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外務省調査月報

この月報は、外務省関係者(外務省員、専門調査員、他官庁出向者、派遣職員、及び元外務省員も含みます。)の調査研究の一端を執務参考に供するとともに、外務省関係者以外にも紹介するために刊行して参りました。しかしながら諸般の事情により、2014年第2号をもちまして廃刊させていただくことになりました。
この月報は市販はされておりませんが、国会図書館や各地の大学図書館に配布されております。
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最新刊のご紹介
外務省調査月報 2014年度/第2号 平成27年3月27日発行 総合目次(PDF版
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アルジェリアにおけるインフォーマル経済の形態は、闇市場や非公認の事業主という形態から近代的な産業部門内部での雇用形態と、時代に応じて多様に変化してきた。本稿では、アルジェリアのインフォーマル経済が拡大した要因として、独立後に築かれた中央集権的な計画経済および1980年代の輸入抑制政策、1990年代の経済自由化にかかる規制緩和と治安悪化による市場管理の不在が関連していると整理した。さらに近年では「アラブの春」の浸透を危惧したアルジェリア政府が失業や賃金格差といった国民の不満吸収を目的に政治経済改革を打ち立てたが、これらの政策はかえって無認可の零細・小規模事業主への風当たりを強くする結果を招いている。本稿は、アルジェリアのインフォーマル経済が独立後の政治経済状況の変化に適応しながらいかに多様化し拡大してきたかを論じるとともに、こうした政策が街頭や市場でみられる無認可の零細・小規模事業主にもたらす影響を考察するものである。
佐久間 るみ子
近年、ベトナム共産党と中国共産党との協力関係が深化している背景として、南シナ海の主権を巡る両国国家間の対立の先鋭化に伴って、党間の紐帯をより一層深める方向にあることが挙げられる。他方、この特殊なチャネルは、今般の西沙諸島周辺での中国による石油掘削リグ設置に端を発した両国間の緊張緩和にも有効に機能したが、海上の領有権問題に関する根本的な解決の道筋が示されたわけではなく、党間協力関係にも限界が見られる。また、党間協力関係が深化するなかで、国力の差を背景とした中国共産党からの圧力を高め、同時に、ベトナムは自国民の反中感情の高まりへの対処にも迫られていることから、中国の南シナ海進出に伴い、党間協力関係強化がベトナム共産党の内政、外交面での制約を更に強める可能性も排除されない。
小林 成信
2000年代に入り高い経済成長が続くアフリカは、更なる経済発展が期待されると同時に、中国の積極的な経済関与が注目されている。中国のアフリカ関与についてはアフリカ資源の囲い込みとの指摘がある一方で、インフラストラクチャー整備等に貢献しアフリカの経済成長を誘引しているとの見方もある。2007年に中国と国交を樹立したマラウイについて中国の援助とOECDのDAC加盟国の援助とを比較しつつ中国援助によるマラウイ経済への影響を分析する。中国はマラウイに政府開発援助を供与しているが、譲許性の低いその他の開発協力も積極的に活用している。これらの関与がマラウイの経済成長に貢献する可能性を推論することで、中国の対アフリカ経済関与の性格を明らかにする一例としたい。
今回をもって拙稿「明治時代の東京にあった外国公館」は終了する。
筆者は、本月報1987年度/No.1に寄せた「江戸にあった外国公館」で明治維新までに江戸に置かれた外国公館につき記述した。外務省外交史料館には1911年(明治44年)6月版以降の外交団リスト及び1918年(大正7年)5月版以降の領事団リストが蔵置されているが、筆者は本稿「明治時代の東京にあった外国公館」により、維新当時及びそれ以降の在京外交団及び領事団の状況を描出し、外交団リスト及び領事団リストのうち欠落している部分の一部を「再製」することを試みた。今回は1987年(昭和62年)10月に外務省に寄贈されたいわゆる「アーウィン文書」にこれらリストが含まれていた1886年末の外交団・領事団リストを利用して、1886年までの外交団及び領事団の状況を描出することに努めた。もちろん、この作業を十分に成し遂げ得たとは考えていない。今後は本稿の補充と、1887年以降1911年までの外交団リストの、そして1918年までの領事団リストの「再製」を目標に掲げたい。
「江戸にあった外国公館」及び「明治時代の東京にあった外国公館」により、幕末から1910年代までの期間、在日外交団及び領事団がいかに拡大をつづけたか、また、日露戦争後は外交使節の「格上げ」がはじまり、1911年初頭には7ヵ国が日本に特命全権大使を派遣するに至っていたことがわかるであろう。
今後は、幕府、そして明治政府が在外に置いた最初期の外交使節・領事官についてもその状況を明確にする必要があると思う。
外務省調査月報 2014年度/第1号 平成26年12月19日発行 総合目次(PDF版
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河原 節子
和解は、紛争後の当事者間の関係を安定的なものとするために極めて重要である。和解の手法は、時代によっても、紛争の性質や当事者間の関係によっても非常に多様である。例えば、国家間の紛争後の和解においては、かつて「恩赦と忘却」が基本的な理念であったが、第一次及び第二次世界大戦後は責任者の処罰を通じた「正義」の追求が重視されるようになった。一方、国内紛争や圧制後の国民レベルの和解においては、「真実」と「正義」の確保と共に、かつての敵への復讐を防ぐための真実和解委員会が一つのモデルになった。
近年では、ホロコースト被害者への謝罪と個人賠償、二度と繰り返さないための記憶の運動が、世界中の多様な人権侵害被害者を謝罪・賠償・記憶の要求へと導いている。特に、過去についての相容れない「記憶」を和解プロセスの妨げにしない努力が必要となっている。
本稿では、企業の外国進出の結果として生じる外国直接投資(FDI:Foreign Direct Investment)は、先進国でも途上国でも総じて、自由化の流れに向かっていることを認識しつつ、各国の投資規制の度合いを数量的に把握できるOECDのFDI制限指数(FDI RRI:FDI Regulatory Restrictiveness Index)に着目し、その計測方法・基準を説明した上で、その傾向と特徴を多角的な観点から見出す。具体的には、OECD加盟国と非加盟国のそれぞれにおいて、特にFDIに対して規制的な諸国の傾向に着目し、その背景や要因などを分析する。さらに、「国際投資と多国籍企業に関するOECD宣言(OECD Declaration and Decisions on International Investment and Multinational Enterprises)」という国際基準を念頭に置きながら、投資自由化に向けたFDI RRIが持つインプリケーションを考察し、試行的に政策提言をも講じていく。
本月報2010年度/No. 2、2012年度/No. 1及び2013年度/No. 1で、1869年から1886年までの期間における東京にあった外国公使館及び領事館(その一部は横浜にあった。ポルトガル公使は例外的にマカオにいた。)の動きを辿った。本稿では、A.「外交団」でこれまで扱わなかったイタリア、ペルー、ポルトガル、ロシア、スウェーデン・ノルウェー及びスイスの6ヵ国の公使館、またB.でイギリス等14ヵ国の領事館を扱った。当時スイスは日本で総領事によって代表されていたが、彼は外交使節の性格を有していたのでA.に含めた。
明治初期の在京領事官は、その多くが名誉領事官であり、また領事館は1867年1月1日に開設された築地外国人居留地またはその近辺に設置された。しかし、在横浜領事が東京を管轄区域に含めるケースも多かった。
外交団・領事団リストはとくに明治時代には失われた版が多く、筆者としては本稿により少しでもその「再製」を図りたいと願っている。
外務省調査月報 2013年度/第2号 平成25年12月24日 発行 総合目次(PDF版
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2013年4月2日、国連総会は武器貿易条約(Arms trade treaty, ATT)を採択した。ATT採択は、2 回に亘る条約交渉会議においてコンセンサス合意に至らず、条約交渉が決裂した直後に開催された国連総会において表決により同条約が採択されたという最終段階での展開もあり、軍縮関係者のみならず国際法研究者等も含め注目された条約交渉であった。
本稿においては、先ずATT交渉につき特に条約採択時のコンセンサス方式による意思決定の是非、国連総会が果たした役割、NGOによる貢献といった3点を中心にATT条約交渉の姿を捉える。更に交渉の結果合意されたATTにおいて重要な役割を果たす移転(transfer)の概念に焦点を当てて、他の軍縮条約での先例、ATTにおける移転の含意及び更にその関連で同交渉で積み残された未解決の課題につき分析を試みる。このようにして、ATT条約交渉を巡る全体像を明らかにした上で、同条約の今後の課題についても提言を試みる。
外務省調査月報 2013年度/第1号 平成25年9月11日 発行 総合目次(PDF版
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筆者は今回、『外務省調査月報』2012 年度/ No.1 の拙稿(2)につづき、1869 年(明治元年―2年)から1886年(明治19年)まで日本に置かれていた17ヵ国の公使館のうち、5. デンマークから11. オランダ(のち、兼スウェーデン・ノルウェー)の7ヵ国の公使館のこの期間における動きをフォローした。次回はこれに引き続き、残る7ヵ国を取り上げる。これにより、当時日本に置かれていた公使館のそれぞれにつき歴代の公館長名、信任(着任)日、資格、公館の所在地等の情報を可能な限り伝えることとしたい。
一再ならず述べたように、外務省外交史料館には1886 年までの外交団リストが欠けており、筆者は本稿により不完全ながらこの欠落を少しでも補うことに努めている。まだ不足しているデータが多いが、今後その補充に努めることとしたい。
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