2-1.マルチ・バイ協力の経緯
途上国における開発課題の中には「感染症問題」などのように国境に関係なく広がる伝播性や対策に要する経費負担の大きさから、1国のみでは解決できない重要課題がある。このため、1980年代後半には、こうした問題の解決には国際社会が連携・強調し、地球規模の問題としての取り組むべきであるとのコンセンサスがドナー間でとられていった。このような世界的潮流の中、保健・医療分野におけるマルチ・バイ協力が、「予防接種拡大計画(EPI)に対するUNICEFとの連携」として1989年より開始された。この予防接種拡大計画をUNICEFと連携して行うことが決定された背景には、以下の4つの国際医療協力分野における世界的流れがあった。
ポリオ根絶宣言を実現させるためにWHOは、EPIに協力する多くの機関(国連機関、多国間および二国間の開発機関、民間など)がこれまで以上に協調し、努力していくことを求めた。また、全国の子どもにポリオ・ワクチンを接種する「全国一斉投与(NIDs)」の実施が重要な施策(プログラム)となり、これに向けた国際的支援がドナー協調の下で進められることが不可欠となった3。
しかしながら、1988年当時、一部緊急な場合を除き、ワクチン、医薬品、注射器などの“消耗品”を被援助国に機材供与するスキームは、我が国のODAでは認められていなかった。このような状況下、WHOが推進する予防接種拡大計画の実施にはワクチンなどの機材供与が二国間(バイ)援助として重要な意義があるとの調査結果4が日本側のなかにも出されていた。一方で、WHOとの連携の下で予防接種拡大計画を支援していたUNICEFに対し、我が国はコアファンドへ1,943万ドルの拠出金5を出していた。しかし、コアファンドへの拠出はイヤマークされたものではないため、UNICEFのどのプログラムに拠出金が使用されているかを明確にすることは困難であり、我が国として「予防接種拡大計画」にどれだけ貢献したかを国際社会に提示することはできないものであった。
こうした背景を受け、国連機関を通じた多国間(マルチ)の援助と日本の二国間(バイ)援助の相互補完と連携を図ることが可能なマルチ・バイ協力のスキームを検討するために、1988年、日本(日本政府外務省/JICA)とUNICEFの間で第1回定期協議が開催された。これを受け、1989年1月と同年9月の2回に渡り合同ミッションが出され、乳児死亡率および5歳未満児死亡率の低減、さらには途上国住民の健康改善を目指した「予防接種拡大計画」の支援にマルチ・バイ協力を用いることがUNICEFとの間で合意された。このUNICEFとの連携で日本側がメリットとしたことは、主に次の3点である。
1 The Task Force for Child Survival and Development: 米国アトランタをベースに活動する非営利公共医療機関。1984年にWHO、UNICEF、国連開発計画(UNPD)、世界銀行、ロックフェラー財団の協力の下に設立されたタスク・フォースの事務局であり、医療および人間開発推進を行う公共・民間組織の支援を行っている。
2 1988年5月 第41回世界保健機関総会で決議され、WHO設立40周年の記念的事業として取組まれた。
3 日本がマルチ・バイ協力としてポリオワクチンの供与を開始したのは1993年度からで、対象をアジア地域に絞った協力方針であった。
4 昭和60年2月衆議院予算委員会において「開発途上国刻の死因の8割は感染症であり、日本の優れたワクチンを用いた協力を行えば効果が高いのでは」という発言を受け、昭和60年7月に「感染症対策協力研究会」が設置され、合計7回の会合後昭和61年1月「感染症対策国際協力に関する報告書」が完成した。また昭和61年9月には国連機関を対象に感染症対策分野におけるワクチンなどの供与状況についての実態調査を行った。
5 「我が国の政府開発援助」上巻(1992年版)p-388
6 昭和61年1月「感染症対策国際協力に関する報告書」によると日本のワクチン価格は国際価格(途上国が先進国より購入している価格)に比べて高く、例えば、麻疹ワクチンはケニアで1ドース80円であるが、日本製は1,300円であった。