(1)本計画が実施されるまでの経緯
1992年1月に和平合意が締結されると、我が国は中米に対する復興支援を約束した87年の倉成ドクトリンに沿って、同国への復興援助を積極化した。復興支援は、内乱でダメージを受けた道路や橋梁といったインフラの復旧をはじめとして、学校の建設や、食糧増産などとして具体化されたが、今一つ重要な援助分野がエルサルヴァドルにおける民主化支援であった。我が国では、91年4月に海部内閣がODA供与の基準の一つに民主主義を揚げたが、宮沢内閣が92年6月に発表したODA大綱では、ODAの実施に当たって、「民主主義の促進、市場指向型経済導入の努力並びに基本的人権及び自由の保障状況に十分注意を払う」と明記した。92年以降、国内和平の実現と並んで民主化への動きを本格化させたエルサルヴァドルは、復興支援と民主化支援という両面において、当時の我が国の援助指針によく合致するものであったといえよう。
こうした経緯から、1994年の大統領選においても、我が国は国連の要請を受けて、15名の選挙監視員を派遣し、その数は米国20名に次ぐ大規模なものとなった。続いて、96年4月に行われた橋本・クリントン会談において、両国は「市民社会と民主化」に関する協力に合意し、具体的にはエルサルヴァドルにおける選挙準備と司法制度強化等に協力することを約束した。同年6月の日米コモン・アジェンダ次官級会合では、97年3月に予定された国会議員・市長選の準備と司法制度の改革のための日米協力について合意し、これに基づいて97年3月の選挙の際に、我が国は米国と協調して車両調達を支援したのだった。
(2)援助の内容
この援助は、別名農村選挙輸送計画(Proyecto Transporte Electoral Rural)と呼ばれ、選挙当日に有権者が投票できるように交通手段を確保することを目的としていた。エルサルヴァドルでは、有権者が最寄りの投票所ではなく、指定された投票所に出向く制度となっているため、投票所が遠隔で、適当な交通手段が無い場合もあるという。また、低所得者層のなかには、投票所までの交通費を食費に充当した方がましだという人も多く、投票率は一般に低かった。日米両国は投票所までの交通手段の調達を支援することで、この点を少しでも是正し、エルサルヴァドルにおける投票率の向上と民主主義の定着を図ったのである。日本は、この計画に86,920ドルを支出し、米国は74,000ドルを支出した。
この計画では、援助の供与先となるNGOの選定が問題であったが、NGOの連合組織のうち、Consorcio Flor Blancaが資金の管理の責任者に選定され、参加グループへの資金配分を担当し、Fundacion El Buen Ciudadanoが、輸送計画の調整、管理などを行った。日本政府が供与した援助は、これらのNGOを通して、車両の借り上げに利用され、日本大使館の要請に基づき、車両の調達はVentura Sosa y Asociados社に委託された(“Proyecto Transporte Electoral Rural: Elecciones para Alcaldes y Diputados 1997”による)。借り上げに伴う人件費は、米国側が負担した。
(3)評価と問題点
選挙当日は、100の地区を拠点に投票用車両が動員された。以前の選挙の際には、公共交通機関の不足を補うために政党が独自に車を提供し、その際投票を依頼することも少なくなかったという。これに対して支援された投票用車両を利用すれば、政党色は排除されたし、全体として選挙の中立性が高まるという効果があった。さらに、この車両には子連れの乗車を認め、幼児を抱えた主婦でも投票できるようになっていた。こうした様々な配慮もあって、この車両を利用した人は96,000人に達し、投票率も前回の44%から54%に向上した。したがって、投票率の向上に一役買ったことは明白である。
また、この計画は、本調査団が今回調査した複数の案件のなかでは、ほとんど知られざる計画だったと言って良いだろう。我々が面談した政治家やマスコミ関係者の中でも、投票用に多数の車両が動員されたとの事実は知っていたが、日本が計画を支援したことは殆ど知られていないようであった。日本のプレゼンスを強調しすぎることには賛同しかねるが、ほとんど知られざる援助も一考を要するように思うのである。
2.1997年度の民主化セミナーの開催
(1)計画の概要
すでに触れたように、1996年の日米コモン・アジェンダは、エルサルヴァドルの民主化を促進するために、選挙準備とともに司法制度の強化を掲げていた。そして、3月の選挙終了後、日本政府は7月21日から8月2日まで、東京でエルサルヴァドルの政治家を招聘して民主化と市民社会に関するセミナー(Seminario sobre el desarrollo de la democracia y de la sociedad civil, Republica de El Salvador)を開催した。参加者のなかには、ARENAの領袖で、国会議長の経験もあるグロリア・サルゲロ・グロス(Gloria Salguero Gross)女史や、99年3月の大統領選でキリスト教民主党の副大統領候補だったリカルド・カルデロン・ラム(Ricardo Calderon Lam)氏をはじめ、政界の有力者が含まれていた。一行は、日本では国会や最高裁判所の見学や、高村外務次官(当時)の表敬訪問、学術セミナーへの出席など、精力的に日程をこなした。このセミナーの特色は、単に日本についての全般的理解を深めて貰うだけでなく、日本の警察を含む司法制度を見て、エルサルヴァドルの警察制度などの改革に役立てて貰うことを意図したものであった。実際に、この企画を準備したJICAの講義録によれば、一般的な日本紹介セミナーとは異なり、司法制度や警察組織についてかなりの時間が割かれている点が際立った特徴となっている。新宿地区の交番の視察も実施されるなど、民主化よりも司法と警察制度に力点の置かれたセミナーであった。
(2)評価
改めて指摘するまでもなく、内戦終結後のエルサルヴァドルでは暴力的風土が根づき、犯罪が多発している。その解決が焦眉の急とされていることについては、官民ともに等しく認めるところである。東京で開かれたセミナーは、こうした問題の即効薬となることを期待された訳ではなかったが、エルサルヴァドルが暴力問題の解決を目指して様々な努力を積み重ねて行く上で、外国の事例を参照することは大いに意味のあることである。その際に、日本の経験が活かされれば、それはひとつの重要な国際協力となることであろう。本セミナーに参加したカルデロン・ラム氏が、本調査団が日本で最も印象に残ったことをたずねた折、開口一番「警察制度」と答えてくれたことは、この種のセミナーが長期的には成果を上げうることを示唆しているように思われる。ただし、それがより意味あるものとなるには、可能な限り多くの人を招聘することが必要とされよう。1999年1月にも類似のセミナーが東京で開催されているが、今後も継続して実施されることを期待したい。
4-2-1.農業分野
1.農業一般事情
(1)農業の低迷と地方の貧困
エルサルヴァドルの全国土面積は21,040平方キロメートルで、この内74%に当る156.4万ヘクタールが農地・牧草地となっている。
1998年の総人口は603万人と推計され、1平方キロメートル当りの人口密度は約286人と中米では最も高い。国内の経済人口253万人の内30.5%にあたる77万人が農業に従事しているが、生計を農業に依存している全ての人口は209万人に上る。また、地方人口は325万人を数えるが、特に首都圏外では、農業が主要な就労先となっており、雇用確保の面でも農業及びその関連分野は重要である10。
エルサルヴァドルでは、1979年から12年間続いた内戦により、灌漑施設、道路等多くの農業農村基盤が破壊された。この間に被った物的損失は15.7億ドル、また、この間の人材の流出、地力の低下により農業生産は停滞し、内戦後の農業の回復テンポは他の産業と比較して遅く、農業開発は著しく立ち遅れている11。
エルサルヴァドル経済は、1991年~97年に実質GDP成長率年平均5.1%と中米では高い成長を遂げたが、農業分野の成長率は1.2%と低く、農業のGDPに占めるシェアは88年の23.1%から97年の13.1%にまで低下している12。また、都市と地方の貧富の差が大きく、例えば同国の貧困地域と定義されているモラサンの一人当り実質GDPはサン・サルヴァドルの三分の1以下となっている。
農業の衰退による農村失業率の増加、治安の悪化は農村から都市への人口流入、農村地域の社会構造の崩壊、都市周辺地区のスラム化といった社会問題を助長している。97年では、国土面積の4%に過ぎないサン・サルヴァドルに総人口の30%が集中している。
10 http://apps.fao.org/cgi-bin/nph-db.pl?subset=agriculture,
FAOSTAT Agriculture Data
11 Presidencia de la Republica de El Salvador, Los Acuerdos de Paz en El Salvador
12 Comite para el Desarrollo Rural, Lineamientos para una Estrategia de Desarrollo Rural, P56
(2)エルサルヴァドルの農業生産
エルサルヴァドルの主要農産物の生産状況を栽培面積で見ると、300千ヘクタールでトウモロコシ、166千ヘクタールでコーヒー、76千ヘクタールでサトウキビが栽培されている。生産量は、サトウキビ5,500千トン、トウモロコシ552千トン、ソルガム217千トン、コーヒー137千トン、フリフォール豆73千トン、米72千トン、オレンジ36千トン等となっている(いずれも1998年年間生産量)13。
農耕地の70%(1995年)において、また農民全体の68%によって基礎穀物(トウモロコシ、ソルガム等)が生産されているが、基礎穀物の生産者の内63.7%は2ヘクタール以下の土地を持つ小規模農民であり、その多くは生産性の低い土地での自給のための生産である14。
他方、商業生産されている伝統的作物(コーヒー、砂糖、米等)及び非伝統的作物(パイナップル、メロン、飼料等)の多くは輸出向けである。伝統的農産物の輸出は全輸出額の56.2%を占めているが、主要商品であるコーヒー、砂糖は国際市場価格の変動による影響を受けやすい15。
農産物輸入では、小麦は全量を輸入、野菜はグアテマラなどから輸入されたものが市場取引全体の大半を占めている16。
政府は、こうしたモノカルチャーからの脱却のために、非伝統的輸出農産物の生産を推進しているが、その開発は進んでいない。その原因として指摘されているのは、新しい作物栽培、特に灌漑下の農業の専門知識を持った技術者の不足、農産物輸送と貯蔵に必要なインフラ整備の遅れである。また、産地形成のための技術指導、農業資材、マーケティングのコスト高も指摘されている。
13 脚注10に同じ。
14 The World Bank, Rural Development Study El Salvador, 1998, p.ix
15 脚注12に同じ。
16 現地でのヒアリングによれば市場取引の85%を輸入品が占めている。
(3)灌漑
エルサルヴァドル国内の農耕に適する土地の総面積は98年には854千ヘクタールである。灌漑のポテンシャルを持っている土地面積は1980年代の全国水資源開発マスタープランによれば273千ヘクタールであり、その43%にあたる120千ヘクタール(97年)で灌漑が行われている17。
国内の主要灌漑排水地区は、後述のサポティタン灌漑排水地区(第一国家灌漑排水地区。4.58千ヘクタール)、アティヨコージョ灌漑排水地区(第二国家灌漑排水地区。2.94千ヘクタール)、レンパ・アカウアパ灌漑排水地区(第三国家灌漑排水地区。2.61千ヘクタール)がある。当国の農業開発においては、国土面積が狭小であり、新たな耕地の拡大は困難であるので、灌漑面積の拡大と河川流域の洪水対策による農地の拡大を推進することが極めて重要である。
(4)環境破壊
国土の75%が天然資源の不適切な利用による土壌侵食の恐れがあるといわれ、河川の9割で農薬・化学肥料、産業廃棄物による水質汚染が指摘されている18。また、農村地域を中心として燃料用薪炭材の伐採等による森林破壊が進み、森林面積は国土のわずか4.9%(1994年)であり、洪水対策上も問題がある19。
(5)国家計画
エルサルヴァドルの政府開発計画(1994~99年)における農業部門における戦略は、農業の多角化、生産性向上、小規模農民を対象とした農業金融の拡充、農薬による環境汚染の防止及び灌漑施設の増強である。また、内戦後の復興にあたって政府は、市民生活に復帰した元政府軍兵士、ゲリラ兵の農村への定着、落ち込んだ農業生産の回復を最優先課題としてきた。
17 脚注10及び14に同じ。
18 国際協力事業団、ヒボア川流域農業総合開発計画調査ファイナルレポート、1997、p.x
19 脚注10に同じ。
2.我が国の農業分野の協力状況
(1)国別援助実施指針とODA実績
わが国政府は、エルサルヴァドル国別援助実施指針において生産部門活性化に資する分野のひとつとして農業基盤整備を援助重点分野のひとつに掲げ、農業分野についての無償資金協力(一般無償、食糧増産援助)及び技術協力(開発調査、専門家派遣、研修員受入)を実施している。
対エルサルヴァドル無償資金協力実績(1982年度から97年度末まで)総額204.62億円の内農業分野はその4分の1余りに当たる54.5億円(水産無償3.27億円を含む)であるが、その大半を占める食糧増産援助は、82年度及び88年度以降毎年実施(供与額累計41億円)されている。一般無償は、95年度から3年間、サポティタン地区農村復旧計画(供与額10.27億円)が実施されている。
技術協力では、1994年度、開発調査「ヒボア川流域農業総合開発計画」が実施された。また、プロジェクト方式技術協力は「農業技術開発強化計画」が99年2月に開始されているが、対エルサルヴァドルの農業分野への技術協力は緒についたばかりといえる。
(2)現地視察結果
今回調査団はサポティタン地区農村復旧計画を視察した(この他の開発調査の現場等は1998年11月にエルサルヴァドルを含む中米を襲ったハリケーン・ミッチによる道路の遮断等安全上の理由により視察対象とはならなかった)。
また、食糧増産援助については実際のプロジェクトサイト視察の機会はなかったが、関連して、日本から供与された物資の取引に関わっているエルサルヴァドル商品取引所を訪問した。
1) サポティタン地区農村復旧計画
ア. 計画の経緯・概要
ラ・リベルター県のサポティタン灌漑地区は1969年から国家灌漑排水事業として首都圏に穀物、野菜等を供給するために政府によって開発され、72年に完成した国内最大の優良灌漑農業地区(総面積4,580ヘクタール)である。
その後の老朽化と内戦等により、地区内の灌漑・排水施設、道路等が荒廃し、同地区内農地約3,100ヘクタールの約半分にあたる1,600ヘクタールは乾期での栽培が不能となるなど再整備が必要となった。このため、農牧省は1990年に地区内の施設復旧、農村環境改善のための基本調査を実施したが、資金調達難のため、94年1月日本政府に無償資金協力を要請した。
日本政府はこれを受け、1994年9月より調査を開始し、基本計画を作成し、96年6月交換公文に署名した。供与総額は10.27億円である。
エルサルヴァドル政府は同地区の施設復旧事業を通じて乾期の農業生産を可能にし、農家収入の増大を図ること、首都圏の自給用作物、輸出用換金作物を増産し、維持管理体制を確立して同地区を国内のモデル農村地区とすることを目標としている。
なお、本件の発掘・形成は内外エンジニアリング?が実施。同社はその後基本設計調査、設計・施行管理を担当した。
イ.調査団視察時(1999年2月)の現地の状況
深井戸、ポンプ設備、灌漑用水路、地区内道路、橋梁2橋、取水堰、農産物集出荷センター等の地区内の施設整備工事は1996年10月に開始され、ブルドーザ、ピックアップトラックなどの機材とともに98年3月に引き渡しが終了した。
その後の施設の利用・維持管理とも問題は生じていないとのことであるが、農産物集出荷センターの施設は完成後一度も使用されていない状況であった。その理由については、地区内の農作物がハリケーンの被害を受けたため、出荷出来なかったことが直接の原因ではあるが、野菜等作物の共同生産、共同出荷体制が未確立であることが挙げられる。
一方、機材は、水路の維持管理等に活用され、維持管理も水利組合の指導でよく行われていた。
ウ.目標達成状況
基本計画において設定された短期目標―(イ)地区内の灌漑等インフラ、道路・橋梁リハビリ、(ロ)水利組合員に灌漑インフラの適正な運営及び維持管理方法を定着させる―については現況から判断して達成されつつあると考えられる。
他方、中長期目標―(イ)農作物の栽培及び営農技術普及による生産性向上、(ロ)水利施設整備と栽培技術普及、高品質農産物生産、農民組織による集出荷体制を整備し、農家収入の安定を図る、(ハ)基本的消費農産物及び輸出用換金作物増産、(ニ)雇用創出及び農業生産を増加し、裨益住民及び地区の経済レベルを向上させる―については、施設の完成から未だ日が浅く、昨年11月ハリケーンにより農作物の被害を受けたことから、その達成にはまだ時間がかかると考える。
但し、灌漑により乾期の栽培が可能となり、トウモロコシの作付けは年3回可能となっており、昨年からインゲン、キュウリ、トマト、ナス、ニガウリ、スイカ、メロンなどの新しい野菜が栽培されるようになっているとのことであった。
ハリケーン・ミッチ来襲の際は、農地が浸水し、地区全体でサトウキビを除く作物で計21百万コロンの被害が出た。被害は、特にトウモロコシで大きかった。農牧省自体にはこのような自然災害に対応する予算がなく、外国の援助に頼っているが、同地区では日本から供与された建設機械を使って水利組合が水路の修復を行ったため復旧が円滑に行われたという。
エ.今後の課題
同地区は従来農牧省の天然資源局の直接管理下にあったが、1992年に水利組合への経営権移譲が発表され、96年から97年にかけ事実上の移譲が行われている。現在も6名のスタッフが農牧省から派遣されているが、徐々に減少する方向である。
プロジェクトの維持のための政府補助金が支出されているが、移譲後は政府の補助金はなくなり、水利組合が費用の全額を負担する。
水利組合は法律に基づき、農民で組織されている。その運営経費として年間約300万コロンかかるが、農民が水利組合に水利用料として納入するヘクタール当たり年250コロンが資金となる。但し、支払っている農民は全体の6割にとどまる。以前は、水利用料が無料であったため、水の無駄使いが見られるが、その指導が十分出来ていない。この点については、組織作り、水利用方法の指導など、農民の啓蒙が引き続き行なわれる必要がある。
上記の通り、本プロジェクトは短期目標に掲げた灌漑インフラ等の整備が計画通り実施されたばかりの段階である。今後中長期目標を達成するためには、基本計画においても指摘されているとおり、生産者に対する栽培技術・営農指導、販売流通についての指導、水管理組合を通じた水管理技術の普及を図る必要がある。地区内では米国のNGOであるテクノ・サーブが技術指導を行っているが、指導は主として水利組合の組織化が中心であり、栽培技術の指導は行なわれていない。
野菜生産の盛んな隣国グアテマラでは、作物別の生産技術が確立され、共同出荷体制も確立され、生産資材も安価で、エルサルヴァドル国産品は価格競争の面では太刀打ちできないのが現状である。因みに、サン・サルヴァドル市内の市場、スーパーマーケットの野菜売り場で目にした野菜のほとんどは輸入品であった。
地区内では電動ポンプにより地下水を汲み上げ灌漑用水に使用しているが、水のコストが高くつくこと、メンテナンスも複雑となることから、農牧省では河川水の利用や、ため池による水資源利用を計画している。但し、地区内にはゴミを回収するシステムがなく、住民はゴミを川に投棄しているため、川の汚染がひどく、作物が雑菌に汚染されやすい。川へゴミを投棄することは住民の健康にも影響を及ぼす問題であり、水利組合が中心となってゴミ処理対策を講じるだけでなく、住民への適切な指導が不可欠である(ちなみに地区内を流れる川は“rio sucio=汚い川”の名がつけられている)。
(2)食糧増産援助
1)協力の背景
各国の食糧問題は、基本的に当該国自らが食糧自給のための自助努力により解決することが重要であるとの観点から、日本政府は開発途上国に対し77年から食糧増産援助を実施している。
エルサルヴァドルに対しては、82年度から実施し、農薬、肥料(硫安等)、農業機械の購入に必要な資金を供与しており、97年度末までの累計額は41億円に上る。
2)援助物資の売却状況
ア.援助受入所管省
食糧増産援助の窓口は、1987年から91年度(年度は1月~12月)までは農業金融機関であるBancode Fomento Agropecuario(農牧勧業銀行)であった。その後企画省に移管されたが、企画省の解体により、現在は外務省外資局(SETEFE)の所管となっている。
イ.エルサルヴァドル農牧産品取引所(BOLPROES)
援助物資は、エルサルヴァドル農牧産品取引所(Bolsade Productos Agropecuarios de El Salvador:BOLPROES)を通じて市場価格で売却されている。BOLPROESは商社のみならず生産者組合、個人にも販売している(買手は1996年から98年まで延べ91団体及び個人)。
BOLPROESは国内唯一の農産品とそれに関連する物資の取引市場で、その運営管理は政令第33号に基づいている。株主130名から成る、株式会社である。同市場は月曜から金曜日まで毎日3時から1時間ほど開場し、肥料、農薬等16種類の商品が取引されている。
日本を含む外国からの援助物資(肥料、農薬等)は以前は政府が自ら販売していたが、取引の透明性を確保するため、1996年からこの取引所を通じて政府の定めた最低価格以上で取り引きされるようになった。日本から到着した援助物資については、予め新聞広告した後同市場にて取り引きされる。また、外国政府からの援助物資であることは、この広告に明記される。
同市場の責任者の話では、1996年には最低価格以上で取引が成立したが、97、98年には、石油価格の下落や、エルニーニョ現象による降雨が影響して取引額が政府の定めた最低価格を下回り、商品が売れ残ることもあった。その際には、外務省外務局(SETEFE)が自ら売却したという。また、政府の最低価格は、前年度価格を参考として決定している模様であるが、政府に最低価格の引き下げを求めても、決定までに3週間ほどの時間がかかり、その間に作物の播種期が過ぎ、結果として取引が成り立たなくなることもあり、価格弾力性に問題があるとのことであった。
3)見返り資金の使用状況
ア.見返り資金の使途
SETEFEの説明によると、食糧増産援助の下で調達された農業資機材は、上記ルートで売却され、その売上金は見返り資金として積み立てられている。見返り資金は、日本政府の承認の下に天然資源開発と生産開発分野のプロジェクトの実施に使用される。
なお、日本の援助の他に、米国からの小麦、フランスからのミルクの売却による見返り資金を同様に積み立てているが、資金使途の役割分担については、日本は農業、米国はインフラ整備、フランスは地方開発のための社会セクタープログラムとなっているとのことである。
同国の内戦復興とハリケーン災害復興のためのプロジェクト実施にも見返り資金が使用されているが、下記プロジェクトに関して外務、農牧両省ともそのインパクトを評価している(調査団は見返り資金に基づき実施されているこれらのプロジェクトの現場を視察していないが、プロジェクトについての情報を日本国内では得られない現状のため、以下の記述はエルサルヴァドル外務省から調査団に提出された資料等に基づいている)。
4)援助の妥当性について
ア.援助物資が現地のニーズに適しているか
国内で消費される農薬、硫安等主要窒素肥料の国内生産は行われていない。基礎穀物を生産する小規模農家では白色硫安の需要が多いが、日本製の白色硫安は品質が良く、農民は好んで使っているとのことである。
イ.国民が日本の援助であることを知っているか
BOLPROESについての報告で記載のとおり、日本からの援助物資は新聞で広告されており、国民には日本の援助であることが明らかにされている。
ウ.効果
援助物資を販売することにより政府の財政が潤うことと、政府が必要な食糧増産プロジェクトを実施することができるという二つの効果がある。
エ.マイナスの効果
綿花栽培が持続的に行われなくなった理由のひとつに、化学肥料、農薬の過度の使用があげられている。また、現在の農業生産において、例えばトウモロコシ生産農家では全体の内約98%が肥料を使用し、肥料購入費がトウモロコシ売上げ額のおよそ三分の一にものぼっている。他方で、有機質肥料を使用している農家は全体の2.5%に過ぎないとの報告もある20。
我が国が供与した化学肥料等農業用化学物質で国内の環境汚染が助長されているとの批判は聞かれないが、エルサルヴァドルにおける無機肥料・農薬等、農業用化学物質の過度の使用による環境汚染、人体への影響等が懸念されている中、適切な肥料・農薬の使用についての技術指導も考慮すべきである。
3.日本のODAに対するエルサルヴァドル側の評価
(1) | 今回の調査において、エルサルヴァドル外務省及び農牧省より日本の援助は国家開発のニーズに沿っており、わが国の援助の中で農業分野の協力を特に高く評価していることが明らかにされた。特に長期的開発の視点から開発調査の実施および灌漑インフラ整備事業に対する重要性を認めている。また、野党有力議員との面談においても農業の再建が国家の経済発展の基礎であり、地方開発の視点からも重要であるとの説明を受けた。
他方、農業分野の政府予算については1991年以後減少あるいは横這いの状態で、日本のODAによる農業開発、特に大型プロジェクトへの支援が期待されている。また、食糧増産援助は積み立て資金が災害復興プロジェクトの資金となる他、同国が実施する農業開発プロジェクトの資金として使われる点で、インパクトの高い援助と受け止められている。 |
(2) | 9月に実施した現地セミナーにおいては農牧次官を筆頭に農牧省から職員、専門家等他の分野よりも多くの方々の出席を頂いた。また、現地マスコミの同セミナーについての報道振りに関しても、わが国のハリケーン・ミッチの災害援助とともに農牧分野についての協力を中心的に取り扱っており、農業分野の開発に対する現地の関心の高さがうかがわれた。 |
4.他のドナー国との関係における日本の援助
(1)他のドナー国の援助重点分野
農牧省から調査団に示された質問状への回答によれば、多くのドナー国が二国間援助から国際機関による多国間援助にシフトしつつあり、また、二国間援助では次のとおり協力分野を絞る傾向にあるとのことであった。
(2)日本に取り組んでほしい優先分野
日本に対する二国間援助について、特にどの分野で期待しているかとの質問に対する農牧省の回答は以下のとおりであるが、分野は多岐にわたっている。
5.提言
農業基盤整備をはじめとするわが国の農業分野の協力について、エルサルヴァドル側からは、大いに感謝されており、引き続き日本に対する期待が寄せられている。
農業分野の開発は、地方開発、貧困対策上重要であるにもかかわらず、これまで国内では農業分野の開発が置き去りにされ、内戦終了後も農業関係の政府予算は削減または横ばい傾向が続いている。また、農牧省の予算もその大半を人件費が占め、事業用予算が十分確保できない状況にあるため、今後とも先方のニーズに配慮し、積極的に協力を推進することが適当であると思われる。ただし、特に次の点に配慮することが重要である。
(1)ハード面の協力とソフト面の協力の連携
農牧省は、十分な数の技術者の確保が難しい状況にあるが、無償資金協力(サポティタン地区農村復旧計画)によるハード面の協力に引き続き、日本政府によりプロジェクト方式技術協力(農業技術普及強化計画)によるソフト面での協力が開始されたことは、計画の中長期的目標を達成する上で適切な援助の進め方である。
また、農業の低迷に伴い、大学における農学教育の遅れも指摘されている21。国内での専門教育、研究が未発達であることに鑑み、プロジェクトのカウンターパートを初めとして技術者・研究者の日本や第三国への留学・研修を一層推進する必要がある。
(2)援助にかかる情報開示の推進
食糧増産援助の見返り資金の海外における利用状況については、日本国内で得られた以上の詳しい情報が被援助国側から提供された。それらの情報によってはじめて、内戦や災害からの復興にも資金が効果的かつ弾力的に使われていることを概ね理解することが出来た。
適切な援助の評価のためには、援助実績、進捗状況等の情報収集が不可欠であるが、今回の調査において日本国内での情報提供がもっと積極的に行われる必要があると感じた。 エルサルヴァドル政府は各国からの援助について最低限の情報をインターネットで公開している。日本側も、例えばJICAで作成されているプロジェクト概要表程度の情報は逐次各案件の進捗状況とあわせインターネットで公開すべきではないか。
(3)専門家等の安全確保、治安改善
農業分野への協力については日本大使館も前向きの姿勢であるが、特に地方での犯罪の発生率が高いとの報道があるところ、農業分野の専門家等の援助関係者が安心して活動出来るためには、エルサルヴァドル国政府による治安の回復、特に地方における安全確保が図られることが極めて重要である。
なお、この点については9月に現地で行ったセミナーの際にも調査団からウルティア外務次官あてに特に申し入れしている。
(4)食糧増産援助の継続
今回の調査で、ハリケーン災害の復興プロジェクトの資金として、食糧増産援助の積み立て資金が有効に使われ、現地では同援助を通じ日本の援助が思いやりのある、非常にインパクトが大きいものと受け止められていることが理解された。エルサルヴァドルの無償資金援助卒業に伴い、今後の援助の重点は技術協力、円借款にシフトしていくこととなるが、食糧増産援助は引き続き継続されるべきである。
(5)援助手続き上の改善すべき点
SETEFEによれば、見返り資金によるプロジェクトの実施を日本に申請してから日本側の承認手続きに通常4~6カ月かかっているとのことであった。時間がかかる一因として、申請書がスペイン語で書かれており大使館で日本語に翻訳する手間がかかるためと日本側から説明を受けている模様である。承認手続き期間の短縮のために、大使館の権限で承認が得られるように変更して欲しいと要望していた。
この点を除くと、エルサルヴァドル外務省、農牧省とも現在の日本のODAの実施手続について、特段問題はないと述べていた。外務省と農牧省の間の連絡も円滑に行われ、また、日本側との対話でも支障はないとのことであったが、このことは日本から外務省、農牧省に派遣されている個別派遣専門家の貢献が大きいとみられ、今後も継続的な派遣が望まれる。
4-2-2.インフラ分野(運輸・交通)
1.ODA実績
我が国は対エルサルヴァドル国別援助実施指針において援助重点分野のひとつとして運輸・交通分野の協力を掲げ、1992年以降、港湾機材整備事業、道路整備・橋梁架替事業、港湾活性化調査等の協力事業を実施している。本評価は運輸・交通インフラ部門の内、道路交通インフラに関連する次の案件を主な対象とした。
(1)無償資金協力(供与額累計37.61億円)
(2) 有償資金協力(供与額累計103.32億円)
2.エルサルヴァドルの運輸・交通インフラ状況
(1)概況
エルサルヴァドルの運輸・交通インフラを概観すると、道路網は総延長約16,000キロメートル、鉄道網は380キロメートルで鉄道は主に貨物輸送に用いられてきたが、内戦で破壊され、その復旧は十分でない。
海運については、主要港湾は西部のアカフトラ港、東部のクトゥコ港の二港であるが、内戦の影響等により、クトゥコ港の施設の老朽化により1956年に閉鎖されている。このため、東部地域向けの日本からの援助物資等もアカフトラ港経由で陸路輸送されている。
国内には150余の大小河川が流れ、太平洋に注いでいるが、いずれも流れが急で、水運には使用されていない。
航空輸送関係では国際空港が首都サン・サルヴァドルの南コマラパにあるが、同空港の建設に対し我が国は1974年に57億円の円借款を供与している。
1991年の年間貨物輸送量は道路輸送4,537千トン、鉄道輸送303千トン、港の貨物取扱量は1,316千トンであり、国内交通・運輸手段の大半は道路輸送に頼っている。道路輸送量は年々増加しており、内戦で荒廃したインフラの内、特に道路・橋梁の整備・改善の重要性が高い。
(2)道路・橋梁の現状
エルサルヴァドルの道路総延長約16,000キロメートルの内24.8%が舗装道路(大半がアスファルト舗装)、砕石・砂利舗装道路は30%、土道が45.2%であるが、全国道路網の内通年通行可能な道路は全体の約54%であり、本格舗装されている道路以外は雨期に通行不能となるものが多く、農業振興、経済活性化、社会開発等を阻害している22。
内戦中破壊された多数の生産施設、インフラの内、道路・橋梁について見ると、特に、パンアメリカンハイウェイ(CA123)とリトラルハイウェイ(CA2)は、国際道路でもあり、社会経済上重要である。また、最大河川のレンパ川にかかる二大橋梁(CA1上のクスカトラン橋、CA2上のレンパ橋)とも内戦中破壊され、東西は一時完全に分断された。その後仮設橋は架けられたが、東部地域の経済発展に大きく支障をきたした。
(3)道路整備計画
エルサルヴァドル政府は12年に及んだ内戦が終結した後、1992年に国家再建計画を、続いて95年には政府開発計画をそれぞれ策定し、経済成長及び所得増大による豊かな国民生活の実現に向けた努力を払ってきた。同計画の重点的施策は、経済発展、貧困撲滅と社会開発、環境保護と国土開発、公共分野の近代化などであるが、この中で政府は貧困地域のインフラ整備に重点を置き、特にアクセスの悪い地域の道路、橋梁の修復を進めてきた。
公共事業省道路総局は、国家再建計画に即して全国14県内道路総延長15,816キロメートルの既存道路の補修を対象とする道路整備計画を策定しているが、その計画内容は第一に国家再建計画の復興対象地域に指定されている各県農村地域の砂利道路(三級道路1,729キロメートル)、土砂道路(地方道A、B 6,149キロメートル)の優先的補修・改善、第二に道路総局が管轄する全国道路網の補修・改善からなる。
上記国家再建計画では、内戦による被害総額を15億8千万ドルと推定し、内戦終了後5年間に必要な復興資金を16億3千万ドルと見積っているが、このうち、道路・橋梁修復改善のための資金額は2億8千万ドル(復興資金総額の17.5%に相当)とされている。これに対し、道路総局は年間約4千万ドルの資金を投じている24。
(4)援助の状況
中米5カ国(エルサルヴァドル、グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ)の経済統合の動きの中で、中米道路網の整備計画が進んでいる。中米道路網整備計画の策定は中米経済統合事務局の下部機構である運輸閣僚会議が担当しているが、同計画の中で道路網の骨格を成す道路として中米5カ国を縦貫する三回廊が規定されており、この内2本の道路にはエルサルヴァドルのCA1とCA2が含まれている。運輸閣僚会議での合意では、各国の責任において国内の道路網整備を行うことが義務付けられている。このように道路・橋梁の整備は国内的には国家再建計画上の重要事項であるとともに、中米地域全体の経済発展にとっても重要である。
公共事業省が調査団に示したところによれば、舗装道路の改修工事は1998年12月現在、延べ500キロメートルを終了し、更に190?について着工している。これらの事業に要する3億ドルを上回る資金は、国内調達に加え、米州開銀、CABEI、OECF(当時)、世銀からの借款、及び日米の無償援助によるものである。また、同省の当面の道路等整備にかかる予算額については、99年で総額14億6千万ドル、2000年には16億3千万ドルと見積もっているが、同予算額に占める外国(世銀、CABEI、日本(OECF))の援助額は、99年では8億9千万ドル(61%)、2000年では11億6千万ドル(71%)である。主な援助国の運輸交通インフラ整備に係る協力内容は以下のとおりであるが、橋梁建設は含まれていない25。
22 エルサルヴァドル国内の道路は、道路法の規定により、特別道路、一級道路、二級道路、三級道路、地方道に分類されている。また、道路網の管理を所管する公共事業省道路総局では道路を構造(車線数、車線幅員と舗装工種)に応じ特別道路、一級道路、二級道路、改良三級道路、三級道路、地方道A、同B、町村道の8等級に分類しているが、このうち特別道路、一級道路、二級道路が幹線道路である。
23 道路の内主要幹線道路はCA番号のつく道路(CA1から12まで。但し、5、6、10、11は欠番)である。
24 国際協力事業団、『エルサルヴァドル共和国東部地域道路舗装用機材整備計画報告書』、1995、p.5
25 脚注24に同じ。
1)米州開発銀行
CA2、4、8、12など幹線道路総延長690キロメートルのリハビリ(計画期間1992年~96年)と、地方道路総延長617キロメートルのリハビリ(96年まで)の2つのプログラム、及びCA1とCA7で日本の無償資金協力で建設されたドン・ルイス・デ・モスコソ橋とトロラ橋の位置するそれぞれの区間の道路の改良工事。
2)中米経済統合銀行
CA2、12の計約103キロメートルの改修、改築に係る資金援助
3)世銀
CA4の14キロメートルと地域幹線道路27キロメートルの改修に係る資金援助
4)米国国際開発庁(USAID)
道路リハビリ、水供給、電気供給を内容とする総合プログラムであるPublic Services Improvement計画(1990~94年)。この中には地方に焦点を当てた、2級・3級及び地方道路計約1,300キロメートルのリハビリが含まれる。また、国家再建計画の緊急道路整備プログラムで、モラサン県で実施された計82キロメートルの道路整備の大部分の資金はUSAIDの資金によるものである。
3.協力案件視察結果
本調査団は、公共事業省道路総局の協力を得て下記の通り現地視察を実施し、また公共事業大臣他同省道路総局職員との面談の機会を持ち、日本の協力についての評価について意見を聴取した。
(1)主要国道橋梁架替計画および東部主要国道橋梁架替計画
(主要国道橋梁架替計画によりCA2上に架かるサン・アントニオ橋、ケブラダ・セカ橋、パロ・セコ橋及びピエドラ・パチャ橋(1994年12月完成)、東部主要国道橋梁架替計画によりCA1上に架かるドン・ルイス・デ・モスコソ橋(97年3月完成))
サン・サルヴァドル市から車輌でCA2リトラルハイウェイを東進後、CA1パンアメリカンハイウェイ上のモスコソ橋(サン・ミゲル市)まで進んだが、日本の協力で架け替えられたこれらの橋はいずれも1998年10月末当地を襲ったハリケーンにも十分耐えて、無傷であり、交通には何ら支障がなかった。
また、各橋には日エ両国の協力により建設されたことを示す記念の銘板(スペイン語)が取り付けられていた。なお、途中CA2上の複数箇所で橋梁掛け替え工事が行われていたが、工事現場周辺の迂回路の整備が不充分で車両の渋滞が見られたことを付記しておく。
(2)道路整備計画(レンパ橋及びその取付道路)
レンパ川は当国で最大の河川(全長110?)である。この川を挟んで国土は東部と西部に分かれる。このレンパ川には日本の円借款により、上流部(CA1上)にクスカトラン橋、下流部(CA2上)にレンパ橋の架替工事が行われた。このうち今回の現地調査ではレンパ橋を視察した。
これら二橋とそれにつながる取り付け道路の工事(1994年度円借款 道路整備計画)は、日米エ三カ国の4社連合の施工管理の下、国際競争入札で落札したイタリアの建設会社Rizzani Deccher社が施工した。同行の道路総局職員の説明では、レンパ橋の建設工事は97年3月末に着工、当初99年3月竣工を予定していたが、昨年当地を襲ったハリケーン・ミッチにより84年建設の仮設橋が破壊流失した。そのため工事が一時中断されたが、仮設橋が新設され、2月時点では、99年央の完成を目指しているとのことであった26。
旧レンパ橋は、東部を制圧しようとしたゲリラにより1984年に橋桁がダイナマイトで爆破されたということで、橋脚のみが上流部に残っていた。また、新設中の橋梁の下にはハリケーン・ミッチでねじ曲げられ、流された旧仮設橋の残骸が横たわっており、ハリケーンの猛威をうかがわせた。
26 その後確認したところでは、クスカトラン橋は99年5月に完成。レンパ橋は2000年6月までに完成の見込みとのことである。
(3)道路建設保守機材及び東部地域道路舗装用アスファルトプラント設置計画(サン・ミゲル市内)
当プラントは東部地域で唯一のアスファルトプラントである。即ち、このプラントが建設されるまでは東部地域にはアスファルトプラントが存在せず、西部方面からの加熱アスファルトを輸送することは道路事情と所要時間の関係上困難であったことから、それまでの道路の舗装は耐久性に問題のある常温アスファルトしか使用されていなかった。
東部地区は内戦中特に戦闘が激しく、道路状況も極めて悪いこと、西部地域に比べて道路整備も遅れていることが指摘されているが、当プラントによって加熱式アスファルトの生産が可能になったことで、公共事業省の道路整備能力が高まった。
プラントの現場では採石場の岩盤をダイナマイトで爆破し、アスファルトの材料となる岩石を取り出し、その岩石を三段階の大きさの砂利に粉砕し、更にその砂利と石油を混合してアスファルトを製造する設備、計量器及びプラント管制システムが順調に稼動していた。また、建設用機械(パワーショベル、ブルドーザ、トラック)もいずれもよく使用されている状況が確認された。
なお、砕石過程で粉塵が発生し、これが飛散しており、作業員はタオルで口鼻を覆っていたが、作業員の健康が害される恐れがあるため、防塵マスク着用など労働安全上の配慮が必要であると思われた。なお、この点は9月に実施された現地セミナーにおいて外務次官に改善を申し入れておいた。
4.評価
上記の調査結果を踏まえた日本の協力に対する評価結果は、以下の通り。
(1)妥当性
(2)インパクト
(3)持続性・効率性
4-3-1.保健・医療・衛生関連分野
1.看護教育強化プロジェクト(プロジェクト方式技術協力、1997~2002)
(1)目的と達成状況
1997年6月にスタートした本件プロジェクトは、エルサルヴァドル国内における看護婦および准看護婦の養成計画および養成システムの見通しを通じて、看護婦の質的向上と基礎医療分野でのレベルアップを図ることを目的としており、具体的には(イ)エルサルヴァドルにおける看護教育カリキュラムの標準化、(ロ)看護教育テキストおよび教材の作成、(ハ)看護教育分野での指導者の能力向上、(ニ)エルサルヴァドル国内における看護婦の地理的配置の適正化の4つが主要な柱となっている。
このうち、(イ)については、プロジェクトのスタート直後から最も重視して取り組んだ結果、当初の目標はほぼ達成された。それまでエルサルヴァドル国内では、2つの大学の看護学科を含む8つの看護学校において看護教育が行われていたが、カリキュラムはバラバラで、厚生医療の基礎ともいうべき看護レベルに不安があった。標準カリキュラムの作成と、それに沿った看護教育の実施によって、全般的な看護レベルが向上・安定するだけでなく、中長期的には国内における看護婦および看護教育指導者の流動性を高め、柔軟かつ効率的な人員配置を可能にするなど、医療行政上の選択の幅を広げる可能性もある。尚、カリキュラムの標準化以降、98年に施行された「普通教育法」により、看護教育が「高等教育」として法的に位置づけられた点も、看護婦の地位向上と有能な人材確保という観点からみて重要である。
調査時点において、プロジェクトの重点は上記4つの柱の(ロ)および(ハ)にシフトしており、1997年9月11日から99年2月18日の間に実施されたセミナー、ワークショップは14回(別添「セミナー等開催実績」)、受講者は看護学校教員や臨床指導担当の看護婦などで、その数は延べ375名に達した。その際、看護教材の有効利用についても力を入れて取り組んでいる。この点において、プロジェクト基盤整備事業として建設中だった看護研究・研修センターが99年1月に竣工した意義は極めて大きい。このセンターを看護教育指導者の養成・研修・研究の場として、また看護教育分野における国際協力の拠点として有効に機能させることが期待される。
(2)今後の課題
1)日本から専門家を長期派遣する場合の人材確保の問題。
派遣時の資格、必要な経験、派遣期間などが障害になって、派遣者の決定に必要以上の時間と労力を費やす結果となっている。適当な人材が得られた場合、派遣の条件等については、ある程度まで柔軟な対応が求められよう。
2)エルサルヴァドル側カウンターパートの日本国内研修受入先確保の問題。
これまでは期間1カ月程度の「視察型」研修が中心であるが、臨床研修や意見交換などを含めた3カ月程度の「実務型」研修の拡大が望まれる。その際、日本国内で最低1カ月程度研修生の受入れが可能な機関を複数確保しておく必要がある。
3)国立看護学校民営化後の諸問題への対応。
民営化によって各学校は経営重視の姿勢を強めざるをえず、生徒の適性や能力を十分に確かめることなく入学者を確保しようとする傾向が強まりつつある。このため、生徒のレベル低下という問題が生じる可能性も否定できない。エルサルヴァドル政府としてもこうした点には十分留意しておく必要性がある。
4)看護婦の地理的配置の適正化。
これは本件プロジェクトの柱のひとつになっており、政府は予算の範囲内で、地方における看護婦増員に努めているが、サン・ミゲル、ラ・ウニオン、モラサン等、農村部における看護婦の不足は解消されたとは言えない状況である。
5)現地の医療技術や交換部品の確保に配慮した適切な医療機材の供与の必要性。
スペイン語のマニュアルが無いために、現場の医師が供与された機材を十分に使いこなせなかったり、部品交換の調達が極めて困難なケースがあったことがエルサルヴァドル側からも指摘された。この点では、日本側の配慮や両国カウンターパート同士の十分な意志の疎通が求められる。
2.飲料水供給計画(草の根無償案件)
(1)目的と達成状況
首都圏近郊の貧困者居住地区での飲料水、生活水の確保を目的として、各集落ごとに共同水道を設置する草の根無償案件である。カウンターパートとしてFISDL(地域開発社会投資基金)がプロジェクトの作成・実施を担当し、実際の工事は民間業者に委託、水道の管理はANDA(上下水道公社)が行っている。
今回、首都近郊3カ所(サンタモニカ村、トレス・カミーノス村、サンタクルス村)のサイトを調査したが、主な効果として、(イ)衛生状態の改善、(ロ)水を確保するための過大な労働からの開放、(ハ)経済的負担の軽減などが確認された。(イ)においては、特に乾季における水の確保が用意になったことが重要である。(ロ)に関しては、従来、川から水を運ぶのが主として女性や子供の仕事であったこと(住民へのインタビューによる)、貧困層が居住している地域の多くが起伏の激しい地形にあること等に留意する必要がある。水の確保のために相当の時間と労力が奪われることは、それ自体が雇用や教育の障害になるからである。(ハ)について、ある住民は、飲料水購入のため従来1家族で月150コロンの支出を強いられていたが、共同水道の設置により月23コロンに軽減されたと証言している。
こうした調査結果から、共同水道の設置という小規模な草の根援助が様々な副次的効果を生むことに注目する必要がある。安全な水を確保できるようにすることは、社会開発の根幹を成しており、地方の開発戦略においても、給水の確保は高い優先度が与えられるべきであろう。尚、エルサルヴァドル国において安全な水へのアクセス可能な世帯の比率は、1990年の47%から、94年58%、96年62%と徐々に改善されてきている。
(2)今後の課題
第一に、共同水道の完成・引渡し後、それを利用する住民共同体による維持・管理体制を確認する必要がある。今回の調査でも、トレス・カミーノス村に設置された共同水道(1998年10月工事完了)のコンクリート製の土台にひび割れが生じていたが、住民側からは修理の要請が出されていなかた。FISDLは工事費の1割を「保証金」として業者から徴収しており、引渡し後1年以内の修理を保証しているが、実際の修理依頼は住民共同体が行うことになっている。こうしたシステムについての住民側への周知が不十分である点は、今後改善を要する。また、住民共同体としても管理のための態勢づくりを進めるべきである。
第二に、給水があれば必ず同量の排水が生じることにも留意する必要がある。安全な水の確保は、短期的に生活環境を改善するが、大量の水の消費によって生活排水が河川や地下水を汚染するような事態は避けなくてはならない。給水計画と排水処理を一体として捉え、給水位置の決定にあたっては、利用する住民の利便性の他、周辺の地形や自然環境なども考慮していくことが、今後重要になるであろう。
3.結論
保健医療・衛生分野におけるエルサルヴァドル国に対する日本の協力は、全般的にみて現地政府関係者、先方の専門家、住民から高く評価され、プロジェクトの進行状況も概ね良好であり、現在の協力関係の推進にとって障害となるような問題は生じていない。
しかしながら、評価調査の過程や現地関係者との意見交換を通じて明らかになったいくつかの問題点を考慮し、当該分野において日本のODAが一層効果をあげていくために、今後留意すべき事項として、以下の点を指摘したい。
(1) | 地方(農村部)における生活状況改善を図ること |
(2) | 機材供与においては、現場の専門家とのより緊密な協議を行うこと |
(3) | 裨益住民とのコミュニケーションの拡大による問題の把握 |
(4) | 草の根無償案件の多角化、そのための大使館の人員増強ないし現地コンサルタントの活用 |
(5) | 民営化への対応 |
(6) | 非政府組織への援助の枠組みの検討 |
まず、(1)(2)については、第2章の「経済情勢」「社会情勢」の頁や、上記個別案件の評価でも触れた通り、今後はサン・ミゲル、ラ・ウニオン、モラサンといった、地方における医療状況や生活水準の改善に日本としても積極的に協力していくことが求められる。その際、安全な水の確保や現場サイドの専門家との緊密な情報交換が重要であることはいうまでもない。
さらに我が国の援助が効率的かつ実効性のあるものとするためには、(3)(4)(6)で指摘したような、開発のためのコミュニケーション努力や、新しいスキームの検討も必要と思われる。小回りのきく草の根無償資金協力は、現状においても極めて有効な援助手段となっており、積極的に評価できる。すでにエルサルヴァドルは「無償資金協力卒業」という段階にあるが、他方、農村部における貧困問題は解決されていない。かかる状況を考慮した時、今後の対エルサルヴァドル支援にあたっては、「草の根無償」の拡大が有効な手段になるであろう。そのため、わが方大使館スタッフの増員が望ましいが、短期的にそれが無理であれば、信頼できる現地コンサルタントやNGOに援助プロセスの一部を委託するか、あるいはJICAから派遣される専門家に、実効性と優先度の高い草の根無償案件の発掘、両国間の調整、モニタリングを行わせる方法等を一層活用すべきである。
最後に、エルサルヴァドルの医療部門における民営化の流れと日本の援助のあり方について一言のべたい。既に同国では、1996年に国立看護学校の民営化が行われ、さらに国立病院の民営化計画もある。民営化プロセスが今後さらに進めば、やがて現在の日本の政府開発援助の枠組みでは対応できなくなるであろう。また民営化は医療分野に市場原理を持ち込むことになり、農村部における医療や生活水準の改善の重要性が指摘されているにもかかわらず、結果として農村部医療が益々貧困になっていくという危険性がある。さらに、一部の看護学校では、経営効率重視のあまり、満足な選抜試験もせずに生徒数だけを増やしているとの指摘もある。これは将来的に看護の質を低下させかねない要因である。
以上の点を考えると、民営化プロセスの弊害が出ないよう、農村部の医療や生活水準の改善に資する案件への支援を、我が国として積極的に行うことを確認しておく必要がある。さらに「人材育成」に関しても一層の協力が重要であろう。そして、もし現在の我が国の援助の理念や目的と、援助実施の枠組みの間に齟齬があるならば、早急に何らかの調整を行うべきであろう。
会場 | 開催日 | 会場 | 受講者数 | 備考 |
1.カリキュラムデザイン | 1997年9月11,12日 | Sala de Te Britania | 29 | 小川専門家 |
2.教授案作成 | 10月29, 30, 31日 | Hotel Ramada Inn | 17 | 同上 |
3.教授案プレゼンテーション | 11月26, 27日 | Hotel Terraza | 26 | 同上 |
4.カリキュラムプレゼンテーション(Tecnico) | 12月17, 18日 | Hotel Aoamcda | 50 | 同上 |
5.将来の看護に向けて求められる看護教師の資質 | 3月12, 13日 | Hotel Pri ncess | 68 | 浅川専門家 |
6.看護教育機材使用法講習 | 4月20, 21日 | Florencia Nighitngale校 | 18 | 村上専門家 |
7.教科書作成セミナー(第1回) | 5月26, 27日 | Hotel Ramada Inn | 16 | Sacarias講師 小川専門家 |
8.カメラ取扱い講習会 | 8月27, 28日 | プロジェクト | 10 | 村上専門家 |
9.教科書作成セミナー(第2回) | 10月21, 22日 | Hotel Ramada In | 16 | Sacarias講師 |
10.0HP教材作成ワークショップ | 11月17, 18, 19, 20, 24, 25日 | Hotel Mediterraneo | 57 | 村上専門家 |
11.教科書作成セミナー(第3回) | 10月23日 | Hotel RamadaInn | 16 | Sacarias講師 |
12.看護教育における実習指導計画と方法 | 99年1月26, 27日 | Hotel Terraza | 15 | 末長専門家 |
13.妊婦、分娩、産褥期における看護(第1回) | 2月10, 11, 12日 | センター | 17 | 中根専門家 |
14.同上(第2回) | 2月16, 17, 18日 | センター | 20 | 同上 |
合計回数(14) | 375 |
4-3-2.教育分野
1.エルサルヴァドルにおける教育の現状
(1)教育分野の概況
エルサルヴァドルでは、1970年代までの経済発展が社会サービスの普及に結びつかず、とりわけ地方農村部では教育の普及が遅れた。68年には、駐日大使も務めたベネケ教育大臣の主導で日本の教育制度を取り入れた改革が行われ、都市部での教育や中等・高等教育では成果を上げたが、農村部における初等教育の普及は進まなかった。77年には大規模な識字教育プログラムが実施されたが、大きな成果を見ないまま、79年から12年間の内戦に突入した。内戦中は、教育施設の破壊、教師の不足、教員研修所の接収等により教育環境は著しく悪化した。
人口密度が高く天然資源にも乏しいエルサルヴァドルは、「国民」が国の最大の財産であり、生産性を上げることが国の経済活動の効率化につながるとして、内戦終結後は教育の普及を最優先課題の一つとし、「教育改革10年計画」(1995-2005)を策定、国をあげて教育に取り組んできた。その結果1990年代の教育分野における前進はめざましく、初等教育就学率は85.8%にまで改善している(表7参照)。しかし、平均就学年数はなお4.9年にとどまっており、非識字率も17.4%となっている27。
初等教育 | 中等教育 | |||||
学校数 | 児童数 | 純就学率 | 学校数 | 児童数 | 純就学率 | |
1992 | 3,806 | 1,028,877 | 78.4% | 373 | 105,096 | 26.5% |
1997 | 5,041 | 1,191,208 | 85.8% | 582 | 151,690 | 36.8% |
(2)高い中途退学率
中南米諸国の教育の特徴として、初等教育の就学率や大学への進学率については東アジア諸国に比べて引けをとらないものの、初等教育における中途退学率が高いことが指摘されている。中米5カ国の中では教育に関する指標が比較的高い位置につけているとはいえ、エルサルヴァドルもその例外ではない(表8参照)。初等第1学年の中退率は14.3%(1996)に達し、23%の児童が第5学年に到達できない。
所得格差の大きいこの国では、教育を受ける機会という意味でも、二極分化が生じている。主として都市部に居住し家計所得も高く、高度な教育を受けられる層がある(所得上位10%の子弟の50%以上が21歳時点で就学中)一方、特に地方散村では小学校の低学年で子供を退学させてしまう住民の層がある。所得の上位10%と下位30%の子弟で比較すると、21歳時点で就学年数に7年近い開きがあり、これはラテン・アメリカ諸国の中でもとりわけ大きい28。
就学を中断する理由として、IDBの調査によると、低学年では学用品や通学服などのためのお金がないこと、高学年ではお金の問題の他、仕事があることが理由にあげられている。地方では特に、7歳から10歳になると男女とも立派な働き手と見なされる。(女子と男子の就学年数の間に有意な差は認められない。男子はコーヒーの摘み取り等の農作業や薪拾いなど、女子は子守・家事等の手伝いがある。)他方、就学年数に対して労働市場が賃金で反応するのは中等教育からであり、初等教育を全うするインセンティブは低いことになる。
初等教育(6年) 純就学率(%) |
第5学年に達しない 子の割合(%)★ |
成人識字率 (%) |
一人当たりGNP (米ドル) |
|
コスタリカ | 91.5 | 12 | 95.1 | 2,680 |
エルサルヴァドル | 89.1 | 23 | 77.0 | 1,810 |
ボンデュラス | 87.5 | 40 | 70.7 | 740 |
ニカラグア | 78.6 | 46 | 63.4 | 410 |
グアテマラ | 73.8 | 50 | 66.6 | 1,580 |
27 数字はいずれも1997年。Ministerio de Educacion Gobiemo de El Salvador, Memoria de Labores 1997-1998. 1998, p.10
28 Inter-American Development Bank, Facing up to inequality in Latin America: Economic and social progress in Latin America 1998-1999Report, 1998, p.51
(3)初等・中等教育に関する主な施策-教育行政の地方分権と住民参加
このような状況をふまえ、前述の「教育改革10年計画」は、教育関係者のみならず国内の様々なセクターの代表も加わった議論を経て作成された。基本方針として、初等教育への資源の投入、教育行政の地方分権と住民参加の促進、民間セクターの活用による教育サービスの効率化がうたわれている。中でも特徴的なのは、初等・中等教育の普及のため、就学前・初等教育を保証し参加型で民主的な教育を目指すため、中央の関与を減らし、地域コミュニティに学校運営を委ねる施策である。
エルサルヴァドルでは、内戦中から、政府のサービスの届かなかった地方や、戦闘地、難民キャンプなどで、極めて限られた資源でコミュニティの運営する学校が開校されていた。先生や教材、文具、教室などはコミュニティが調達したが、近隣の公立校や首都の大学、内外のNGO、教会等から支援を受けていたところもある。教育内容は地域の生活に即したものとなるよう工夫が凝らされたが、教育水準としては公立校と比肩するよう配慮されていた。学年末には近隣の公立校や学校視察官から正規の修了証書が渡されるところもあり、公立校への編入も可能であった29。91年、政府は就学率向上のためこれらのコミュニティ・スクールを正規教育に取り込むことにし、「地域コミュニティ参加プログラム(EDUCO30)」が開始された。
同プログラムのもとでは、地域コミュニティが教育省に「地域コミュニティ教育団体(ACE31)」として設立登録をすると、教育省がACEに教員給与等の学校運営予算を支給し、学校運営・維持管理の研修を提供して、学校の運営を任せる。従来型の教育省直轄校では教員は教育省に雇用されるが、EDUCOが適用されている学校では、ACEが教員を直接雇用する。世銀の調査によれば、EDUCO校では保護者が教育プログラムに参加し、先生の監督も行っているため、コミュニティと学校の相互作用が効果を上げ、教育省直轄校に比べ生徒の成績が良いという結果が出ている。教育省でのヒアリングもこれを裏付けるもので、EDUCOの先生は、個々に研修を受けることで教育の質を高めているとのことであった。他方教育省直轄校は、先生の欠勤率が高く、監督官も月に一、二度しか訪問しないため、教育の質に問題があるところが多いという。
教育省によると、EDUCOプログラムで運営されている学校数は、全国で初等学校5,041校の内、約700校である。児童数では、1991年の8,416名から、98年には205,344名に達しており、90年代の児童数の増加分のほとんどがEDUCO校によって吸収されたことになる。保護者やコミュニティによる学校運営の効果を見て、97年からは教育省直轄の全ての初等学校及び中等学校にも学校運営委員会が設けられ、学校の運営・維持管理が行われるようになった32。
29 Hammond, John L., Fighting to Learn: Popular Education and Guerrilla War in El Salvador, 1998 p.72, 117, 126
30 Educacion con Participacion de la Communidad(Community-managed Schools Program)の略
31 Associacion Comunal para la Educacion(Community Education Association)の略
32 学校運営委員会は、Consejo Directivo Escolar(CDE, School Council) またはConsejo Educativo Catolico Escolar(CECE, School Council for Catholic Schools)と呼ばれる。まず学校に生徒会、教師会、保護者会を組織し、それぞれが代表を選んでCDE又はCECEを作る。これに校長も加わり、学校の運営を行う。EDUCO校のACEに相当する。同様のプログラムは現在グアテマラとホンジュラスでも一部実施されている。
2.他の援助機関の活動
国家予算は安定した経済の中で順調に増加しており、各省予算の中でも教育省が最大であるが、多くは教育省職員や教員の給与にさかれ、開発資金は外国政府や国際機関からの資金に依存している。
エルサルヴァドルの教育分野の援助総額に占める割合は、1992~97年の累計で、二国間総額の5.5%、多国間総額の2.8%となっており、主なドナーは、米国(USAID)、日本、IDB、世銀である(表9参照)。日本以外の主なドナーの協力内容は次のとおりである。
(1)米国国際開発庁(USAID)
USAIDは、1960年代から200校の学校建設を行い、内戦中の86~88年にも戦禍を受けた2,800教室の補修を実施した。しかし88年から89年にかけ、同国における教育援助の方向性を検討するためのベースラインスタディを実施した結果、初等1~2学年の退学率・留年率が高く、3学年以降の児童数が極端に減少していることが判明した。援助した校舎が、維持管理が悪く有効に利用されていなかったこともあり、それまでの校舎建設というハード的支援から、教員研修や、カリキュラム改善、教材の提供等の教育ソフト面への援助に移行することになった。
そこで、「初等教育普及強化計画」(1991-98)では、教育省の機構改革、初等教育改善(退学・留年問題への対応、カリキュラム・教材の開発、教材の調達・保管・配布のシステム作り、教授法の改善)、図書室の整備、教員の再教育をはかるための技術協力等を行った。カリキュラム改善については、就学前と初等教育第一、第二サイクル用のカリキュラムが作成され、科目の再編が行われた33。 校長や学校視察官の研修、コミュニティの学校教育参加支援の他、内戦被災児のカウンセリングも実施された。
現在は、地方貧困対策プロジェクトの一環としての教育と、初等教育の下地を作るための就学前教育の普及に力を入れている。
(2)米州開発銀行(IDB)
IDBは、世銀、USAIDとも協調して、教育分野に積極的な支援を行っている。
「初等教育近代化計画(1996-2001)」は世銀との協調融資で、初等学校99校の建設、教科書・教材の配布、教員研修、カリキュラム改善(USAIDから引き継いだ第三サイクルと中等)、教育省組織の近代化(職員研修、地方分権化促進のための組織改善)等を実施している。また、「基礎教育整備計画(1999-2003)」では、地域開発社会投資基金34と二つのNGOを実施機関として、計598校の就学前・初等・中等学校の建設/改築、233校の学習資源センターの整備、教育省職員の研修を実施。さらに、「教育技術分野支援(1999-2002)」では、遠隔教育による初等第三サイクルへのアクセスの拡大、第一サイクルのスペイン語と算数の強化、指導法の改善、コミュニティの学校教育への参加支援などを計画している。
33 エルサルヴァドルの教育制度は、就学前教育(4~6歳)、初等教育、中等教育、高等教育、成人教育(識字など)、特殊教育(視聴覚障害児教育など)に分けられる。このうち初等教育は第一サイクル(1~3年)、第二サイクル(4~6年)、第三サイクル(7~9年)に分かれる。就学前教育と初等教育は義務教育であり、特殊教育を含め公立学校なら無償(教科書も初等・中等学校に無償配布される。)中等教育は、普通教育と技術・職業教育があり、普通教育は2年間(夜間は3年)、技術・職業教育は3年間(同4年)で日本で言えば“高卒”の免状が授与される。大学は通常5年で卒業となる。
34 1990年に、機動性のある社会開発機関を目指し、大統領を総裁とする独立機関として設置された社会投資基金(FIS)が、97年に地域開発社会投資基金(FISDL)に衣替えしたもの。FISDLはコミュニティの幅広い参加により、資金を迅速に投資することができ、IDB、KfW、日本政府、UNDP等の資金を活用している。教育分野ではこれまでに約9,000教室の建設の実績がある。
(3)世銀
世銀は内戦以前の70年代から主として地方での学校建設を支援してきた。IDBとの協調融資「初等教育近代化計画」では、350校の学校施設の補修やEDUCO支援等を行って、教育改革10年計画の実施に大きな役割を果たした。引き続き教育改革の後半期を支援する「教育改革プロジェクト(1999~2002)」が計画されている他、「中等教育改革計画(1998-2002)」では、中等学校18校の建設、149校のコンピューター等教育機材の整備を行っている。
(4)その他
その他、中米経済統合銀行(CABEI)による中等学校建設、健康学校プロジェクト(健康学校建設、教員と生徒への衛生知識普及のための健康診断や研修の実施など)や、EU/WFPによる栄養改善プログラム、ユニセフによる内戦被災児の心理治療、特殊教育支援など、教育分野ではNGOを含め様々なドナーが援助を行っている。
二国間 | 多国間 | ||
米国 | 35.03 | IDB | 20.01 |
日本 | 16.14 | 世銀 | 9.34 |
スペイン | 7.12 | CABEI | 3.59 |
スウェーデン | 0.44 | WFP | 1.80 |
その他 | 1.03 | その他 | 3.01 |
二国間援助計 | 59.76 | 多国間援助計 | 37.76 |
総計 | 97.52 |
3.日本からの協力
(1)教育分野の援助の実績
日本からの教育分野の援助では、近年基礎教育の充実に資する協力が重視されており、第一章で述べたように、エルサルヴァドルでも、社会開発分野(教育、保健・医療)が日本の協力の重点分野のひとつとされ、中でも初等教育の充実と教員の養成が強調されている。
内戦中の12年間は、一部の無償・研修員受け入れを除き日本からの援助は事実上停止されていたが、内戦終了後(1991~93)にはノンプロ無償の一部が社会投資基金により教育施設の再建に活用されたほか、94年から三次にわたり初等・中等学校建設計画(無償資金協力)が実施されている。その他の主な協力としては、国立工業高校用実習用機材(単独機材供与。96年4.5百万円、97年61.4百万円)などがある。またエルサルヴァドルは68年に中南米で初めて青年海外協力隊を受け入れた国である。内戦で中断したが92年に派遣が再開され、99年では41名が派遣中で内23名が教育分野で活動している。
(2)無償資金協力「初等・中等学校建設計画」(第一次)
無償資金協力の「初等・中等学校建設計画」は、第一次で中・西部の初等学校27校、中等学校2校(1994、95年度計6.35億円)、第二次で中・東部の初等学校33校、中等学校2校(96、97年度計8.81億円)、第三次でさらに中・東部の初等学校22校、中等学校2校(98、99年度計7.29億円。実施中)の建設、基礎備品の供与を行うものである。
これらのうち、今回現地調査の対象となったのは第一次で、訪問したのは29校のうちの初等学校2校(ポルテスエロ、タスマル)、中等学校1校(テキステペケ)である。
エルサルヴァドルでは、もともと地方散村には学校が少なかった上、内戦中に600余りの学校が破壊され、学校施設の不備が著しかった。「第一次」の対象となったサイトの中には、農家の倉庫や、民家や教会の軒先を教室として使用していたところもある。そこで、第一次計画の目的は、「中部・西部地域の地方農村部に位置する劣悪または未整備な状態にある初等教育・中等教育の教育施設の改善に対して、初等学校・中等学校の建設を行い、さらに基礎機材を整備することによって就学率の向上を図り、地方における教育普及を促進すること」とされた35。
現地調査した三校とも建設前より生徒数は大幅に増加した。ポルテスエロ187名(1994)から379名(調査時)、タスマル149名から192名(同)、テキステペケ169名から310名(同)である。三校中二校は、生徒数が建設時の予測を大幅に超えたため教室の増設が必要になっていた。新校舎の完成で教育環境が良くなったため、他の学校より生徒が多数転入してきたことが生徒数増加の主な要因とのことである。事実、三校とも以前に比べて学習環境は格段に改善し、先生方の話では、生徒の集中力も増し、学習効果が上がっている。
テキステペケの中等学校では、以前は小学校を午後だけ借用して開校していたが、専用の校舎ができて生徒が学校で過ごす時間が長くなり、町でトラブルに巻き込まれる事件が減ったという。治安の悪いこの国では、青少年が犯罪に巻き込まれないようにすることも大きな意味を持っている。
初等学校の建設は、初等教育の重視を掲げる同国の開発計画、教育改革10年計画に合致している。教育省によると、全体の裨益児童数は、一次、二次合わせて15,000人にのぼる(三次は計画時で約6,000人)。前掲表7のとおり、1992年に初等教育就学率が78.4%、中等教育就学率が26.5%だったのが、97年にはそれぞれ85.8%、36.8%に上昇した。ただし93年から97年までに全国で合わせて1,200校余りの学校建設がおこなわれており、またソフト面でも前述のような様々な改革が進んだ総体的な成果であるため、日本の無償資金協力の効果のみを特定することは困難である。
第一次の内初等11校がEDUCO校で、その一つポルテスエロ校も、保護者が学校運営資金集めや校舎の増築等に活躍している。テキステペケでも、前述のCDEが機能しており、生徒や保護者の代表も学校運営に参加している。これらの二校では、学校運営や維持管理も良好に行われているようだった。とくにテキステペケ校は、施設引き渡し後も、学校やCDEの努力で外部資金や寄付を集め、教育機材を揃えたり、校庭の植栽を整えたりと、生徒にとって魅力のある学校になっている。維持管理費用は、世銀やBIDからの資金が用意されているが、校舎の維持管理は前述のようにACEやCDEに任せられているため、学校によって差が出てきているようである。(教育省直轄校のタスマル校については、責任者不在のため維持管理に関するヒアリングができなかった。)
校舎の設計は現地仕様で行われ、資材も現地調達されたが、建設コストについては、例えばIDBの借款で建設中の学校と比べると、一校当り、或いは一教室当たりの概算で、約2倍かかっている。ただし今回は、日本の無償で建てた校舎に増築する形でコミュニティが同じ仕様で建てた校舎(ポルテスエロ校)を除けば、他の校舎を見る機会がなかった上、工期等の比較もできなかったため、単純に比べることはできない。
若干の懸念は、教員の不足である。一人の先生が掛け持ちで2教室を教えたり、土曜に授業をして間に合わせることもあるとのことであった。この点に関しては、教育省が1998年から全国の教員需要のある地域や教科ごとに必要な教員数を分析して、大学の教職課程と調整し、計画的な養成・配置を行うことになっており、中長期的には改善が見込まれる。教員の養成は、15大学と2専門単科大学で行っており、98年から教員養成用統一カリキュラムが使われている。
また、今回建設された初等学校は6学年までを想定している。日本の中学校に相当する初等教育の第三サイクル(7~9学年)用の校舎については、計画に含まれなかった。日本側からは含めるよう提案したが、当面必要ないとの教育省の判断であったという。これも第三サイクルを教えることのできる教員(資格が第一、第二とは異なる)の不足がひとつの原因であるが、今後、第一、第二サイクルの普及につれ、第三サイクルの教育の充実も課題となろう。
(3)教育分野における今後の日本の協力
内戦終結後の混乱期に、日本が短期間に良質の校舎を多数建設したことは、戦災からの復興という状況下では妥当性があり、初等・中等教育の普及に貢献したことは確かである。学校施設の不足は、日本をはじめIDBや世銀等からの援助でかなり改善したが、1998年にはハリケーン・ミッチの襲来もあり36、教育省によれば未だ310校、2,600教室が不足しており、65,000人の児童が学校に通えないでいるという。ただし、学校施設の不足は2003年までには解消の見込みとのことである。
無償資金協力が目指した「基礎教育の普及」のためには、学校建設(より良い学習環境の提供、アクセスの改善)のほか、教育行政、教育システムの柔軟性(中途退学者や非適齢未就学児への教育機会の提供)、カリキュラム、教材、教員の数と質、地域の参加、家庭環境(経済力、児童の労働、教育に対する保護者の理解)、子供の栄養状態など、様々な要素が関わってくるが、これらのソフト面を、IDB、世銀、USAID、WFP等が、校舎・備品等のハード面に加えて支援してきている。学校の不足はまだ解消されていないが、初等教育の普及は、今後上記ソフト分野の改善(例えば教員養成の進展)の進捗を見ながら着実に進めることが望ましい。エルサルヴァドルは無償の卒業国となったためこれまでのような一般無償による学校建設はできないが、草の根無償のスキームを使い、教育省から学校建設を任されている地域開発社会投資基金を実施者とした学校建設支援は可能であろう。
いずれにしても、日本が目指す基礎教育の支援は、その国の基礎教育の発展の経緯を十二分に踏まえて行われなければならず、この国の場合は、教員の養成にしても、都市部にある大学での大量育成だけでは解決にならないようだ。都会育ちの教員は地方に行きたがらず、赴任したとしても欠勤率が高かったり、地方に合った教育ができないケースが多いという。農村で教えている先生たちの再教育を支援するため、シニア海外ボランティアや青年海外協力隊に活躍してもらうことも有効と考えられる。
今回評価対象外であったが青年海外協力隊のITI(国立工業高校)での実績は、実習用機材の供与と相まって高く評価されており、卒業生は産業界で多数活躍している。「中米のシンガポール」を目指すエルサルヴァドルでは、産業界の新しいニーズに対応できる人材の育成が急務であり、日本としては、技術教育の分野で協力を進めていくことも効果的であろう。ただし、エルサルヴァドルの教育セクターにおいては、教育省は学校認可、カリキュラム、卒業資格認定等の制度面を所掌するが、技術教育は民間に委託して行う方向へ向かっている。今後の協力においては、卒業生の進路や産業界のニーズの変化等に常に注意を払い、コスト・ベネフィットも勘案していかなければならないだろう。いずれにしても、日本は今後とも、比較競争力を持って日本ならではの特色が出せる分野で協力していくことが望ましい。(4-3-1.保健・衛生分野、4-4.環境分野を参照)
36 教育省によれば、全壊・一部倒壊合わせて263校が被害を受けた。
1.環境問題全般
エルサルヴァドルは人口密度が1平方キロに対し276人と、ラテンアメリカでも有数の稠密な状態にある。このことは環境破壊が進行しやすい特質を持つことを示唆している。加えてエルサルヴァドルでは長期にわたり内戦が続いたという特殊事情で、環境保全対策はごく最近まで事実上ほとんど未着手の状態にあった。後述のように、民間シンクタンク(FUSADES)が作成した環境破壊の基礎調査報告書37は、人体と自然環境に想像以上に被害が進み、経済的な損失が年間5億ドルにのぼるという実態を明らかにしている。そしてこの報告書がひとつのきっかけとなり、環境省が設置され、本格的な取り組みの準備を開始したのは、ごく近年のことである。
環境問題は大別すると、(イ)水不足と水の汚染(本ミッション滞在中に、レンパ川の水銀汚染が新聞紙上で報道され、大きな反響を呼んだ)、(ロ)土壌の劣化による生産性の下降、(ハ)都市における大気汚染、(ニ)都市・農村における廃棄物の処理、(ホ)海洋、沿岸部の水質汚濁、(ヘ)森林の乱伐などに分類することができる。国際機関の報告書や本ミッション現地調査中のエルサルヴァドル政府、外国援助機関などの関係者とのヒアリングでは、この中でも特に水の汚染に対する懸念を表明する声が強かった。上水道の問題は、水道公社(ANDA)の複雑な管轄権、水道料金値上げとの関係、取水源の枯渇など極めて錯綜し、早期の解決を困難にしている。フローレス大統領は99年6月の就任演説で、水の重要性を指摘し、上水道管理の分権化を行うと公約している。
ところで環境問題を考察する際には、ゴミ回収のようにエルサルヴァドル一国で解決できるもの、他方国境を越えて中米地峡全体で対策を講ずる必要のある、複数国間にまたがる河口の汚染や森林破壊などの地域レベルの問題に分けて考察しなければならない。両者が密接に重なりあう部分もあるが、近年域内の経済・政治統合を促進している中米統合機構(SICA)などでは、域内の環境問題に強い関心を示し、域内諸国が協調して行動しなければならない重要課題と位置付けている。
ところで、エルサルヴァドルの環境汚染の実態とはどのようなものなのか。FUSADESは政府の環境政策に強い影響力を与えてきたが、97年5月、環境破壊の経済的な損失を調査した包括的な報告書を公表した。なおこの報告書作成のプロジェクト責任者は初代の環境省大臣のミゲル・エドゥアルド・アラウホ・パディージャである。調査にはハーバード大学国際開発研究所(HIID)が協力している。
さてこの報告書によると、エルサルヴァドル国内では年間1万1,000人の児童が、大気汚染が原因と見られる呼吸器系の疾患、また年間1万2,000人の児童が下痢性の疾患で死亡している。5才以下の児童の半分以上が、任意に抽出した2週間の間に、呼吸器系の疾患を患っている。呼吸器系疾患の主要原因は、全国平均で70%、農村では90%がエネルギーに薪を使用しているためと考えられている。薪をエネルギー源として過度に依存することは、乱伐と二酸化炭素排出増加の原因となる。乱伐の結果、エルサルヴァドルの自然林は森林面積全体のわずかに2%を占めるにまで減少し、世界でも最悪の状況にある。このため環境破壊の経済的損失は前述のように年間5億ドルに達すると推計されている。この金額は国内総生産の5%に相当し、年間経済成長率にほぼ等しい水準である。要するに、経済成長が環境破壊の経済的な損失にほぼ相殺されてしまっているのである。
ところで悪化する環境保全対策として、現在までに政府が講じている行政面での対応について簡単に紹介しておく。1989年に発足したクリスティアーニ政権にとり、内戦の終結が最大の政策課題であった。従って環境問題に十分配慮するだけの余裕はなかったといってよい。92年1月に和平合意が成立し、クリスティアーニ政権は国連監視下で、一連の和平合意事項の履行に忙殺された。94年6月のカルデロン政権発足直後の10月、ニカラグアでいわゆる中米環境サミットが開催され、持続可能な発展のための諸措置が宣言された。これは翌95年のコペンハーゲンにおける国連社会開発サミットを意識したものであった。中米各国はにわかに環境対策に迫られることになる。
こうした中で、1997年6月、環境・天然資源省(Ministerio de Medio Ambiente y Recursos Naturales)が設置された。カルデロン大統領(当時)は98年、過去4年間の政権運営の実績報告と政策課題を公表した。このなかで環境問題を取り上げ、全国民が参加すべき重要課題であると位置付けている。また同報告書は、環境教育では教育省と共同で取り組み、450人弱の環境教育インストラクターの訓練を行い、5万セット強の環境教育器材を配布したと述べている。
しかしながら環境省の年間予算は200万ドル程度と不足気味で、USAIDや米州開発銀行、国連開発計画(UNDP)などの援助や融資に大きく依存している。加えて環境問題の行政上の責任がしばしば厚生省、教育省、公共事業省、中央政府、地方自治体、政府の委託を受けたNGO(民間環境団体)など多岐に渡っているために、環境省がこれを一括して調整することは組織上困難であることも考慮に入れる必要があろう。1998年5月には、与野党一致で環境法が成立した。同法は政府の環境対策の基本方針を述べたもので、環境問題は環境省の専管事項であることを明記している。
37 FUSADES (Fundacion Salvadorena para el Desarrollo Economico y Social), El Desafio Salvadoreno: De la Paz al Desarrollo Sostenible, 1997
2.首都圏清掃機材整備計画
1988年わが国は内戦中のエルサルヴァドルに対し、首都圏清掃機材整備計画として5億6千500万ドルの無償援助を実施した。この清掃機材整備計画では、首都サン・サルヴァドル市とその近郊11市、合計12市にごみ収集車計56台、コンテナ回収車8台などを供与した。94年9月にJICAが行った調査では、寄贈したごみ収集車全部が稼働中もしくは修理中で、廃棄されたものは一台もなく、極めて良好な利用状況であることが判明した。このような実績を踏まえた上で、以下に述べるように93年エルサルヴァドル政府とサン・サルヴァドル首都圏各市は、増大する人口とそれに伴うゴミ増量に対処するため、わが国に対しゴミ収集車など清掃機材の無償資金協力を要請した。
サン・サルヴァドル市を含む首都圏15都市(サン・サルヴァドル首都圏市長会議COAMSSを構成している)の1995年時点の人口は約163万3,000人で、一日あたりのゴミ排出量は合計1,239トン、ゴミ回収率は47%と推定されていた。道路や空き地に散乱するゴミは衛生上も深刻な問題となり、市民の間で大きな不満となっていた。
援助要請から実施までのスケジュールと援助の内容は次のようである。
-93年援助要請の送付。
-94年基本計画の作成。
-95年要請の評価と承認と交換公文の交換。
-96年機材供与の実施。
かくして正式の援助要請が出されてから、実施まで実に3年余りの年数を要している38。
援助の内容はゴミ収集用機材として、ゴミ収集車計84台(ゴミ収集能力により3種類に分類される)、ダンプトラック4台、小型トラック4台、無線機5台、トラック1台、ゴミ運搬用コンテナ189個を、ゴミ埋め立て場用機材として、バックホウ型掘削機1台、ゴミ埋め立て用転圧機2台、モータースクレーパー2台、トラック積載重量計測機2台などである。なお本ミッションが担当者に面接調査したところでは、これらの機材は大部分は稼働中で、一部は修理中とのことである。
機材が実際に稼働したのは1996年3月で、当初のゴミ回収目標を下回るものの、機材供与以前の95年の回収率47%が98年には69%にまで上昇し、確実に効果が上がっている。市民の間でも長年の懸案であったゴミ回収が飛躍的に改善したことから、市当局とゴミ収集車を寄贈したわが国への評価は高まった。
年度 | 首都圏人口 (人) |
一人当たり ゴミ量(?) |
一人当たり ゴミ量(?) |
ゴミの回収量 (トン) |
ゴミ回収率 (%) |
1995 | 1,633,087 | 0.76 | 1238.67 | 581.90 | 53.02 |
1998 | 1,784,521 | 0.78 | 1394.55 | 965.78 | 69.25 |
しかしながらこのようなマクロレベルの著しい改善はあるものの、サン・サルヴァドル市内ではゴミの不法投棄も依然としてかなり散見される。道路や河川周辺などにはおびただしいゴミの山もある。急激に増加する都市人口と、缶や瓶詰の飲料・食料の急速な普及、ハンバーガーなどのファストフードがもたらすゴミそのものの増量に、清掃事業の能力が追いついていないという側面も見逃せない。加えて地方におけるゴミ回収は、行政上の能力、対象地域が拡散していること、住民のゴミに対する意識が不十分なことなど都会以上に悪化しており、早急な対策が必要とされている。
サン・サルヴァドル市内では現在ゴミの分別収集は実施されていない。家庭ゴミ、産業廃棄物、医療廃棄物などが一緒になって回収され、リサイクルされずに処理されている。環境衛生局側の話では、将来はゴミの分別を実施したいとのことであったが、まずそのための住民、関係各機関などへの教育活動が必要であろう。医療廃棄物に関しては、所轄を環境衛生局にするか保健省にするか必ずしも明確ではないとのことで、今後は制度的な整備も必要となろう。わが国のサン・サルヴァドル市環境衛生局への無償資金援助は、機材供与といういわばハード面での協力であった。しかしながら、環境省が強調するように、環境教育というソフト面での協力も、USAIDがすでに実施しているところであるが、今後重要な分野となろう。リサイクルについては、日本でもある程度の実績があり、エルサルヴァドル側の要請にも応えられる面もあるのではなかろうか。
38 外務省によれば十分な調査を行う必要がある一般プロジェクト無償協力ではこの程度の時間がかかるのが通常とのことである。
3.民営化
エルサルヴァドルでは公共機関や行政機能の民営化が急速に進められている。清掃関係についても、すでに一部が民間企業への委託という形で実施されている。ゴミの最終処分は従来、「ゴミ捨て場所(Basurero)」が満杯になると、覆土方式の「ゴミ埋立場(Rellenar de Basura)」で行われていた。しかし首都近郊の適当な埋立地はゴミ自体の増量と回収量の増加により、すぐに満杯となった。現時点ではカナダの民間企業と協力して24ヘクタールの最終処分場を運営している。なお環境団体は、ゴミ処分の環境上及び作業の安全性の問題点を指摘して、現行のゴミ埋め立て方式による処分場への反対運動を行っている。関係者の話では将来はゴミの最終処理は民間または半民間会社に委託したいとのことである。ゴミ収集は既に有料化されていて、各家庭1日推定15センタボ(1センタボ=0.01コロン≒0.001米ドル)程度を各市町村が徴収している。これにはゴミ回収、道路の清掃、消毒薬の散布の費用が含まれている。また関係者より、ゴミの回収は将来も市町村が行うが、経費節減のため地域住民を雇用し、専任スタッフの増員は避けたい、との発言があった。