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第3章 評価内容

3.援助政策の効果  

3.1 分析の視点

 援助政策の効果については、有効性及びインパクトという評価項目から検証した。ただし、「国別援助方針」にはその目標値や指標が設定されておらず、その有効性(目標達成度)を定量的に分析することは困難であることから、評価対象期間における主要経済指標の動向を追い、外部要因を明らかにすることで援助政策の効果の検証に代えた。インパクトも同様に定量的な分析が困難であることから、「国別援助方針」がスリランカの開発政策やわが国のODA上位政策へもたらした影響の有無を検証した。なお、援助の効果を評価するアウトカム評価や日本の貢献度の分析なども重要ではあるが、これらの手法はモデルそのものの有効性に議論があること、短期間では調査分析が困難なことなどから、今回の評価では採用しなかった。

3.2 有効性

(1)援助政策目標全般のマクロ指標分析

 第2章で概観したように、対象期間のスリランカ経済は、アジア経済危機の影響がまだ小さく、概して健全な経済発展に向かって順調な開発を遂げていたと考えられる。ただし、外部条件としてLTTEによるテロ活動の激化と軍事支出の増大、世界景気減退の影響や、降雨不足による農業生産の停滞が起こり、2000年、2001年の経済不況へと繋がった。

  • GDP成長率は5%近辺で推移していた。
  • 対外貿易額では、1995年に対外輸入額が約2725億ルピーが1999年に約3785億ルピー、対外輸出額が1995年に約1950億ルピーが1999年に約3188億ルピーと増加傾向であった。
  • 資本投資蓄積では民間長期資本は1995年の約46億ルピーが1999年に約135億ルピー、政府長期資本は1995年に約183億ルピーが1999年に約22億ルピーと波があった。
  • 対外債務残高は1995年に約82億米ドルが1998年に約85億米ドルと若干増加してはいたが、それほど急な増加ではなかった。
  • インフレ率は2000年では14%と大きく増加したが、対象期間は1995年に7.7%、1999年に4.7%と比較的小さかった。
  • 失業率は1995年に12.3%、1999年に8.9%と減少傾向であった。
  • 貧富に関する指標は対象期間で大きな変動は見られなかった。
(2) 分野ごとのマクロ指標分析

 対象期間の日本の援助と関係の大きい各分野の推移を見ると、マクロ指標として顕著な動きは以下のようにまとめられる。

1) 経済・社会基盤の整備・改善

  • 交通・運輸分野の道路の内、首都・州都間を結ぶ幹線道路(Aクラス)および主要な町を結ぶ道路網(Bクラス)の道路の総延長が95年の1万1128kmから2000年には1万1487kmと増加している。
  • 港の貨物取扱量(特にコロンボ港の貨物取扱量とコンテナ取扱量)が大きく増加した。1995年には1万9517トンだったのが、2000年には2万7535トンまで増えた。
  • 通信インフラの固定電話線数、移動電話数が大きく拡大した。固定電話数は1995年には20万4350台であったのが、2000年には65万3144台と3倍以上、移動電話数は1995年には5万1316台だったのが、2000年には56万5536台と10倍以上増加した。
  • 電力受益者数が1995年の133万3888人から、2000年には220万7347人に増えた。
2) 鉱工業開発
  • 鉱工業部門の生産高が1995年には3万5466MRsだったのが、2000年には16万4036MRsと増加した。
  • 鉱工業部門の輸出額が1995年には15万1541MRsだったものが2000年には33万8963MRsと倍増した。
  • 鉱工業部門の被雇用者数が大きく増加した。工業部門の被雇用者が全被雇用者に占める割合が1995年の14.7%から2001年には16.9%に増加した。
  • 鉱工業部門の付加価値が1995年の2万1518MRsから、2000年には4万684MRsに増加した。
3) 農林水産業開発
  • 農林水産業部門の輸出額が1995年の4万2478MRsから、2001年には7万9544MRsと大きく増加した。
  • 農林水産業部門の被雇用者数が1995年の196万6794人から、2001年には203万3342人と微増した。
  • 基本的食料の自給率は小麦・ミルクを除き、1995年にはすでに高い達成率を示していた。1995年の米・ココナッツ・さとうきびの自給率は100%を超えている。
  • 単位面積当りの収量が微増した。1995年の21Haあたりの生産高が7030Kgであったのが、2000年には7755Kgとなった。
4) 人的資源開発
  • 学力テストの成績(GCE/Oレベル)が向上した。1995年は合格者が19.45%だったのが、2000年には42.09%に増加した。
  • 高等教育修了者の失業率は1995年に35.5%だったが、2000年には30.6%となり微減した。
  • 識字率は1995年時点ですでに96%を達成しており、対象期間も同じ水準だった。
5) 保健・医療体制の改善
  • 1995年時点で乳児死亡率は20/1000出生、出生時平均余命72才を達成しており、対象期間に大きな変化は見られなかった。
  • 国立病院数は1996年には452だったものが、2001年には585に増加した。入院者数も1996年には3397人だったのが、2001年には4015人に増えた。通院者数も1996年には3万5348人だったものが、2000年には4万3325人に増加した。
  • はしか予防の率が増加した。1歳児のはしか予防接種を受けた割合が1990年には80%だったものが、2000年には95%に上がった。
  • 安全な水へのアクセス可能人口が1995年には1231万6160人だったものが、2000年には1435万2201人に増加した。
3.3 インパクト

 「国別援助方針」のインパクトを、「国別援助方針」がわが国経済協力の上位政策(ODA大綱やODA中期政策など)やスリランカ自身の開発政策(国家開発計画、PIPなど)に、何らかの影響を与えたかについて検証を試みた。明確なインパクトは特段観察されなかったが、個々のプロジェクトレベルでは、スリランカ側の開発計画や制度開発に影響があったと思われるものがあったので、参考までに記載する。

  • 当該期間に実施された開発調査の「工業振興・投資促進計画調査(フェーズI)」では、縫製・皮革・ゴム・プラスティック・一般機械・電気電子産業・情報サービス産業の7業種が重点産業として選定された。この調査は、その後フェーズIIで7業種についてのマスタープランが作成された。このうち縫製と皮革産業が、UNIDOが実施する工業開発支援プログラムの中に取り込まれ、スリランカ政府に承認された。現在、スリランカ政府はゴム等の7つの伝統産業、食品等4つの輸入代替産業、縫製等4つの受託加工産業、ITからなる知的集約産業の重点16クラスターを設定して民間を含めたワーキンググループで開発政策を検討しているが、ここには、先の7業種のうち電気電子産業を除く6業種が含まれている41。この開発調査のマスタープランで掲げられた「知的集約・技術指向産業」へのパラダイムシフトは、2001年に作成されたスリランカの開発政策“Vision 2010"でも、「知的集約産業に向けて」と題したIT重視政策の中に取り込まれていると考えられる。また、日本の「工業振興・投資促進計画フォローアップ調査(テクノパーク)」につながっている。
  • 日本の工業振興・投資促進計画調査(フェーズI)は、有望業種を選定すると共に工業開発フレームワークを設定することも目的とした。この後のフェーズIIでは、工業部門の制度改革にも取り組み、中小企業育成機構の構築が提案された。その後、2001年に中小企業開発委員会が結成されている。
  • 住民組織「コミュニティ開発協議会」(CDC)の能力開発(大コロンボ圏水辺環境改善計画)は、コロンボ地区の洪水対策と、工事対象地区であるシャンテイ住民の移転と居住改善を目的とした。洪水対策事業の移転対象地区の一つバドーヴィタでは、移転した住民が設立したCDCに対し、青年海外協力隊員がその運営・会計管理訓練を行い、行政機関との橋渡し役の役割を果たした。その後、隊員の協力のもとにこのCDCは、JBICの支援を受けて、住民参加型による排水と上水道を含む生活インフラの整備が実施された。同地区の経験は、後続プロジェクト地域での事業展開に活かされ、世銀の"Poverty Reduction Strategy Sourcebook"の'Urban Poverty'で、コミュニティ組織の強化や活性化の一例として紹介されている42


41 「工業振興・投資促進計画調査」フェーズIとIIの報告書、現在の状況については、企業育成・工業政策・投資振興省にアドバイザーとして派遣されている専門家からの情報を基にしている。スリランカ政府による16重点クラスターの選択については、その基準等が明確でないようで、手織り等の伝統産業も含まれている。当専門家は、このワーキンググループにも参加しているが、関係監督官庁が10省にまたがることによる調整の困難さ、先の企業育成・工業政策・投資振興省と2001年末に新設された工業省とのすみ分けの不明確さ、中間管理職の権限の弱さなどの問題を指摘している。

42スリランカ「大コロンボ圏水辺環境改善事業」終了時評価報告書、JBIC、2001年。「円借款と技術協力・無償資金協力との連携及びSAFの効果的活用に関る調査」報告書、(株)国際開発ジャーナル社、2000年。'Urban Poverty' (Draft) 2001 from "Poverty Reduction Strategy Sourcebook", World Bank HPより



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