世界一周「何でもレポート」
チャレンジ!外国語 外務省の外国語専門家インタビュー
ブルガリア語の専門家 西村さん
大学在学時のイギリス留学中に訪れたブルガリアの魅力に惹かれてブルガリア語の世界に入る西村さん。
ブルガリアとの出会い
そもそもは高校でアメリカに留学、大学でイギリスに留学した背景をお持ちですが、なぜブルガリア語を希望されたのですか。
「イギリス留学時代の最後に、バルカン半島を友人と旅行したのがきっかけです。ブルガリアだけでなく、北マケドニアやセルビアなど素晴らしい国々と出会いました。現地では英語がなかなか通じなくて苦労したのですが、とても親切な人々に出会い、感銘を受けました。また、当時、その友人が外務省を目指していたことにも影響され、バルカン半島の国々と関わることができる仕事に興味を持ち、外務省を希望しました。」
西村さんが、入省試験を受験した年にはバルカン半島の言語はブルガリア語しか募集がありませんでしたが、無事に第一希望のブルガリア語に決まったそうです。

ブルガリア語研修
ブルガリア語がキリル文字ということ以外、あまり知識がないのですが、例えば、発音や格変化が難しいのでしょうか。どのような点に苦労しましたか。
「実は、発音も格変化もそれほど難しくはないのです。ただ、pを「ル」と発音する点などはいまだに英語にひっぱられて混乱することがあります。また、『こんにちは』(Здравейте/ズドラヴェイテ)や『ありがとう』(Благодаря/ブラゴダリャ)など、最も基本的な挨拶がブルガリア語では始め少し取っ付きにくく、自然と出てくるようになるまでに苦労しました。」
いざブルガリアへ
外務省では日本国内の研修所で一定期間の語学研修が行われた後に、現地での語学研修が行われますが、ブルガリアに降り立った際には、生活の立ち上げなどは問題なくできましたか。
「現地に入ってからが始まりでした。現地ではなんとかキリル文字だけは読めるので、あれが薬局か、メニューには何が書いてあるのかがようやくわかるという具合でした。実は、ブルガリア語は教材も限られているため、日本での学習は苦労しました。当時、ようやく英語とブルガリア語のオンライン辞書アプリが利用されるようになってきたばかりで、よくお世話になりましたが、日本語の辞書は学習者が少ないためほとんどありません。」
キリル文字が読めるのとそうでないのでは大違いですね!そうして、ブルガリアでの生活が始まるわけですが、衣食住は問題なかったのでしょうか。
「はい。ブルガリアでは1年ほどホームステイをしていたのですが、ブルガリアの食事は新鮮な野菜をたくさん使ったサラダや煮込み料理など日本人が食べやすいものが多いです。ステイ先では高校生の女の子と小学生低学年の男の子がいたのですが、ブルガリアの一般家庭の生活を体験しながら、ブルガリアの四季折々の行事を一緒に過ごすことができ、勉強になりました。」

現地での風習
ブルガリアでの四季折々の行事の中でも特に珍しいものはありましたか。
「名前の日というのがあり、誕生日同様にブルガリアでは大切な日としてお祝いをします。ブルガリア人の名前は聖人由来のものが多く、各聖人の日にはそれにちなんだ名前を持つ人が名前の日を祝います。」
そんな日があるのですね。そういう意味では日本人の名前にちなんだ名前の日というのはなさそうですね。
「いいえ。幸い、私の名前に「咲く」という漢字が入っており、「ツヴェトニツァ」という花の名前の日が私の名前の日となりました。年によって変わるのですが、毎年イースター前の日曜にツヴェトニツァの日を祝います。偶然にも、私のホストファミリー全員が植物にちなんだ名前だったため、この日は家族全員でお祝いしていました。名前の日には、それぞれ友人に連絡を取り合ったり、職場でもチョコを配ったり、教会に参拝に行ったりするんですよ。また、友人の誕生日が分からないときも友人の名前の日はすぐわかるので、名前の日におめでとう!と連絡したりするんですよ。」
それは素敵ですね。
「また、クリスマスには、ピトカと呼ばれるお祝いのパンを焼いたりしますが、その中に色々な単語が書かれた紙切れやコインが入っていて、例えば、『愛』と書いてある紙切れを引いたならば、『愛』に関する縁がありそうだね、『健康』と書いてある紙切れを引いたならば、『健康』に過ごせそうだね、コインを引けばお金に恵まれそう、というようなメッセージを受け取ります。」
日本の新年のおみくじみたいですね。西村さん曰く、ブルガリアはヨーロッパにあるものの、歴史的にもアジア文化も混ざっているそうです。
語学学習の秘訣!?
ブルガリア語はどのように勉強されていましたか。
「ブルガリア語学習は教材も勉強法も他の言語と比べて確立されていないため独学で頑張るしかないのですが、ひとりでは上達が難しい面があり、家庭教師を付けたりして、勉強しました。また、ブルガリア語は学習する人がそもそも少ないということで、自分が今どれくらいのレベルに立っているのか測ることが難しく、常に不安でした。年に1回、レベル別のブルガリア語検定試験のようなものがあるはずなのですが、試験日が突然発表されたり、実際行ってみると受験者が少なすぎて中止になっていたり。
日常的には、ホームステイ先ではよくホームパーティーを開いたり、招かれたりする機会が多かったので、現地の人とよく会話できました。ブルガリアのパーティーでは、皆で食事を囲んだ後によくホロというダンスを輪になって踊ります。そのダンスを身につけるために、ホロ教室に通ったりしたことも、語学の勉強につながりましたね。」
ホロ教室いいですね!そのほかは、何かスポーツやクラブ活動などされていましたでしょうか。
「ブルガリアは自然豊かで山が多い国なんですよ。春や秋にはハイキング、冬はスキーによく行きました。海もあるので、夏には黒海沿岸のビーチで海水浴も楽しめます。ブルガリアというとヨーグルトのイメージが強いですが、実は、バラやはちみつの生産も多く、日本にも輸出されています。」

いきなりの通訳!?
そして、自らの語学力がどれくらいなのか測ることが難しかったという西村さんはいきなり通訳の仕事に直面します。
「研修が終わりに近づき、大使館での勤務が始まる前に、週1回ほど大使館に通って、業務の引継ぎと勉強を兼ねて実務研修を受けていたのです。すると、ある時に、ブルガリア副大統領と大使との面会時の通訳をしないかと言われまして、本当に焦りました。通訳デビューがいきなりのハイレベルで、通訳の前は必死に発言ポイントや話題に出てきそうなテーマについて勉強しました。」
結果、何とか無事に通訳業務を乗り切ることができたという西村さん。かなりの実戦トレーニングですね。
その後、大使館での各種通訳を経て、茂木外務大臣(当時)と駐日ブルガリア大使の通訳も務めた西村さんですが、通訳では、特に、ことわざや数字などが難しいので、注意して日々勉強しているそうです。
「あと、ジェスチャーの違いもあります。ブルガリア人は、『はい』と肯定する時に、日本と違って首を横に振るんです。これは分かっていても、相手が『イエス』と言葉を伴わずに首だけ振ると、いまだに、これはどっちの意味?と混乱しますね。タクシーに乗りたくて、『この車は空いてますか?』と聞いた時に無言で首を横に振られると、『この車は空いていないのか』と思って立ち去ろうとするのですが、『え、空いてるよ!』と慌てて引き留められることも。」

日本ブースを訪れる副大統領
ブルガリア人の温かさ
実際、どういう場面でブルガリア人の温かさを感じますか。
「路上で出会う人がフレンドリーに声をかけてくるという感じとは違いますが、一旦仲良くなると、困ったことがあったら助けてくれることはもちろん、時にお節介なほどに世話を焼いてくれる人が多いですね。家で給湯器が故障してお湯が出なかった時など、友人が修理に駆けつけてくれたり。よく知り合いが自家製のジャムや手料理を持ってきてくれたり、『クリスマスはうちに来ないか』、『田舎に別荘があるから遊びに来ないか』などと、面倒見の良い友人たちから招待を受けることもありました。」
二国間関係

史上初の日本国総理によるソフィア訪問
(2018年1月) (写真提供:内閣広報室)
「2018年には、故安倍総理(当時)が日本の総理では初めてブルガリアを訪問して、その後、2019年には、トリプルアニバーサリー((1)日・ブルガリア交流開始110周年、(2)外交関係樹立80周年、(3)外交再開60周年)を迎え、外相の相互訪問やブルガリア大統領の訪日も実現しました。また、2021年の東京オリンピックではブルガリアが新体操団体で金メダルに輝きましたが、この新体操ナショナルチームの事前合宿受入れを行った山形県村山市とのホストタウン交流がテレビで特集されるなど話題になりました。このように、国レベルだけでなく、地方自治体や民間レベルでの活発な草の根交流も日ブルガリア関係を支えています。
そして、ブルガリアといえばヨーグルト!実は1970年の大阪万博においてブルガリア館で初めて紹介され、その後日本で広く知られるきっかけになりました。2025年には、再び大阪で万博が開催されます。この2025年が、日ブルガリア関係の新たなマイルストーンになるよう、ブルガリアの専門家として、両国関係を盛り上げていければと思っています。」