅れている極東・東シベリア地域の開発を重視し、アジア太平洋地域諸国との関係強化を目指す方針を採っている。日本は、日露両国がアジア太平洋地域のパートナーとしてふさわしい関係を構築すべく、安全保障・防衛、エネルギーや近代化を中心とする経済を始めとして、あらゆる分野で協力を進めていく。その一方で、日露関係は、その潜在力に見合うほど発展していない。その原因は最大の懸案である北方領土問題にあり、政府は、この問題を解決して平和条約を締結すべく精力的に取り組んでいる。
北方領土問題は日露間の最大の懸案であり、この問題の解決なしに日露関係をその潜在力に見合ったレベルに引き上げることは難しい。北方四島は日本に帰属するというのが日本の立場である。そして、政府は、日ソ共同宣言(1)、東京宣言(2)、イルクーツク声明(3)などこれまでの諸合意及び諸文書並びに法と正義の原則に基づき、領土問題を解決して平和条約を締結するとの一貫した方針の下、ロシア政府との間で精力的な交渉を行っている。
2012年前半にはラヴロフ外相の訪日(1月)、G8外相会合の際の日露外相会談(4月、於:米国)、また、G20サミットの際の日露首脳会談(6月、於:メキシコ)が実施され、北方領土問題について実質的な議論を進めることとなった。しかしその一方で、7月には、メドヴェージェフ首相が2010年に続き2度目の国後(くなしり)島訪問を行ったことから、政府として様々なレベルで抗議などを行った。同時に、ロシア側との対話を進めることなくして北方領土問題の解決はなく、総合的な観点から、同月に玄葉外務大臣が訪露し、プーチン大統領に表敬するとともにラヴロフ外相と会談を行った。その際、玄葉外務大臣は、メドヴェージェフ首相の国後島訪問は遺憾であると述べるとともに、北方四島は日本に帰属するとの日本の立場を改めて明確に述べつつ、領土問題について実質的な議論を行った。両外相は、静かで建設的な環境での議論を継続し、首脳、外相、次官級で頻繁に話合いを行っていくことで一致した。その後、APEC会合の際の首脳会談(9月、於:ロシア)、国連総会の際の外相会談(9月、於:米国)、次官級協議(10月、於:日本)において、双方にとり受入れ可能な解決策を見つけるべく議論を進めている。
また、日本は、北方領土問題の解決のための環境整備に資する事業などにも積極的に取り組んでおり、四島交流、自由訪問及び墓参を実施すると同時に、北方四島を含む日露両国の隣接地域において、防災や生態系保全などの分野での協力を進めている。
近年、日露経済関係は着実に拡大しており、経済・金融危機の影響などにより2009年に大きく減少した日露貿易額は、2010年には回復に転じ、2012年は過去最高の約335億米ドルとなった。エネルギー分野に加え、自動車、機械製造などの分野で日本企業のロシア市場への進出が進んでいる。2012年8月のWTO加盟により、ロシア国内での貿易投資環境の改善は見られているものの、その一方で「法の支配」が徹底されておらず、日本企業が貿易・投資を行う際の不透明な手続や不公正な扱いが依然として問題となっている。外務省は、日本企業の活動を容易にするために、関係省庁とも連携しつつ、「貿易経済に関する日露政府間委員会」(4)などを通じてロシア政府に種々の働きかけを行い、具体的プロジェクトの推進のための支援を強化している。2012年11月には同委員会の第10回会合を東京で開催し、エネルギー・省エネ、医療、近代化・イノベーション、運輸、農業、極東・東シベリアにおける協力などについて協議を行った。
エネルギー分野では、日本企業が参加する石油・天然ガスのプロジェクト(サハリン・プロジェクト)が順調に進んでいるほか、日露両国企業により、ウラジオストクにおけるLNGのプラント建設などについて共同調査が実施された。さらに、石油天然ガス金属鉱物資源機構(JOGMEC)は、東シベリアにおいて、イルクーツク石油やガスプロム・ネフチとの間でそれぞれ石油・天然ガスについての地質構造調査を行っている。また、2012年5月に発効した日露原子力協定の下、原子力分野の協力も進められている。
そのほか、ロシア国内の6都市にある日本センター(5)が両国企業へのビジネス活動や地域間経済交流を支援している。同センターは、日露経済交流分野で将来活躍する人材の発掘・育成のため、経営関連や日本語の講座、訪日研修などを実施しており、これまでに約5万5,000人のロシア人が受講し、そのうち約4,300人が訪日研修に参加した。
日露間では、北朝鮮、イラン、シリアなどの主要な地域問題について意思疎通が図られているほか、アフガニスタン人麻薬取締官研修プロジェクトといった具体的な分野での協力も行われている。安全保障の分野では、10月にパトルシェフ安全保障会議書記(閣僚級)が訪日し、野田総理大臣、玄葉外務大臣、森本敏防衛大臣との間で安全保障分野などで率直な意見交換を行った。また、日本外務省とロシア安全保障会議との間の安全保障等の分野で情報交換・協議などを強化していくため、「日本国外務省とロシア連邦安全保障会議事務局との間の覚書」への署名が行われた。防衛当局間では、6月に統合幕僚長、8月に航空幕僚長が訪露したほか、8月にロシア海軍艦艇が訪日、9月には海上自衛隊艦艇がウラジオストクを訪問し、捜索・救難共同訓練を実施した。治安分野では、6月に、東京での海上保安庁長官とロシア連邦保安庁国境警備局長官による会合、サハリン国境警備局の警備艇による小樽訪問及び第一管区海上保安本部との合同訓練が行われた。人的交流の分野では、日露青年交流事業の下での交流が継続され、本年初めて年間500人を超えた。また、茶道や剣道、折り紙といった日本の伝統文化からミュージカル、J-POP、コスプレなどの現代文化に至るまで、各種の日本紹介行事がロシア各地で行われるなど、文化の面でも活発な交流が図られた。
主に大都市の中間層と呼ばれる市民による「反プーチン」の抗議運動が続く中、3月4日の大統領選挙でプーチン首相は63.6%の得票率で当選した。
5月7日のプーチン大統領就任式の前日にモスクワで開催された大規模な反政権抗議集会で参加者が警察と衝突したことを受け、議会は集会規則違反に対する罰金を引き上げる法律を成立させた(6月)。その後も非営利団体(NPO)による外国資金受領を規制する法律の改正(7月)や国家反逆・スパイ・機密漏洩(えい)に関する刑法の強化(11月)など、国民への締め付けが強化されている。
11月、セルジュコフ国防相が国防省の汚職事件のために解任されると、その後、ウラジオストクAPEC関連などの汚職事件が次々と摘発された。
2011年末に経済・金融危機前のGDP水準を回復したが、需要の内容としては設備投資が減少した。原因の1つに、巨額の資本逃避(9割以上がロシア人による海外への資産移転)があると考えられる。また、穀物価格の上昇、年金支給額や最低賃金の上昇などで、インフレ率は徐々に上昇した。欧州経済の低迷による外需の鈍化に加え、インフレ圧力の上昇と海外資金流入の停滞により、内需に下押し圧力がかかった。ロシアは8月にWTOに加盟したが、直接投資を呼び込むには汚職対策を始めとする投資環境の改善が必要である。
ロシアは、極東・東シベリアの開発促進のため、発展するアジア太平洋地域と経済関係の強化を積極的に推進しており、9月にウラジオストクにおいてAPEC首脳会議を開催した。
米国との関係では、貿易経済関係の発展を志向しつつも、欧州へのミサイル防衛配備問題、シリア情勢への対応などをめぐって対立の先鋭化が継続した。また、EUとの関係でも、エネルギー安定供給、ロシアにおける人権問題、査証簡素化など課題が山積している。
ロシアの最大の貿易相手である中国との間では、引き続き両国首脳間の相互訪問を通じて戦略的パートナーシップを発展させたほか、シリア情勢などの国際問題や上海協力機構、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)首脳会合などの多国間の枠組みでも連携が見られた。ロシアは、独立国家共同体(CIS)諸国を対外政策の優先地域と見なし、経済統合に力を注いでいる。ロシア、カザフスタン及びベラルーシは2010年に関税同盟を発足させたが、2012年1月にはこれら3か国との間で統一経済圏が形成された。ロシアは、これら枠組みを基盤として将来的に「ユーラシア経済同盟」の形成を目指しているとされる。
ロシアは、12月にG20議長国に就任し、2013年9月にはサンクトペテルブルクで首脳会合の開催が予定されている。
1 ソ連によるサンフランシスコ平和条約の署名拒否を受け、1955年6月から1956年10月にかけて、日ソ間で個別の平和条約を締結するために交渉を行ったが、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島を除き、領土問題について意見が一致する見通しが立たなかった。そのため、平和条約に代えて1956年10月19日、日ソ両国は、戦争状態の終了、外交関係の回復などを定めた日ソ共同宣言(両国の議会で批准された条約)に署名した。同宣言第9項において、平和条約締結交渉を継続すること、平和条約締結後に歯舞群島及び色丹島が日本に引き渡されることが合意されている。
2 1993年10月のエリツィン大統領訪日の際に、同大統領と細川護熙総理大臣との間で署名された宣言。第2項において、領土問題を、北方四島の帰属に関する問題であると位置付け、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化するとの手順を明確化するとともに、領土問題を、①歴史的・法的事実に立脚し、②両国の間で合意の上作成された諸文書及び③法と正義の原則を基礎として解決するとの明確な交渉指針を示した。
3 1956年の日ソ共同宣言が両国間の外交関係回復後の平和条約締結に関する交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認し、その上で1993年の東京宣言に基づき、四島の帰属の問題を解決することにより平和条約を締結し、日露関係を完全に正常化するため、今後の交渉を促進することで合意した。
4 第1回会合は1996年3月に開催。日本側は外務大臣、ロシア側は第一副首相が共同議長。この「政府間委員会」の下に次官級の「貿易投資分科会」及び「地域間交流分科会」が設置されており、直近では、それぞれ2012年10月及び2011年7月に開催された。また、2012年11月の第10回会合において、都市環境及び貿易投資環境の改善に関する日露間の作業部会を新設することとなった。
5 日本センターは、日露貿易投資促進機構のロシア国内における支部としての機能も果たしている。同機構は、①情報提供、②コンサルティング、③紛争処理支援を通じて、日露間の貿易投資活動を拡大・深化させることを目的として設置された。日露貿易投資促進機構日本側機構は、外務省、経済産業省、日本貿易振興機構(JETRO)、ロシア・旧ソ連新独立国家(NIS)貿易会、日本センターで構成され、2004年6月から活動を開始している。ロシア側組織は、2005年4月から活動を開始した。日本センターは現在、モスクワ、サンクトペテルブルク、ニジニ・ノヴゴロド、ハバロフスク、ウラジオストク及びユジノサハリンスクに置かれている。