世界一周「何でもレポート」

ウクライナ語の専門家 松平さん

令和元年9月2日
(写真1)ウクライナの国旗を連想させるヒマワリ畑(オデッサ州) ウクライナの国旗を連想させるヒマワリ畑(オデッサ州)

外交官になろうと思った理由

 松平さんが外交官になろうと思ったきっかけは何ですか。

 「高校時代にカナダでのホームステイを経験して以来,語学に対する興味が強くなり,大学でロシア文化,大学院で言語学を勉強しました。様々な語学や言語の仕組みを学ぶ中で,言葉をマスターして仕事に活かしたいと考え,外交官を目指すようになりました。」

新卒採用初のウクライナ語

(写真2)ペチェルスカ大聖堂(キエフ) ペチェルスカ大聖堂(キエフ)

 新卒採用としては外務省初めてのウクライナ語の専門家になることが決まった時の心境はどうでしたか。

 「言語学を学んだ経験から,中・東欧の言語を学び,その国のスペシャリストとして仕事がしたいと思い,研修言語を希望しました。その結果,新卒採用としては初めて研修言語としてウクライナ語を勉強させてもらえることになりました。ウクライナ語は,古代スラブ語を受け継ぐ豊かな言語ということを知っていたので,勉強できることになりとても嬉しかったのを覚えています。
 在外研修について,当初はロシア語とウクライナ語を一年ずつ研修するように言われたのですが,一年間の研修のみでウクライナ語を使いこなせるようになるか不安だったため,研修期間である二年間の大半をウクライナで研修することを許可してもらいました。」

研修地の特徴

(写真3)リヴィウ旧市街の街並み リヴィウ旧市街の街並み

 松平さんはウクライナのどちらで研修されたのでしょうか。

 「私は,最初の半年程は首都のキエフで,その後1年半程はポーランドに近い西部の都市リヴィウの大学に通いながら研修しました。キエフではロシア語を耳にする機会も多いのですが,リヴィウではほぼウクライナ語のみで生活が営まれており,語学を集中して修得するにはとても良い環境でした。」

 リヴィウとは,どういう町なのでしょうか。

 「私が研修していた西部の都市リヴィウは,旧市街が世界遺産に登録されている美しい街で観光客も多く,地元の人のコミュニケーションが活発です。旧市街そのものは徒歩で一周できる程の規模ですが,カフェや居酒屋等に行く毎に知り合いが増えるようなアットホームな感覚がとても気に入っていました。
 地方ならではの新年・クリスマス(正教)・結婚式等の行事にも頻繁に呼び出され,今から思うと文字通り別世界を体験していたのだと懐かしく感じます。
 そんな中で,当初は私のウクライナ語が未熟だったために,周りのウクライナ人が気を遣って英語で話してくれることが多かったのが,研修を進めるに従い徐々に自然とウクライナ語で会話できるようになっていたのが個人的には嬉しかったです。」

 ウクライナ正教では,年明け1月7日にクリスマスを祝うと聞いていますが(在ウクライナ日本国大使館ホームページ「エピソード集」:宗教編別ウィンドウで開く ),地方ならではの行事を体験できるのは素敵ですね。そうした交流を通じて語学力を一層磨かれたのでしょうね。

ウクライナ語の先駆者としての苦労

 現地で生活しながら生きたウクライナ語を学ぶのが語学習得の最短の道だと言う松平さんですが,初めてのウクライナ語の研修生として道を切り開くことは大変なことだったのではないでしょうか。

 「外務省の研修生としては初めてウクライナ語を勉強することとなったので, 研修する都市・教育機関をはじめ,自分で考えながら試行錯誤の連続でした。ただ,自分が選んだ方法が,外務省でウクライナ語を研修する後輩のために新たな道を切り開くことになるかもしれないと考え,先入観にとらわれずになるべく色々なことに挑戦しようと努力しました。そんな中で大学の同級生等のウクライナの人に助けてもらいつつ修士課程を修了できたことは大きな自信になり,その後に現地で生活しながら仕事をする際に大きく役に立ったと思います。」

現地の人との心温まる出会い

 ひとえにウクライナといっても,様々な地域があるそうですね。

  「そうです。ウクライナは,ロシア,ベラルーシ,ポーランド,スロバキア,ハンガリー,ルーマニア,モルドバと国境を接しており,黒海を挟んでジョージア,トルコ,ブルガリア等とも近いため,地方ごとに伝統や風習が異なる部分も多く,見所も多い国だと思います。私は,研修及び大使館勤務中も,時間ができた時には仕事とは関係なく,なるべく色々な場所に赴くようにしていました。当時は車をもっておらず,ほぼ全て公共交通機関で移動していましたが,その中でも現地の人たちとのやり取りに加わったりする等,貴重な経験をすることができました。
 特に,夜行電車の中で出会ったウクライナ人と町中で偶然再会し(学生なので私よりかなり年下でしたが),とても良い友人となり,今でもとても仲良くしています。私がウクライナでの勤務を終えて日本に帰った後も,夫婦で日本を訪ねてきてくれたことがとても印象に残っています。」

通訳のエピソード

(写真6)通訳の様子(2016年,天皇陛下(当時)とポロシェンコ・ウクライナ大統領(当時)との会談) 通訳の様子(2016年,天皇陛下(当時)と
ポロシェンコ・ウクライナ大統領(当時)との会談)
(写真提供:宮内庁)

 2年の研修を終え,ウクライナ語の専門家として勤務をスタートして,どうでしたか。

 「キエフの各国大使館でも仕事でウクライナ語を使う外交官はまだそれほど多くなく,当時のアジアの外交官の中ではほぼ私一人だけでしたので,ウクライナ語で現地の政府や有識者等と意見交換や通訳をすると,珍しがられながらも,喜んでもらえる場合が多く,コミュニケーションが深くなり人間関係の幅が自然と広がることを頻繁に実感しました。」

 その後,ウクライナ語の語学力をさらに上達させて,通訳としても活躍されていますが,やはり通訳は大変な業務なのでしょうか。

 「当然,通訳は重要な役割なので当初は緊張の連続でしたが,慣れるにしたがって積極的に引き受けたいと思うようになるほどになりました。2016年のポロシェンコ大統領(当時)訪日の際に,一時帰国し天皇陛下(当時)の通訳等をさせていただいたことはとても貴重な経験として記憶に残っています。」

日・ウクライナ関係

 最後に,日本とウクライナの関係強化に向けた意気込みをお聞かせください。

 「ウクライナでは,2004年の『オレンジ革命』に続き,私が大使館で勤務していた2014年には『マイダン革命(尊厳の革命)』等が発生する等,政治的に不安定な時期があることも確かです。日本は,2014年以降に最高総額18億ドル以上の支援を表明し,様々な分野での協力を現在まで実施してきています。
 ウクライナでは,日本への関心が非常に高く親日的であると感じられることが多い一方,直接日本人と交流したり日本を訪れたりする機会が少なく残念との声をよく聞きました。昨年1月のビザ発給要件緩和等により,より多くのウクライナの方に日本を訪れてもらえることに期待しています。前述のとおりウクライナには様々な魅力があるので,多くの方にウクライナのことも知ってもらいたいと思います。ウクライナ語の専門家として,今後も日・ウクライナ関係の発展に様々な形で貢献したいと考えています。」

便利なフレーズ

  • Дякую(ジャークユ)/ありがとう
  • Дуже приємно(ドゥージェ プリイェームノ)/初めまして
  • Як справи?(ヤーク スプラーヴィ?)/調子はどう?
  • До побачення(ド ポバーチェンニャ)/さようなら
  • На все добре(ナ ウセー ドーブレ)/お元気で

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