4 南アジア

(1)東日本大震災に際しての各国の支援

東日本大震災に際して、各国から支援物資やお見舞いの言葉が届けられ、また、各国で被災地に祈りを捧げる集会が開催されるなど、日本と南アジアの国々との絆(きずな)の強さが改めて示された。インド及びスリランカは、それぞれ支援隊を派遣し、宮城県女川町での行方不明者の捜索や、石巻市での瓦礫(れき)除去等の活動を行ったほか、インド、パキスタン、スリランカ、バングラデシュ、ネパール、ブータン及びモルディブから、毛布・食料等の支援物資や多くの義援金が届けられた。

(2)インド

ア インド情勢

コングレス党を中心とした第2次シン政権は、社会的弱者対策を積極的に進めるとともに、インフラ整備等を通じた社会経済開発を推進している。一方で、内政面では、8月に社会活動家が政府に対し、オンブズマン制度導入などの汚職対策の強化を求め、各地で大規模な抗議集会が開催されたほか、11月にマルチブランド小売業への外資規制緩和を認める閣議決定が野党等の反発により一時棚上げとなるなど、政権が守勢に立たされる場面もしばしば見られている。

経済面では、2010年度のGDP成長率は8.4%であったが、欧州債務危機の影響やインフレ等により、2011年第2四半期及び第3四半期の成長率はそれぞれ6.9%及び6.1%と減速傾向にある。

外交面では、引き続き米国・中国・ロシア等の主要国や周辺国との関係強化に取り組んでいる。パキスタンとの間では、2011年2月に包括的な対話の再開で一致したことを受け、幅広い分野で次官級協議が行われているほか、7月にデリーで外相会談を、11月には南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会議の機会に首脳会談を実施した。また、首脳・外相等の要人往来等を通じて、ベトナムやミャンマーとの関係強化にも取り組んでいる。

イ 日・インド関係

日本とインドは、民主主義などの普遍的価値や多くの戦略的利益を共有し、経済的な相互補完性を有するパートナーである。日本にとってインドは、シーレーン(海上交通路)上の要衝に位置するという地政学的な重要性を持ち、また経済面でも、高い成長率を実現し、中間所得層が年々増加しており、日本企業にとって投資や市場としての重要性も増している。両国政府は2006年に「戦略的グローバル・パートナーシップ」を構築し、毎年交互に首脳及び外相が相手国を訪問し、年次首脳会談、外相間戦略対話を行っており、政治、安全保障、経済等の二国間関係から地域及び地球規模の課題に至るまで幅広い分野で関係を強化している。安全保障分野では、二国間海上訓練の実施に合意する等、海賊対策を含む海上安全保障における協力を強化している。経済面では、8月に包括的経済連携協定(CEPA)が発効したほか、7月には社会保障協定交渉が開始されるなど、ビジネス環境整備への取組が進んでいる。また、貨物専用鉄道建設計画(DFC)等のインフラ整備協力を強化しており、12月に野田総理大臣がインドを訪問した際には、デリー・ムンバイ間産業大動脈構想(DMIC)の具体化のため、日本が今後5年間で45億米ドル規模の資金面での協力を行うこと等に合意した。

歓迎式典でシン・インド首相夫婦の出迎えを受ける野田総理大臣夫妻(左)(12月28日、インド・デリー 写真提供:内閣広報室)
歓迎式典でシン・インド首相夫婦の出迎えを受ける野田総理大臣夫妻(左)(12月28日、インド・デリー 写真提供:内閣広報室)

(3)パキスタン

2011年は、ザルダリ大統領及びギラーニ首相にとって、内政・外交・経済の多岐にわたり難しい舵(かじ)取りを強いられる1年となった。内政面では、税制改革や地方制度改革をめぐり、連立与党が一時過半数割れに陥るなど、引き続き困難な政権運営を強いられた。一方、パキスタン正義党(PTI)が従来の大政党に不満を持つ若者を中心に支持を集め、新たな勢力の台頭を印象付けた。

外交面では、パキスタン国内での米軍の作戦によるウサマ・ビン・ラーディンの死亡、北大西洋条約機構(NATO)軍によるパキスタン軍哨所誤爆事件等により、パキスタン国内の対米感情が悪化したこともあり、米国との関係が停滞した。インドとの関係では、包括的な対話プロセスが再開されたが、アフガニスタンとは、ラバニ元アフガニスタン大統領の暗殺を契機に関係が停滞した。

経済面では、2010年の大洪水の影響もあり、2011年も引き続き経済成長率は鈍化した。国際社会からの財政支援や海外送金により、外貨準備高は高水準を維持したが、経済改革への取組は停滞し、財政赤字の削減、電力分野の改革、税制改革といった主要課題で具体的な進展は見られなかった。

2010年に引き続き、2011年も大規模な洪水が発生し、南部シンド州のほぼ全域及びバロチスタン州の一部で約544万人が被災し、家屋や農地等に甚大な被害が発生した。これに対し、日本は、国際協力機構(JICA)を通じた3,500万円相当の緊急援助物資の供与や、国連機関と協力し1,000万米ドルの緊急無償資金協力を行った。

治安情勢については、テロ事件数・死亡者数は僅かながら減少傾向にあるものの、ウサマ・ビン・ラーディンの死亡後、各地で報復と見られるテロが発生したほか、民族コミュニティー間対立や宗派間抗争等に起因するテロ事件が発生するなど、依然として厳しい状況が続いている。

日本は、パキスタンを国際社会のテロ撲滅のための取組における最重要国の一つと位置付け、同国のテロ対策や経済改革を支援している。2月には、ザルダリ大統領が訪日し、菅総理大臣との首脳会談でアフガニスタンを含む地域の安定化やテロ対策、両国の投資・貿易といった経済関係強化などについて意見交換を行ったほか、9月には玄葉外務大臣がカル外相と会談を行い、アフガニスタン情勢、経済関係、軍縮・不拡散等について意見交換を行った。

ザルダリ・パキスタン大統領と会談する前原外務大臣(左)(2月22日、東京)
ザルダリ・パキスタン大統領と会談する前原外務大臣(左)(2月22日、東京)

(4)スリランカ、バングラデシュ、ネパール、ブータン、モルディブ

ア スリランカ

スリランカでは、2010年11月に2期目に入ったラージャパクサ大統領が安定した政権運営を行っている。3月、7月及び10月に実施された地方選挙でも、同大統領が率いる統一人民自由連合が7割以上の地方議会で過半数を獲得し勝利した。

内戦1終結後の課題の一つである内戦末期の人権問題については、潘基文(パンギムン)国連事務総長が設置した「専門家パネル」が4月に同事務総長に報告書を提出し、政府軍と反政府武装組織「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」双方が人権侵害を行った可能性がある旨を指摘した。一方で、スリランカ政府が国民和解を進めるために設置した「過去の教訓・和解委員会」は、12月に、内戦末期の人権問題の調査、国民和解の促進、人権状況の改善などのための様々な勧告を含む最終報告書を国会に提出し公表した。また政府は、国内避難民(IDP)の再定住やLTTE元兵士の社会復帰などを進めた。

スリランカでは、1月から2月にかけて東部州を中心に洪水被害が発生し、被災者数は100万人に上った。日本はテント等の救援援助物資を供与するとともに、国際機関やNGOを通じた支援を実施したほか、9月には道路及び灌漑(かんがい)施設の復旧のため70億円の円借款の供与を決定した。5月には菊田外務大臣政務官がスリランカを訪問し、ラージャパクサ大統領やピーリス外相らと会談し、国民和解等に向けて更なる努力を働きかけ、日本としてもこの努力を支援することを表明した。

イ バングラデシュ

人口約1億5,000万人を抱えるバングラデシュは、後発開発途上国ではあるものの、経済は堅調に成長し、安価で質の高い労働力が豊富な生産拠点として、また、インフラ整備などの潜在的な需要が大きい市場として注目を集めている。2009年に発足したハシナ政権は、教育・保健の充実、食料供給安定、物価対策、及びインドを始めとする近隣諸国との関係強化などで一定の成果を上げているものの、厳しい与野党対立の下で政権を運営している。

経済面では、近年6%以上の経済成長率を維持し、縫製品を中心とした輸出も好調を維持しているが、電力・天然ガスの安定した供給が引き続き課題となっている。また、海外移住者及び出稼ぎ労働者からの海外送金が増加しており、名目GDPの1割弱を占めている。

日本との関係では、進出日系企業数が61社(2005年)から113社(2011年)に急増しており、バングラデシュの対日輸出も繊維品を中心に大幅に増加している。

ウ ネパール

ネパールでは、2006年11月の包括的和平合意2を受けて、2008年に制憲議会が選出、招集され、新憲法の制定及びマオイスト3兵の国軍への統合・社会復帰問題を始めとする民主化・和平プロセスの取組が行われている。しかし、主要政党間の対立が続き、当初2年間であった制憲議会の任期が2010年5月以降4回延長され、首相も3回交代するなど、不安定な内政状況が続いている。2007年1月から2011年1月まで、国軍とマオイスト兵双方の武器と兵士を監視すること等を任務とする国連ネパール政治ミッション(UNMIN)が派遣され、日本も軍事監視要員として自衛隊員延べ24名を派遣した。現在、2012年5月の新憲法制定期限に向けて、主要政党間でマオイスト兵の統合問題を含む和平プロセスの主要課題に関する協議が進展しており、具体的な成果につながるか注目されている。

エ ブータン

ブータンでは、2008年に王制から立憲君主制に平和裏に移行し、ティンレイ政権の下で民主化定着のための取組が行われている。政府は、国民総幸福量(GNH)を国家運営の指針とし、第10次五か年計画の課題である貧困削減、基礎インフラの整備、農業生産性の向上に取り組んでいる。2011年6月には、民主化後初の地方選挙が実施された。2011年は、日・ブータン外交関係樹立25周年に当たり、5月に菊田外務大臣政務官がブータンを訪問し、また9月には、ティンレイ首相及びペンジョール上院議長一行が訪日した。11月には、御成婚間もないジグミ・ケサル国王陛下及びジツェン・ペマ王妃陛下が、東日本大震災後の初の国賓として訪日し、宮中行事、国会演説、福島及び京都訪問を通じ、日本への敬意と親愛の情、これまでの日本のブータンの国づくりに対する支援への深い謝意とともに、東日本大震災の被害に対するお見舞い及び連帯を伝えた。また、この訪日をきっかけにブータンの様々な話題が国内メディアを通じて広く紹介され、国内での同国に関する親近感が高まるとともに理解を深める契機となり、様々なレベルでの両国関係の一層の深化を促す機運を高めた。

シグミ・ケサル・ブータン王国国王陛下及び同王妃陛下と御会見になる皇太子殿下(11月16日、宮殿竹の間 写真提供:宮内庁)
シグミ・ケサル・ブータン王国国王陛下及び同王妃陛下と御会見になる皇太子殿下(11月16日、宮殿竹の間 写真提供:宮内庁)

オ モルディブ

モルディブでは、ナシード大統領の下、財政状況の改善・安定化を目指し、税制改正などの取組を進め、7月には消費税法案や所得税法などが成立した。しかし、与野党の対立が続く中、内政が不安定となり、2012年2月、野党による反政府デモを契機として、ナシード大統領が辞意を表明し、憲法の規定に従い、ワヒード副大統領が新大統領に就任した。外交面では、モルディブは南アジア地域協力連合(SAARC)の枠組みを重視しており、2011年にはSAARC議長国を務め、11月にはSAARC首脳会議を開催するなど、積極的に活動している。一方、国民の100%がイスラム教徒であることから、中東及び東南アジアのイスラム教国や、近隣の南アジア諸国との関係も強化している。また、経済社会開発推進の観点から、日本を始めとする先進諸国との関係も重視している。

(5)南アジア地域協力連合(SAARC4

日本は2007年からSAARCにオブザーバーとして参加し、民主化・平和構築支援、域内連携促進支援、人的交流促進支援などを通じて南アジアの域内協力を支援し、SAARCとの関係強化に努めている。日本はこれまでSAARCへの拠出金を通じて、エネルギー、防災等の分野での域内協力事業を実施しており、また、日・SAARC間の青少年交流の一環として「21世紀東アジア青少年大交流計画」に基づき、2011年には、高校生や理工系大学院生、日本語学習者・教師など約190人の青少年をSAARC各国から招へいした。11月のSAARC首脳会議には中野譲外務大臣政務官が出席し、環境・気候変動の分野やSAARC域内の連結性、人的交流並びに平和と安全等の分野での日本の協力についてスピーチを行ったほか、参加国の首脳・外相等と会談を行った。

第17回南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会議でスピーチを行う中野外務大臣政務官(中央)(11月10日、モルディブ)
第17回南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会議でスピーチを行う中野外務大臣政務官(中央)(11月10日、モルディブ)

1 スリランカでは1983年から25年以上にわたり、スリランカ北部・東部を中心に居住する少数派タミル人の反政府武装勢力である「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」が、北部・東部の分離独立を目指し、政府側との間で内戦状態になった。政府軍はLTTEを徐々に追いつめ、2009年5月、政府は戦闘終結を宣言した。

2 ネパールは、1990年の民主化運動を経て、国王親政から立憲君主制に移行したが、マオイスト(共産党毛沢東派)が武装闘争を開始した。ネパールの政党はマオイストと連携し、2006年5月、国王の政治・軍治に関する諸権限の廃止が決まった。同年11月、ネパール政府とマオイストは、約10年に及んだ紛争の終結を含む、包括的な和平合意に署名した。

3 中国の毛沢東思想に影響を受けた者を指す。特にネパールでは、ネパール共産党毛沢東主義の通称となっている。

4 南アジア諸国による比較的緩やかな地域協力の枠組み。加盟国は、インド、パキスタン、スリランカ、バングラデシュ、ネパール、ブータン、モルディブ、アフガニスタンの8か国。また、日本、中国、米国、韓国、イラン、モーリシャス、EUがオブザーバーとして参加している。SAARC憲章は、SAARCの目的を、南アジア諸国民の福祉の増進、経済社会開発及び文化面での協力、協調等と規定している。

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