1990年代に入って途上国の貧困問題が再度の注目を浴びてきた。火付け役となったのは世界銀行の『1990年世界開発報告』および国連開発計画の『1990年人間開発報告』である。さらに96年にはOECD開発援助委員会が『21世紀に向けて:開発協力を通じた貢献』を発表し、その中で「2015年までに極端な貧困の下で生活している人々の割合を半分に削減すること」を、最重要な目標として提案した。DAC報告は、「極端な貧困」の基準として世界銀行による一人当たり370ドルの年間所得(すなわちほぼ1日1ドル)を設定した。この基準によると途上国人口の30%にあたる13億人が極端な貧困状態にあり、その数は増加傾向にあると論じている。
本章のテーマは、こうした近年の貧困問題への関心の復活を見据えて、国際開発諸機関および開発経済学の中で貧困問題がどのように理解されてきたのかを探ることである。
1940年代後半~60年代前半にかけて発展途上国の貧困問題に積極的に取り組んだのは国連諸機関である。国連を中心として形成された開発経済学には、「構造主義」と一括される共通認識がみられる。
構造主義の提唱者たちは、途上国では価格制度による均衡メカニズムは働かず、また経済成長と望ましい所得分配は市場機構によっては達成できないと考えた。こうした共通認識に従って、市場メカニズムがまだできあがっていない途上国の経済発展の性格は「断続的」であるとされ、経済発展のためには飛躍の一時期が必要であるとされた。そして飛躍のために政府が果たすべき役割は大きく、国民経済レベルでのプランニングの策定が不可欠であると論じられた。また第二次世界大戦後成立した自由貿易制度の下では、豊かな「北」の先進工業国と貧しい「南」の途上国の経済格差はますます増大すると主張された。構造主義アプローチを代表する議論は、輸出ペシミズム論と貧困の悪循環論である。
輸出ペシミズム論とは、途上国の主要輸出品である第一次産品は成長を牽引するものにはならないとする考えである。その結果、途上国の採用すべき望ましい開発戦略として国内市場向け工業化(あるいは輸入代替工業化)が提唱された。
プレビッシュとシンガーはともに「先進諸国に対する発展途上国の交易条件は長期的に悪化する」と主張した。通常プレビッシュ=シンガー命題と呼ばれている。この命題は、第一次産品に対する世界需要の長期低迷と交易条件の悪化という2つの観察に基づいた仮説である。
シンガーによると、先進国での工業セクターにおける技術革新の利益はもっぱら所得の増加(すなわち生産者の利益)としてあらわれるのに対し、途上国での食糧および原材料生産セクターにおける技術革新はもっぱら価格の低下(すなわち消費者の利益)としてあらわれる。したがって先進国と途上国との間で貿易が行われると、工業製品に対する一次産品の交易条件は悪化せざるをえない。つまり先進工業国は一次産品の消費者としてまた工業製品の生産者として二重の利益を得るのに対して、途上国のほうは逆に一次産品の生産者としてまた工業製品の消費者として二重の損失をこうむることになる。交易条件の悪化というチャンネルを通して、途上国の技術革新の利益は先進国へと移転されてしまうと論じた。
プレビッシュ=シンガー命題が一躍世界の脚光を浴びた主要因は、1964年ジュネーブで開催された第1回国連貿易開発会議(UNCTAD)が引き起こした大きな政治的影響である。この会議ではプレビッシュが事務局長をつとめ、『新しい貿易政策を求めて』と題する報告書が提出された。プレビッシュ報告として知られているこの報告書は、途上国の交易条件長期悪化説を主張した。そして、この会議に出席した発展途上国はプレビッシュの指導力の下に「援助よりも貿易を」をスローガンに結集し、南北問題の幕が明いた。会議では、自由貿易制度の本質的に不平等な性格が指摘された。
またヌルクセの「貧困の悪循環」論は、供給制約下におかれた途上国の構造的な発展制約メカニズムを図式化した、代表的な議論である。ヌルクセによると、途上国とは資本が不足している国のことである。そこでは「貧しい国は貧しいがゆえに貧しい」という貧困の悪循環が支配している。貧困の悪循環に陥っている発展途上国は「低水準均衡のわな」から容易に抜け出すことができないと論じた。
ヌルクセの議論から明らかなように、構造主義アプローチでは途上国では市場メカニズムは十分に機能しないという考えが前提とされていただけでなく、さらに進んで市場にまかせていたのでは経済発展は遅々として進展しないとする考えが強調された。ローゼンシュタイン=ロダンのビッグ・プッシュ論はその典型である。
第二次世界大戦の戦災で疲弊した東ヨーロッパおよび南東ヨーロッパ諸国の工業化をどうするかというのが、彼の問題の出発点である。こうした諸国には大量の農業過剰人口(偽装失業)がいる。こうした諸国が工業化に成功するためには、「創出されるべきすべての工業は、一つの強大な企業あるいは企業連合体のように処理され、計画されるべきである」と論じた。「大規模な計画された工業化」(すなわち「ビッグ・プッシュ」工業化戦略)が好ましいのは「異なった工業間での補完性」が得られるためである。たとえば、100万の失業者が農村から引き出され、あらたに労働者として大量の商品を生産する一連の工業に従事するならば、それ自身で追加的な市場が創り出されることになる。「東ヨーロッパ工業連合体」といった補完性をもった制度が計画的に創出されるならば、商品が売れないというリスクが軽減され、コストが削減される。これは「外部経済の一特殊例」である。さらに「異なった諸工業のシステム」が創出されると、他にも2つのタイプの外部経済が生み出される。一つは「成長する産業内で、ある企業に生じる外部経済」である。もう一つは「他の産業の成長によって、ある産業に生じる外部経済」である。したがって、ある地域のすべての新規産業を含む十分に大規模な投資が行われるならば、外部経済は内部利潤となる、と論じた。
構造主義アプローチの貧困認識は、次のように要約できる。すなわち、「途上国が貧困状態から抜け出すことができない理由は、第一次産品輸出に依存した経済構造のためであり、また資本不足をはじめとするさまざまな供給サイドの隘路が存在するためである。その結果、途上国は低水準均衡から容易に抜け出すことができない。したがって経済が発展し、貧困問題が解決されるためには、途上国に不利になるような国際的な貿易・金融制度(いわゆるIMF=GATT体制の下での自由貿易制度)の改革と並んで、輸入代替工業化の推進が不可欠である。輸入代替工業化が成功するためには、外部経済を内部化する必要がある。すなわち大規模な工業化および産業インフラへの投資が開発を可能にする。そこでは政府の果たす役割(あるいは計画化)は不可欠である」。
構造主義者たちが問題にしたのは「貧しい国」の経済構造であり、また「貧しい国」と「豊かな国」との間の経済格差の拡大であった。
1970年代になると、開発経済学の分野においても新古典派アプローチの有効性が主張されるようになった。新古典派アプローチとは価格メカニズムによる需給調整能力を信頼する経済学であり、途上国でも先進国同様に「市場は機能する」という考えである。構造主義アプローチが市場の失敗仮説を前提にして、政府による市場への介入を当然視していたのとは、まったく対照的なアプローチである。新古典派アプローチの貧困問題への取り組みを代表する議論は、人的資本への投資論と輸出志向工業化論である。
シュルツは経済成長の原動力としての人的資本の重要性に着目した。なぜ発展途上国の農業の生産性は例えばアメリカの農業の生産性よりも低いのであろうか、と彼は自問した。途上国農民に対する人的資本への投資が低いからであるというのが、彼の解答である。
伝統的な経済学では自然資源、労働、資本が生産の3要素であるとされ、経済成長はこれら3要素それぞれの投入量と限界生産性によって決定されると考えられていた。しかし成長の源泉を計測してみると、経済成長率はこれら生産の3要素だけではおよそ説明できず、その他の要因(残差要因)の果たす役割に注目が集まるようになった。シュルツははやくからこうした残差要因の内容に着目した一人である。とりわけ彼が重視したのは人的資本への投資である。人的資本に投資することによって人々の知識や熟練が向上し、その結果労働の生産性が向上し、経済成長に大きく貢献するという考えた。シュルツによると、人的資本を形成する基本的な要素は教育と健康である。
教育支出は単なる経常消費ではなく、将来長期間にわたって所得をもたらす投資とみなされるべきであるというアイデアである。費用便益分析を用いて教育の経済的価値を計測することができるならば、他の代替的な投資との間で収益率を比較することができる。個人レベルでのより合理的な支出選択基準が得られるだけでなく、国民経済レベルでもより広い開発投資の選択基準が得られることになる。教育投資は高い私的収益をもたらすだけではない。一国の経済発展にとってより重要なことは、教育投資の社会的収益率も高いという事実である。
新古典派アプローチを代表するもうひとつの議論は、輸出志向工業化論である。ここでは数多くの研究の中から、輸出志向工業化論を代表するバラッサの議論を紹介しておこう。
バラッサは発展途上国を貿易政策・産業政策の選択によって類型化し、輸出促進政策を採用した諸国の経済パフォーマンスは輸入代替政策を採用した諸国のそれよりもすぐれている点を強調した。彼によると、非耐久消費財の輸入代替(すなわち第一次輸入代替)は相対的に小規模でも効率的な生産が可能であり、未熟練・半熟練労働で事足り、また高度技術をほとんど必要としないので、国内市場の限界に突き当たるまではうまくいく。しかしひとたび輸入品が国内生産品によって置き換えられると、もはや生産は国内需要の増加分を越えて拡大することができなくなる。そこで発展途上国は新たな戦略の選択に迫られる。この選択を前にしてインドやチリは資本財・中間財・耐久消費財の第二次輸入代替へと進んだ。しかし第二次輸入代替が成功するためには熟練労働と高度の資本および技術が必要であり、また規模の経済の利益を得るためには大きな国内市場が必要である。しかし発展途上国にはこうした諸条件が欠けていた。したがって第二次輸入代替戦略を選択した内向きの発展途上国の経済成長は減速した。対照的に第一次輸入代替の壁にぶつかったときに、労働集約的製造業品の輸出志向戦略を採用した韓国や台湾のような外向きの発展途上国は高度成長を達成することができた、と主張した。
新古典派アプローチの解釈図式によると、構造主義アプローチに最も忠実な開発戦略を採用した国はインドやブラジルやメキシコ等のラテンアメリカ諸国である。そこでは輸入代替工業化戦略の下で国内市場が手厚く保護されたために非効率な企業が存続し、また自国の要素賦存状態に適さない過度に資本集約的で労働吸収力の小さい技術が採用され、国内市場が狭いために規模の経済が働かず、競争が欠如したために低品質商品が氾濫した、とされた。これに対し輸出志向工業化戦略を採用した代表的な事例は韓国・台湾である。これらの諸国では、企業は国際市場での競争に曝されたために効率的になり、自国の要素賦存状態に適した労働集約的な技術が採用され、その結果雇用が促進され、狭い国内市場の限界から解き放たれたために規模の経済が追求できた、とされた。したがって途上国が発展し、貧困問題を解決するためには輸入代替工業化戦略を支えてきたさまざまな保護主義的な政策措置や制度を撤廃することが必要であると論じられた。
新古典派アプローチの貧困認識は次のように要約できる。すなわち、「途上国が貧しいのは、人的資本への投資が少ないためであり、また政府による過度の介入あるいは保護主義的な輸入代替工業化戦略の下で市場が歪められてしまったためである。したがって貧困問題を解決するためには、(1)人的資本への投資を促進し、(2)政府の介入を極力おさえることによって人為的に作られた市場の歪みを正し、(3)比較優位にそった輸出志向工業化戦略を採用することが必要である」。
新古典派論者が主張した輸出志向工業化戦略は、彼らが批判した構造主義の輸入代替工業化戦略と同様に、貧しい国という国民経済レベルでの貧困を問題にしたものである。これに対しシュルツの議論には、貧しい農民という具体的な経済主体が登場する。シュルツの貢献は、こうした貧しい農民もまた経済合理的な行動を追求し、変化する経済状況と機会に適応し革新する意欲に満ちあふれている点を強調した点にあった。
1960年代後半から雇用の増大、公正な所得分配、あるいはベーシック・ヒューマン・ニーズ(BHN)の充足を開発戦略と援助政策の主要課題にすべきであると主張する改良主義の考えも大きな影響力をもつようになった。
こうした諸問題への着目は、トリックル・ダウン仮説(経済成長の恩恵はやがて貧しい人々にも「滴り落ちる」とする仮説)の妥当性に対する疑義から出発している。高度成長を経験した1960年代に、先進国と途上国の経済格差は増大し、途上国の国内でも富める者と貧しい者との経済格差が拡大したためである。改良主義は、政府の果たすべき大きな役割--とりわけ、教育、健康サービス、雇用促進の分野における政府の役割――を強調した。
改良主義の先鞭をつけた国際機関はILOである。1969年にILOは世界雇用プログラムを設立し、貧困問題を雇用問題として説明するという一連の作業に乗り出し、雇用促進そのものを政策目的とする雇用志向開発戦略を提唱した。大衆の所得と生活水準の向上にとって、働く機会と生産的労働を増やすことが最も効率的であるという判断である。
1970年代に入ると、ILOは雇用志向開発戦略の具体化に向けて、7つの途上国にミッションを派遣した。とりわけ『ケニヤ・レポート』は、その代表的な成果である。ケニヤにおける「主要な問題は、失業問題ではなく雇用問題である」と『レポート』は述べている。つまりケニヤでは失業問題だけではなく、「一生懸命働いてはいるのだがミニマムな所得を得ることができないという意味で生産的でない雇用」が深刻な問題だという指摘である。『レポート』はこうした人々を「働く貧民」と呼んだ。
そのうえでILOは開発戦略の転換を強く求めた。開発戦略の目的として、「生産的雇用の拡大、貧困の根絶、極端な不平等の縮小、および成長の成果のより平等な分配」が提案された。具体的には、(1)経済の継続的拡張、(2)経済拡張の利益のより広範な共有、(3)国民的な経済統合の促進、(4)地域間、社会階層間、および個々人の間における極端な不均衡と格差に対する戦い、の4点である。とりわけ強調されたのは「成長からの再分配」戦略の採用である。「成長からの再分配」を可能にするためには、成長を継続すること、および生産的な雇用を創出する形態の投資を行うことが必要であると論じられた。またそうするならば、所得最上位から働く貧民への所得移転が行われ、より平等な分配がもたらされるであろうと予測した。
インフォーマル・セクターの経済活動を積極的に評価したことも、『ケニヤ・レポート』のきわだった特徴の一つである。『レポート』によると、インフォーマル・セクターの経済活動は、「主要都市周辺の雇用、特定の職業、あるいは経済活動にさえ限定されるものではない」。インフォーマル・セクターは広範囲に及んで、低コストの、労働集約的な、競争的な財とサービスを提供している。またインフォーマル・セクターでの雇用は、経済的に効率的であり、収益を生み出すものと見なされた。したがって、この部門を積極的に支援し、フォーマル・セクターとの連関を創り出すことが、「成長からの再分配」戦略の目的であると論じられた。
ILOと並んで貧困問題に大きな注目を注いだのは世界銀行である。68年にマクナマラが世銀の総裁に就任してから81年に退任するまでの10年間あまり、世銀は理想主義の時代を経験した。世銀の援助政策は、従来のインフラ建設重視型から大きく転換し、農村と都市の絶対的貧困撲滅に向けての援助理念が前面に押し出されることになった。異なった政策パッケージが貧困に与える影響、人的資本の開発とベーシック・ヒューマン・ニーズの充足、そして「成長を伴う再分配」に関する調査研究に重点が置かれるようになった。とくにチェネリー等によって実施された『成長を伴う再分配』研究は、当時の世銀の性格を代表する成果である。
『成長を伴う再分配』報告書は、「貧困グループの問題を取り扱うためには、個別プロジェクトのパッケージではなく、全体的なプログラムあるいは政策パッケージをデザインすることが必要である」と論じた。そして「貧困に焦点をあてたプランニング」に向けて、「開発戦略の根本的な再編成」が提唱された。これは「目的としての成長を放棄することを意味するものではなく、成長からの利益の再分配を意味する」戦略である。また「プランニング・モデルの策定にあたって必要とされる重要な変更は、新しい局面をつけ加えることである。すなわち、資産所有者と所得受取人の社会経済グループを同定することである。この中には特定の政策が焦点をあてる主要ターゲット・グループも含まれる」と論じた。
低所得グループの厚生を向上させるための基本的なアプローチとしては、4点が指摘された。(1)社会のすべてのグループに利益をいきわたらせながら、貯蓄の向上とより効率的な資源の配分によって、GNPの成長を極大化すること。(2)教育、信用へのアクセス、公共の諸便宜等の形で、貧困グループ向けに投資先を転換すること。(3)財政制度あるいは消費財の直接的配分を通して、所得(あるいは消費)を再分配すること。(4)土地改革によって現存の資産を貧困グループへと移転すること、の4点である。そして、貧困層の生産能力と所得を向上させるように公共投資を振り向けることに特別の強調点が置かれた。具体的な戦略としては、いわゆる「増加分アプローチ」の採用が望ましいとされた。すなわち、社会全体の資本ストックおよび所得の増加分を、貧民に有利になるように再分配する、という戦略である。こうすれば豊かな人々からの敵意が少なくてすみ、政治的に実行可能であると論じられた。
また新しい開発戦略の対象となる貧困グループとして、4つの「ターゲット・グループ」が特定された。すなわち、農村のターゲット・グループとしての、(1)小規模農民と、(2)土地無し労働者あるいは準限界的農民、および都市のターゲット・グループとしての、(3)都市の不完全就業者と、(4)都市の失業者、がそれである。
ILOおよび世銀の雇用・貧困・所得分配問題への着目は、やがて開発目的としての「ベーシック・ヒューマン・ニーズの充足」という大きな流れへと注いでいった。BHNを初めて公式の国際機関の場に取り入れたのもILOである。
1976年に開催されたILOの世界雇用会議において、雇用の促進とBHNの充足の双方に高い優先順位をつける開発戦略が採用されるべきであると提言された。BHNは、「社会が最貧層の人々に設定すべきミニマムな生活水準」と定義された。具体的には、(1)私的消費用の一定のミニマムな要求を満たすこと、すなわち十分な食料、家屋、衣料、および一定の家庭に必要な設備とサービスの充足、および(2)社会によって、また社会のために提供される基礎的なサービス、たとえば安全な飲料水、衛生、公共運送、健康サービス、および教育サービスの充足。(3)働く能力と意志をもつ個人に十分報酬のある仕事を保証すること。(4)より質の高いニーズの充足。すなわち健康で、人間的な、満足しうる環境の充足と、人々の生活と個人の自由に影響を与える決定過程への人々の参加、の4点である。そして、以上の目的を達成するためには、次のような開発戦略の転換が必要であるとされた。すなわち、(1)経済成長は加速されなければならない。(2)成長の型は貧民が生産的資源にアクセスできるように作り直されなければならない。そのためには資産再分配のための制度改革が必要である。(3)政策決定過程への貧困層の参加と、開発における女性の役割が強調されなければならない。(4)一国内でのこうしたプログラムを強化するために、経済改革に対する国際的な支持がなければならない。
1978年の初めから世銀もBHNという概念を採用し、国際開発の世界でBHNへの援助という考えが中心を占めるようになった。通常、BHN借款の対象分野として、栄養、健康、教育、水と衛生、住居の5分野がカヴァーされた。
構造主義アプローチと新古典派アプローチが重視したのは、国民経済レベルでの貧困問題である。それに対し改良主義は、「貧しい人々」というミクロの主体にはじめて焦点を当てた。そのことによって開発と貧困との間に横たわるギャップを明るみにだすことに成功した。また開発と貧困との間に楔を打ち込むことによって、貧困層にターゲットした開発戦略という新たなアプローチが生み出されることになった。
以上、構造主義、新古典派、改良主義という開発経済学を代表するアプローチが、それぞれどのような貧困認識を抱いていたのかという点を概観した。この概観からただちに読みとることができるのは、2つの異なったレベルでの議論が「貧困」という言葉にまつわりついているということである。「国民経済レベルでの貧困」と「個々人のレベルでの貧困」である。貧困問題を理解するにあたっての課題は、ミクロ(個々の経済主体)アプローチから見えてくる貧困問題とマクロ(国民経済)アプローチから見えてくる貧困問題をどう関連づけるかという点である。
改良主義と新古典派は、貧困対策の主体として政府(公共政策)か市場かという二律背反的な対立を内に含んでいるとはいえ、相互に共通項があることを見逃すべきではない。その共通項とは、貧困撲滅のためには雇用促進的な成長戦略が必要であるという点と、人的資本への投資が不可欠であるという点である。構造主義アプローチの弱点は、この2点を無視したことである。ただし構造主義アプローチが提起した、成長のためには資本蓄積と工業化が必要であるという主張そのものが放棄されたわけではないという点も忘れてはならない。改良主義および新古典派の批判の要点は、貧困撲滅のためには資本蓄積と工業化だけでは不十分であるという点にある。1970年代の国際機関における貧困問題に対する取り組みの発展は、貧民の雇用機会を拡大するような開発戦略が貧困撲滅にとってのメイン・ルートであるという共通理解が形成されてきたことにあった。
1980年代になると、IMF・世界銀行の借款によって支えられた構造調整プログラムの実施という形をとって、新古典派アプローチが開発経済学を支配するようになった。短中期の構造調整というテーマが長期の開発というテーマにとってかわり、構造調整と貧困という形であらためて貧困問題が浮上してきた。 国際諸機関の中で、IMF・世銀の構造調整プログラムに批判的な立場を明らかにし、改良主義的な変更が必要であることを前面に押し出したのはUNICEFである。スローガンとして打ち出された合い言葉は、「人間の顔をした調整」である。
「人間の顔をした調整」とは、構造調整に対するBHNアプローチである。あるいは「経済成長の復興と傷つきやすい人々の保護を結びつける」代替的な調整パッケージである。「傷つきやすい人々」とは、具体的には子供と妊娠した女性および幼児をかかえた母を指す。『人間の顔をした調整』報告書は、「人間の顔をした調整」にとって最も不可欠な要素は、国レベルおよび国際レベルでの意志決定において「目的を明示的に受容すること」であるとした上で、具体的には以下の6つの要素をあげた。
また『報告書』は10カ国の構造調整の経験を検討した結果、5点にのぼる教訓をまとめている。
UNICEFの主張する「人間の顔をした調整」は、考え方としては新しいものではない。従来BHNアプローチと呼ばれていたものの応用である。ただ「傷つきやすい人々」として子供、妊娠した女性および幼児をかかえた母を特定したこと、IMF・世銀の構造調整プログラムの改良をターゲットに据えたこと、およびマクロ政策と部門別政策の中間項として「メソ政策」の必要性を主張したことに、わずかながら新しさが見うけられる。
UNICEFの批判に対して、IMFは従来どおり所得分配に関しては無関心あるいは中立を装ってきた。IMFのプログラムが所得分配あるいは最貧層に与えるであろう影響は、「(途上国の)政府によって決定される問題」であり、「分配を考慮することはIMFの仕事ではない」と論じられてきた。
一方世界銀行のほうは、はるかに積極的に構造調整と所得分配・貧困問題に取り組みはじめた。UNICEFの批判を吸収する形で、世銀の構造調整プログラムには、反貧困プログラムあるいは社会セクターへの融資が組み込まれるようになった。成長を伴う構造調整プログラムを論じたなかで、世銀調査部のミチャロプロスは論点を次の3点に整理している。第1は、実施されたプログラムが、いきすぎた生産と所得の短期的な減少をもたらすかどうか、という問題である。換言すれば、利用可能な資金量が所与であるときに、より漸進的な調整とより小さい需要抑制ですむような代替的なプログラムがありうるかどうか、という問題である。第2は、調整過程において貧民が不当に苦しみを受けるのかどうか、すなわち他のグループと比較して彼らの所得がより大きく落ち込むのかどうか、という問題である。この論点のバリエーションとして、調整は貧民の所得水準の大幅な絶対的下落をもたらすのではないか、という問題がある。第3は、政府の政策、特に政府支出の削減パターンが貧民に不当に悪影響をもたらすのではないか、という論点である。そして次のように論じている。
ミチャロプロスの議論は、長期的にみるならば世銀の構造調整プログラムは貧困層にとっても有利であり、より平等な所得分配をもたらすものであるという点を強調したものである。基本的には、トリックル・ダウン仮説に立った議論である。しかし、構造調整に伴って「一時的なコスト」が不可避であり、また「貧困問題を目的とした特定プログラム」が必要であることを訴えている点に、IMFのスタンスとの相違がある。
こうした動きのなかで、世銀は『1990年世界開発報告』のテーマに「貧困」を設定した。過去30年間にわたり発展途上国が著しい経済発展と福祉の改善をとげてきたにもかかわらず、なお「10億人以上の人々が貧困のなかにあること」に注意を向けた。すなわち、「世界の貧困層のなかでも最下層に属する人々」の問題に目を向けた。かつてマクナマラ総裁時代の世銀が「絶対的貧困」と呼んだ問題である。この報告書では、政治的に持続可能な貧困克服対策として、二股戦略が提唱された。第1は、「貧困層が最も潤沢に有する資産である労働を生産的に利用すること」であり、第2は「貧困層に基礎的な社会サービスを提供すること」である。そして、「これらの要素は相互に補強しあう。どちらが欠けても十分ではない」と論じた。さらに、「たとえこの二つの部分からなる政策が採択されたとしても、世界の貧困層の多くは深刻な状態を経験しつづける。したがって貧困減少の総合的施策には、基礎戦略を補完するものとして、対象をしぼった移転支出とセーフティーネット・プログラムが必要である」とした。
さらにこの報告書では、1990年代に生かすべき構造調整の教訓として次の4点をあげた。
改良主義の斬新さは、成長優先主義からの転換を訴えるなかから、「開発の目的」を問い返した点にあった。ベーシック・ヒューマン・ニーズを充足すること、それ自体が開発の目的であると論じられた。これに対し、アマルティア・センは、一層深い地点から、「開発の意味」を根本的に問い返す作業を始めた。ケイパビリティ(潜在的選択能力)という概念を軸にして、開発の意味を考えるという作業である。
貧困とは個々人の基礎的なケイパビリティが欠如している状態のことであり、開発とは個々人のケイパビリティの拡大を意味するという考えである。新古典派アプローチだけでなく、BHNアプローチをも含め、開発の意味を財とサービスの充足におしとどめてきた財志向アプローチから、個々人の「生活の質」を問う人間志向アプローチへと転換する試みである。ベーシック・ヒューマン・ニーズを「基礎的な財の一定の最低量を満たすこと」と見なすことは財の物神崇拝につながる、というのが彼の批判の要点である。
センの考えはUNDPの『人間開発報告』に多大な影響を及ぼした。『人間開発報告』では、「人間開発」とは「人々の選択の拡大過程」であると定義されたが、この定義はアマルティア・センのケイパビリティ概念によっているものである。「人々の選択の拡大過程」の中で最も重要なものは、長寿で健康な生活を送ること、教育を受けること、そして人並みの生活水準を享受することであるとされ、追加的な選択として、政治的な自由、人権の保障、個人的な自尊があげられた。
『人間開発報告』は、人間開発の状態をとらえるために、人間開発指数(HDI)の作成を試みた。これは「人間生活にとって不可欠の3つの要素」である「寿命、知識、人並みの生活」を指数化したものである。1996年度の『人間開発報告』では、HDIを補完するものとして「能力貧困測定」という概念が追加され、97年度の『人間開発報告』では「人間貧困指数」という概念が追加された。前者は、健康を保つ能力(標準体重に満たない5歳未満の子供の割合で示す)、健康的な出産をすることができる能力(医師、助産婦などの保健医療の専門家が立ち会わない出産の割合で示す)、教育を受け知識を得る能力(女性の非識字率で表す)を勘案した指数である。また後者は、40歳未満で死亡するであろう人の割合、成人の非識字率、および経済的供給に関する3つの変数(保健衛生サービスを利用できる人の割合、安全な水が利用できる人の割合、5歳未満の栄養失調児の割合)を勘案した指数である。
ベーシック・ヒューマン・ニーズ、人間開発指数、能力貧困測定、あるいは人間貧困指数で示されている見方は、「貧困」は所得水準だけでは十分に測定できない複合的な現象であるというものである。したがって貧困対策も、分野を横断した多面的かつ包括的なアプローチが必要であるということになる。
上記の論点整理から明らかなように、貧困撲滅のためにはミクロ、マクロ両面からの対策が有機的な関連の下に実施されることが必要である。あるいは、貧困撲滅のための「直接的ルート」と「間接的ルート」の双方が密接に関連することが不可欠である。しかし、いわゆる「貧困プロジェクト」と呼ばれるものは、貧困撲滅のための直接的ルート(あるいは貧困層にターゲットをしぼったプロジェクト)を指す。本節では、狭義での「貧困プロジェクト」にかかわる主要論点を整理する。
貧困プロジェクトの受益対象は貧困層である。しかし貧困層はどのようにアイデンティファイされるのであろうか。DAC報告書が採用した意味での「貧困」の定義は、「ある社会で、当該社会の基準でみて“reasonable minimum”と想定される物的な福祉水準を達成できない状態」を指すもので、「生活水準」アプローチあるいは「所得貧困」と呼ばれているものである。そのうえで、「それ以下では生存が脅かされる、さまざまな財(食糧、衣料、家屋等々)の消費水準(あるいはそれを実現する実質所得水準)」を示す貧困ラインを想定し、この貧困ラインに達しない個人あるいは家族を「貧困層」と定義するものである。その後周知のように、「貧困の度合い」を表す貧困ギャップや「貧困の深さ」を表す貧困ギャップの二乗数(フォスター=グリアー=ソーベック尺度)といった貧困を計測する尺度が知られてきた。しかし、「所得貧困」を把握するにあたっては、多くの実際上の困難がある。
貧困問題解決のためには、市場のインセンティブだけでは不十分で、公共政策が決定的に重要な役割を果たすことは言うまでもない。しかし、そのことからただちに政府の介入が正当化されるわけではない。貧困プロジェクトであるからといって、プロジェクトの効率や効果が無視しうるわけではない。貧困プロジェクトが成功するためには、プロジェクトの効率と効果を高める「制度設計」のありかた、あるいはインセンティブのつけかたが決定的に重要となる。どのようにすれば貧困プロジェクトの受益者を貧困層に限定することができるのであろうか。あるいはどのような形態の貧困プロジェクトが、行政コストが小さくてより大きな効果をあげることができるのであろうか。
貧困プロジェクトの代表的なものとしては、(a)貧困層向けの信用供与プログラム、(b)貧困層向けの公共雇用創出プログラム、(c)土地改革、(d)農業の成長と技術、(e)健康および教育プログラム、(f)食糧配給および食糧補助金、(g)都市の貧困層対策、があげられる。いずれの方策が最も効果的であるか、あるいは実行可能であるかは、各国の具体的な事情によって異なるであろう。しかしいずれの方策をとるにせよ、貧困プロジェクトが効率的にターゲティングされ、十分な効果をあげるためには、受益層の参加が不可欠である。この観点からみて、貧困問題の解決にとってバングラデシュのグラミン・バンクに代表されるマイクロ・クレジットの可能性が重要な研究対象となってきた。
またプロジェクトの制度設計という観点からみると、地方行政機関へと権限を分散すること(分権化)がより効果的であると主張されてきた。これは現場での知識が活用される、受益層の参加が促されるためである。分権化推進の経済学的な根拠は、ほぼ次のようなものである。
緊密な人間関係を維持している地域社会には、外部の人間には容易にアクセスできない地域固有の情報が集積している。地域固有の情報はより安価でより適切な公共サービスを提供するうえで、重要な役割を果たす。また特に途上国の遠隔地では、旱魃や洪水などの自然災害に対するより効率的な早期警戒システムを提供するにあたって分権化は必要である。さらに地域社会には、市場と同様に中央集権的政治制度に比較して情報面での有利性がある。しかし同時に市場に備わっていない利点をも併せ持っている。市場は、しばしば不十分な情報と不完全な契約のために、需給の調整メカニズムが正しく機能しない場合がある。地方社会は、もしその成員が安定的で、成員相互の間で情報と規律の伝達機構があり、また地方政府の支持があるならば、市場よりもすぐれた調整制度となりうる。また民主主義制度の下では、分権化によって政治的責任がより明確になる。そのことによって意志決定に関する責任が明確になり、政策の実行度が向上し、ひるがえって公共サービスの質が向上し、コストが削減される。
しかし分権化は魔法の杖ではない。しばしば分権化によって大きな歪みが産み出されてきた。「大規模な、テクノクラティックな、上からの開発=悪」対「きめの細かい、住民の参加を伴う、下からの開発=善」という対抗図式は、あまりにも形式的である。確かに、参加型開発がプロジェクトの効率を高めることは良く知られている。しかし問われるべき課題は、どのような形で、またどういう条件の下で、住民がプロジェクトに参加するかである。地域社会やNGOもまた、ヒエラルヒー型権力システムから自由であるわけではない。特に地方自治体やNGOが地方のエリートによって支配されている場合、分権化は陰湿なものとなり、汚職にまみれたものとなりうる。閉塞した地域化は不健全な結果をもたらす。外の世界に開かれた分権化が不可欠である。また分権化が好ましい結果をもたらしうるためには、所有権構造の歪みが大きくないこと、あるいは資産と所得の分配の不平等が大きくないことが必要である。
「参加」の意味もより広くとらえられる必要がある。ドレーズ=センが喝破しているようにプロジェクトを意味のあるものにするためには、政府に「協力的な参加」だけでなく、政府を批判的できる「敵対的な参加」の双方が必要である。「敵対的な参加」に貢献する主要なものは、野党の政治的活動、ジャーナリズムの圧力、そして見識ある人々やNGOの批判である。「敵対的な参加」が容認されないならば、そうした地域社会における「参加」は「自発的」参加ではなく、「強制的」な参加以外の何ものでもなくなってしまうであろう。
従来、我が国の援助は円借款の比重が高く、また経済・社会インフラ建設に振り向けられる比重が高かった。こうした援助形態が、直接投資、技術移転、貿易関係の緊密化ともあわさって、アジア諸国の経済発展と貧困の縮小に大きく寄与したことは疑う余地がない。
しかし昨今の我が国財政赤字問題の深刻化、円借款アンタイド化の進展、途上国におけるインフラ部門民営化の推進等の理由によって、従来型の円借款業務が転換点にきていることも否めない。今後は、政府開発援助という借款形態だけにこだわることなく、さまざまな公的および民間の資金ルートを通じて途上国のインフラ建設に貢献する必要がある。経済・社会インフラの整備は、経済開発にとっても貧困問題の解決にとっても不可欠の前提条件の一つであり、インフラが十分に整備されないならば、貧困問題も解消できない。「インフラ建設かそれとも社会セクターか」、あるいは「成長か分配か」という誤った二分法から抜け出す必要がある。経済成長がなければ、貧困問題は解決できない。
しかし経済成長は貧困解消にとって一つの不可欠の前提条件ではあるが、十分条件ではない。のみならず発展途上国および援助供与国の社会構造、経済構造、政治構造等の歪みの下で、経済成長あるいは構造調整によって引き起こされうる環境問題や補助金削減等の社会的コストが、女性や子供や老人といった社会的弱者や貧困層等にしわよせられ、貧困問題が一層悪化する可能性がある。所得分配の悪化を伴うことなく、経済成長の成果が貧困層にもいきわたるような開発戦略を支持することが必要である。また経済成長によって引き起こされうる歪みを是正するためにも、意識的に貧困層をターゲットに据えた「貧困プロジェクト」を実施することが必要である。
結局、途上国の貧困問題を解決するためには経済・社会インフラ開発プロジェクトと貧困層にターゲットを絞ったプロジェクトがバランスをとった形で、また相互に有機的にかかわりあう形で、実施される必要がある。また貧困対策援助を実施するにあたっても、個々の貧困プロジェクトだけに注目するのではなく、個々の貧困プロジェクトが当該国の開発戦略の中に、どのようにまたどの程度有機的に組み込まれているかを見極めることが最重要な課題の一つとなろう。
絵所秀紀 1997.「開発経済学と貧困問題」『国際協力研究』第13巻第2号。
---- 1997.『開発の政治経済学』日本評論社。
---- 1988.「『貧困』問題と日本のODA」『国際開発研究』第7巻第2号。
絵所秀紀・山崎幸治編 1998.『開発と貧困―貧困の経済分析に向けて』アジア経済研究所。
4分野「経済的福祉(貧困)、社会開発(教育、保健医療)、環境」に対する7目標 (1)経済的福祉:(イ)極端な貧困状態にある人々の比率を2015年までに少なくとも半減させる。 (2)社会開発:初等教育、男女平等、基礎的保健医療、家族計画の分野で大幅な進展が必要である。
(3)環境の持続可能性と再生
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