5-1. 総合所感
調査、評価をしたJVC、JICAいずれの案件においても、それぞれ課題はあるものの一定の目標を持って取り組み、また、現場で活動する日本人スタッフ、現地カウンターパートのスタッフの熱意は素晴らしいものがあった。ただし、そのような事業が着実に活かされる為には、いくつかの外的な条件整備が必要と思われた。
とくにODAにとって関わりの大きい要因のひとつは、ラオス政府の農業政策の曖昧さである。すなわち、食糧自給を優先するか、商品作物の開発を優先するかは、国家規模の戦略の問題であって、現場で最終的な方向付けができることではない。この点に関して、ドナーによる円卓会議が毎年なされているようであるが、そこにおいて、ラオスの実状にあった、そしてこれからの世界が目指すべき開発の方向が示唆されているとは必ずしも思えない。この点に関しては、NGO側もODA側も、ラオス政府に対して適切な政策提言を行う必要がある。
さらに、現場の活動をある程度制約しているのは、日本のODA政策である。現在、日本のODAの見直しが盛んに行われているが、それはまだ問題の在処を探る(Issue Identification)にとどまっているといった方が適切である。したがって、出てくる方針も、課題ごとの対処療法的性格が大きい。根本的な戦略の見直し、新たな方針が実はない。したがって、問題意識はあるものの、現場には従来通りのやり方を、ともすれば持ち込みがちである。
すなわち、外部からの資源の投入が新たな生産と雇用を産み出し、そこから生じた資源(税収)をもとにさらなる追加投入が可能となるという定式が、現在のラオスにそのまま適応できるとは思われないにも関わらず、そこで行なわれている資源の投入のパターンを見れば、その定式を大きく超えるものとは思われない。これでは、これまで自給的な経済が中心であったラオスの農村に、市場経済の仕組みが中途半端なかたちで導入され、その結果、継続的かつ大規模な外部からの追加投入なしには現状維持も困難になる怖れがあるが、このような従来の援助依存助長のパターンを繰り返すことは、日本の経済状況からしても不可能であり、ODA政策としても全く本意でないはずである。
ラオスは豊かな国である。これは、1人あたりGDPなどには現れない豊かさがあるという意味である。さし迫った生存上の危機があるようには見えない。食については、相対的な余裕があると見るべきか。しかも、土地森林移譲のような施策が、まだ充分間に合うときに採られている。それなら、ラオスは後発の開発国としてではなく、新たな社会のあり方の先進国として21世紀を生きる可能性があるということである。NGOの活動もODAも、その可能性を現実のものとするものでなければならない。
以下に述べる具体的な提言は、このような所感と考察から導かれたものである。とはいえ、2週間という期間をはじめとする限られた条件の中での見聞であり、誤解や見落としもあるかもしれない。また「5-2. 各プロジェクトに関する提言」については、現場での聞き取りや資料の読み込みなどの具体的な事実に基づいて行ったものであり、他方、5-3以降については、各参加者のこれまでの経験や知見を加えながらまとめたものであることも断っておきたい。