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事例1-4:(特非)日本フィリピンボランティア協会の事例

1.プロジェクトの概要

地域医療総合福祉センター 山の保健室
<地域医療総合福祉センター> <山の保健室>

(団体の概要)

日本フィリピンボランティア協会(以下JPVA)は、1990年に設立され、ミンダナオ島ダバオ市において貧困生活を強いられていた日系人支援活動から出発している。その後、日系人とともに教育・福祉・環境・医療等の活動を通じて、地域に貢献する活動を進めてきた。一方では、日本の高齢社会、教育問題の課題解消に向けて双方の市民が向き合い、共同で実践活動を通じて解決していく事を目指している。主な活動としては以下のものがある。

(1) 教育活動:フィリピン日系人会によるの小学校・ハイスクールの運営支援、ミンダナオ国際大学の建設・運営、指導者の養成、教師の派遣、教育里親制度、教育交流、移動児童館活動、環境教育の推進、開発教育の推進
(2) 環境保全:植林活動、育苗、熱帯林再生植物園の建設、野菜の試験栽培
(3) 福祉・医療:学校保健室への薬品支援、給食活動、貧困集落への巡回医療、母親学級、授産活動、地域の多目的施設の建設、住民活動の自立への支援、産院と医院の建設と運営
(4) 日比のボランティア体験交流:現地の学校訪問、授業実習、植林活動、福祉活動への参加
(5) 文化交流:中古のリコーダーの提供や絵を日比の子どもたちが描くことを通じての文化交流、歴史資料館の運営
(6) 日本の高齢者対策:高齢者生きがい研究所の設置、在宅介護受け入れ体制の整備

2.2001年度 補助金事業内容

プロジェクト名 :医療診療事業、地域総合振興事業等(2001年度)
現地協力団体 :(特非)日本フィリピンボランティア協会の現地法人、地域医療福祉総合 センター(CMU)、カセド(カリナン環境開発機構)、フィリピン日系人会(PNJK)(1995年設立)
補助金事業実施期間 :1996年~2001年度
対象地域 :ミンダナオ島 トリル近郊の貧困集落、保健活動は40校、児童数250人から700人、バトルーサ(人口約1,000人)、ナカダ(96,97年のみ)(人口約15,000人)、バオリック(人口約1,000人98年度より)地区など
ターゲットグループ :貧困集落の子供達
事業補助金交付額 :4、180、000円(栄養給食費、薬剤費、医師等人件費、教材費、現地補助員費、事業管理費、車両購入費)
自己資金使用実績 :4,649,821円

以下の活動が補助金事業として行なわれている。

(1) ダバオ市トリル地域での地域医療福祉総合センター(CMU)の活動支援:貧困集落における無料巡回医療活動、給食の提供、野菜栽培指導活動、母親学級、授産活動の支援。
(2) 移動児童館の活動、貧困集落の児童を対象にした教育・福祉活動の推進:学校に行けない児童を対象に紙芝居や本の読み聞かせ、絵・歌・踊りなどの出前教育の実施。
(3) 山の小学校の保健室整備:40校の学校に対して薬の提供を年3回実施。その際、CMUの医師・看護婦が保護者に対して、子どもの健康や衛生について講義、健康問題や生活改善に関心を持った地域のリーダー育成の実施。
(4) 指導者養成講座の開催(日本向けヘルパーの講座を含む):上記の地域リーダーの育成をするとともに、日比の福祉交流・教育交流を行なうフィリピン側のスタッフの人材育成。フィリピンでは子どもの福祉、日本では高齢者の福祉と両国の福祉に関する課題の解決を担う人材育成の推進。

3.訪問内容

8月19日ダバオ市のJPVA事務所、小学校・ハイスクール、ミンダナオ国際大学を訪問し、現地駐在員の平野雅一氏から説明を受けた。また、ダバオ市トリル地区にあるCMUとバトルーサ日本語学習センターでは、医療スタッフから地域の巡回医療活動の説明を受けた。また戦争を経験した語り部的存在である田中愛子氏から、戦後山中を逃げ回って生き延びたこと、日本人への迫害を避けるためにフィリピン人男性と結婚したことや現在の現地での活動にいたる経緯や思いを伺った。

(事業の背景)

  • JPVAの活動の経緯:戦前のダバオ周辺はマニラ麻の産地として多くの日本人が入植していた。戦中の日本軍の残虐な支配の後遺症のため、戦後フィリピンの日系人は最低の地位に置かれてきたが、その後日系人にだけは日本での就業ビザが下りるようになり、経済的に楽になった。それからフィリピン全体への支援を考えるようになった。日本語を話すと殺されるという状況から徐々に解放され、「子どもたちに日本語を教えたい」という日系人からの要望に応えるために1985年にダバオに日本語学校が開設され、日本語の学習が始まったが、しだいに日本で働くための学習へと目的が変化していった。1993年には日系人会が運営する小学校を、2000年にはハイスクールを開設し、現在両校で1,000人の生徒が学んでいる。日本語教育に力が入れられ、奨学金も提供され、地域での評判もいいとのことであった。

  • また、日比の教育問題や介護福祉などの福祉問題に寄与できる人材育成をめざしたミンダナオ国際大学を今年6月に開校し、第1期生が学び始めている。運営は日系人会で行われているが、JPVAは主導権を確保しているとのことであった。

  • 日比の交流を活動の目的の大きな部分に掲げているJPVAにおいて、スタデーツアーの役割は大きく、財政的にもスタディーツアーの売り上げは年間200人で1,200万円になる。しかし昨年はテロの影響を受け、いくつかのツアーが中止になりスタッフの賃金カットや事業の縮小でしのいだという。

  • 年間6人くらいづつ今までで30人ほどの女性を、3ヶ月間づつ老人介護の研修を受けるために日本に送っている。女性たちは無給で働いて、将来のビザの解禁に向けて実績を得るために行っているとの説明であった。ビザ解禁にはかなり自信があるように感じられた。

  • 日本からの中高年ボランティア、青年を受け入れ、日本語指導や事務作業を受け持ってもらっている。日本人ボランティアは無給で、宿泊・滞在費も自己負担のため、資金的準備を必要とする。中高年のボランティアが将来老後のケアをこの地で受けることも想定されていた。また、敷地内には日本人ボランティアやスタディーツアーの参加者が宿泊できる設備の整ったドミトリーが作られていた。
(成果)

バトルーサの日本語学習センターには、給食を受けるために近所の母子十数人が集まってきて、子どもたちはチョコレート味のおかゆをいただいていた。この集落は貧困地域というより落ち着いた暮らしぶりがうかがえる村であった。日系人の日本語を学びたいという声に応えるとともに、地域に貢献したいという日系人の意思を、活動を通して支援する中で、日系人の活動の場を広め、地域社会に受け入れられていくことに貢献している。また市民レベルにおいて戦争への贖罪と深く地域の人々にきざまれた傷を癒し、日本とフィリピンの交流の発展に貢献するものとなっている。

40の小学校(一部孤児院)に保健室を設けて薬の提供と巡回医療活動を行なっている。親からは薬をもらうことができ、「学校に行かせてよかった」という声が出ている。JPVAが薬を支援している近郊の小学校の保健室を訪問した。保健室には7~8種類の薬が備え付けられていた。小学校はしっかりとした造りの建物でどの教室も元気でこざっぱりとした子どもたちであふれていた。学校の保健室への薬の提供や巡回医療・講演を通じて、地域の人たちが健康維持に対して関心を持つことに役立っている。また、親の薬の利用が子どもを学校に行かせるひとつの誘因になっているという点については、訪問した地域は貧困地域ではなかったこともあり、確認はできなかった。

(自立発展性)

小学校への薬の支援であるが、一方で年間221万円(2001年度)の薬が無料で提供されていて、住民自身の手による健康の維持・発展という点からは今後の道筋を描けない状況と言える。保健室での薬の配布活動については日本の小中学校との1対1の交流を進めており、今後も発展させたいとの事であった。薬など物品の提供は地域の人たちから文句なく歓迎されるであろうし、本当に困難な時期や貧困地域では、地域の人たちの活動の契機になることはあるだろう。しかし、物品の継続した提供は人々の関心をどうしてもそちらに向かせ、地域の人々自身による問題解決のための自主的で地道な活動(多くはそんなにすぐに結果が出ない)に身が入らないということが起こりがちである。今までの地域との関係を一旦ゼロにし、新たに作り直していくような転換を作っていくことが要求されていると言える。スタッフや活動に長く関わってこられた方の中には、いつまでも薬を提供するわけにいかず、地域住民を組織化する等して、一部受益者負担を取り入れる等の対策を検討しているとの事であった。どのように無料提供を問題なく終えることができるか教えてほしいという率直な意見も述べられていた。

(現地カウンターパートの体力)

現地カウンターパートである日系人会による小学校、ハイスクールが地域に定着し、実績をあげている。奨学金の充実や人的交流など物心両面の日本からの支援がそれを支えていると感じられた。同じく日系人会によるミンダナオ国際大学が今年6月創設され、意欲的な取り組みとして注目され、各レベルにおける人材育成が期待される。しかし、大学の教員の陣容やカリキュラムの整備などは緒についたばかりという感じを受けた。日本からの目に見える支援というのはこの小学校、ハイスクール、大学の大きなセールスポイントであるが、駐在スタッフの言葉にもあったが、日系人を始めとした現地の人たち自身が力をつけていくことが、さらに地域に根付き、地域に貢献する多様な人材を生み出していくことになると感じた。

JPVAは日系人社会を通じて深くフィリピン社会と接する中で、日本の少子高齢化に伴う介護の担い手の不足という問題と、フィリピンの人たちの収入向上という要望を結びつけるというダイナミックなテーマを手がけている。その一環として老人介護実習を通じて学ぶ女性たちを日本に送っている(ヘルパー育成事業は、2002年度予算においても1,088.8万円が計上されJPVAの活動全体(2002年度予算総額は3,730.5万円)の中でも大きなウエイトをしめている)。まだ労働ビザが出ないため3ヶ月の研修になっているが、将来のビザ解禁に向けて日本の老人介護施設に無給で研修派遣されていると言う。またミンダナオ国際大学の目的の一つはこのための人材育成になっている。日比双方に大きなニーズがあることは確かだが、日本社会自身の老人福祉を解決していく努力を外して、日比の経済格差(賃金格差)を使って、日本の福祉の課題をNPOとして扱っていくことは十分な配慮が必要に感じた。特に公的資金の支援を受ける場合は明確な別団体という形にすべきであろう。

すでにフィリピン社会においては、海外での看護婦、家政婦などの広範なサービス労務に就いて賃金を得、送金するのは最大の外貨獲得源であり、社会的にも認められた存在になっている。日本も今後外国人労働者に対する門戸を開いていくことは大きな流れと思われる。日本の老人や中高年の人たちが収入の少ないフィリピン労働者(特に女性)のサービスを受けていく場合には、この「経済格差」に対するおごりから蔑視的な関係(対等な人間同士の関係でなく)も生じやすい。コーディネートする側の明確なポリシーと基準に則った運営の必要性を感じた。フィリピンと日本の関係は地理的にも歴史的にも経済的にも深く、今後も双方の深刻な社会・経済問題を双方からアプローチする多様な取り組みもますます増えることが予想される。そこには、営利を目的とした活動から、双方の社会的課題を本気で解決していこうという地道な活動まで、境界をつけられない形で今後さらに展開されていくであろう。JPVAは、フィリピン社会との結びつきも深く、日比の交流を大きな目的の一つにかかげて活動をされてきている。この境界線をきっぱりと、上手に引かれて、今後の尊敬される日比関係作りを深めてほしいと感じた。


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