外交史料館

令和8年5月7日

 戦後期の『日本外交文書』は、「サンフランシスコ平和条約」(全3巻)、「占領期」(全3巻及び関係調書集)、「国際連合への加盟」、「日華平和条約」、「GATTへの加入」(上下)及び「沖縄返還 第1巻」、「平和条約締結に伴う賠償交渉」(上下)を特集として刊行済みです。またこれと並行して編年方式の「昭和期IV」(昭和20~35年)シリーズについて、「日米関係 第1巻(昭和27-29年)」(上下)を刊行しました。

 本巻「平和条約締結に伴う賠償交渉 関係調書集 第1巻」は、既刊「平和条約締結に伴う賠償交渉」に採録された文書を内容的に補完する関係調書4冊を翻刻して収録するもので、総ページ数は541頁です。本巻の刊行で『日本外交文書』の通算刊行冊数は230冊となりました。

本巻の構成

 本巻が収録する調書は、外務省が作成した以下の4冊です(カッコ内は作成年月日と作成局課、掲載順に記載)。

  • 「岡崎外務大臣東南アジア諸国出張記録」(昭和28年10月20日、外務省アジア局第三課)
  • 「国交調整に関する日緬交渉記録」(昭和30年4月、外務省アジア局第四課)
  • 「日本インドネシア賠償会議」(昭和27年2月、外務省)
  • 「対インドネシア賠償交渉経緯」(昭和33年3月、外務省アジア局第三課)

本巻収録調書の目次と概要

 各調書の目次と概要は以下のとおりです。

I 「岡崎外務大臣東南アジア諸国出張記録」

  • 一 序言
    1. 高裁案
    2. 職務進退
    3. 各地日程
    4. 情報文化局長談話(和英文)
    5. 岡崎外務大臣メッセージ
    6. 岡崎外務大臣帰朝談話
  • 二 マニラ
    • 甲一 到着ステートメント
    • 甲二 ネリ外相代理との会談(第一回)
    • 甲三 キリノ大統領との会談
    • 甲四 アジア局長とのネリ次官との電話会談
    • 甲五 ネリ外相代理との会談(第二回)
    • 甲六 上院議長ロドリゲス以下野党領袖との会談要領
    • 甲七 倭島局長とナショナリスタ党元老ラウレル上院議員との会談
    • 甲八 アジア局長とラウレル上院議員との会談(第二回)
    • 甲九 ネリ外相代理との会談(第三回)
    • 甲十 辞去のステートメント
  • 三 ジャカルタ
    • 乙一 到着のステートメント
    • 乙二 アリ首相との会談(第一回)
    • 乙三 用意し置きたる平和条約案
    • 乙四 先方に提示したる平和条約案(附属議定書案共)
    • 乙五 アリ首相との会談(第二回)
    • 乙六 倭島ジュアンダ会談要旨
    • 乙七 インドネシア側の平和条約草案
    • 乙八 倭島局長とスダルソノ局長との会談
    • 乙九 倭島局長とスダルソノ局長との会談(第二日分)
    • 乙十 提供可能のリスト(産業別)
    • 乙十一 提供可能リスト(機械別)
    • 乙十二 沈船引揚中間賠償協定草案
    • 乙十三 アリ首相との会談(第三回)
    • 乙十四 アリ首相ステートメント
    • 乙十五 辞去のステートメント
  • 四 バンコック
  • 五 ラングーン
    • 丙一 到着ステートメント案
    • 丙二 用意し置きたる平和条約案
    • 丙三 先方に提出したる平和条約案
    • 丙四 キヨ外相との会談(第一回)
    • 丙五 キヨ外相および閣僚委員会委員との会談要旨
    • 丙六 提供可能の品目リスト
    • 丙七 倭島局長とウ・タン・シェン外務次官との会談要旨
    • 丙八 キヨ外相との会談(第二回)
    • 丙九 合弁事業に関する文書
    • 丙十 公使派遣に関するエード・メモアール
    • 丙十一 辞去のステートメント案
    • 丙十二 実際に発表したるステートメント
  • 六 ハノイ
    • 丁一 ヴィエトナム公共事業大臣の沈船引揚協定案に対する見解と発明したる文書
    • 丁二 インドシナ側との会談要旨
  • 七 ホンコン
  • 八 結語

 本調書は、岡崎勝男外務大臣が1953(昭和28)年9月29日から10月15日まで、フィリピン、インドネシア、ビルマ、ベトナムの各国を訪問した際の出張記録です。訪問の目的は親善増進とされていましたが、各国の要人との間ではその後の賠償交渉にも影響を与える具体的な話し合いが行われたことから、本巻に採録しました。本調書は一般的な歴訪の経過、岡崎外務大臣や同行した倭島英二アジア局長と各国要人との会談記録の他、日程、条約草案やステートメントといった関連文書も収録されています。本歴訪における岡崎外務大臣らの会談記録は本調書以外に残っておらず、特に重要な記録と言えます。

 既刊「平和条約締結に伴う賠償交渉」には、本調書から、岡崎外務大臣と要人の会談記録や条約草案等を中心に主要なものを採録していますが、実務レベルの会談など、その内容を必ずしも網羅的に採録したわけではありませんでした。

 本調書に収録された各訪問先での会談記録及び関係文書と、既刊で採録済みの在外公館への事前折衝に関する訓令や、訪問後の岡崎外務大臣の報告等をあわせて読むことで、賠償交渉における争点や、日本側及び各国の対応ぶりなどをより詳細に理解する一助になると思われます。

 本調書の内容は、既刊「平和条約締結に伴う賠償交渉」上下の下記の項目に対応していますので、各収録文書をあわせて参照ください。

  • 二(対ビルマ賠償交渉)1「二国間交渉の開始」
  • 三(対インドネシア賠償交渉)1「講和会議以後の交渉」
  • 四(対フィリピン賠償交渉)1「講和会議以後の交渉」
  • 五(対ベトナム賠償交渉)1「沈船引揚協定交渉の開始」

II 「国交調整に関する日緬交渉記録」

  • 一、日本政府在外事務所の設置
  • 二、戦争状態の終結宣言及び領事関係の開設
  • 三、平和条約及び賠償問題に関する下交渉
  • 四、ビルマ親善使節団の来日と平和条約及び賠償経済協力に関する交渉
  • 五、ラングーンにおける平和条約及び賠償経済協力協定の諸条項に関する交渉
  • 六、平和条約並びに賠償及び経済協力協定の署名調印
  • 七、国交の回復、大使の交換
  • 八、経済調査団の渡緬
  • 九、平和条約並びに賠償及び経済協力協定の発効
  • 十、資料

 ビルマはサンフランシスコ平和条約草案にビルマへの賠償支払いが規定されていないことを理由として、1951(昭和26)年7月23日、これに同意し得ないとの趣旨を米国へ通告し、講和会議への出席を拒否しました。そのため、日本は、ビルマと二国間平和条約及び外交関係の樹立について個別に交渉を進めることとなりました。しかし、ビルマは賠償問題の解決前に国交を開設することは時期尚早であるとして、二国間の平和条約締結は困難な状況にありました。

 本調書はビルマとの賠償及び国交調整に関する交渉記録であり、日本政府在外事務所の設置、戦争状態の終結宣言、総領事館の開設、平和条約並びに賠償経済協力協定の署名、大使の交換及び本条約及び協定の発効に至る諸経緯を時系列順に収録しています。その中には、「平和条約締結に伴う賠償交渉」上では充分に採録できなかった経緯も含まれます。具体的には、1950年11月、未だ占領統治下にあった日本が、日緬間の貿易の促進のため、米国務省の仲介を受けてラングーンに日本政府在外事務所を設置したこと、前述の岡崎外務大臣の訪緬直後、東京において行われた平和条約及び賠償経済協力に関する下交渉の記録などです。同交渉は、岡崎・ウ・チョウ・ニェン両外相間の余人をまじえない会談の形式で行われ、並行して中川融アジア局長とウ・ソーチン・ビルマ外務省アジア局長との間でも補助的会談が行われました。この間、ウ・チョウ・ニェン外相は、緒方竹虎副総理、池田勇人自由党幹事長など政府、与党の要人とも会談を行っています。

 本調書の内容は、既刊「平和条約締結に伴う賠償交渉」上の「対ビルマ賠償交渉」の下記の項目に対応していますので、各採録文書をあわせて参照ください。既刊で採録された記録とあわせて読むことで、対ビルマ賠償交渉の経緯をより詳細に理解する一助になると思われます。

  • 二1「二国間交渉の開始」
  • 二2「平和条約・賠償経済協力協定交渉」
  • 二3「署名・発効」

 なお、本調書には、「平和条約締結に伴う賠償交渉」上の項目二4から6で扱った、他の求償国に対する賠償問題の解決後、ビルマ側が公正かつ衡平な待遇をめぐって提起した賠償増額交渉に関する記録は含まれていません。

III 「日本インドネシア賠償会議」

  • 一 日イ賠償会議概況
  • 二 日イ賠償会議代表指名
  • 三 会議経過記録
    1. 第1回非公式会談(12月15日)
    2. 第2回非公式会談(12月17日)
    3. 第3回非公式会談(12月18日)
    4. 第4回非公式会談(12月19日)
    5. 第1回公式会議(12月22日)
    6. 第2回公式会議(12月24日)
    7. 第3回公式会議(12月26日)
    8. 第1回専門分科会(12月26日)
    9. 第5回非公式会談(12月27日)
    10. 第2回専門分科会(12月27日)
    11. 第3回専門分科会(12月28日)
    12. 第4回専門分科会(12月28日)
    13. 第5回専門分科会(12月29日)
    14. 第4回公式会議(1月4日)
    15. 第6回非公式会談(1月5日)
    16. 第7回非公式会談(1月7日)
    17. 倭島局長私的会談(1月7日以降)
    18. 第5回最終公式会議(1月18日)
  • 四 合意議事録(英文)
    1. 公式会議
      • 第1回公式会議(12月22日)
      • 第2回公式会議(12月24日)
      • 第3回公式会議(12月26日)
      • 第4回公式会議(1月4日)
      • 第5回公式会議(1月18日)
    2. 専門分科会
      • 第1回専門分科会(12月26日)
      • 第2回専門分科会(12月27日)
      • 第3回専門分科会(12月28日)
      • 第4回専門分科会(12月28日)
      • 第5回専門分科会(12月29日)
      • (附録)
        • ドキュメントA
        • ドキュメントB
        • ドキュメントC
        • ドキュメントD
        • ドキュメントE
        • ドキュメントF
        • ドキュメントG
  • 五 賠償に関する中間協定案及び交換公文(和、英文)
  • 六 附属

 1951(昭和26)年9月のサンフランシスコ講和会議において、日本はインドネシアの質問に応じる形で、サンフランシスコ平和条約に基づく賠償を行う意思を有していること、総額及び方式を定める二国間の賠償取極を締結する予定があることを明らかにしました。これを受けて同年12月、インドネシアは交渉団を東京に派遣し、日本側との間に翌年1月まで賠償会議が開催されました。

 インドネシアは会議中、戦争損害額、日本の支払うべき賠償金額、賠償の履行方法の3点に関する合意を目指しましたが、いずれの点に関しても日本側との考えの隔たりは大きく、双方の主張は平行線を辿りました。さらに日本側が、他の求償国の要求が判明しないこの段階での具体的な賠償金額へのコミットは不可能と主張したこともあり、1952年1月18日に双方の見解を併記した上で、現時点で賠償の内容の確定が困難であること、最終的な支払方法は平和条約第14条の趣旨に沿う役務によること等の原則的な合意事項を規定した中間協定案の仮署名と、今後諸懸案について継続的な交渉を行う旨を約束した交換公文が作成されました。

 本調書は、上記の賠償会議における公式・非公式会談等の経過、公式会議及び専門分科会の記録として作成された英文合意議事録、会議において双方が提出した文書等を網羅的に収録しています。「平和条約締結に伴う賠償交渉」上では最終的に作成された中間協定案と交換公文(日本側書簡)、及びアジア局第一課が作成した交渉経過要旨のみを採録しました。本調書を併読することにより、両国の当初の主張と中間協定案作成に至るその後の交渉過程に関して、より詳細に理解する一助になると思われます。

 本調書の内容は、既刊「平和条約締結に伴う賠償交渉」上の「対インドネシア賠償交渉」の下記の項目に対応しますので、各採録文書をあわせて参照ください。

三1「講和会議以後の交渉」

IV 「対インドネシア賠償交渉経緯」

  • 第1章 サン・フランシスコ対日平和会議より倭島公使赴任までの賠償交渉(1951年9月-1953年12月)
  • 第2章 倭島公使による賠償交渉(1954年1月-1957年6月)
    • 第1節 1954年1月から6月まで
    • 第2節 1954年6月から9月まで
    • 第3節 1954年10月から1955年3月まで
    • 第4節 1955年4月から7月まで
    • 第5節 ハラハップ内閣時代の交渉(1955年8月-1956年3月)
    • 第6節 第二次アリ内閣成立(1956年3月24日)から1956年末まで
    • 第7節 1957年1月よりジュアンダ内閣成立(1957年4月9日)直後まで―アリ首相の最終提案
  • 第3章 岸総理大臣あてジュアンダ首相の親書と高木公使の赴任(1957年7月-9月)
    • 第1節 ジュアンダ親書と岸総理の返書
    • 第2節 高木公使による交渉
    • 第3節 スバンドリオ外相の来日
  • 第4章 「小林私案」とハッタ元副大統領の来日(1957年9月-10月)
    • 第1節 小林中特派大使のインドネシア訪問
    • 第2節 ハッタ元副大統領の来日
  • 第5章 岸総理大臣の第二次東南アジア諸国訪問と賠償問題に関する基本的相互了解の成立(1957年11月26日-28日)
    • 第1節 小林政府代表の第二次インドネシア派遣
    • 第2節 岸総理大臣とインドネシア首脳との会談―基本的相互了解の成立(1957年11月27日)
  • 第6章 小林政府代表とジュアンダ首相との会談―基本的合意事項に関するメモランダムのイニシアル(1957年11月29日-12月8日)
  • 第7章 平和条約、賠償協定等の作成交渉(1957年12月21日-1958年1月18日)
    • 第1節 交渉団の派遣―草案の携行
    • 第2節 交渉経緯
  • 第8章 平和条約、賠償協定等の調印(1958年1月20日)
  • 第9章 平和条約、賠償協定及び関係文書の要綱
  • (付録)

 賠償問題をめぐる対インドネシア交渉は、1951(昭和26)年9月のサンフランシスコ講和会議から1958年1月の二国間平和条約及び賠償協定の署名まで、長期間にわたるものとなりました。サンフランシスコ平和条約に署名したインドネシアは、1951年12月から翌1952年1月まで日本との間に賠償会議を開催しましたが、両者の主張の隔たりは大きく、ここでの合意は双方の見解と原則事項を確認する中間協定案の仮署名に留まりました。講和会議への参加自体に関しても賛否があったインドネシアの国論はサンフランシスコ平和条約の批准をめぐって二分され、四月にインドネシア政府は条約批准及び中間協定案の承認に関する態度決定を留保することを決定しました。これによりインドネシアとの賠償交渉は、インドネシア領海内の沈没船舶の引揚に関して交渉が進められた以外は、平和条約批准、賠償総額の規模、賠償としての資本財提供の可否といった諸点で双方の考えが一致せず、進展は見られませんでした。やがて1953年8月に成立したアリ内閣は、サンフランシスコ平和条約の批准に代わり二国間平和条約の締結を目指す考えを明らかにして、日本側にもその意向が伝達され、以後交渉は二国間での賠償問題解決を目指すこととなりました。

 1954年1月、日本は倭島前アジア局長を政府代表(特命全権公使)としてジャカルタに派遣し、賠償交渉に当たらせました。しかし、インドネシアが明示を求めた賠償総額に関する問題を中心として、両者の主張は鋭く対立しました。そこにインドネシアの対日貿易債務の支払問題も浮上したことで交渉は一段と複雑化して、インドネシア側の国内政治の動向や、当時進展中であったフィリピンとの交渉妥結を優先する日本側の判断もあり、交渉は長く停頓することとなりました。

 フィリピンとの賠償協定成立後の1957年1月、倭島代表は賠償、貿易債務の一部帳消し、フィリピンと同一条件での民間経済開発借款を組み合わせた賠償解決フォーミュラを考案し、本国政府の同意を得てインドネシア側との交渉を本格化させました。双方の主張するフォーミュラの総額は交渉を通じて8億ドル程度に収斂していきましたが、賠償金額に関して再検討条項を設けたビルマへの影響を懸念し、フォーミュラ内の賠償金額はビルマ同等の二億ドルとしたい日本とそれ以上を求めるインドネシアが折り合わず、妥結に至りませんでした。

 1957年7月、ジュアンダ首相は岸信介総理に宛てた書簡で賠償4億ドル、経済協力4億ドル(貿易債務は帳消し、相当額を借款の返済として支払う)の組み合わせによる問題解決フォーミュラを提案すると、交渉は新たな局面に入りました。しかし、日本側が賠償金額の上積みと、貿易債務の帳消しを問題視したため、交渉は再び膠着状態に陥る懸念が生じました。こうした状況下の1957年9月にインドネシアを訪れた小林中大使は、ジュアンダ首相に対して賠償2億ドル、経済協力目的の贈与2億ドル、民間経済協力4億ドルを組み合わせて合計を8億ドルとした小林私案(小林構想)を提示しました。賠償と贈与の合計により事実上の賠償金額を4億ドルとした上で、貿易債務は有利子ローンとしてインドネシアが返済するとした右私案は双方の賠償に関する希望を満たすものであったため、両国政府はこの私案を基礎に交渉を再度進めることとなりました。

 同年11月、インドネシアを訪問した岸総理はスカルノ大統領と会談し、小林私案に基づく賠償解決案を説明しました。スカルノ大統領は対案として賠償と贈与の予定額4億ドルから対日貿易債務を差し引いた金額を賠償金額(2億2,300万ドル)とし、これと民間経済協力を組み合わせるフォーミュラを提案しました。右対案は利払い等で日本側に不利となるものでありましたが、岸総理は受諾し、二国間に合意が成立しました。以降、支払期間等の細目条件や関係協定に関する交渉が進められ、1958年1月20日に平和条約並びに賠償協定が署名されました。

 本調書は日本とインドネシアの賠償交渉経緯の全体を概観するもので、特に1954年の倭島政府代表のインドネシアへの赴任から、岸・スカルノ間の合意の成立、日・インドネシア平和条約及び賠償協定の署名に至るまでの経緯を詳細に論じています。「平和条約締結に伴う賠償交渉」上はその後の交渉の進展に大きく作用した交渉や、方針の検討を中心的に採録しており、他国の賠償交渉を優先した等の事情により、インドネシアとの間の交渉は大きな変化が見られなかった1954年から56年頃までの文書の採録は必ずしも網羅的ではありません。本調書はこの時期の展開を記述しており、既刊に採録された文書とあわせて読むことで、交渉の経緯や日本側の対応振りを理解する一助になると思われます。

 本調書の内容は既刊「平和条約締結に伴う賠償交渉」上の「対インドネシア賠償交渉」の全編、特に以下に対応していますので、各採録文書とあわせて参照ください。

  • 三2 賠償総額と貿易債務問題の争点化
  • 三3 賠償と貿易債務の一体的解決をめぐる交渉
  • 三4 岸・スカルノ合意の成立
  • 三5 平和条約・賠償協定の署名・発効_

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