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9.南米への医療協力(チリ・アルゼンティン)


(現地調査期間:1999年3月23日~31日)


帯津三敬病院外科部長  滝原 章宏 チリ・アルゼンティン


〈評価対象プロジェクトの概要〉

プロジェクト名 援助形態 協力年度、金額 プロジェクトの概要
胃癌対策 プロジェクト方式技術協力 77年4月~82年3月 国立パウラ・ハラケマダ病院(サンチャゴ市中央地区病院の胃癌診断センター及び地方(キジョータ地区-サンチャゴから北西20キロメートルの農業地帯)サンマルティン病院を中心に(1)胃癌診断技術の向上、(2)X線間接撮影技術の向上を図る。
消化器がん プロジェクト方式技術協力 91年1月~95年12月 我が国は「胃癌対策」や第三国研修「医療病学」(91年~95年)を実施してきたが、チリ政府は上記成果を踏まえ、サン・ボルハ・アリアラン病院(90年3月にパウロ・ハラマケダ病院を名称変更)の胃癌診断センターを改良してチリ・日本消化器病研究所を設立し、消化器(胃、食道、胆嚢、膵臓、大腸等)がんの集学的体制を整備する構想を打ち出し我が国にプロジェクト方式技術協力を要請した。
サンロケ病院消化器病診療研究センター プロジェクト方式技術協力 85年4月~91年3月 コルドバ州立サンロケ病院の消化器内科を消化器内視鏡を主とする消化器病診断・研究センターとして分離独立させ、専門医への消化器病診断・治療技術の移転を通じ、消化器疾患の早期発見、的確な診断、治療技術の向上を図り、合わせて同病院、コルドバ大学、近隣諸州の医師に対する教育・訓練の場とする。


1 評価調査の概要


日程

3月23日(火曜日) サンティアゴ着
在チリ日本国大使館打ち合わせ
在チリJICA事務所
3月24日(水曜日) サン・ボルハ・アリアラン病院
日智消化器病研究室
厚生省国際協力室
首都圏中央衛生局
厚生省国際協力室
3月25日(木曜日) 日智消化器病研究所
国際協力庁
Clinica Las Condes見学
3月26日(金曜日) サン・ボルハ・アリアラン病院
在チリ日本国大使館報告
3月27日(土曜日) 資料整理
3月28日(日曜日) ブエノス・アイレス着
3月29日(月曜日) 在アルゼンティン日本国大使館打ち合わせ
在アルゼンティンJICA事務所
コルドバ着
3月30日(火曜日) コルドバ州厚生大臣表敬
サンロケ病院消化器診断研究センター
サンロケ病院院長表敬
コルドバ発
3月31日(水曜日) ブエノス・アイレス発


面会者リスト

1.チリ

在チリ日本国大使館
岡公使
實井書記官
折原書記官
在チリJICA事務所
石井所長
サン・ホルハ・アリアラン病院
Dr. Luis Diaz Quijada院長
Dr. Carlos Benavid(外科)
日智消化器病研究所
Dr. Herman Iturriaga所長
Dr. Ricard Estera
Jose Miguel Huerta T.
Dr. Carlos Barrlentos(内視鏡医)
首都圏中央衛生局
Dr. Sergio Infante Roldan局長
厚生省国際協力室
Dr. Carlos Anriquez Loloya室長
国際協力庁
Garmen Groria Marambio二国間部長(日本担当)
Gloria Ruis Araya(医療セクター)

2.アルゼンティン

在アルゼンティン日本国大使館
青木書記官
在アルゼンティンJICA事務所
大澤所長
コルドバ州厚生省
Nestor Costamagna州厚生大臣
Sra Maria Susana Risso
サンロケ病院消化器診断研究センター
Dr. Antonio Luis Higa

1-1 チリの医療

1.死因および死亡率(1996年、資料1)

 チリ国の主死因疾患は、1循環器疾患、2悪性新生物、3外傷・中毒、4呼吸器疾患、5消化器疾患、など生活習慣による疾患が、上位で、悪性新生物が循環器疾患につぎ、重要な死因となっている。

 1980年~88年の統計でも、上位の順位は、ほとんど変わっていない。ちなみに、日本では(96年)である。チリは先進国型疾患構造を呈しているといえる。


第1位 悪性新生物 217.5(対10万)
第2位 脳血管疾患 112.6
第3位 心疾患 110.8
第4位 肺炎 56.9
第5位 不慮の事故 31.4
第6位 自殺 17.8

2.悪性新生物の部位別死亡率(1996年)(資料2,3,4)

全体(対10万)
胃がん18
肺がん13
胆嚢がん12
前立腺がん8
乳がん7
子宮頚がん10
食道がん6
大腸がん5
肝がん5
すい臓がん4
男性(対10万)
胃がん24
肺がん18
前立腺がん16
胆嚢がん6
食道がん6
肝がん5
すい臓がん4
女性(対10万)
胆嚢がん17
乳がん13
胃がん12
子宮頚がん10
肺がん7
大腸がん6
すい臓がん5
肝がん4


 チリでは、胃、肺、胆嚢、前立腺、乳がんが上位にあり、男性では、胃、肺、前立腺がん、女性では、胆嚢、乳、胃、子宮頚がんの順となっている。胃がんの発生率は、1992年よりほとんど変化はない。(資料5)

 日本では(1996年)、胃(40.2)、気管・気管支・肺(38.5)、肝・肝内胆管(25.8)、大腸(17.1)がん、男性では、気管・気管支・肺(57.3)、胃(53.0)、肝・肝内胆管(37.5)がん、女性では、胃(28.0)、気管・気管支・肺(20.5)、大腸(16.2)がんで、わが国とはかなり、様相をことにする。男女別の死亡率では、チリの方が、欧米に近いといえる。従って、チリでは、胃、肺、前立腺、胆嚢、乳がんの予防、検診、診断、治療、が必要であろう。

3.チリの死亡率の推移(対1000人)(資料6)

 1945年より、減少傾向にあり。わが国の96年の人口1,000対死亡率は7.2である。

4.乳幼児死亡率(対1000人)(資料7)

 1945年165であったのが95年11.1に低下している。

5.年齢別死亡率(資料8)

 参考までに提示する。

6.入院を要する疾患(1993年)(資料9)

 妊娠、出産、産褥で入院する場合が一番多く、次には、手術を要する疾患となっている。 二歳以下の患者では、60%呼吸器疾患である。(1996)やはり、先進国型といえる。

7.感染症

 1994年2.84(対1,000人)であった。91年、ペルーで発生した、コレラは、チリにも流行してきたが、保健衛生、食品監視、流行状況の監視に努めた結果47人(91年)から、0(1995年)にまでなった。これが同時に、チフス、および他の腸管感染症の、減少をもたらした。

 エイズの発症は、91%性交感染であり、緩やかに増加している。同性間性交の増加に一致して増えている。現在、緊急の課題は麻薬注射が原因の感染対策である。1995年の対10万発病率は10.5に達した。

8.飲酒、喫煙

 チリ成人の70%はアルコールをたしなみ、成人男性の20%は異常嗜癖であり、その5%がアルコール中毒である。

 喫煙率は男性37.9%、女性25.1%である。

9.健康問題(資料10)

 健康問題の、緊急の課題は、早死と身体障害対策である。早死と身体障害をきたす疾患は、先天性疾患、呼吸器感染症、虚血性心疾患、高血圧、脳血管障害、喘息である。

 これらは、先進国が抱えている問題と同じである。

10.医療機関(資料11)

 医療機関は、公的および私的医療機関があり、おのおの公的医療保険と、私的医療保険と連動しており、両者とも、厚生省の管轄下にある。公的医療機関は29(Health Servicesと呼ばれる)の地域に分かれ、おのおのの地域では、プライマリイ・クリニク、診療所、病院がネットワークを構成しており、地方自治体が運営している。公的病院の数は資料のごとくである。1996年、日本では、病院は9490、一般診療所は87,909施設である。

11.病床数の推移(資料12)

 1985~96年までの病床数の推移である。96年対10万ベット数は300床である。96年、日本では総数1,911,593床(病院1,664,629床、一般診療所246,779床、歯科診療所187床)、人口対10万、病院ベット数は1,322.6床、一般診療所は196.1床である。

12.医療財源

 チリの公的医療機関の財源は、政府と、勤労者の給料の7%が原資となっている。国民は公的保険か、私的保健かを選択することができる。現在27%の人が私的保険に加入している。(ちなみに公務員は給料より医療保険7%、厚生年金10%支払い、消費税は18%で、私的保険に入る場合、さらに保険料を払うことになる。)

13.医療保険加入状況の推移(資料13)

 全体の傾向をみると、公的保険では1990~96年推移では67.6から59.6に減少し、私的保健(ISAPRE)では15.1から24.7に増加している。これは、経済的に豊かになり、より良い医療を受けられる人が、増えていることを意味する。公的保険に加入している人は、国公立病院にかかる。この人たちが、消化器がんプロジェクトの対象となる。国公立病院は施設、医療機器、医療サービスの面で、私的医療機関よりもおとっている。

14.医療費の収支(資料14)

 1998年度、国家の医療費の収支額は、資料のごとくである。収入は、944,112百万ペソである。

15.医療費の年次推移(資料15)

 年々、国家の医療収支は増加している。1989年を100とすると96年は129%の増加である。96年、受益者一人あたり、1ヶ月の公的医療機関のサービス費は、4,262ペソ(10.3米ドル)、私的医療機関のサービス費は、7,538ペソ(18.2米ドル)である。公的負担は低所得者層(96年度では31%)にとっては重要な補助となっている。

16.医療公営企業への支出(資料16)

 1986年から96年の10年間で882%増加した。これらの支出は、医療機関の新設、更新、医療器具に向けられた。

17.予防事業

 資料のごとく、予防接種と、小児、出産に対する特殊ケアに重点をおいている。1996年、麻疹には、100%の予防接種(14歳以下の子供)がなされ、96年5月以降に生まれた子供に対しては、インフルエンザBワクチンを973,000回施行した。


1-2プロジェクトの現状

1.日・チ消化器病研究所の運営・組織・財源

 消化器病研究所は、プロ技中、病院組織より独立することが検討されたが、不可能であった。その代わり、「チ」側は、人事権、予算を保健省・首都圏中央衛生局の直轄とし、サン・ボルハ・アリアラン病院の管理部門が、研究所を統括管理する形で、組織体としての保障を約束した。さらに、研究所をチリ大学医学部の「アカデミック・ユニット」とし、専門医の研修機関に指定した。このことにより、研究所の法的な外枠ができあがった。さらに病院は、内外に著名な病院として、認められているので、特殊な事情がない限り、運営と、組織の維持は可能である。

 医療にまわされる財源は、毎年増加しているが、病院には十分な運営費がかけられない事情が出てきている。すなわち、消化器がんだけでなく高齢者医療、成人病対策(高血圧、虚血性心疾患)リハビリにも力を注がなければならなくなっているからである。さらに、供与機材の更新にも時間がかかるかもしれない。病院運営財源の不足は、「チ」国だけでなく、先進国でも同じである。

 プロ技終了直前、前所長の辞任問題が起こったが、この解決が、研究所運営継続の一つの試金石であった。辞めた人の中から、現所長、医師がもどり、当時、不足していた医師は、他の病院より支援を受けた。この2~3年研修を重ね、現在は1995年前と同じレベルにたっした。

 プロ技の技術移転は、初期の目的を達し(消化器がんの診断・治療)、今後も発展しうる枠組みが出来上がっており、自立発展性があると判断できるが、財源面で、発展のスピードが速くなったり、遅れたりすることがあるだろう。

 研究所の組織図は、消化器病治療用機材フォローアップ調査報告書のごとくである。(資料18)それぞれのスタッフ数は、図のとうりであるが、1998年12月に比し、内視鏡医1名増加している。

2.病院の予算

 病院におりてくる、国の予算は、増加傾向にあり、かつ、他の収入もあり全体では増加している。しかし、プロジェクト終了後は、当然ながら、病院側の費用負担は、増えた。給料と光熱費だけであった負担は、研究所の医療器械更新費、修理費、部品購入費などに及んでいる。その一つとして、電子内視鏡の更新には、3年間で、500万ペソ支出している。厚生当局はその費用分を他から削っている。CTスキャナーも古くなったので、更新しなければならない時期になっているが、現在調達できていない。

 医療サービスの料金は、Fond National Saludで決められるが、低料金のため病院の運営費を満たせず、首都中央衛生局が、病院に補助している。

 経営面から、病院収入をあげることは可能であるが、患者を診れば見るほど、国の負担が増えてゆく仕組みになっている。私立病院からの紹介患者も、私立病院が料金を払わない場合、診ない方針になっている。研究所でのレントゲン検査(消化管造影も含む)ではフィルム代は、国が負担している。

 プロジェクト後、病院、研究所の能力を維持してゆく必要性は、認識されているが、予算の増減により、今後、費用のかかる器械の更新には、困難をきたすことがあるかもしれない。

3.医師の給料、勤務態勢

 チリでは、医師の初任給は、8時間、現実には、半日勤務で、45万ペソ、夜勤、休日勤務代が60万ペソ、計100万ペソ(邦貨約25万円)である。中堅医師の1ヶ月生活費は、約145万ペソほどかかる。公務員、技術者の給料に比べると、医師の給料は低い。給料の低さを補うものとして、アルバイトが黙認されている。国公立病院では、医師の勤務時間は、朝9時から12時までで、午後1時から8時まで私立病院へ出張する。研究所の医師も同じ状況である。研究所では、午後当直体制で、一人医師をおいており、主に、入院患者の緊急に備えている。以前から、このような勤務体制では、研究、研修、術後の患者観察ができないであろうと指摘されていた。それでも、研究所には、技術を伝えたい、貧しい人を助けたいという動機できている医師がおり、日本で研修を受けた医師の定着率は100%である。研究所での研修希望者は国内、内外ともにあり、給料の低さを除いても、研究所の評価は高く、現在の活動の継続が期待できる。

4.病院、研究所の技術

 チリ国胃がん対策プロジェクト、消化器がんプロジェクトのそれぞれの時点での報告では、早期、進行がんの診断、治療に関しての技術移転は問題なく、一定レベルに達したとある。現在行われている消化器がんの診断、治療の流れは、下記のとおりである。

  • 1)内視鏡および生検を行う(これはX線技師が少ない、撮影フィルム代がかかるという理由で、内視鏡優先になっている。それは1996、97、98年の内視鏡検査件数と、放射線検査件数の差からも伺える。資料19。)
  • 2)がんの進行度をきめるのに、超音波、CTを用いる。
  • 3)腹膜播種(転移)をみつけるために腹腔鏡(ビデオ・ラパロスコピー)をつかう。(これは日本ではルーチンには行われていない。)
  • 4)初期、進行がんの診断を付け
  • 5)1、2、3各群のリンパ節廓清を含めた手術を行う。

 外科手術の際に、見学した患者のデータではCT画像、内視鏡写真が用いられていた。

 手術は外科部長の指導により、助手の手術操作が的確になされており、わが国と何ら遜色のない技術にたっしている。手術器具も十分であり、器具の受け渡しも遅滞なく、麻酔器、呼吸、循環モニターも十二分であった。

 超音波内視鏡は、最近導入し、日本で研修してきた医師(1997年1月~3月)が、今後専門に、この分野を担って行くので、さらに診断の向上が期待できる。

 病理組織検査では、生検診断は2日で、出ているが、外科の病理標本は1ヶ月かかる。

 分子生物学検査室では、エプスタイン・バールビールスの検出が可能である。これは、国内唯一の機関で、評価に値する。

 プロジェクト中、辞めていった医師は、民間病院に移り同じように、仕事を続けているので、「プロ技」の技術、知識は同国で役立っている。

5.検査件数(資料19)

 1996、97、98の3年では、上部消化管内視鏡、大腸内視鏡、逆行性膵・胆管造影(ERCP)、超音波、CT検査件数はほとんど変化なく、日常的に行われていることが伺われる。放射線透視台は、96年4、5、6、8、9月は故障にて、検査件数があがっていないが、97年には970例になっており、故障さえしなければ検査は可能である。日本から供与した機材の活用および稼動には問題なく、かつ十分に利用されている。逆に、これだけ使用されると、消耗が早くなるのではと危惧される。

6.研究実績

 医療協力成果の一端は、現地の医師、研究者が業績を公にすることにある。日本の協力実施期間中、研究所および所属の医師、研究者が発表した論文は非常にたくさんあった。(チリ国胃がん対策プロジェクト総合報告書、チリ共和国消化器がんプロジェクト終了時評価報告書)その時点では協力の成果が高く評価された。今回の調査では、中南米胃腸病学雑誌(現地JICA支援)の刊行は、研究所所長の辞任時点で中止されていた。業績リストは1995年以降ほとんどなく、99年4月現在二編だけであり、その一編が壁にはりだされていた。

 前所長辞任後は、研究所の立てなおしに力をそがれ、さらに他施設の技術、診断レベルが上がってくると、目新しい業績が少なくなり、また業績を論文の形で残してゆくことは個人的な努力を要することなどの要因が論文の減少と考えられるが、今回の調査では、わからなかった。

7.医学文献、学会

 新しい医学知識、技術の吸収は、研究所に優秀なリーダーがいるのはもちろんのこと、修得した知識、技術を応用できるシステムがあること、さらに研修医が自分で研究、努力する必要がある。研究、努力は外的、内的な要因に左右される。外的なものは、研究業績をあげることにより自分の専門性を高め、専門医や大学の教育者になったり、地位や給料に反映されるものであり、内的なものは、純粋に自分を向上させようとする衝動である。普通、医師は、自助努力で、自己を磨いてゆくものであるが、外的な刺激があればなおさら良い。

 医学知識、技術は日進月歩で変わってゆくため、それについてゆくためには、たえず勉強しなければならない。その場、機会として、雑誌、医学文献を読んだり、研究会、学会への参加があげられる。中南米は地理的に、アメリカに近く、日本へは、航空機でも24時間の距離にある。そのためチリの医学会は、アメリカの影響が強く、アメリカでの学会参加が多い。消化器病に関しての、中南米医学会では、研究所出身の医師たちがパネリストや座長として活躍している。それが研究所の内外の評価向上をもたらしている。

 世界的に医学文献は、英語で発表されることが多い。しかし、日本の医師の発表論文は、英語版はあまり多くはない。世界に先駆けた、胃腸病学も英語版でなければなかなか読まれないのが現実である。国内外の学会に出席することは研究所医師の努力で、継続されるが、そこに、日本の胃腸病のニュースが入ってくるか、否かが問題である。

 研究所では、九州の大学と合同研究を行っているので、散発的に英語版の胃腸病関係の文献が手に入る。その他には、プロ技中の、日本の医師、派遣専門家との個人的な交流で文献が手に入る。

8.日本での研修

 プロジェクト中、計35名の医師が、日本で研修を受けた。前もって、研究所で基礎レベルの知識、技術を得る事ができたので、問題意識を持って、研修に臨み、効率よく技術を習得できた。個人の専門に合わせたスケジュールで研修でき、技術以外に、文化、風俗を学んだり、友達がたくさんできた。その人たちとの交流が継続していると、日本の研修に満足している。問題点は、研修に出ている間の、家族の生活費の心配があったことである。

 1995年以降、研修してきた医師の定着率は100%である。現在でも、研修所に来る医師は、日本での研修を希望し、かつ、日本の胃腸病学に非常な関心を持っている。

 過去の、研修者は、所長あるいは中堅医師となっている。今の内視鏡の責任者は、卒業して12年で、その下に6人の内視鏡医がおり、指導にあたりながら、チリ大学でも教えている。日本に行った医師の集まりもあり、意見の交換ができる。

 研究所には、日本で研修したのと同種の器械があり、それを用いて技術の維持、向上が目指せること、かつ他の医師を指導していることより判断して、技術の移転は継続してなされる。日本で研修した医師との交流の継続が、どのようにすれば可能かが、今後の課題である。

9.第三国研修「胃腸病学」

 1997年に始まった、チリ国胃がん対策プロジェクトが軌道に乗り、研究所における早期、進行がんの発見、手術件数の増加、研究業績の中南米医学会での発表、雑誌への投稿が増えるにつれ、チリ国はもとより、周辺国から研修を希望する医師が増え始めた。

 1979年に、同研究所を会場として、3日間の研修会が行われ、チリ60人、アルゼンチン2人の計62の医師が参加した。胃がん分野において、日本では知識と診断技術が集積し、急速に日本全土に広まっていった時期と呼応し、南米諸国でも、診断技術の需要がたかまった。81年に初めて、第三国研修会が開催され、以来、94年まで実施回数は15回におよび、参加人数は総計385人に達した。(チリ国44人、周辺国341人)ここでの研修者の多くは、帰国後、自国で消化器病分野のリーダー的存在になっていった。第三国研修の成功した点は、日本から専門家が派遣され、アドバイスした点もあるが、チリ国の日本での研修医が講師となり、中南米の共通の言語で、指導が行われたということである。

 一度伝えられた、知識、技術は、その周辺に熱心な医師と、診断機器がある限り、広がり定着してゆくものである。その意味で、日本の消化器病分野における貢献は中南米に限らず、世界にとって大きいものであった。

 現在は、プロジェクトが終了しており、第三国研修も行われていない。しかし、チリ国政策の重点項目として環境、貧困、生産性向上、南々協力の四項目があり、チリ国自身が南々協力で援助国になりつつある。その一つのあらわれとして、ボリビアより研究所に内視鏡の研修医を一人受け入れている。第三国研修以降、南々協力という形でプロジェクトの成果の普及が効果的に実施されている。

10.研究所での研修

 研究所内では、他科と合同で患者を診たり、一週一回、毎木曜日に症例検討会が行われている。これには、病理医、内視鏡医、放射線科医、外科医が参加している。症例検討会はプロジェクト中から、よく行われ、現在でも続いている。日本では、どこの病院でも行われており、この場が、知識、技術の習得、錬磨になるとともに、技術移転の場ともなる。

 検討された症例の手術後では、標本を持ち寄ることにより、診断の正、誤が確認でき、さらに、次への診断に反映されることになり、らせん状に医学知識、技術が上がっていく。

 チリ大学の研修指定病院が、サンチアゴには4ヶ所あり、研究所が胃腸病学に関してはレベルが一番上であるのは、定期的に合同検討会が行われているためである。

 チリの医学生の履修年限は7年で、最後の二年間は臨床を行う。卒後研修の義務年限はないが、大体5年研修をおこなう。専門医になるには、地方での研修のあと、大学に戻ってきて3年勉強する。消化器内科医はさらに2年、計5年かかる。消化器系には、奨学金制度がある。そのシステムは、まず当病院で6ヶ月、内科を勉強し、奨学金を申請し、2年間消化器病を研修する。内視鏡の研修は、マンツーマンで3~6ヶ月かかる。研修医も、合同検討会に参加している。指導医、研修医を含めて、日常的に、自己錬磨する場は、合同検討会であり、プロジェクト後も、続いている。

11.研究所保有機材リスト(資料20)

 CT、X線撮影装置は1980年代のものであるので、老朽化している。今後の修理が問題である。

12.医療機材の更新(資料21)

 プロ技が終わり、消化器病治療用機材フォローアップ調査で、6項目の機材が投入されることになった。高額の医療機材の更新は、病院予算では不可能で、別会計のため、年計画の長い手続きが必要である。従って、予算的には更新が手一杯で、現在よりも高度な設備を充実するのは難しいが、自助努力の必要性は認識されていた。電子内視鏡を自力で購入した経緯もあり、また研究所がチリ大学の内科、消化器科の研修施設に指定されていることもあり、「チ」国側の努力が必要である。

13.医療機器代理品

 研究所で使用されている、電子内視鏡、超音波診断装置、X線透視台、CTスキャナーの修理に関しては、日本でも同じように製作会社の特殊な技術を要し、たとえ、病院に技術者を配置したとしても、修理することはできない。医療機器の修理は代理店を通じて行うしか方法がない。研究所のこれまでの修理例は、内視鏡では、ファイバーの摩耗ぐらいで、あまり故障はなかった。器械の扱いも医師はよく知っており、保管は完全になされている。

 オリンパス社はアメリカに、東芝社はメキシコに支社があり、南米をほとんどカバーしているので、代理店側の問題で、医療器械が稼働しないということはない。

 検査に伴う、消耗備品である生検鉗子、色素・薬剤散布用チューブ、バスケット・カテーテル、薬液注入用チューブ、粘膜切除用鉗子などは全て遅滞なく、現地で手にはいる。要は、修理費、消耗備品費が調達できるか否かが問題である。

 研究所の修理、備品購入費は、病院全体のメインテナンス費から支出される。1997年は545万512ペソ(11,900ドル)、98年は10月までの時点で738万8,334ペソ(16,130ドル)で、病院全体のメインテナンス予算の2~2.5%に相当している。

14.集団検診

 チリ国胃がんプロジェクト総合報告書によれば、胃がん検診は、1978年5月から89年5月にかけて行われ、受診者は43,894人であった。検診車が地域に出かけるのではなく、キジョータ、バルパライソ地域の3ヶ所の病院で、検診から精密検査まで一貫しておこなった。いわゆる施設検診である。80年の時点で、受診者は8,836人、要精検査2,552人、要精検率28.9%、1,621人に、内視鏡検査が施行された。発見された胃がんは38例(そのうち早期がんは8例)0.48%で、日本側は、申し分のない成果と評価した。しかし、当時より、胃集検に対する意義が住民に十分理解されなかったこと、経済的な制約で集検用のフィルムが十分補給されなかったこと、施設中心の検診体制であったこと、医療制度や放射線専門医が少ないなどの問題が指摘されていた。チリ国は、胃集検はがんの早期発見には寄与するが、効率が悪すぎるので現在の(80年代)経済状態に合わないという見解をとっていた。

 大腸がんの集団検診は、1993年6月から94年4月に行われた。現在は胃がん、大腸がん検診はともに行われてはいない。設備、資金、人材とも、潤沢に出したが、コストに見合うほどの発見率の上昇がなかった。胃、大腸がんに限定すると、他の分野とのバランスが取れないというのが、中止の理由であった。

 現在、国が行っている、予防検診は高血圧、糖尿病、タバコ、アルコール、肥満であり、がん検診は、前立腺がんと乳がんである。これは、チリ国のがんの部位別死亡率で上位を占める疾患であり、かつ消化器がん検診のようにフィルムや内視鏡検査を要せず、費用がかからない利点がありチリの医療、経済事情に合致していると判断しうる。

 国民が自発的に検診を受けるということは、就職の際に行なわれるだけである。


2-3 プロジェクトの評価

1.総合評価

 1977年4月から、チリ国胃がん対策プロジェクトが始まり、第三国研修を織り込みつつ、消化器がんプロジェクトに発展し、95年12月に終了した。18年にわたる長い事業であった。これだけほぼ成功裏に終了したことは、我が国の援助もさることながら、チリ国の社会的背景と、わが国の医療知識、技術への信頼、およびそれの吸収への強い要求があったためと考えられる。

 胃がんをはじめ消化器がん全般の診断、治療面での技術伝達、日本政府からの専門家派遣、第三国研修、チリ人医師の日本での研修に対し、当局側が示した謝意にプロジェクト成功の評価が読み取れる。

 研究所はチリ国、南米の重要なセンターとしての評価を高めた。

 現在、研究所の早期胃がんの発見率は10~20%であり、チリ国の平均は5%なので、明らかなレベルアップが見られる。技術面では外科手術手技が向上し、消化器がんの5年生存率が10%であったのが、今では40%になっている。

 日本からの供与機材はフル稼働しながら、徐々に自助努力で更新されはじめている。

 チリ国の医療政策は、新たな疾病に対応しつつ、かつ他国への援助が必要と考えておりプロジェクトが自立発展し評価は良好である。

 以下の項目では、1=0%、2=25%、3=50%、4=75%、5=100%達成の評価をおこなった。

2.プロジェクトの妥当性

 1960年代、日本での早期胃がんの病理学的知識の集積、二重造影法の開発、内視鏡による形態学、診断能力の向上、早期胃がん手術例の増加により、この分野の知識、技術は圧倒的に、世界をリードしていた。

 1970年代、JICAと早期胃がん検診グループの協力による「外国人医師のための早期胃がん診断研究会」が村上、白壁両教授が中心となり、年一回東京で開かれていた。75年までの、チリ人参加者は11名に達していた。当時、WHOの報告では、胃がんの罹患率は、日本とチリが世界諸国中、最頻国に属していた。チリ人医師は帰国後、早急に我が国の技術を取り入れ、自国の早期胃がんの診断、治療を推し進めようとした。チリ国政府は74年、早期胃がん診断技術の向上と、集団検診技術の実施を目指し、我が国に協力を要請してきた。76年、JICAの協力のもと「チリ胃がん対策プロジェクト」が実施されることになった。プロジェクトは、日本からの専門家派遣、チリ人医師の日本での研修、第三国研修、機材供与からなり、チリ人医師の日本での研修者は35人、第三国研修での参加者は44人が専門家として育っていった。その医師たちが、大学、国公立、私立病院で、胃腸病のリーダーとして、治療、教育、研究に従事した。そして、早期胃がんの発見率は10~20%に達した。供与機材がフル稼働し、検査件数は高い数値を維持している。研究所が成果をあげることにより、内外から研修者が訪れ、第三国研修の場となり、ひいては大学の研修機関として、専門家を育てるのになくてはならない組織となった。

 疾病構造からみても、消化器がんは、まだチリの主要疾患であるため、今後も消化器病学の知識、技術が必要とされる。このプロジェクトはチリ国にとって妥当な選択であった。

評価(1.2.3.4.(5).)

3.目標達成度

胃がん対策プロジェクトでは、

  • (イ)早期胃がん診断技術の向上
  • (ロ)集団検診技術の向上

消化器がんプロジェクトでは、

  • (イ)内視鏡診断技術の向上、画像診断技術の向上
  • (ロ)放射線診断技術の向上
  • (ハ)治療技術の向上
  • (ニ)病理検査技術の向上
  • (ホ)大腸がん集団検診体制の向上

でa)食道がん、b)胃がん、c)直腸、大腸がん、d)胆道がん、e)膵臓がん、f)他のがんをカバーできることが目標であった。専門家の技術移転、多数の研修参加者が現在第一線で活躍していること、検査件数の維持、研究所が大学の研修施設に指定されていることで技術移転は問題なく行われた。

 一時的に前研究所所長の辞任による研究所機能の低下があったが、スタッフが数年かかって研修し95年以前のレベルを維持している。現在、内視鏡写真、超音波画像、CT画像を見る限り、技術レベルは、初期の目的を達している。ただ、診断技術の評価は、その時の医師の能力に左右されるものである。一定レベルの医師が診療している集団体制のもとでは、一時的に医師が交代したり、新しい世代になっても、診断能力は平均化されていく。

 胃、大腸がん検診はチリでは定着しなかった。費用対効果が大きな理由であった。現在は、前立腺がん、乳がん検診が行われており、チリの事情を考慮すると妥当である。国内には、まだ、消化器がん検診体制の統一されたものがなく、当局側も環境整備の段階である。

評価(1.2.3.(4).5.)

4.インパクト

 プロジェクトにより、消化器がんの検診、治療の技術がチリ国に根ずいたことは、大きな成果である。今は、研究所がチリ国をはじめ、南米消化器病の診断、治療、研究のモデルになっている。そして、なおも研究所から、たくさんの消化器病専門医を、輩出している。

 さらに、チリに限らず、中南米の医師の養成センターを作りたいというのは、自分たちの能力に対しての自信のあらわれである。高い消化器病学のレベルにより、他国のプロジェクトともパートナーとして、あるいは、近隣諸国への援助も考え始めている。

 今後、環境衛生、高齢者医療などにも、日本の協力を希望しているが、このプロジェクトが成功したため、次の期待へのあらわれである。

評価(1.2.3.4.(5).)

5.自立発展性

 18年間にわたるプロジェクトに対し、チリ国担当当局は、成功した案件であったと評価した。消化器がん対策の基本的な知識、技術、治療のノウハウは十分移転された。現在は次の医療問題に取り組んでゆかなければならなくなっている。急性の循環器疾患、生活習慣病である高血圧症、肥満、たばこ、アルコール、高齢者医療である。

 消化器がんプロジェクトはすでに成人に達したと評価でき、このまま、自立的に維持、発展できる枠組みも出来上がり、管理運営能力も有している。今後問題になるのは投入された医療機材が、更新時期を迎えることである。資金難による医療機材の更新の遅れがあるかもしれないが、すでに電子内視鏡の更新を自力で行っており、今後はチリ国の自助努力に期待できる。

評価(1.2.3.4.(5).)


2-4 提言

  1. 長期にわたる協力を通じ、本件は日、チ双方にとり満足のゆく成功案件であると評価できるが今後は、チリ国自身による自助努力により、本研究所の発展を図ってゆくことになろう。また、チリ側もすでに南々協力を推進することを重点項目の一つとしており、パラグアイ、パナマ、エルサルバドル、グアテマラを支援する体制になりつつある。似たプロジェクトは、他にもあり、それらの兄弟プロジェクトのセンターとの交流を図りたいということより、近隣諸国に対して援助への姿勢が伺え、本件プロジェクトがこのようなレベルまでに成功したものとみとめられる。

     本研究所は、中南米のモデルとして、近隣からの視察、経験交流の場として利用されることが望まれる。
  2. チリ国側は、本件のごとく、成功裏に続いた、日本との協力、信頼関係は、今後とも継続発展させたいと考えている。その時、今までのような垂直型ではなく、パートナーシップとして、高い次元での交流の提案や、特定の問題に対して日本の指導を仰ぎたい意向である。

     今後、予算面での手当てが難しい状況を踏まえれば、双方で工夫し、費用のかからない交流を続けたいとの強い希望が表明された。
  3. 少ない費用ですむ交流としては、北米、中南米を中心とする医学会での交流、英文版の文献の相互送付、インターネットの活用による症例検討会があげられる。現在は、CDやビデオで検査や手術手技が学べるようになっている。医療技術はどこでも、誰でも簡単に修得できることが理想である。映像資料を、文化広報の一部として、医療協力先に送付することは可能ではないだろうか。
  4. いずれにせよ、これまでの成果を踏まえ、また、この成果を無駄にしないためにも、これまで築かれてきた人的ネットワークを核として、日、「チ」両国間の交流を継続してゆくことである。この場合、どうしても個人の善意に任されることがあるから、公的な側面援助が必要であろう。

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