世界一周「何でもレポート」

アラビア語の専門家 加藤さん

令和3年11月1日

アラビア語の好きなことわざ、フレーズ
悠久の歴史をもつ中東には多くの諺(ことわざ)があるのですね!

 「アラビア語は、日本ではまだまだ馴染みの薄い言語だと思いますが、『السلام عليكم:アッサラームアライクム(直訳:あなたがたに平安がありますように。)』という挨拶やネイティブが会話の節々で使用する『إِنْ شَاءَ لله:インシャーアッラー(直訳:神の思し召しがあれば。≓そうなるといいね。)』は聞いたことがあるかもし
 れません。そのほかには、『الحمد لله:アルハムドリッラー』という便利な表現もあります。直訳では、『アッラーに栄光あれ』」という意味ですが、まさに日本語の『ありがとう、お陰様で。』の感覚で、アラビア語圏の人たちが頻繁に口にします。
 また、アラビア語にも様々な諺があります。中でも私が好きなものは『عند الشدائد يُعْرَف الإخوان』(アインダ アッシャダーイド ユアラフ アルイフワーン)です。『苦しいときに兄弟(親友)を知る』という意味で、まさに日本語の諺『苦しいときの友は真の友』と重なります。私がこの諺を大切に思う背景には、赴任した中東の地での友人と交わした会話があります。(詳細は後述)」

(写真1)中東の友人たちに囲まれて写真におさまる加藤さん 中東の友人から教えられた諺「苦しい時に兄弟(親友)を知る」を胸に。

中東の専門家になった理由

 なぜ中東地域に興味を持たれたのですか?そのきっかけは?

 「高校生の時に、オーストラリア西部のパースに約1年間留学しましたが、入省前にアラビア語圏を訪問したことはありませんでした。中東地域という意味でトルコに観光に行ったことがあった程度です。
 私の人生で大きな転機となったのは、大学在籍時にイラク・バグダッド大学の教授が来日し、講演を聴く機会にめぐまれたことでした。イラクの治安状況悪化が深刻化し、自爆テロが連日のように発生した当時の市民生活の様子がなまなましく話され、かなりの衝撃を受けたことを覚えています。当時は、2001年に発生した『米国同時多発テロ事件(9.11事件)』や、自衛隊のイラク派遣などで中東が何かと注目を集める時代であり、そのイラク人教授のショッキングな話に心を動かされ、『自分は何ができるのか』を漠然と考えはじめたのです。
 その後、大学で中東地域の政治を勉強し続けるうちに、同地域に魅了され、最終的には日本政府の対中東政策に関わりたいと思うようになりました。」

アラビア語の学習方法

 難しそうなアラビア語、加藤さんご自身で希望されたそうですね!

 「そのような経緯があったため、外務省の研修言語は、もちろんアラビア語を希望しました。幸運にも指定された専門言語はアラビア語に。その時の気持ちはまさに『アルハムドリッラー』でした。
 私は、外国語は得意な方ではなく、またアラビア語のアルファベットもミミズのような不思議な形をしていることもあり、最初はとっつきにくく見えましたが、その文字の美しさ、特徴的な渋い発音(注「ض」(ダード):こもった鈍い感じの「d」のような音。)など、知れば知るほど魅力的な言語に思えてきました。
 なお、アラビア語が唯一の公用語であるか、複数の公用語の1つとなっている国・地域の数は、25以上あり、1か国語を学ぶだけで多くの国で現地の人々と会話ができるようになるということも魅力の一つかもしれません。」

(写真2)アラビア文字による綺麗な装飾の前で記念写真におさまる加藤さんたち アラビア文字による綺麗な装飾(於:イラク中部カルバラー県)

 アラビア語を習得するときに特に心がけていることは何ですか?

 「すべての外国語学習に共通することかもしれませんが、アラビア語学習においても『とにかく話す・聞く』を意識して楽しみながら勉強すること、これにつきると思います。
 アラビア語圏で生活していれば、四六時中アラビア語に触れる環境に身を置けますが、日本ではなかなかそうはいきません。もしも、中東やイスラム文化にご関心があれば、都内で開催される文化イベントに顔を出してみるのもよいと思います。アラビア語のネイティブスピーカーに出会える機会もありますし、都内のモスクでは、アラビア語書道のイベントも定期的に開催されており、異国情緒も楽しめます。なお、私がアラビア語学習で習慣にしているのは、毎日ごく短時間でもいいので、就寝前にアラビア語サイトの議論番組を聞き、実際にコメンテーターになったつもりで自分の意見を述べる練習をすることです。
 また、アラビア語版『セサミ・ストリート(افتح يا سمسم:イフタフ ヤーシムシム(意味:開けゴマ))』等の視聴を通じて日常生活に欠かせない表現などを学習することです。同番組は子供向け番組であり、アニメなども交え楽しくアラビア語学習ができる構成になっており、息抜きになっています!」

(写真3)タクシーの運転手と料金のことで話し合っている様子の加藤さん カイロでメーターをごまかすタクシー運転手と料金で揉める様子。

語学研修中、勤務地、通訳のエピソード

 語学研修は「アラブの春」が発生直後だったとか?

 「エジプトで在外語学研修を開始したのは、2011年の夏のことです。幸か不幸か、まさにその年にいわゆる『アラブの春』が発生し、エジプトでもそれまで長年続いた政権が倒れた直後のカイロ赴任となりました。当時の首都カイロは、人々の希望と今後の国家の行方に対する不安や緊張が入り交じった独特の雰囲気に包まれていたのを記憶しています。市内の広場での連日のデモ、散発的に響き渡る銃声、頻発する停電や断水。カフェに入り浸り今後の国家の行く末について真剣に議論するおじさん達。ムバラク体制の功罪について長々と持論を展開するタクシーの運転手。エジプトで体験したどのシーンを切り取っても、アラビア語を専門とする外交官の人生に大きな影響を与えてくれた貴重な経験であったと思います。」

(写真4)部屋の中でシリア人のウード(注 アラブ伝統の撥弦楽器)の先生による演奏会を聞いている人々 カイロでは、シリア人の先生にウード(注 アラブ伝統の撥弦楽器)を習う。写真は先生による演奏会の様子。音楽を通じ形成できた人脈も貴重な財産に。

 中東が大変な時期に赴任されましたね!

 「語学研修終了後の最初の勤務地は、憧れの都市であるイラクの首都バグダッドでした。赴任したのは2014年の夏で、当時は『イラク・レバントのイスラム国』がイラク第3の都市モースルを制圧し、さらに勢力を拡大させようとしていたまっただ中でした。
 イラクの次の勤務地はサウジアラビア。そこではムハンマド・ビン・サルマン皇太子(現国王の子息。)が頭角をあらわし、大胆な経済・社会改革を進め、社会の急速な変化を眼前に、町中が熱気にあふれる貴重な局面を体験することができました。
 勤務地でのエピソードを挙げればきりがないですが、特に印象に残っているのはサウジアラビアで出会った友人の一言です。その友人は、定期的に多様な人種や職種の人たちを集めて、意見交換のための社交の場をもうけてくれる人でした。その人とは日本のあるべき対サウジ政策や中東政策についてもざっくばらんな議論をしましたが、特に次の言葉が脳裏に強く残っています。
 『中東諸国の指導者は非常に賢い。彼らは、苦しい時に寄り添ってくれた国への恩義を決して忘れることはないが、同時に、裏切り行為も生涯決して忘れることはない。“苦しい時に兄弟(親友)を知る”、この諺を忘れないようにしてほしい。』」

(写真5)結婚式会場を写した写真、アラブの衣装をまとった男性のみ写真 サウジにて友人の結婚式に参加した際の様子。会場は男女別。

 通訳の経験について聞かせてください!

 「通訳は、重要な二国間会談に同席し、日本のメッセージを相手国に正確に伝えることが求められる非常にやりがいのある業務です。緊張感に満ちた二国間の会談に立ち会えるという意味で、まさに『外交の最前線』の現場が体験できる瞬間です。
 非常に緊張を伴う通訳ですが、私は過去に大失敗を経験し、それが今でもトラウマになっています。
 イラク勤務の際、大使の南部バスラ県出張に同行したときのことです。大使と地方政府高官との会談で、初めて聞く難解なエネルギー分野の専門用語が頻繁に出てきて、ショックで頭が真っ白になり、同席していたイラク人現地職員に代わりに通訳をお願いすることになってしまいました。
 プロの条件として、『最高のパフォーマンスをするために最高の準備ができる』ということがありますが、その重要性を胸に刻み、二度と同じミスをおかさぬよう心がけています。今でも当時の失敗の悪夢が通訳の準備の際によみがえり、そのたびに胃が痛くなります。」

(写真6)大使とムハンマド・サウジアラビア皇太子の会談の様子と通訳を務める加藤さん ムハンマド・サウジアラビア皇太子の通訳を務めた際の様子。

最後に

 最後に、加藤さんにとって、外交官という仕事はどのようなものなのか教えてください。

 「自分は『日本人』であるというアイデンティティを常に意識しながら『外交の最前線』で活動ができるという点が指摘できると思います。例えば海外で、大使館職員として勤務していると、面談相手から、『日本の本件に関する立場はどうか?』『日本はもっと~すべき!』といった質問や意見をもらうことがあります。肩書にかかわらず、常に日本はどう対応すべきか、日本の国益のためには何ができるのか、といった自問自答を繰り返しながら、日々日本の国益を念頭に働けることは非常に魅力的です。また、赴任する各国での活動を通じ、多くの尊敬できる人々と出会え、かけがえのない友人を作ることができるのも、この仕事の魅力であると思っています。

(写真7)イラク・バグダッド大学の先生方との記念写真の様子 恩師であり、かけがえのない友人でもある、イラク・バグダッド大学の先生方。

 日本は、欧米の主要国と異なり歴史的に中東地域への介入の歴史がなく、現地の人々が日本に抱くイメージは総じて良好とされています。このような日本の強みを活かしながら、刻一刻と変化する国際情勢の影響も考慮しながら、『日本の対中東政策はどうあるべきか。』を今後も考えていきたいです。
 友人から教えられた諺『苦しいときに兄弟(親友)を知る』が意味する、相手国・相手国民への苦しみや彼らへの恩義を忘れない人間味のある外交ができるよう、これからも精進していきます。」


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