外交史料館

概説と主な展示史料

平成29年7月14日

戦争終結から国交再開まで

 1945年8月14日,日本政府はポツダム宣言を受諾し,第二次世界大戦は終結しました。タイ政府は,8月16日,日本の圧力下で発した対米英宣戦布告は無効であり,連合諸国との戦前の友好関係を回復すると宣言し,アメリカ政府はこれを受け入れました。また,領土についても戦前の状態に戻すことを表明しました。

 日本政府は連合国軍の占領下に置かれ,外交権が停止されたため,日タイ間の外交関係も停止されました。

 その後,サンフランシスコ平和条約発効を前にして,日本政府は,タイとの国交再開について検討しました。タイ政府は,1945年9月に日本政府に対し,戦争中に締結した政治的諸条約の廃棄通告を行っていましたが,これには1937年に締結された「日本国暹羅国間友好通商航海条約」は含まれていませんでした。そこで,日本政府は同条約第一条「日本国と暹羅国との間には永久の平和及無窮の友好関係あるべし」によって,両国の国交は存続しているが,現状では冬眠状態にあるとみなし,平和条約発効と同時に両国の外交関係は自動的に回復するという立場をとりました。

 こうして,サンフランシスコ平和条約発効の日である1952年4月28日,日本の外務省において,吉田茂(よしだ・しげる)外務大臣と在日タイ外交使節団のサガー・ニルカムヘング公使は文書を交換し,両国の国交再開及び大使館再開を確認しました。

  • (写真1)国交再開を確認する交換公文
    【展示史料17】
    国交再開を確認する交換公文

池田勇人総理の訪タイ

 国交が再開されると,タイ駐留日本軍が戦時中に物資調達のためタイから借りた軍費の返済が問題となりました(特別円問題)。1955年,戦後の両国のインフレ等を勘案して日本の返済金額を150億円とし,そのうち54億円をポンド払い,96億円を投資とクレジット方式で供与するという内容で一旦合意に達しましたが,96億円を賠償とみるタイと借款とする日本側の見解の違いのため,交渉は難航しました。

 1961年11月,池田勇人(いけだ・はやと)総理がタイを訪問し,サリット・タナラット首相と会談し,本件に関する基本方針について合意が成立しました。合意内容は,日本は1970年までの8年間で96億円をタイに分割無償供与し,タイ側はそれを日本製品及び役務の調達に充てるというもので,この内容で翌年新協定が締結されました。合意に至った際,両首脳は堅く握手を交わし,池田総理は「この解決を機会に両国はもっともっとしっかりと手を握り合って行きましょう」とサリット首相に伝えました。現地の新聞でも,池田総理のタイ訪問は大成功を遂げ,日タイ友好関係史上に新たなる世紀を開いたと絶賛されました。この特別円問題の解決は,これ以後のタイの経済開発計画に対する日本企業の進出を促進することとなりました。

 また,池田総理はプミポン国王に拝謁し,ご都合の良い時期にぜひ訪日していただきたいと希望を伝え,1963年には同国王の訪日が実現することとなりました。

  • (写真2)プミポン国王と会談する池田総理
    プミポン国王と会談する池田総理
    (写真は1963年のプミポン国王来日時のもの)

プミポン国王の訪日

 1963年5月から6月にかけて,プミポン国王がシリキット王妃とともに日本を訪問されました。タイの国王として初めての公式訪問でした。

 プミポン国王が,日本的なものを見たい,また日本の近代産業の目覚ましい発展振りに接したいと希望されたため,10日間の滞在中,歌舞伎,蹴鞠,薪能の観覧,京都御所,修学院離宮訪問,金閣寺,龍安寺,東大寺等の寺社参拝のほか,キヤノン,日本電気,松下電器等の工場を視察され,カメラ,半導体,テレビなどの製造過程を見学されました。松下電器では,松下幸之助(まつした・こうのすけ)会長自らが国王を案内しました。

 また,国王訪日を記念して,NHKホールで特別演奏会が開催されました。国王は音楽を趣味としており,自身で作曲もされるため,演奏会では,国王作曲の曲も演奏されました。

 このほか,プラチャーティポック国王も参拝した日泰寺に参拝し,植樹を行われました。

 プミポン国王の帰国後,齊藤鎭男(さいとう・しずお)在タイ臨時代理大使が大平正芳(おおひら・まさよし)外務大臣宛に送った報告によると,国王訪日は,現地メディアでも大々的に取り上げられ,経済技術協力,文化交流等の各分野で,両国関係が今後益々緊密化するであろうと報じられたとのことです。また,国王及び王妃も滞在中の日本側の厚遇に満足し,日本訪問が極めて楽しいものであったと齊藤臨時代理大使に語られたことが報告されています。

 日タイ両国の皇室・王室は国交樹立以来,非常に友好的な関係を築いてきましたが,この関係は,それぞれの国民の相手国に対する印象にも多大な影響を与えています。

 とりわけ,プミポン国王は,タイの国民から敬愛を受けた英邁な君主として,崩御された現在においても私たちに印象を残し続けています。

  • (写真3)プミポン国王同王妃訪日記念特別演奏会プログラム
    【展示史料19-1】
    プミポン国王同王妃訪日記念特別演奏会プログラム
    左:表紙,右:中表紙
  • (写真4)プミポン国王,香淳皇后,昭和天皇,シリキット王妃
    プミポン国王,香淳皇后,昭和天皇,シリキット王妃
    (プミポン国王主催晩餐会にて)
  • (写真5)日泰寺ご訪問
    日泰寺ご訪問
    後方の奉安塔にチュラーロンコーン国王から寄贈された仏舎利が奉安されている。

むすびにかえて

 以上,1887年の国交樹立から,1963年のプミポン国王の訪日までの両国の交流の歴史を見てきました。

 国交樹立当初,両国の間は皇室や政治家,専門家を中心とした交流が大きな位置をしめていました。しかし,第一次世界大戦以降,両国間の貿易,商業活動がしだいに活発化すると,交流の裾野も広がっていきました。1930年代以降は,政治・経済・文化それぞれの分野で関係が急速に緊密化しました。第二次世界大戦によって,その交流は一時期途絶しましたが,1960年代以降,経済的側面での結びつきが一層強固になり,特に日本からタイに進出する企業は飛躍的に増大しました。

 このように,日本とタイは国交樹立以来,アジアの独立国として互いの存在を認め合い,友好関係を深めてきました。それは,現在においても変わりありません。タイに進出している日系企業は増加し続け,現在約4,800社と言われています。在留邦人も約7万人にのぼり,タイから見て日本は貿易額で第2位,投資額で第1位の地位にあります。日本とタイは経済分野における重要なパートナーなのです。また,政府開発援助として,日本はタイに資金的・技術的な協力を実施してきており,空港,上水道,地下鉄などのインフラ整備は身近なところで市民の役に立っています。

 他方,近年では,アニメや歌,ゲームといった日本のポップカルチャーや日本の食文化もタイの人々の人気を集めています。また,日本を訪れるタイ人観光客も増加を続け,2016年には90万人を超えました。タイを訪れる日本人も年間約140万人にのぼっており,国民間の往来と交流はより活発により幅広いものになっています。

 日タイ修好130周年という節目にあたる本年,両国の長い友好の歴史を振り返るとともに,様々な交流を通じて両国の関係が一層深まり,互いにより身近な存在になっていくことが期待されます。

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