前在イラク日本大使館公使
山田 彰
イラク戦争前、日本でイラクといえば思い出されたのは、「ドーハの悲劇」。サッカーはイラクでも最も盛んなスポーツだが、イラク戦争の勃発後、イラク・サッカーはいろいろな面で大きな影響を受けた。イラク最大のスタジアムは約半年の間米軍に接収され、試合のための移動もままならなかった。2003~2004年シーズンは、治安状況の悪化や施設の不備、主要チームが国際試合の参加を優先したことなどから、結局中止になった。そんな中、アテネオリンピックでイラクは堂々のベスト4を果たしたが、この時は、イラクが勝つたびに喜びのあまりイラク中で人々は空に銃を撃ち放した。治安の悪化から観客数は激減してしまったが、2004年~2005年シーズンは、7月下旬の閉幕まで戦うことができた。8月下旬からまた新しいサッカーシーズンが始まっている。イラクでサッカーの試合を見に行くという望みは在勤中には残念ながらかなえられないだろう。多くのイラク人にとって、サッカーは一つの大きな希望である。イラクの人が安心してサッカーを楽しめる環境が早く戻ってきてもらいたいものだ。
コンピューターが故障して、1年以上のメールの記録が全て故障してしまった。そもそも回復できるものなのかわからないが、ここでは対応できない。バグダッドの電力状況は、さらに悪化しており、今は1日6~8時間くらいだろうか。大使館には発電機があるので、長時間の停電はないが、頻繁に突然に電気が落ちるので、精密機器には良くない状況だ。イラクでは、腰を痛めたり、寝室ではダニに食われたり、色々問題は次々に起こるが、あまり気にせず過ごしている。以前医務官がバグダッドに来たとき、ここの勤務・居住環境は苛酷であるとして治安面だけではない厳しさを指摘し、体調管理について指導していってくれたが、自分では心身安定しているつもり。イラク向きかもしれない。
バグダッドでは、新聞に出ないテロ活動が増えているのではないかと言う。現地職員が近所で死体を見ることもしばしばだ。怨恨や物取りではないか、と聞いてみると、そういうのもあるが被害の状況からテロとしか思えない事件も多いらしい。前日には、イラク人の教師5名がバグダッド南方の町の小学校の空き教室でテロリストに殺害されるという事件が起こっている。生徒がまだ他の部屋にいる時間の出来事らしいが、本当にひどい。イラクでテロの犠牲になっているのは、警察官や政府高官が多いが、全くの一般市民も多い。子供を狙ったテロさえ、たびたび起きている。
阪神が巨人を甲子園で破って、二年ぶりのセ・リーグ優勝が決定する。インターネットの一球速報によりほぼリアルタイムで情報が入るし、日本からも祝勝メールが来た。嬉しいのは、嬉しいが、一昨年ほどこみ上げてくるものが少ないのは、久しぶりの優勝でないからか、生で見られないせいか。2年前は、優勝をバグダッドの大使館の奥参事官たちに伝えたなあ、と思い出す。それを思えば、短いようで長い時間がたったのかもしれぬ。
ズィバーリー外相が外交団の長を集めて、安保理に多国籍軍のマンデートを延長するよう要請したことを説明する。会合後、外相訪日について立ち話をする。懸案の訪日なので何とか実現させたい。その後、前々日に弟を殺害されたアブドゥルマハディ副大統領公邸に弔問に向かう。大勢の人が次々に弔問に訪れている。副大統領は、淡々として弔意表敬に応じ、かえって日本の対イラク支援に対する謝意の言葉などを述べていた。イラクの政府高官は、本人はもちろん家族までもテロリストの攻撃の対象となるのだ。
ラマダーン(断食)明けのイードの祭日が始まる。イードがいつから始まるからは新月の出方によって決まるということだが、世界中のイスラムが同じ日から祝いはじめてもよさそうなのに、イラクではスンニー派は3日から5日まで、シーア派は4日から6日まで祝うのだと分裂してしまった。イラク政府は面倒になったのか、3日から6日まで休日にしてしまった。イラクでは、もともと宗派間の対立はあまりなかったが、戦争後宗派間の対立がだんだん大きくなっている。世俗的な権威・権力が崩壊したとき、人は何かに頼り、何かに属そうとする。それがイラクではイスラムというよりシーア派、スンニー派の教え、権威だったのかもしれない。イラク人自身が今日の対立を不思議に思っているようである。
本日は外出したり、お客さんを迎えたりと忙しい。外出から帰るとイラク柔道連盟の事務局長が既に来訪している。国際交流基金と日本柔道連盟の協力でイラクの柔道選手とコーチを日本に招待し、講道館で柔道の練習をしたり、嘉納治五郎杯大会に出場したりしてもらおうという計画の打ち合わせのために来館したのである。母校の創立者の一人は柔道を世界に広めた嘉納治五郎ですと自己紹介して、柔道談義を始めた。日本はこれまでイラク柔道連盟に柔道着や畳を寄贈する協力を行ってきている。中東では柔道がかなり盛んだが、驚いたことにイラクでは女子柔道の競技も行われているという。「生活は大変ですが、スポーツ界が自由になったので、イラク柔道は色々な発展の可能性があるような気がしているのですよ。」若手の有望株を日本に送りますと伝えながら、事務局長氏は明るい未来を語って見せた。
2年前にイラクで殺害された二人の外交官の友人たちにより、2004年8月、「奥・井ノ上イラク子供基金」という基金が、イラクなどの恵まれない子どもたちを支援することを目的として、設立された。また、奥大使、井ノ上書記官のような人材の育成を目的として、国内の教育機関に記念講座を設けることを目指しており、私も日本で講義をする機会があった。基金設立の話し合いがされている時には、イラクに在勤するようになるとは知らなかったが、私もその代表発起人に名を連ねることになった。イラクで実際のプロジェクトを始めることができるようになるまではかなり時間がかかったが、ようやく子供たちを支援しているイラクのNGOと協力することによって前進を図ることができた。今日、NGOの代表の方とプロジェクトの文書に署名を行い、バグダッド市内の100の小学校に本を贈る活動が始まった。基金のホームページに掲載するための報告を書く。
二人の外交官が殺害された後、自衛官だったAさんは、自衛隊を退官後、警備対策官として在イラク大使館のために赴任することになった。二人の死に感じるところがあり、何かイラク大使館のためにできるのではないか、という志を持って赴任してきたという。警備対策官はイラク人の警備員を訓練、指導し、大使館を守る任務を担う。最もタフで、危険な国での勤務であるが、彼らのおかげで警備員はよく訓練され、統制された行動を取るようになって来た。一年強の任務を終えて帰国する前の日にバグダッド恒例のバーベキューで送別する。短い期間であったが、志を果たした思いで任務を終えたという気持ちを持って帰国できるらしい。それはとても素晴らしいことだ。
サダム・フセインやフセイン政権の高官を裁く裁判がこの秋から始まっている。弁護人が殺されたりするなど、関係者は検事も弁護士も裁判官もみな生命の危険にさらされながらの裁判である。法廷でのフセインは雄弁を振るうなど意気軒昂なのだが、それを許す判事が批判されたり、虐殺事件の生き残りが拷問の様子を証言するなど話題はつきない。この日、イラクのテレビを見ていると、フセイン裁判を模した裁判所のセットで傍聴席にいる子供たちが「サダムは、こんなにひどいことをした、悪いことをした、裁いてください」と判事に向かって歌を歌うという番組が流れている。こうした番組に子供を使うのはどうかと思って見ていると、最後に判事の方が「死刑!死刑!」と歌って幕になるのだった。
日本人外交官と大使館運転手がティクリート郊外で殺害されてから、今日でちょうど2年、日本流で言えば三回忌に当たる。大使館のサロンで館員と現地職員が全員集まり、写真と花を飾り、蝋燭をともし、黙祷を捧げる。
ズィバーリー外相に引き続いて、ジャアファリー首相が訪日することになったが、出発4日前でも訪日一行のリスト、飛行機の情報などがさっぱり出てこない。イラク側からすれば、出たとこ勝負で対応すればいい、くらいに思っているのかもしれない。日本の外務省中東局は次々と訪日する中東各国の要人受け入れにてんてこ舞いなのだが、イラク首相はどうなっているのか、準備ができないと悲鳴が聞こえてくる。さて、12月15日の選挙に向けて、街角にはポスターがたくさん貼られているが、治安情勢のために集会などはバグダッドでは開かれていない。スンニー派の多い地区で配られたりしていたアルカイーダのロゴの入った脅迫文書を入手する。やたらに難解なアラビア語だが、選挙に行く者は死ぬと書かれている。こちらの脅迫は本当に死が待っていることがある。
新年を迎える瞬間は去年と全く同じように、何千、何万という銃声、機銃掃射音、花火の音が鳴り響いた。イラク政府の発表では、2005年のイラク人の死者は5,713人、うち1,693人が治安部隊で、残りが文民だという。一方負傷者は8,378人。もっと多いような気がするが、後日発表された保健省の数字では、暴力・戦闘行為でイラク人が8,058人死亡、21,419人負傷ということになっている。今年は、12月の選挙の結果が判明し、新政府が樹立される。政治プロセスが一つの大きな区切りを迎える。治安情勢はまだまだ楽観はできないが、今年は徐々に良くなるのではないかと考える。
イラク政府高官に会いに行く途中、ロータリーでちょっとした渋滞に巻き込まれる。その時、車の中で、大きくはないが、身体にまで響く音を聞く。その数秒後に渋滞を抜けて左折すると、100メートルほど前方の道路に黒煙が高く上がっている。明らかに自動車爆弾である。防弾車の中だったからそれほど大きく聞こえなかったのだが、先ほどの音はこれだったのだ。直ちに引き返してアポイントはキャンセルとする。渋滞がなかったら、危なかったかもしれない。その後の報告によれば、警察車両を狙った自動車爆弾のようで、民間人に犠牲者が出たようである。直接巻き込まれかけたわけだが、怖いというより何だか沈んだ気持ちになる。
英国の機関が2005年11月にイラクで実施した世論調査によれば、「戦争前と比べて貴方の生活はどうですか?」という質問に対して、良くなった52%、変わらない19%、 悪くなった 29%という結果が出ている。バグダッドで聞く印象とはかなり違う感じもするが、南部やクルド地域とは治安状況も違うし、政治・社会状況も相当異なる。調査自体の信頼性は置くとしても、バグダッドからイラク全土の感じは測れないし、逆もまた真である。バグダッドの人に聞くと、治安は明らかに悪くなっているし、電気も最近は一日4時間くらいしか来ていない。ただ、フセイン時代には将来はますます悪くなるのではないかという感じだったが、今は国際社会の支援もあるし、いつかは良くなるという希望がある、と言う。
「1年後イラク全体としての状況はどうなっていると思いますか?」という質問には、良くなっている69%、変わっていない 11%、悪くなっている11%となっている。イラクに来て印象付けられるのは、今はとてもひどい状況だけれどいずれ良くなるというイラク人の将来に対する楽観と希望である。良くなるのに時間はかかるだろうが、忍耐心を持って努力すれば、希望は持てるという気にこちらもなってくる。
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