外交史料館
『日本外交文書』昭和期III第3巻
(昭和十二-十六年 移民問題・雑件)
『日本外交文書』の昭和期III(昭和12~20(1937~45)年)は,「日中戦争」,「第二次欧州大戦と日本」および「太平洋戦争」の3つの特集を中心に構成し,平成24(2012)年度までにこれら特集の刊行を完了しました。そしてこれら特集で採録しなかった事項については,昭和期III第1巻から第3巻に関係文書を収録することとし,平成26年3月に第1巻と第2巻を刊行し,平成26年10月に第3巻を刊行しました。
昭和期III第3巻の採録文書数は441文書,本文510頁,日付索引151頁,総ページ数661頁です(昭和期III全第3巻の総採録文書数は1469文書,総ページ数は2021頁)。本巻の刊行により『日本外交文書』の通算刊行冊数は215冊となりました。なお,当該期の外務省記録は戦災等によって多くが消失しているため,本巻の編纂に当たっては,東京大学社会科学研究所,首都大学東京図書情報センター,国立公文書館および「極東国際軍事裁判関係文書(米国議会図書館作成マイクロフィルム)」から文書を補填・採録しました。ご協力をいただいた各機関には謝意を表します。
「昭和期III」第3巻の構成
本巻の掲載事項(目次)は次のとおりです。
- 八 移民問題
- 1 米国
- 2 フィリピン
- 3 カナダ
- 4 ブラジル
- 5 ペルー
- 九 雑件
- 1 新南群島の日本領土への編入問題
- 2 故斎藤駐米大使の遺骨送還
- 3 貿易省設置問題
- 4 極東におけるユダヤ人避難民問題
- 5 諸外国との航空連絡交渉
- 6 国際捕鯨問題
- 7 ブリストル湾における鮭漁問題
- 8 パナマにおける邦人への営業停止問題
- 9 東京オリンピックおよび日本万博計画
- 10 皇紀二千六百年祝賀のための満州国皇帝訪日
- 日付索引
「昭和期III」第3巻の概要
八 移民問題
本項目では,本邦移民に関する各国との間の諸問題につき関係文書を,「米国」,「フィリピン」,「カナダ」,「ブラジル」,「ペルー」の五つの小項目を設けて採録しています。
1 米国
本項目では,米国における邦人移民の問題に関する文書を採録しています。主な問題としては,12年の移民法修正(邦人に対するクォータ適用)問題,前年からの継続案件であった国際商人に関する邦人への差別待遇問題,ワシントン州における外国人排斥土地法修正案をめぐる州当局との折衝,15年の日米通商航海条約失効後における在米邦人の商人資格をめぐる米国政府との協議などの関係文書を採録しています。
(採録文書数23文書)
2 フィリピン
本項目では,比島移民法の修正(移民割当制の創設)をめぐる日本と比島および米国当局との折衝(14~15年)に関する文書を採録しています。フィリピン政府は激増する中国移民の流入阻止のため,各国同数の割当制導入を進めました。日本は,割当制は従来制限がなかった邦人移民に多大な影響を及ぼすとして,議会への法案提出先送りや,邦人移民への割当数増大などをフィリピン当局に求めました。この移民法の修正には米国議会の承認が必要であり,本件には米側の意向が強く影響していたため,日本は米国政府へも折衝を重ねました。しかし,米側の対応には積極性が見られず,結果的には,予想(1000名)を大きく下回る500名が各国割当数となりました。そこで日本は,ケソン大統領に移民法の運用によって邦人移民数を増加するよう求めました。
(採録文書数22文書)
3 カナダ
本項目では,カナダにおける邦人移民の問題に関する文書を採録しています。主な問題としては,カナダ議会における排日決議案や排日法案をめぐる論議,BC州の排日問題を緩和するため設置された日本人審査委員会による不正入国者実態調査,キング首相による日加紳士協約(ルミュー協約)改訂と相互移民協定締結に関する打診,カナダ漁業省による日系漁業ライセンス削減問題やBC州議会の排日論議,日本人登録問題などの関係文書を採録しています。
(採録文書数23文書)
4 ブラジル
本項目では,ブラジルにおける邦人移民の問題に関する文書を採録しています。ブラジルでは12年11月,バルガス大統領の「クーデター」により,新憲法が公布されましたが,旧憲法の移民二分制限条項は従前通り存置されました。そして翌13年5月に新外国人入国法が,さらに同年8月に同施行細則が公布されると,日本人の入国割当数は2,849となりました。この間,日本は,邦人割当数の増加,差別待遇撤廃を求め,新移民法制定の動きに対しては,移民と通商の相関性をブラジル側に説明し,両国の通商促進には南米航路の維持が不可欠と説きました。また,ブラジル軍部の枢軸国批判に対しても日本の立場を説示するなど,折衝に努めました。
(採録文書数29文書)
5 ペルー
本項目では,ペルーの排日気運の高まりを背景としたペルー政府による邦人移民入国制限措置とこれに対するわが方の折衝振りを示す文書や,15年5月13日に首都リマで発生した排日暴動事件および同事件の賠償交渉に関する文書を採録しています。特に排日暴動は,首都リマに集中する邦人商店,理髪店,飲食店,民家がペルー人暴徒に襲われ,集団略奪,破壊に遭ったもので,負傷者10数名,罹災者500余名,被害推定額390万ソール(在留邦人投資額5,000万ソールの約7.4%)に達しました。日本政府は,革命でもない平時に,日本人のみを襲った計画的暴動である点を重大視し,ペルー政府に厳重抗議するとともに,正式陳謝,責任者の処罰,在留邦人の生命財産の保障および損害賠償の支払いを求めました。ペルー側は陳謝と処罰を実施し,将来の保障と賠償支払いも約しましたが,賠償金については交渉が難航し,妥結したのは16年12月でした。
(採録文書数34文書)
九 雑件
本項目では,項目一から八で採録しなかった,昭和12~16 (1937~41)年における様々な問題に関する文書を,九つの小項目を設けて採録しています。
1 新南群島の日本領土への編入問題
本項目では,14年3月30日付でわが国が新南群島を台湾総督府の管轄に編入した経緯に関する文書を採録しています。新南群島は仏国が8年に先占宣言を行って以降,日仏間の係争地となっていました。日本側では大正6年に新南群島の燐鉱採掘事業に着手し,昭和4年には軍艦を派遣して測量探査を行っている事実から,仏国の先占宣言を認めませんでしたが,仏国と進んで事を構えることを避け,日本領であると強く主張せずにいました。しかし13年7月下旬,仏国側が建築資材を陸揚げして永久的な建造物を構築する動きを示すと,日本側も領有権を正式に主張する必要を認め,国内的手続きを経て,14年3月31日,新南群島を台湾総督府の管轄に編入した旨を仏英米三か国へ通告しました。
(採録文書数30文書)
2 故斎藤駐米大使の遺骨送還
本項目では,14年2月にワシントンで死去した斎藤博前駐米大使の遺骨を米国海軍の軍艦で日本へ送還した経緯に関する文書を採録しています。本件移送は病気療養中とはいえ,離任した大使への取り計らいとしては異例の厚遇で,堀内大使は,米国における悪化した対日空気を考えれば,相当な政治的考慮を加えた米国政府の英断であると東京に報告しました。遺骨を乗せたアストリア号はホノルル経由で4月17日に横浜に入港しました。同日付の『ワシントン・スター』は,日本国民の感謝の念は関東大震災の当時に米国の救援に対して示されたものに比肩すると論じました。
(採録文書数16文書)
3 貿易省設置問題
本項目では,貿易省設置をめぐる外務省内の反対運動に関する文書を採録しています。14年10月3日,阿部内閣が貿易省設置要綱を閣議決定すると,外務省高等官は,貿易省設置は外政の一元的活用を根本的に乱すとして野村外相に再考を求めました。しかし野村外相は閣議決定変更の余地はないと回答したため,10月11日,高等官130名は辞表を提出しました。その後,本件は阿部首相に一任され,外務事務当局の意見は貿易省設置に当たり具現するとの趣旨で解決が図られました。
(採録文書数21文書)
4 極東におけるユダヤ人避難民問題
ドイツやイタリアにおいてユダヤ人排斥が進むにつれ,ユダヤ人避難民の日本への入国・通過が増加し,その対応が外交課題となりました。本項目では,13年12月6日付五相会議決定「猶太人対策要綱」をはじめ,通過査証の発給問題や本邦滞留避難民への措置振りなど,日本政府が極東におけるユダヤ人避難民にどのように対応したかを示す文書を採録しています。
(採録文書数80文書)
5 諸外国との航空連絡交渉
本項目では,当該期にわが国が企図し交渉を行った航空連絡交渉に関する文書を採録しています。主な問題としては,英米両国と交渉した台北・マニラ間および台北・香港間の航空連絡交渉(いずれも交渉は妥結しなかった)のほか,14年11月に協定が成立した台北・バンコク間の航空連絡や同路線の仏印上空通過に関する仏国との交渉などの関係文書を採録しています。
(採録文書数45文書)
6 国際捕鯨問題
南氷洋捕鯨取締に関する国際会議に対して,日本は12年5月の会議には参加しませんでしたが,13年6月の会議には正式に参加しました。13年の会議では英国などが前年に成立した国際捕鯨協定へのわが国加入を要望し,日本は条件付で次年度より協定に加入することを表明しました。しかし,第二次欧州大戦が勃発すると,これを理由として日本は国際捕鯨協定への加入を延期することとし,14年12月14日,その旨を英国へ通報しました。本項目ではこの経緯に関する関係文書を採録しています。
(採録文書数41文書)
7 ブリストル湾における鮭漁問題
12年秋,アラスカのブリストル湾において日本船が鮭漁を行っているとの風聞が流れると(実際には蟹工船で鮭漁ではありませんでした),米国漁業関係者から強い反対が示され,対日ボイコットを誘発しました。日本側では,前年より資源保存の観点から農林省が許可する調査船以外の鮭漁は禁止していましたが,日中戦争をめぐり国際関係が極めて機微な時期であり,生糸などの対米輸出に対する悪影響も懸念されたため,すべての当業者に出漁許可を与えないこととし,その旨を米国務省へ通報しました。本項目ではこの経緯に関する文書を採録しています。
(採録文書数20文書)
8 パナマにおける邦人への営業停止問題
パナマでは16年10月8日,クーデターによって親米政権が誕生すると,対日態度は急速に悪化し,10月28日,翌日以降の在留邦人(邦人数380)の営業停止を通告してきました。右通告に対して日本は,現地および在京パナマ公使を通じて厳重に抗議をしましたが,パナマ政府は日本側抗議を全面的に拒否する強硬な態度を崩さず,営業停止の撤回を見ないまま日米開戦となりました。本項目ではこの経緯に関する文書を採録しています。
(採録文書数16文書)
9 東京オリンピックおよび日本万博計画
15年開催予定の東京オリンピック計画は,盧溝橋事件以降,欧米メディアを中心とする国際世論の厳しい批判を浴び,中止説も唱えられました。日本政府はたびたび計画に変更のないことを声明するなどしましたが,結果として大会返上を余儀なくされました(13年7月決定)。また,東京を開催地とする万博計画(15年開催予定)は,日本が国際博覧会条約に未加入であったことから,パリの博覧会国際事務局との直接交渉で支持をとりつける試みが続けられました。それと並行して60か国への招請状が発出され,世界各地域への招請使節も派遣されましたが,最終的にはオリンピックと同日,計画の延期(中止)が決定されました。本項目ではこれら関係文書を採録しています。
(採録文書数34文書)
10 皇紀二千六百年祝賀のための満州国皇帝訪日
皇紀二千六百年(15年)の政府式典に際しては御大典等の先例に従い,外国からの特派使節を辞退することとなっていましたが,満州国皇帝の訪日希望が伝えられると,日本側は満州国との「特殊の関係」に鑑み,例外としてこれを歓迎することとしました。同皇帝は式典の時期を避けた15年6月に来日し,昭和天皇と会見するなどしました。本項目ではこれら関係文書を採録しています。
(採録文書数7文書)