世界一周「何でもレポート」
チャレンジ!外国語 外務省の外国語専門家インタビュー
インドネシア語の専門家 内藤さん
「愛」に溢れるインドネシア語の会話
Terima kasih! (トゥリマ・カシ)=ありがとうございます。(辞書的な意味は,「terima」は「受け取る」,「kasih」は「愛情」。「Terima kasih」は「愛を受け取る」になります。)
「それぞれの国の言語に「ありがとう」に該当する単語はあると思いますが,その国の人たちがその単語を発する頻度は様々だと思います。インドネシアの方々は,ほんの些細なことでも,笑顔で「Terima kasih」という言葉をくれます。日常が「Terima kasih」という言葉で溢れています。インドネシアに滞在した数年間,私も同じように「Terima kasih」をたくさん口にしました。その結果,日本に帰国後も,「ありがとう」という日本語を発する頻度は上がったように思います。ついつい忘れがちですが,家庭でも,友達同士でも,職場でも,感謝の気持ちを伝えることは非常に重要です。」
「Terima kasih」という言葉には,お互いを幸せにしてくれる不思議な力があるようですね。
海外経験無し,ゼロからの外交官人生
内藤さんは外務専門職試験を受けるまで,海外に行ったことは一度もなかったそうですね。なぜ外交官を目指そう思ったのですか?
「2次試験の面接官に,「あなたと海外の接点は何ですか。」と苦笑いされながら聞かれたのを,今でも覚えています。中・高・大学時代と,多くの時間をバレーボールに費やしたので,入省時は同期の中でも自分は語学力や海外経験は最下位クラス,「外交官から最も遠い人材」だったように思います。
私が外交官を目指した理由の一つが,色々な国の人たちとの交流を通じて,多様な価値,文化,思想,考え方を学び,それらを尊重できる広い視野や心を持つ,優しい人間になりたいと考えたからです。その意味で,インドネシア語を専門語にできたことは,私にとって幸運なことでした。
インドネシアは東端から西端まで5,000km(地球の円周の約8分の1)にもおよび,約1万8千の島から構成されています。300の民族と500の言語があるといわれています。また,イスラム教徒が人口の大多数を占めますが,キリスト教,ヒンドゥー教,仏教,儒教など様々な宗教の教徒たちがいます。皆様,想像できますでしょうか。このような多様性を持つ人々が,「和」を保って共存しているのです。」
多民族・多宗教・多言語であるインドネシアから学べる点は多いようですね。


いざ大学院へ!
インドネシア語を習得するのは難しくなかったですか。また,どんな工夫をして勉強されたのですか?
「私は入省してから初めてインドネシア語を学び始めました。入省2年目からは,インドネシアでの2年間の在外語学研修があります。初学の場合には,在外語学研修の1年目は語学学校などに入ることが多いのですが,私は思いきって,1年目からジョグジャカルタにあるガジャ・マダ大学大学院国際関係学科の修士課程に入学しました。
入学当初は授業についていけず,レポートやプレゼンにも大苦戦。挫折感を味わいました。しかし,その悔しさをバネに,語学学校にも通いながら,必死にくらいつきました。その中で,インドネシア人の同級生たちが,いつでも親切・親身になって支えてくれたのが,私がインドネシア人の真心に触れた最初の経験でした。
大学院2年目(在外語学研修2年目)に入って,授業や課題にも慣れてきたころ,授業は少人数の専門科目ゼミになりました。毎週2回ほどプレゼンが回ってくるのですが,これが想像を絶する厳しさでした。課題は全てグループ・ワークで,皆で助け合いながら,寝ても覚めてもプレゼンの準備に明け暮れる日々でした。セメスター(学期)を乗り切ったときには,全員が満身創痍の状態だったのですが,当時の同級生は真に「戦友」であり,一生の宝物です。今でも,通訳機会のたびにこの青春を回顧し,戦友たちへの感謝を新たにし,そして,勇気をもらっています。」

JKT48も参加 「ジャカルタ日本祭り」での総合司会
ジャカルタ日本祭りで総合司会をされたそうですが,どういうイベントですか?
「在外語学研修後は,在インドネシア大使館で3年間勤務しました。その間に私が得た特別な機会として,「ジャカルタ日本祭り」の経験を紹介します。
ジャカルタ日本祭りは,2008年からジャカルタで毎年開催されている,現地最大級の日本文化交流行事です。インドネシアは伝統的な親日国で,日本文化の人気も高いのですが,「ジャカルタ日本祭り」は,毎年,数万人の来場者を集め大盛況です。
私は,2012年と2013年の2回にわたり,最終日の「クロージング・イベント」の総合司会の機会をいただいたのですが,当時は,ジャカルタのシンボルともいえるモナス(独立記念塔)において開催されていました。ステージ上では日本伝統文化やポップカルチャーの催しが終日にわたり繰り広げられ,私は総合司会として,インドネシア語と日本語を織り交ぜて催しの紹介をしながら,その合間を繋いでいきます。特に,終盤のJKT48(AKB48の姉妹グループ)など有名アーティストによるパフォーマンスで,来場客の興奮はピークに達し,インドネシア人来場者から送られるあまりの歓声の大きさにジャカルタの空が震えているような錯覚を覚えたぐらいです。インドネシアは日本にとり最大の友好国の1つといわれますが,私がステージ上で肌に感じたインドネシア人の熱い「日本愛」は,真にそれを証明するものでした。」
とても楽しそうなイベントですね!


忘れられない通訳エピソード
内藤さんにとってインドネシアで特に印象に残っている思い出をあげるとしたら,なんですか?
「私の通訳の経験において,1つの転機になったのは,在インドネシア大使館での勤務を終えて本省に帰朝して数か月後の,2015年11月のことでした。二階俊博自由民主党幹事長(当時は同党総務会長)が,「日本インドネシア文化経済観光交流団」団長として,首都ジャカルタとアチェ州(2004年12月のスマトラ沖大地震・インド洋津波の被災地)を訪問された際に,通訳として同行させていただきました。
二階幹事長がアチェ州においてスピーチをされた際,東日本大震災に際してのインドネシアからの温かい支援への謝意,防災により人の命を守ることの大切さ,自身が推進している「世界津波の日」や「国土強靭化」等の取組にかける想いについて語り,防災分野での協力を呼びかけました。静まりかえった厳粛な雰囲気の中で,誰一人として物音を立てず,真剣に聞き入っています。
私自身,そのスピーチに心を打たれながらも,「二階幹事長の熱いお気持ちをしっかりとアチェの方々に伝えたい」との一心で,声のトーンや抑揚,間の取り方にも気をつけながら通訳をしました。スピーチが終わり,拍手喝采がわき起こったときの心臓の高鳴りを,今でも覚えています。
東日本大震災の際,インドネシアで在外研修をしていた私は,何もできずに無力さを感じました。そのときに必死に勉強したインドネシア語を通じて,被災地アチェの方々との橋渡しができたことは,私にとって大きな意味を持つ経験となり,また,これからもっとインドネシア語を勉強して貢献したい,そういう気持ちを新たにするきっかけとなりました。」
一石四鳥!通勤やランニングしながらの通訳トレーニング
「私の相棒は,デジタル音楽プレーヤーとラジオです。平日は毎日,通勤時にインドネシア語のラジオでシャドーイングやリテンション(聞こえたインドネシア語を短期記憶し,口パクでそのまま繰り返す)をしたり,日本語のラジオで一文ごとに止めて頭の中でインドネシア語訳をしたりします。
とある研究で,「語学は体を動かしながら勉強をすると吸収しやすい」という結果が出ているそうです。私はランニング(マラソン)が趣味で,近所の川沿いを1,2時間ぐらい走るのですが,インドネシア語や日本語のラジオをひたすら流しています。
特に首脳会談や外相会談などの大舞台ではどうしても緊張してしまいますし,また,外遊に同行すれば,一日中,ひっきりなしに通訳をすることもあります。その意味で,緊張に打ち勝つメンタルの強さや,長丁場を耐え抜く体力,風邪を引かない免疫力も必要です。心身を鍛えるという意味で,ランニング×通訳トレーニングは,一石四鳥ぐらいの効果があると考えています。」

日インドネシア首脳会談 安倍総理の左(奥)が内藤さん