北朝鮮は、2010年も引き続き、挑発行為を繰り返しており北朝鮮情勢は依然として緊迫している。
3月26日、韓国海軍哨戒艦「天安(チョナン)」号が黄海・白翎島(ペンニョンド)の近海で沈没し、乗組員104名のうち46名(6名の行方不明者含む)が犠牲となった。5月20日、米国、英国、オーストラリア、スウェーデンの専門家を含む軍民合同調査団は、その調査結果報告において、「天安」号は北朝鮮製魚雷による外部水中爆発によって沈没し、この魚雷は北朝鮮の小型潜水艇から発射されたものであると結論付けた。これを受け、同月24日、韓国の李明博(イミョンバク)大統領は演説を行い、北朝鮮に謝罪及び事件関係者の即時処罰を要求するとともに、北朝鮮の責任を問うべく断固とした措置をとること、また事件を国連安保理に付託することなどを宣言した。日本政府は、調査結果が発表された5月20日に、韓国を強く支持するとともに北朝鮮を強く非難する総理大臣コメントを発表し、同月28日には対北朝鮮追加措置(2)の実施を発表した。
国際社会においては、6月26日のG8ムスコカ・サミットで発表されたG8首脳宣言に、北朝鮮に責任があると結論づけた調査に言及する文脈で、「天安の沈没につながった攻撃を非難する」旨が盛り込まれた。さらに、国連安保理は、7月9日、「天安号の沈没は北朝鮮に責任があるとの結論を出した、韓国が主導し、5か国が参加した軍民合同調査団の調査結果に鑑み、安保理は深い懸念を表明する」、「安保理は、天安号の沈没をもたらした攻撃を非難する」旨が盛り込まれた議長声明を発表した。
11月、北朝鮮は、訪朝した米国人科学者らに対してウラン濃縮施設などを視察させたことを明らかにした。さらに、同月30日、北朝鮮労働党機関紙の労働新聞は、北朝鮮では現在、軽水炉建設が活発に展開されており、その燃料の確保のために数千台規模の遠心分離機を備えた近代的なウラン濃縮施設が稼働している」とする記事を掲載し、ウラン濃縮計画の存在を公表した。
北朝鮮によるウラン濃縮活動は、2005年9月に合意された六者会合共同声明(3)や国連安保理決議第1718号(4)及び第1874号(5)に違反するものである。日本としては、北朝鮮の核開発に対する重大な懸念を表明し、米国や韓国を始めとした国際社会の連携強化に努めた。
11月23日、北朝鮮は海洋上の南北軍事境界線(NLL)(6)に近接した海域に位置する韓国の延坪島に向けて砲撃を行った。これにより、韓国軍人2名が死亡、15名が重軽傷を負っただけでなく、民間人2名が死亡し、3名が負傷した。韓国政府は直ちに北朝鮮を非難する声明を発表し、同月29日には李明博大統領が緊急談話(7)を発表した。
日本政府は、この事件の発生後、菅総理大臣の指示の下、直ちに情報収集・連絡体制を整えた。また、事件当日の23日中に、①北朝鮮を強く非難し、②韓国政府及び国民に弔意を表すとともに、韓国政府の立場を支持し、③北朝鮮に直ちにこのような挑発的行為をやめるよう求め、④韓国及び米国などと緊密に連携し、政府を挙げて情報収集に努め、不測の事態に備え万全の体制を整えるという日本政府の基本的見解を表明した。さらに、各国との間で事件への対応を協議するとともに、緊密に連携していくことを確認した。また、日本のみならず、米国、英国、フランス、ロシアといった各国が北朝鮮の砲撃を非難し、挑発的行為をやめるよう呼び掛けた。
12月6日、北朝鮮による一連の挑発的行動を受け、日米韓の外相はワシントンで会合を開き、北朝鮮情勢について協議した。この会合において、日米韓の外相は、延坪島砲撃について北朝鮮を強く非難し、北朝鮮の挑発的かつ好戦的な態度には3か国全てが結束して対応することを確認するとともに、北朝鮮のウラン濃縮施設の建設を非難し、六者会合再開のためには、北朝鮮による完全で検証可能かつ後戻りできない非核化への約束を示す具体的措置が必要であることを再確認するなどの内容から成る共同声明を発表した。さらに、今後中国やロシアとの協力を強化していくこと、中国が北朝鮮との関係でより一層大きな役割を果たすことへの期待感を表明し、今後の対応について日米韓3か国で緊密に連携していくことを確認した。
5月及び8月の2度にわたり、北朝鮮の金正日(キムジョンイル)国防委員長が訪中した。5月の中朝首脳会談で、中朝双方は、2005年9月の六者会合共同声明の立場に基づき、朝鮮半島非核化の目標実現に向けて共に努力すると表明した。8月の中朝首脳会談では、胡錦濤(こきんとう)中国国家主席が、朝鮮半島の緊張緩和と六者会合の早期再開の重要性について言及したのに対し、金正日委員長は、朝鮮半島非核化の立場を堅持するという立場に変わりはなく、六者会合の早期再開を推し進め、朝鮮半島の緊張した情勢を緩和させることを希望する旨を発言した。
北朝鮮においては、7月から8月にかけて、中朝国境地域を中心に水害が発生し、農地や住宅に大きな被害が発生した。中国や韓国などはこれを受けて支援を表明し、8月26日には、韓国政府が北朝鮮に対してコメ5,000トン、セメント1万トンなど、100億ウォン(約7億3,000万円)相当の支援を行う旨発表したのに対し、北朝鮮側も受入れを表明した(8)。
9月10日、北朝鮮側が離散家族の再会(9)を提案し、韓国政府はこれを受け入れた。その結果、離散家族再会行事が10月30日から11月1日及び同月3日から5日にかけて、金剛山において実施され、南北合わせて830名が再会を果たした。
また、11月28日、中国政府は、12月上旬に北京において六者会合首席代表による緊急会合を開催することを提案した。この提案に対し、韓国政府は「非常に慎重に検討しなくてはならない」旨を表明し、米国は、北朝鮮が地域を不安定化する「挑発的な行動」を改め、「態度の変化」を明確に示すことが先決だとする立場を表明した。日本政府としても、六者会合は対話のための対話になってはならず、その再開に当たっては、北朝鮮が核放棄を含む自らの約束を真剣に実施するとの意思を具体的行動により示すことが必要と考えており、引き続き日米韓、更には中国やロシアとも連携して諸問題解決に向け、取り組む考えである。
2008年には、日朝実務者協議が2度にわたり、開催され、拉致問題に関する全面的な調査の実施及びその具体的態様などにつき日朝間で合意した。しかし、同年9月に北朝鮮側から、引き続き日朝実務者協議の合意を履行する立場であるが、調査開始を見合わせるとの連絡があった。それ以降、日本政府は北朝鮮側に早期の調査開始を繰り返し要求しているが、北朝鮮はいまだに調査を開始していない(2011年3月現在)。政府としては、北朝鮮に対し、拉致問題を含む諸懸案の包括的解決に向けた具体的な行動を引き続き強く求めていく考えである。
2011年3月現在、政府が認定している日本人拉致事案は12件17名であり、その内12名がいまだ帰国していない。北朝鮮は、12名の内8名は死亡し、4名は入境を確認できないと主張しているが、そのような主張について納得のいく説明がなされていない以上、政府としては、安否不明の拉致被害者は全て生存しているとの前提で問題解決に向けて取り組んでいる。北朝鮮による拉致は、日本の主権及び国民の生命と安全に関わる重要な問題であり、政府としては、その解決を最重要の外交課題の一つと位置付け、拉致被害者の即時帰国、安否不明の拉致被害者に関する真相究明などを、北朝鮮側に対し強く要求している。
3月の韓国哨戒艦沈没事件を受け、日本政府は従来から実施している措置(10)に加え、新たな対北朝鮮措置(11)を実施することを決定した。これらの措置は現在も継続されている(2011年3月現在)。また、国連安保理決議第1718号及び第1874号に基づく措置についても、着実に実施している。
日本政府は、様々な外交上の機会を捉え、拉致問題を含む北朝鮮問題を提起し、諸外国からの理解と協力を得ている。
6月のG8ムスコカ・サミットでは、北朝鮮問題についての日本の主張を参加国が支持した結果、首脳宣言では、北朝鮮に関連する全ての国連安保理決議の包括的な実施を確保するよう求めつつ、我々は、北朝鮮による核実験及びミサイル活動が地域及びその域外の緊張を更に増大させていること、並びに国際の平和及び安全に対する明白な脅威が引き続き存在することに対する最も重大な懸念を表明し、北朝鮮が拉致問題を含む人道上の問題に対する国際社会の懸念に直ちに取り組むよう要請する旨が盛り込まれた。また、9月の国連総会一般討論演説において、菅総理大臣は北朝鮮問題に関する日本政府の基本的立場を改めて表明した(12)。10月にベトナムで開催された日・ASEAN首脳会議(29日)、ASEAN+3首脳会議(29日)、及びEAS(30日)において、菅総理大臣は、朝鮮半島及び地域の平和と安定の維持の重要性を強調し、朝鮮半島の完全かつ検証可能な非核化への支持を再確認した。また、全ての当事者が2005年9月19日の六者会合共同声明を完全に実施し、六者会合の再開に資する環境を作り出すことの重要性を強調、これに対して各国から理解と支持が表明された。
さらに、11月のAPEC開催期間中には、日米首脳会談(11月13日)において、北朝鮮の動向を引き続き注視し、日米及び日米韓で協力していくことで一致した。また、日韓首脳会談(11月14日)においては、北朝鮮が非核化などを進展させるための真剣な意思を具体的な行動によって示す必要があるとの認識で一致し、拉致問題解決の必要性についても確認した。
また、12月21日には、日本がEUと共同で提出した北朝鮮人権状況決議が、賛成106票、反対20票、棄権57票で、賛成票過去最多で国連総会本会議において採択された(6年連続6回目)。この決議は、北朝鮮における様々な人権侵害に強い懸念を表明し、北朝鮮に対し、全ての人権と基本的自由の尊重や、拉致被害者の即時帰国の実現を含めた拉致問題の早急な解決などを強く要求している。
北朝鮮から逃れた脱北者は、滞在国当局の取締りや北朝鮮への強制送還などを逃れるため潜伏生活を送っており、政府としては、こうした脱北者の保護及び支援について、北朝鮮人権法の趣旨を踏まえ、人道上の配慮、関係者の安全、脱北者の滞在国との関係などを総合的に勘案しつつ対応している。日本国内に受け入れた脱北者については、関係省庁間の緊密な連携の下、定着支援のための施策を推進している。
北朝鮮は、金正日国防委員長が主に朝鮮労働党を通じて全体を統治しており、「先軍政治」と呼ばれる軍事優先政策を実施している。9月28日には、朝鮮労働党代表者会及び党中央委員会総会が開催され、金正日国防委員長が改めて党総書記に推戴されるとともに、金正日委員長の三男とされる金正恩(キムジョンウン)氏が初めて党の正式なポスト(13)に就任するなど、党要職の選出・補充が行われた(14)。日本政府としては、今後とも、北朝鮮の内政を注視していく考えである。
北朝鮮は、社会主義圏崩壊以降の厳しい経済難から、1990年代中盤以降、部分的な経済改革に着手するなど(15)、近年は経済復興に努力してきたとされる。2009年1月にはデノミネーション(16)を実施した他、2010年1月には、第三国からの投資の呼び込みなどを目的として、「国家開発銀行」を設立するなど、外資誘致を目指す動きも見せた。このような動きを含め、北朝鮮は2012年の「強盛大国」実現を目指して経済の立て直しに力を入れていると見られるが、これらの措置の成果については懐疑的な見方もあり、日本政府は、これら施策などの動向について、引き続き注視していく考えである。
2009年の北朝鮮の経済成長率は、推計マイナス0.9%(韓国銀行推計値)とマイナス成長を記録しており、依然として資材や資金の不足、生産施設の老朽化、遅れた技術水準などの問題は産業全体に存在しているものと見られる。また、食料事情についても、近年、慢性的な肥料不足などの影響で穀物総生産量が低調な水準で推移しており、2010年についても引き続き厳しい状況にあったと考えられる。
北朝鮮は、近年中国との経済関係を急速に拡大しており、経済的に中国に依存する傾向が顕著になっている。2009年の北朝鮮による対中貿易額は、総額で約26.8億米ドルに上り(大韓貿易投資振興公社(KOTRA)推計値)、北朝鮮の対外貿易の約5割を占めている。
日韓両国は、自由と民主主義、基本的人権などの基本的価値を共有する重要な隣国同士であり、2010年も、首脳・外相レベルを始め、様々な分野で重層的な政府間対話が行われた(17)。6月26日、トロント(カナダ)で行われたG20サミットの際、菅総理大臣と李明博大統領が日韓首脳会談を行った。そこで、菅総理大臣は2010年は日韓関係にとって大きな節目の年であり、これからの100年を見据え、真に未来志向の友好関係を強化していくべく、日韓双方で努力していきたい旨述べ、両首脳は、今後ともシャトル首脳外交や国際会議の際の首脳会談を通じて緊密に意見交換をしていくことで一致した。8月10日には、菅総理大臣が内閣総理大臣談話を発表し、植民地支配に対し痛切な反省と心からのお詫(わ)びを表明するとともに、未来志向の日韓関係を強化するための決意を表明した。10月4日、ブリュッセルにおいて行われたASEM首脳会議の際の日韓首脳会談では、菅総理大臣は内閣総理大臣談話のフォローアップを真摯に行っていきたいと述べ、両首脳はG20、APECの成功に向けて緊密に協力していくことを確認した。その後、11月に横浜で行われたAPECでは、日韓首脳会談を行い、日韓図書協定の署名を行うとともに、今後の未来志向の日韓関係を強化していくことを確認した。日韓両国民の相互理解と交流の流れは着実に深化・拡大しており、近年日韓両政府が両国民の交流環境の整備のための施策を講じていることもあって(18)、国交正常化当時には年間約1万人であった両国間の人の往来は、2010年には約546万人に達した。
2010年に6回目を迎えた「日韓交流おまつり」は、2009年に続き東京とソウルで同時開催され、東京では約3万人、ソウルでは約7万人が観覧するなど、大成功を収めた。また、2007年度から5年間の予定で開始された「21世紀東アジア青少年大交流計画」の下、2010年度は、1,600人を超える韓国の中高生、大学生、教員などが訪日した。その他にも交流を促進するための様々な取組が実施されている。
日韓両国は、北朝鮮問題を始め、平和構築、核軍縮・不拡散、気候変動、貧困といった地球規模の課題についても連携して協力していくことで一致している。例えば開発協力では、アフガニスタンにおいて、職業訓練センターへの専門家派遣、大豆栽培の日韓共同支援などが実施されており、更なる協力の可能性を検討している。
また、国際社会に貢献するための日韓関係強化の方途について、両国の専門家が幅広い分野で研究及び政府への提言を行う「日韓新時代共同プロジェクト」(2009年2月に発足)(19)が終了し、2010年10月に報告書が発表された(20)。両国の文化交流の幅広い強化を提案する第3期日韓・韓日文化交流会議(2010年5月に発足)は、第1回全体会議が6月30日に東京で開催され、次回は2011年3月にソウルで開催が予定されている。
2006年に再開された排他的経済水域(EEZ)境界画定交渉は、2010年6月に第11回交渉を実施した。また、EEZ境界画定には一定の時間がかかることから、早急に解決すべき課題として、海洋の科学的調査に係る暫定的な協力の枠組み交渉も併せて行っている。
また、日韓間の過去に関する問題について、朝鮮半島出身者の遺骨問題は、祐天寺に保管されている旧軍人・軍属の遺骨を、2008年1月に101体、同年11月に59体返還したのに続き、2009年7月には44体を返還、2010年5月には、無縁遺骨を含む219体の遺骨を返還するなど、着実に進展している。その他には、在サハリン「韓国人」支援(21)、在韓被爆者問題への対応(22)、在韓ハンセン病療養所入所者への対応(23)など、多岐にわたる分野で真摯に取り組み、目に見える進展を図ってきた。
なお、日韓間には竹島をめぐる領有権の問題があるが、歴史的事実に照らしても国際法上も明らかに日本固有の領土であるという竹島についての日本政府の立場は一貫しており、パンフレットの作成などにより対外的に周知するとともに(24)、韓国側に対しても累次にわたり申し入れている。いずれにせよ、日本政府としては、この問題の平和的解決のため、粘り強い外交努力を行っていく方針である。
日韓の経済交流は前年に比べ活発になった。2010年の日韓の貿易総額は対前年比23.2%増の約7.96兆円となり、韓国にとって日本は第2位の、日本にとって韓国は第3位の貿易相手国である。なお、韓国の対日貿易赤字は、前年比25.4%増の約2.96兆円となった(財務省貿易統計速報値)。また、日韓間の投資額は、2010年の日本からの対韓直接投資額は、前年比7.59%減の約2.96億米ドルであり、韓国からの対日直接投資額は、約3.3%減の約234億円となった(財務省対外・対内投資統計)。このような経済状況の中、9月に2回目の逆見本市を開催し、10月に部品素材専用工業団地へ投資ミッションを派遣するなど、2010年も日韓両国の活発な産業間交流の流れは継続した。
このような緊密な日韓経済関係を一層強固にし、アジア地域の経済統合に主導的な役割を果たすためにも、政府としては日韓経済連携協定(EPA)の締結は重要であると考えている。締結交渉に向けての交渉再開(25)については、2010年5月末の日韓首脳会談にて、交渉再開に向けたハイレベル事前協議を開催することで一致し、9月に局長級協議を開催するなど、交渉再開に向けた韓国側への働きかけを継続している。
また、これ以外にも日韓の協力関係は一層緊密になっている。
まず環境分野では、2009年10月の日韓首脳会談において両国首脳が推進することで一致した「日韓グリーン・パートナーシップ構想」の下、環境分野における両国の協力が進展している。3月には、「第2回きれいで豊かな海を共に守るための日韓実務協議」が開催され、漂着ゴミの現状について日韓で情報を共有した上で、両国における漂着ゴミ対策や今後の対応方針について意見交換を行った。また、9月には、第13回日韓環境保護協力合同委員会が開催され、日韓間の環境分野における懸案に加え、気候変動問題を始めとする地球環境問題に対する両国の環境協力などについて深い議論を行った。
さらに、航空分野では、12月に開催された日韓航空当局間協議において、2013年夏期以降、首都圏空港を含むオープンスカイを実現するとの認識を共有した。
原子力分野においても、12月に「原子力の平和的利用における協力のための日本国政府と大韓民国政府との間の協定」が署名された。同協定が発効すれば、今後両国の間で長期間にわたって安定的に核物質、原子力関連品目及びその関連技術を移転することが可能となり、原子力の平和的利用に関する協力を行う基盤が整備されることが期待されている。
2010年に就任3年目を迎えた李明博政権は、概(おおむ)ね40%台の安定した支持率を維持している。しかし、6月に実施された、李政権への中間的評価の意味合いを持つとされた第5回全国統一地方選挙では、与党ハンナラ党が惨敗した。また、6月下旬には、李政権が積極的に推進してきた世宗(セジョン)市計画の修正案(26)が国会で否決されたことから、李政権の求心力低下を懸念する声も挙がった。一方、7月に行われた国会議員補欠選挙では与党ハンナラ党が勝利を収めた。
また、8月に韓国大統領府(青瓦台)は国務総理を含む8名の新閣僚人事を発表したが、国会の人事聴聞会で内定者に対し偽証発言や偽装転入などの疑惑が提起され、3名が内定を辞退、柳明恒(ユミョンファン)外交通商部長官も辞任するなど閣僚人事に混乱が起きた。その後、10月に人事聴聞会を経て、新総理に金滉植(キムファンシク)前監査院長が就任し、外交通商部長官に金星煥(キムソンファン)前大統領外交安保首席秘書官が就任した。11月に開催したG20ソウル・サミットの成功(27)は、内外の李明博政権への評価を押し上げた。しかし、11月23日に起こった北朝鮮の延坪島砲撃事件において、韓国国内では、青瓦台や軍の対応に対する批判が起こり(28)、金泰栄(キムテヨン)国防部長官と軍の雰囲気刷新などを理由に辞任し、12月に後任として金寛鎮(キムグァンジン)元韓国軍合同参謀本部議長が就任した。
李明博政権は、国益中心の「実利外交」を展開しており、2010年も外交上の成果を上げている。特に、G20サミットの韓国開催及びアラブ首長国連邦からの原子力発電所建設受注は、韓国世論から高い評価を得ており、外交面では概ね高い評価を得ている。また、李政権は、各国との自由貿易協定(FTA)の署名・発効(29)を推進している。
南北関係については韓国哨戒艦沈没事件や延坪島砲撃事件など、北朝鮮の挑発行為により難しい対応が迫られたが、李明博大統領は北朝鮮に対する断固とした姿勢を示している。
2010年、GDPの成長率は6.1%を記録し、前年の2.2%よりも高い伸びを示した。総輸出額は、前年比28.3%増の約4,664億米ドルであり、総輸入額は、前年比31.6%増の約4,252億米ドルとなったため、貿易黒字は約412億米ドルとなった(韓国側統計)。
2010年中の主な経済政策として、韓国政府は、1月に、原発・プラント、海外建設などの海外インフラ市場への積極的な進出を目指す「海外建設の現況及び活性化方策」を発表し、雇用対策としては、1月に「2010雇用回復プロジェクト」、10月に「2020国家雇用戦略」を発表した。グリーン成長分野では、今後、太陽光、風力発電、原子力発電分野を積極的に育成することとしている。また、2011年1月4日、李明博大統領は新年の演説において、2011年の経済運営目標は、5%台の成長、3%水準の物価安定、良質の雇用創出と庶民中間層の生活向上であると述べた。
2 ①北朝鮮を仕向地とする支払手段などの携帯輸出について、届出を要する下限額を30万円超から10万円超に引き下げること、②北朝鮮に住所などを有する自然人などに対する支払について報告を要する下限額を1,000万円超から300万円超に引き下げること、③措置の執行に当たり、第三国を経由する迂(う)回輸出入などを防ぐため、関係省庁間の連携を一層緊密にし、更に厳格に対応していくことを内容とする。①及び②については、2009年4月10日、北朝鮮のミサイル発射を受けて発表された措置を厳格化したもの。従来の措置の詳細については注9参照。
3 第4回六者会合共同声明においては、「朝鮮民主主義人民共和国は、全ての核兵器及び既存の核計画を放棄すること、並びに、核兵器不拡散条約及び国際原子力機関(IAEA)保障措置に早期に復帰することを約束した」とされている。
4 2006年10月に採択されたもので、同月に北朝鮮により発表された核実験を非難し、北朝鮮に対し、更なる核実験及び弾道ミサイル発射の中止、全ての核兵器及び既存の核計画の放棄などを義務づけると同時に、軍関連及び核関連の特定品目などの北朝鮮に対する供給などの防止、北朝鮮の核・弾道ミサイル及びその他大量破壊兵器(WMD)関連の政策に責任を有する個人の移動禁止、これに関与する個人・団体の資金凍結などを決定。
5 北朝鮮の核実験を非難し、北朝鮮に対し、更なる核実験及び弾道ミサイル技術を利用した発射を行わないこと、全ての弾道ミサイル計画関連活動の停止、全ての核兵器及び既存の核計画の放棄並びに関連活動の即時停止を要求し、武器禁輸の強化(禁輸対象を全ての武器及び関連物資に拡大)、輸出入禁止品目の疑いがある貨物の検査の強化、金融面の措置(資産凍結などの強化による資産移転防止、新規援助や貿易関連の公的資金支援禁止)といった北朝鮮に対する制裁措置を課すことを内容としている。日本では、この決議を受け、貨物検査特措法が2010年5月28日に成立し、同年7月4日に施行された。
6 1953年8月、朝鮮軍事休戦協定締結後、国連軍が南北間の海洋上の軍事境界線を設定したもの。北朝鮮は、国連軍が設定したNLLの存在を認めておらず、1999年9月にはNLLの南方に「海洋軍事境界線」の設定を宣言した。
7 内容は、①国民の生命と財産を守ることができなかった責任を痛感する、②延坪島住民のための総合的な対策を樹立する、③北朝鮮自らが軍事的冒険主義と核を放棄することを期待することは難しいことが分かった、④北朝鮮の行為は反人倫的な犯罪であり、北朝鮮の今後の挑発には必ず応分の対価を払うことになる、⑤米国、日本、ドイツ、英国、ロシアなどの多くの国々が韓国の立場を支持、⑥軍の防衛体制強化、黄海5島は必ず守る、言葉ではなく行動で示すとき、⑦一つになった国民が最強の安保である、というもの。
8 10月下旬から支援物資の輸送が開始されたが、北朝鮮による延坪島砲撃事件を受け、支援は中断されている。
9 韓国と北朝鮮は、2000年の南北共同宣言において、朝鮮戦争によって離ればなれになった離散家族の再会行事を行っていくことに合意。2000年から2009年までに計4,130家族、約2万人が再会した。
10 2006年7月5日には北朝鮮によるミサイル発射を受け、万景峰(マギョンボン)92号の入港禁止を含む9項目の対北朝鮮措置を即日実施し、同年10月9日の北朝鮮による核実験実施の発表を受け、同11日、全ての北朝鮮籍船の入港禁止及び北朝鮮からの輸入禁止を含む4項目の対北朝鮮措置を発表した。2009年には、4月5日の北朝鮮によるミサイル発射を受け、同10日に①北朝鮮を仕向地とする支払手段などの携帯輸出について届出を要する下限額を100万円超から30万円超に引き下げること、②北朝鮮に住所などを有する自然人などに対する支払について報告を要する下限額を現行の3,000万円超から1,000万円超に引き下げることを発表した。また、2009年5月25日の北朝鮮による核実験実施発表を受け、6月16日に①北朝鮮に向けた全ての品目の輸出を禁止、②「北朝鮮の貿易・金融措置に違反し刑の確定した外国人船員の上陸」及び「そのような刑の確定した在日外国人の北朝鮮を渡航先とした再入国」を原則として許可しないことを発表した。さらに、6月13日に採択された国連安保理決議第1874号を受け、7月6日に①北朝鮮の核関連、弾道ミサイル又はその他の大量破壊兵器関連の計画などに貢献し得る活動に寄与する目的で行う資産移転などの防止及び②北朝鮮の拡散上機微な核活動などに係る専門教育・訓練の防止などを発表した。日本が実施する貨物検査などに関する特別措置法案については、10月30日に閣議決定、同日国会に提出し、2010年5月28日に成立した。
11 注2を参照。
12 菅総理大臣は、「北朝鮮の核及びミサイル開発は、国際社会全体にとって脅威です。日本は、北朝鮮が累次の安保理決議や六者会合共同声明に従って具体的な行動を取ることを求めます。また、全ての加盟国による諸決議の着実な履行が重要です。日本は、日朝平壌宣言にのっとり、諸課題を包括的に解決し、不幸な過去を清算して、国交正常化を図る考えに変わりはありません。特に、それには拉致問題の解決が不可欠であります。北朝鮮が日朝間の合意を実施するなどの前向きなかつ誠意ある対応をとれば、日本としても同様に対応する用意があります。」と述べた。
13 党代表者会において、金正恩氏は、党中央委員、党中央軍事委員会副委員長に就任した。また、代表者会に先だって、大将の軍事称号も与えられた。
14 例えば、金正日委員長の妹の金慶喜(キムギョンヒ)党部長は党政治局員に就任、その夫の張成澤(チャンソンテク)国防委員会副委員長は党政治局員候補及び党中央軍事委員に就任した。
15 2002年7月には、価格体系や配給制度の変更を含む「経済管理改善措置」を実施し、一定範囲で利潤の追求を認めている。また、2003年には公の管理の下に、総合市場を全土に300か所余り設置したとされ、個人や企業が農産品や消費財を販売した。
16 急激なインフレなどによる不便を解消するため、既存の通貨の計算単位の変更(切下げ)を行うこと。北朝鮮は100ウォンを1ウォンとするデノミネーションを行った。
17 2010年には、4回の首脳会談(5月(於:韓国・済州(チェジュ))、6月(於:トロント)、10月(於:ブリュッセル)、11月(於:横浜)、及び7回の外相会談(1月(於:東京)、2月(於:ソウル)、5月(於:韓国・慶州(キョンジュ))、7月(於:ベトナム・ハノイ)、9月(於:ニューヨーク)、10月(於:ベトナム・ハノイ)、12月(於:ワシントン)を実施。
18 2006年3月1日から短期滞在査証免除措置の無期限延長を実施した。また、2005年8月1日から羽田-金浦(キンポ)間の航空便は倍増し、1日8便が運航しているが、2010年10月以降、1日当たり最大12便とすることに合意している。
19 2008年4月の日韓首脳会談でこのプロジェクトを開始することで一致し、2009年2月発足総会を開催した。その後4回にわたる分科会を開催した。
20 報告書は、外務省HP(http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/22/10/1022_03.html)で閲覧可能。
21 第二次大戦終戦前、様々な経緯で旧南樺太(サハリン)に渡り、終戦後、ソ連による事実上の支配の下、韓国への引揚げの機会が与えられないまま、長期間にわたり、サハリンに残留を余儀なくされた朝鮮半島出身者に対し、日本政府は、一時帰国支援、永住帰国支援を行ってきている。
22 第二次世界大戦時に広島又は長崎に在住して原爆に被爆した後、日本国外で居住している方々に対する支援の問題。これまで国外に居住している被爆者は、被爆者援護法に基づく手当の認定申請や葬祭料の支給申請を来日して行う必要があったが、2005年11月30日から、申請を行う被爆者の居住地を管轄する在外公館その他最寄りの在外公館などを経由して申請を行うことが可能になった。また、国外の被爆者の被爆者健康手帳を国外から申請することは引き続き認められていなかったが、2008年12月15日から、国外からの申請が可能となった。さらに、これまで原爆症認定申請及び健康診断受診者証交付申請について2010年4月から、国外から在外公館を通じて原爆症認定申請及び健康診断受診者証交付申請が可能になった。
23 第二次世界大戦終戦前に日本が設置した日本国外のハンセン病療養所入所者が、「ハンセン病療養所などに対する補償金の支給などに関する法律」に基づく補償金の支払を求めていたが、2006年2月に法律が改正され、新たに国外療養所の元入所者も補償金の支給対象となった。
24 2008年2月、外務省は「竹島 竹島問題を理解するための10のポイント」と題するパンフレットを作成した。現在、日本語、英語、韓国語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、アラビア語、ロシア語、中国語の10言語版が外務省ホームページ(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/)で閲覧可能。
25 日韓EPAの交渉は2003年12月に交渉が開始されたが、2003年11月の第6回交渉会合以降中断された。その後、2008年4月の日韓首脳会談で交渉再開に向けた検討及び環境醸成のための実務者協議を開催することで一致し、2009年12月までに4回協議を開催した。
26 政府機関の多数を忠清南道(チュンチョンナムド)に移転し、行政中心複合都市(世宗市)を建設する計画。盧武鉉(ノムヒョン)政権時代に決定された。
27 2010年11月11日から12日までソウルで開催され、世界経済・成長のための枠組みや、国際金融機関改革、金融規制改革、開発、貿易・気候変動について意見交換が行われた。日本政府からは、菅総理大臣が出席した。
28 11月24日に行われた世論調査では、国民の49%が李明博大統領の対応に否定的評価を示し、国民の約45%は「戦争が拡大しても強力な軍事対応が必要」と回答した。また、27日から28日に行われた世論調査では、78.3%が政府の対応が適切でなかったと回答している。
29 2010年1月にインドとのFTAが発効。10月にはEUと署名を行い、2011年暫定発効予定。11月にはペルーと仮署名を行い、12月には米国との補足合意が成立し、今後発効に向けて手続を開始していく。