世界一周「何でもレポート」
チャレンジ!外国語 外務省の外国語専門家インタビュー
クロアチア語の専門家 大島さん

Dobar dan! (ドバルダン)=こんにちは!
外交官になろうと思った理由
大学では国際法を専攻していたそうですね。なぜ外交官になろうと思ったのですか?
「国際法を活かした仕事をしたいと思い,初めは国際機関職員に興味があったため,外務省主催の学生向け説明会『国際機関職員になるには』に参加しました。ところが,そこでの先輩外交官の話を聞いて考えが一転。外交官にとって一番大事なことは何か?について,「国と国との関係も,人と人とのつながりが基本。このため,誠実さが一番大事。」との説明を聞いて,外交官の仕事に親近感を感じ,興味を持つようになりました。」
クロアチア語を選んだ理由
ロータリー青少年交換で米国ペンシルベニア州に1年間留学した経験があると伺っていますが,どうしてクロアチア語を希望されたのでしょうか?
「外務省では様々な言語の専門家がいるため,せっかくであれば,他の人が知らない言語をと思い,また,大学時代の研究を通じて感心のあった民族の共存が課題になっている地域の言語を中心に希望を出したところ,クロアチア語に割当てが決まりました。」
クロアチア語の特徴
クロアチア語の勉強を始めてどうでしたか?
「最初にインターネットでクロアチアのラジオ放送を聞いた際には,『イタリア語のように,メロディアスな言語』との印象でした。学んでみると母音が日本語と同じで,発音しやすく,書いてあるとおりに読めば発音を褒められ,とっつき易かったです。他方,勉強が進むにつれ,文法が非常に複雑で難しいことが判明しました。クロアチア語は,格変化が7格もあり,語順も日本語と真逆で全く構造が違うので,特に翻訳する際が大変です。日本語とは逆から訳しつつ,格変化も間違わないように気をつけて,頭をフル回転させています。」
それは大変ですね。クロアチア語を話すためには気をつけなければならない文法が沢山ありそうですね。
アルティメット・フリスビーが役立つ

語順も日本語と全く違うクロアチア語を勉強する秘訣はありましたか?
「私は言語を耳で覚えるタイプのため,とにかく色々な人と話して,生の言語を聞くことを実践しました。クロアチア人はとてもお喋りで気さくなので,会話はとても弾み,こちらが1つ質問すると10倍の答えが返ってくる感じです。こちらも負けじと話すようにして会話力を磨きました。
クロアチア人は,何事に対しても意見や考えを持っていて議論をするのが好きで,家族や友人が集まると,政治的な話題からテレビ番組やサッカーについてまで,様々なテーマで議論が行われます。こうした様々なテーマに関する現地人との会話を通じて語彙も広がったように思います。当時の友人は,大学時代に始めたアルティメット・フリスビーを通じて知り合った人も多く,何か趣味を持って交流の輪や話題を広げるのも,良いと思います。」
アルティメット・フリスビーですか,初めて聞きました。様々な趣味を通じて交流の輪を広げ,任国の人々の考え方を学ぶことは大変重要な活動の一つですね。
クロアチアで入院!?
クロアチアでの生活で大変なことはありましたか?
「生活していた中で一番大変だったことは,はじめて骨折をし,生まれて初めて入院したことです。軽微な骨折だったものの,一晩入院して手術を受けることになりました。具合が悪い中,病院とのやりとりをしなければならないのは大変でしたが,当時住んでいた家の大家さんや友人が見舞いにきてくれたり,会計手続きを手伝ってくれたりして,周りの人々に助けられました。」
そうした温かい隣人や友人に恵まれたことも日頃,大島さんが周りの人々と良い関係を築いていたからでしょうね。国と国との関係も,まずは人と人との関係が大事だという言葉を大事にしている大島さんならではのエピソードだと感じました。
クロアチアの結婚式
現地で友達の結婚式を体験したそうですね。日本の結婚式とは何か違いがありますか?
「結婚式の一連のお祝いが昼間から次の日の朝方まで続くことには驚きました。経験した限りでは,日中,花婿側と花嫁側の招待客はそれぞれの家で集まり,花婿が花嫁を迎えに行き(そこで偽の花嫁が出てきて,本物の花嫁を探す等のやり取りがある場合も!),結婚式を挙げた後,日本で言う披露宴があります。披露宴は,コース料理の一品一品が出てくる間の時間が長く,その合間に新郎新婦や招待客が踊り,それを繰り返して朝方まで延々と続くといった形です。」
大島さんは,最初はなぜこんなに長く続くのだろうと不思議に思ったそうですが,何度か参加するうちに,新郎新婦が家族や友人とゆっくり話をし,日頃の感謝を伝える時間が持てるとともに,週末を一緒に過ごすことで,参加者同士も良く知り合える良さがあると感じたそうです。
家族や友人を大切にし,じっくり時間をかけて付き合うというのがクロアチア人らしさだそうです。
独立とともに公用語が変わる
クロアチア語を勉強することの難しさは,言語の歩んだ歴史にも原因があるそうですね。
「ええ。クロアチアは1991年の独立前は旧ユーゴスラビアの共和国の一つで,当時の公用語はセルボ=クロアチア語という,現在のセルビア語に近い表現や単語が用いられていました。それが,独立後には,セルビア語とは異なる,クロアチア独自の表現や単語が公用文書等で用いられるようになった経緯があります。このため,公用文書等で使用される正式なクロアチア語と普通の人が日常会話で使用する言葉では単語そのものが違うこともあります。さらに,地域によっては方言が強いところもあり,同じ意味でも全く異なる単語を使うこともあります。」
一つの言語をマスターするということは本当に長い道のりです。
通訳デビュー
大島さんが勉強されていた当時は辞書もクロアチア語-英語辞典,英和辞典の2つを調べる必要があり大変苦労されたそうですが,初めて通訳の舞台に立った時はどうでしたか?
「私の通訳デビュー戦は,クロアチアでの勤務1年目に日本の要人がクロアチアを訪問した際でした。実は,当初は,会談は全て英語で行われることが予定されていたのですが,前日夜になって,全ての会談を日クロアチア語双方向通訳で行うことが急遽決まりました。突然のことで不安でいっぱいでしたが,前日夜から必死に準備し,先輩から教わった『通訳は自信を持って堂々と訳すことが大事』との助言を思い出しつつ,何とかやり遂げることができました。」
この経験である意味度胸がついたという大島さん。
義理堅いクロアチア人

在クロアチア日本国大使館で広報文化担当として働いたそうですが,外交官としての仕事で何が印象的でしたか?
「クロアチアでは多くの施設・機関が大使館主催の文化行事等に協力的で驚きました。クロアチアの戦後復興に対して,日本政府が草の根無償等を通じて地雷除去や学校・文化施設に対する支援を行ってきたのですが,その支援活動を長く記憶している方々が多く,こうした日本への感謝の気持ちを持って日本大使館のイベントに協力して頂いていることがわかり,過去の先輩外交官や自分達の活動が,日本とクロアチアの友好関係に繋がっていることを実感しました。
勤務中に日本とクロアチアは外交関係20周年を迎え,その際に秋篠宮同妃両殿下がクロアチアをご訪問され,また,海上自衛隊の練習艦隊が初めてクロアチアに寄港する等数多くの交流が行われました。当時,大使館の広報文化担当としてこれらの行事に関われたことは非常に貴重な経験でした。練習艦隊の300名ほどの隊員は,スポーツや文化,ボランティア作業等を通じてクロアチア海軍や市民と交流したのですが,日程の最後には両司令官が涙を浮かべて別れを告げる場面もあり,こうした心温まる交流の現場で仕事が出来たことをとても嬉しく感じました。」
便利なフレーズ等

- 挨拶
- 便利な単語・フレーズ等
- ことわざ
“Hvala lijepo.”(フヴァーラ リィェーポ)=どうもありがとう。
“Kako ste/si?”(カコ ステ/スィ?)=ご機嫌いかがですか?(siは親しい人に対して使う) ー“Dobro”(ドブロ)=良い。/“Tako tako”(タコ タコ)=まぁまぁ。
“Može…” (モジェ)= 「~できる」という意味の動詞の3人称単数形。“Može+名詞(例:pivo(ピーヴォ)=ビール)?”で,「名詞(ビール) をくれますか?」または「名詞(ビール)でいいですか?」といった意味で使用可能。
“pola pola”(ポーラ ポーラ)=半分半分(半分ずつ) (アイスクリームやピザをハーフ&ハーフにしたい時,一人前の料理(日本に比べてポーションが大きい)を分けて貰いたいときに使える。)
Čist račun – duga ljubav.(チスティ ラチュン,ドゥーガ リュバヴ)お金の精算がきれないほど,愛情(友情)が長続きする(そうは言いつつも,現地人と出かけるとあまり割り勘することは多くなく,誘った人が奢り,次に会った時に奢り返す・・・という持ちつ持たれつな形が多いそうです。)
bolje ikad nego nikad(ボーリェ イカッド ネゴ ニカッド)いつか(やる)の方が,一回も(やらない)より良い(≒遅れてもやらないよりまし)