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第2章 エルサルヴァドルの政治・経済・社会情勢と開発計画


2-1.エルサルヴァドルの情勢

2-1-1.政治情勢

1. 近年の政治の動き

 エルサルヴァドルでは約半世紀にわたって軍事政権が続いた後、1982年に制憲議会選挙が行われ民政に移管した。議会が暫定大統領に指名した銀行家のアルバロ・マガーニャの任期は84年5月までで、翌6月に国民の直接投票により大統領が選出されることとなった。この選挙ではキリスト教民主党(PDC)から出馬したホセ・ナポレオン・ドゥアルテが当選し、5年間の任期を何とか持ちこたえた。ドゥアルテは72年の大統領選挙に立候補し事実上当選したにもかかわらず、軍部の介入で国外逃亡を余儀なくされるという経験を持つ、知名度の高い政治家であった。

 1989年の大統領選挙では、富裕層が設立した国民共和同盟(ARENA)の党首、アルフレド・クリスティアーニが当選した。クリスティアーニは92年1月に左派武装ゲリラ組織であるファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)との間に歴史的な和平合意を締結し、内戦解決に大筋の道を開いた。94年の大統領選挙では、ARENAから出馬したアルマンド・カルデロン・ソルが当選した。この選挙にはわが国からも15名の選挙監視員が国連平和維持法に基づいて、第一回投票と決選投票の2度にわたり派遣された。カルデロン・ソルの最大の課題は和平合意をいかに履行するかであった。和平合意の進捗状況を検証するための国連エルサルヴァドル監視団(ONUSAL)も活発に活動し、96年に無事任務を終了した。

 1999年3月に行われた大統領選挙は、野党第一党のFMLNからは同党の内戦時代の武装闘争の指揮官であったファクンド・グアルダード、与党ARENAからは弱冠38才で国会議長の職にあったフランシスコ・フローレスとの一騎打ちとなった。両者の他には、長年エルサルヴァドルの政治舞台で活躍してきた、ルベン・サモラが立候補した。その結果フローレスが52%の支持を得て、2位のグアルダードの29%に大きく水をあけて当選した。サモラには7%の支持しか集まらなかった。

 このように1982年の民政移管後、大統領選挙は4回行われたが、ARENAは実に3期連続で政権の地位にある。顕著なことは、FMLNを除く他の諸政党の衰退である。特にかつて政権与党の座にあった経験を有するPDCは、大統領選挙では地元のマスコミからはほとんど泡沫候補の扱いを受けている。しばしば指摘されているのは、PDC内部の権力争いが激烈で、支持者離れを起こしている点である。99年3月の選挙でフローレスが圧倒的な強みを発揮した背景には、内戦時代の政治抗争に無縁であったことがある。このような状況を勘案すると、エルサルヴァドル国民は、政治に新しい変化を求めているといって過言ではなかろう。では次に、近年の国会議員選挙の状況について、見ておくことにしたい。

 エルサルヴァドルの国会は一院制で議員任期は3年間である。現在の国会議員が選出されたのは、97年3月実施の国会議員・中米議会議員・地方首長選挙である。この選挙は92年の和平合意後初めて国会議員を選出し、特に92年12月に合法政党として政治活動を開始したFMLNがどの程度の票を集めるかに、国内外の関心は集中した。投票の結果は、総数84議席のうちARENAは過半数を大きく割る28議席を確保するにとどまり、FMLNは27議席を獲得し野党第一党に躍進した。これ以外の政党では、軍事政権時代からの歴史をもち、軍部とつながりの深かった右派政党の国民協和党(PCN)が11議席、PDCが9議席と続いている。

 また注目すべき出来事として、総数262の地方首長選挙(市・町・村の長を住民が直接投票で選出する。但し地方議会は存在せず、当選した首長の所属する政党が、主な役職を任命するシステムになっている)で最大の焦点となっていたサン・サルヴァドル市長に、FMLNから出馬したエクトル・シルバが当選した。もともとサン・サルヴァドル市長職は、大統領選に出馬するための待ちポスト的な意味合いも強く、ドゥアルテ元大統領とカルデロン前大統領も、サン・サルヴァドル市長職の経験がある。市長在任中に行政手腕を発揮し、知名度を高め、最大の「票田」である首都住民の支持を固める、というキャリア・コースが定着しつつあった。1999年3月の大統領選でも、国内外の多くのマスメディアは、内戦中にFMLNの武装闘争路線とは距離を置き、医師の資格を持つインテリで市民に人気のあったシルバの出馬を予想していた。それがFMLN党内の事情から、彼に代わって、武装闘争の軍事指揮官であったグアルダードが大統領選に立候補した。国内外の主要なマスメディアは、この人選を最も歓迎したのは、ARENAだったと伝えている。

 1997年の選挙後、与党ARENAの国会運営はかなり難しいものになっている。法案の成立には通常議員総数の過半である42プラス1が必要で、比較的イデオロギーの似ているPCNと連合しても39票で、法案成立には依然として4票不足する。従ってPDCやその他の小政党がキャスティングボードを握っている。勢力がこのように拮抗していることもあり、ARENAが野党の票を得るため議員を買収しているという噂も絶えない。他方FMLNのスタンスは、ARENAの政治路線には原則的に反対であるから、ほぼあらゆる国会審議が、双方の対立の構図を反映するものとなっている。ごく最近の例としては、99年度予算を巡る対立がある(後述参照)。以上近年のエルサルヴァドルの政治の動きを見てきたが、次に和平合意後の民主化の進展について概観しておくことにしたい。

2. 内戦終結後の民主化の動き

 ここでは和平合意内容の履行を検討していく上で、司法改革、軍の改革、選挙制度の改革の三点に絞って検討することにする。

 司法改革:

 和平合意では最高裁判事の任免、司法府の予算上の安定性確保、人権擁護官の創設など、司法制度の独立性を高める措置を提案している。

 最高裁判事の任期は従来の5年間から9年間に延長された。またその承認には国会議員の三分の二の賛成が必要(従来は過半数の賛成)となった。現行国会議員の政党別勢力分布では、与党ARENAの息のかかった判事だけを選出することは不可能である。制度上は政治色の薄い人事が行われることになっている。加えて下級裁判所の判事の訓練を強化するために、司法訓練所を新たに設置した。司法府の予算は1998年度で見ると政府予算全体の5%である。フローレス新大統領は司法省を廃止し(予算上の配慮と思われる。次節参照)、関連機関に機能を分散させる方針を発表しているが、成功するかどうかは予断を許さない。

 軍の改革:

 エルサルヴァドル政治史上、軍はほぼ半世紀の間、政治運営の当事者として絶対的な権力を行使し、内部的には必ずしも一枚岩の団結を誇った訳ではなく、クーデターもしばしば起きたが、反対勢力は徹底的に弾圧した。従って軍改革と制度上の民主化は、和平合意の一つの焦点でもあった。改革の柱はまず、従来軍と警察が国防大臣の管轄にあったのを分離し、警察機構を新設する内務・公安省に移管する(注:フローレス政権発足時より治安・司法省に改組)。警察の名称も従来の国家警察から国家文民警察(PNC)に変更した。また人権侵害で問題が多いとされてきた準軍事組織(国家警備隊、財務警察、民間防衛隊など)や軍の諜報組織を廃止した。軍の規模そのものも、一時は4万人を越えていたが、現在では約2万8千人弱である。しかし、軍の予算そのものは微増している。

 選挙改革:

 1994年の総選挙には国連機関などが、選挙監視員を派遣し一定の透明性を確保した。今後の課題としては、投票手続きの簡素化(有権者登録手続きが煩雑である上に、内戦によって住民登録資料が紛失)、投票所の数を増やすこと、選挙運営の責任を持つ選挙裁判所(選挙管理委員会)の人選の独立性の強化、国会議員と地方首長の任期を同一にして選挙時期を一本化することなどがある。このような制度上の改善と合わせて、投票率が年々低下していることを考慮して、国民をいかに投票所に向かわせるかも重大な問題であろう。

3. フローレス政権の課題

 フローレス新大統領は、先の選挙でFMLNのグアルダードに得票率20%以上の差をつけて圧勝した。しかし投票率は、有権者の約37%と極めて低い水準にとどまっていて、必ずしも国民の大半の支持を受けているとは判断できない。加えてARENA党内には、クリスティアーニ元大統領とカルデロン前大統領の間に軋轢が生じているという観測も流れ始めている。クリスティアーニ元大統領は新政権に「影響力を行使する」と公の席で発言している。

 他方FMLNのグアルダード書記長は選挙敗北の責任を取って辞任した。これからどのような執行部が形成されるのか。多くの国民が望むような党のイメージ刷新がどのくらい実現できるのかは、まだ判然としない。なお先の大統領選挙で野党の連合組織CDUから立候補したルベン・サモラ大統領候補は第三位につけている。CDUにはキリスト教民主党から分派したアレハンドロ・ドゥアルテ(ナポレオン・ドゥアルテ元大統領の長男で、サン・サルヴァドル市長を歴任)なども参加していて、「第三の道」路線を掲げている。政局の成り行きによっては、影響力を持ち得るかも知れない。その際にはフローレス現大統領のような、若手の登用が不可欠であろう。新政権は国会運営ではかなり難航することが予想される。カルデロン前大統領が昨年議会に承認を求めた1999年の予算案が、実に政権交代の直前にまで引き伸ばされて、公務員の給与支払いが滞るという事態を招いた。野党が強く反対したのは、17億7,800万コロンの予算総額のうち、2億4,000万コロン相当が歳出超過であったことである。その主たる原因は司法関係とされ、裁判所の予算は50%増が見込まれていた。予算の承認には過半数の賛成が必要である。ARENAは、また、国会で政府が国外からの公的な借款を締結する際に必要な三分の二の賛成を得るための議席数には程遠い。FMLNはこの点を最大限に利用して、さまざまな交渉戦術を行い、政府の譲歩を引き出そうとしている。

 2000年3月には国会議員、中米議会議員、地方首長選挙が予定されている。この選挙でどのくらいの国民が投票所に足を向けるのか。また現行議会の政党の勢力分布に、どのような変化を期待するのか。エルサルヴァドルの政局は当面先行き不透明な状態が続くと思われる。


エルサルヴァドル最近の政治変動
1979年 10月 内戦の勃発
第一回軍民評議会(アドルフォ・アルノルド・マハノ・ラモス陸軍大佐議長-第三回評議会まで)
1980年 1月 第二回軍民評議会
3月 第三回軍民評議会ホセ・ナポレオン・ドゥアルテ参加
12月 第四回軍民評議会(ドゥアルテ議長-82年5月まで)
1982年 3月 制憲議会選挙
5月 アルバロ・マガーニャ暫定大統領に就任(84年5月まで)
1984年 3月 大統領選挙
5月 大統領決選投票
6月 ドゥアルテ政権発足(89年5月まで)
1989年 3月 大統領選挙
6月 アルフレド・クリスティアー二政権発足(94年5月まで)
1991年 3月 国会議員、地方首長選挙
1992年 1月 和平合意成立
1994年 3月 大統領、国会議員、地方首長、中米議会議員選挙
4月 大統領決選投票
6月 アルマンド・カルデロン・ソル政権発足(99年5月まで)
1997年 3月 国会議員、地方首長選挙
1999年 3月 大統領選挙でフランシスコ・フローレス当選(6月政権発足、2004年5月迄)


2-1-2.経済情勢

1. 経済概況

 エルサルヴァドル経済は近年、マクロ面では比較的順調に推移している。1994年から98年までの5年間の実質国内総生産(GDP)成長率は、最大6.2%(95年)から最小2.0%(96年)である(表1参照)。この期間の年平均成長率は4.4%に達した。ラテンアメリカ諸国が債務危機の対処に追われ、「失われた10年間」を経験した80年代には、ラテンアメリカ全体の実質GDP成長率は年平均1.6%であった。この時期エルサルヴァドルは内戦下に置かれ、同時期の実質GDP成長率はわずかに年平均0.9%にとどまった。表2はGDPの部門別生産高の推移を表している(但し税金やサービスは除外されている)。この表によると、農業はGDPに占める相対的な重要性を10ポイントも下げた。政府、金融も相対的に、大幅にその役割を減少させている。他方この間、製造業が5ポイント程度の増加を経験した。政府部門の著しい減少は、世界銀行・国際通貨基金などの国際金融機関が提示する、いわゆるワシントン・コンセンサスと呼ばれる構造調整策の路線に沿ったものといえよう。

表1 エルサルヴァドル主要経済指標
  1994 1995 1996 1997 1998d
GDP成長率(a) 6.0 6.2 2.0 4.0 3.5
一人当りGDP成長率(a) 3.4 3.6 -0.1 1.9 1.4
財政収支(b) -0.8 -0.5 -2.0 -1.1 -1.6
輸出額(c) 1,640 2,225 2,203 2,706 2,740
輸入額(c) 2,851 3,775 3,466 3,885 4,340
対外債務(c) 2,069 2,343 2,517 2,667 2,690
注:a-(%)、b-中央政府財政収支の対GDP(%)、c-100万ドル、d-暫定値。
出典:『ラテンアメリカレポート』、第16巻、第1号、国連ラテンアメリカ経済委員会(ECLAC)資料、1999年。


表2 エルサルヴァドル部門別 GDP(%)
  農業 製造業 建設 運輸・公益事業 商業 政府 金融
1988 23.1 17,8 3.5 9.7 15.9 14.7 8.4
1997 13.1 22.3 3.8 7.6 19.8 5.7 3.3
出典:The Economic Intelligence Unit, Country Report: El Salvador, 各号。


 1994年に発足したカルデロン大統領のもとで、特に構造調整策による行政改革と自由化の傾向が強くなり、96年10月には15,000人に上る公務員の大量解雇を定めた法案が可決された。政府職員はこれに猛烈に反発し、反政府デモなどの激しい示威行動を繰り広げた。金融部門は79年に発足した軍民評議会政権時代に、国家管理の下に置かれ、政府が銀行など金融業の株式の過半を所有し、頭取など経営者の人事権も保持していた。これが順次民営化されることになり、ひいてはGDPに占める公的部門の相対的な役割を低下させることとなった。

 近年金融スキャンダル事件(INSEPRO-FINSEPROと呼ばれる投資組合の大がかりな詐欺事件)や、倒産する銀行(ごく最近ではCREDISA)が増加している。銀行同士の合併や金融セクターの再編成も急速に進んでいる。現在16ある銀行は、エルサルヴァドルの経済規模からすると過剰であるという意見もあり、再編と統廃合の動きは今後も続くと見られる。

2.農業の役割

 ここで留意したいのは、農業部門の果たしている役割である。最新のデータ(1997年)では、全就業人口、総輸出額に占める農業の割合はそれぞれ約25%、30%である。この数字は、農業が依然としてエルサルヴァドルの経済構造の中で重要な役割を果たしていることを示している。なお輸出産品では、伝統的輸出産品上位3品目として、コーヒー、粗糖、エビがある。とくに近年エビの輸出が着実に増加している。またトウモロコシ、大豆、米、ソルガムなどの基礎穀物の国内生産量が減少傾向にあるため、輸入穀物への依存度が増加している。この結果、貿易収支の赤字幅が拡大傾向にある。

 一方内戦終結後、戦闘で被害を受けた農村の再開発と、雇用創出のための農業と同関連産業(アグロインダストリー)の整備の必要性が増している。経済開発を考えていく際に農業(ここでは牧畜、水産業、再植林を中心とする林業を含む)が極めて重要な役割を果たすことを、十分考慮に入れる必要があろう。これはまた、次に述べるような国内の地域間(都市と農村、あるいは地方別)の所得格差を解消する上でも重要な視点である。

3.貧困の様相

 エルサルヴァドルは、国連開発計画(UNDP)が公表している人間開発指標では、リストされた174カ国のうち、上位から114番目に位置している。人間開発指標は、一人当たりの実質国民所得、所得分配の公平さ、平均寿命、識字率、就学率、保健衛生制度の利用度などかなり広範囲の指標を総合的に分析したものである。一方、エルサルヴァドルは一人当たりGDPの金額が既に2,000ドルを超え(EIU Country Profile 1999-2000 Guatemala/El Salvador,1999による)、中進国に分類される。この数字はわが国のODA無償援助対象国の受け取り資格審査基準である1,505ドルを上回っているので、対象から外されることになる。

 特定の国の貧困層の実態を調査する手段として、世帯ごとの実質所得と生計を維持する上で最低限必要な金額(食費、衣服費、教育費、医療費など)との比較を全国的にサンプリングする方法がある。もし該当する世帯の実質所得が、生計を維持するのに必要な所得を得ていなければ貧困層、最低限の栄養を確保できない場合は極貧層と分類される。エルサルヴァドルの場合、この貧困層と極貧層のそれぞれの下限ラインが年々上昇している。換言すると、生活必需品の価格が上昇しているのである。92年には一世帯5人当たり概算でそれぞれ月に3,200コロン、1,300コロンであったものが、95年には4,300コロン(490ドル)、1,900コロン(217ドル)に増加した。この数字を基にすると、全国平均で全人口の58.6%が貧困層に入り、この内20.8%が極貧層に分類される。

 ところでこの貧困層の分布については、都市・農村、地方により差異が見られる。最も豊かなのはサン・サルヴァドルで、貧困層(極貧層も含む)の占める割合は人口の54.1%である。他方経済省とUNDPエルサルヴァドル事務所は共同で、国内版の人間開発指標を算出した3。このデータによると、サン・サルヴァドルの指数が最高位で0.721(1が最高値)、最低位がモラサンの0.458であった。例えば一人当たりの実質GDPは、サン・サルヴァドルが4,028ドルに対して、モラサンは1,176ドルである。この調査では、ラ・ウニオン、カバニャス、モラサンを国内の貧困地域と定義している。その上で三地域の人間開発指標を、ハイチ、スーダンよりも若干上回っているものの、カメルーン、ギニア・エクアトリアルを下回っていると指摘している。

 このように、エルサルヴァドルの経済構造の特徴として、地域間格差の大きいことがある。相対的に豊かなのはサン・サルヴァドルを中心とする都市部である。貧しい地域はホンジュラスとの国境に接し、内戦中被害の著しかったカバニャスやモラサン、加えて以前は綿花の主産地で、農地改革後の混乱した協同組合管理のもとで生産量の減少したラ・ウニオンなどである。ただし留意を要するのは、アメリカに滞在する自国民からの送金をどこまで捕捉しているかである。アメリカからの送金は次に述べるように、エルサルヴァドルの最大の外貨収入源である。現実にはこのような貧しい地域ほど、移民労働者として離村する比率が高く、送金額もそれに比例して増加する傾向がある。


3 Ministerio de Economia -PNUD, Informe sobre Desarrollo Humano en El Salvador, 1997 p.66



4.海外送金

 表3は過去10年間の海外送金額を示したものである。1985年の年間1億1,300万ドル(対GDP比2.8%)から96年には実に11億7,900万ドル(同11.2%)にまで増加している。96年についてみると、この年の貿易赤字額は14億3,600万ドルで、赤字額のほぼ82%を、海外からの送金で補填する形になっている。近年急激に送金額が増加した背景には、移民数自体の増加(現在約100万人と推定されている)、米国の好景気、送金手続きを簡素化したこと(両替商を合法化)などがある。


表3 エルサルヴァドル移民からの送金額
(単位100万ドル、%)
金額 対GDP比
1985 113 2.8
1986 161 3.9
1987 195 4.4
1988 221 4,7
1989 237 4.8
1990 345 6.8
1991 542 9.2
1992 708 11.9
1993 823 11.8
1994 1,001 12.3
1995 1,195 12.4
1996 1,179 11.2
出典:表2と同じ


5.マキラドーラ

 近年のエルサルヴァドル経済の特徴は、マキラドーラ(輸出加工区)の成長である。

 マキラドーラでは、繊維、アパレル製品などの原料を輸入し、加工した上で大半をアメリカ向けに再輸出している。マキラドーラに進出しているのはアメリカ、韓国、台湾の企業が殆どである。アメリカはもともと中米・カリブ海諸国からの繊維製品の輸入については、特恵措置の対象からは外していた。しかし86年の特別市場参入プログラムや保証アクセス水準と呼ばれる一連の特恵措置(総称してスーパー八〇七関税)により、中米諸国からの繊維加工品の輸入を促進する措置を講じている。この背景には中米紛争の根本要因が貧困にあり、経済的な復興がこの地域の政治経済の安定に不可欠であるという認識があった。その意味では、スーパー八〇七関税が、エルサルヴァドルのみならず中米各国に与えたインパクトは少なくない。

 現在マキラドーラからの輸出品は最大の輸出額を占めるに至っている。1998年には輸出総額24億4,600万ドルの内、約半分の11億8,900万ドルがマキラドーラ製品であった(しかし同じ年に、マキラドーラ関連の輸入額は8億5,000万ドルで、純輸出額は3億3,900万ドルとなり、コーヒー輸出額とほぼ同水準である)。マキラドーラでは5万人が雇用されていると推計されるが、そのうち85%が若年の女性で、大半が最低賃金水準である。雇用条件は必ずしも良好とはいえず、これまでにしばしば労働争議が発生している。特に今後懸念されるのは、中米域内とメキシコのマキラドーラとの競合である。メキシコは北米自由貿易協定(NAFTA)により、暫定的な優遇措置であるスーパー八〇七関税よりも有利な特恵を受けている。中米各国は機会あるごとにアメリカ政府に対し、NAFTAパリティーの適用を求めているが、アメリカ国内の繊維製造業者の反対も強く、議会は慎重な姿勢を崩していない。

6.中米地域統合の動きとエルサルヴァドル

 1990年代に入り中米各国は、60年代に推進された中米共同市場をより競争力のある、外向きの地域統合に発展させるべく努力してきた。こうした中で、エルサルヴァドルは地理的にも交通の要衝にあるため、中米統合機構(SICA)の本部が置かれている。SICAは中米首脳会議の事務局だけでなく、域内の地域統合機関(例えば中米経済統合事務局、中米議会、中米裁判所など)のコーディネーター役を付与され、近年その権限も増大する傾向にある。

 経済統合の分野では、関税率の段階的な引き下げが実施され、最高でも19%になる予定である。現在注目されているのは、メキシコとの自由貿易協定の帰趨である。グアテマラ、ホンジュラス、エルサルヴァドルのいわゆる北部3カ国は、まとまってメキシコとの交渉に当たっているが、関税の撤廃や自由化対象の除外品目などについて、まだ合意に達していない(コスタリカ、ニカラグアはそれぞれ別個にメキシコとの自由貿易協定に調印している)。対メキシコ交渉では、エルサルヴァドルの企業家グループが慎重な態度を見せている。メキシコとの自由貿易が今後どのような形になるのかは不透明である。今後とも交渉の動向に留意する必要があろう。

2-1-3.社会情勢

1.近年の社会情勢

 内戦終結後のエルサルヴァドル社会は、各種の社会指標を見る限り、徐々にではあるが着実に復興が進んできたことを示している。他方、内戦の影響がいまだに尾をひく問題や、あらたな社会問題が生じていることも見逃すことはできない。1998年11月に中米諸国を襲ったハリケーン・ミッチは、同国にも大きな被害をもたらし、これら諸問題の解決をさらに遅らせている。

 現在のエルサルヴァドルの社会情勢を見る上で鍵となる3つの問題は、貧困、失業、そして治安悪化であろう。特に顕著なのは、近年における一般犯罪、中でも殺人件数の急激な増加である。統計的にみると、いまや同国は「ラテンアメリカで最も治安の悪い国」となっており、人口10万人あたりの殺人発生率は日本の120倍以上に達している。この背景には、10年以上続いた内戦の影響と、貧困や失業問題がある。内戦は、伝統的な共同体を崩壊させ、社会を解体の方向へと進ませた。その結果、貧困や失業問題に対する「クッション」がなくなり、経済的問題が即、犯罪の増加という社会的問題となって顕在化していると考えられる。さらに、内戦終結後もなお大量の銃器が未回収のまま国内に存在しているという問題が、銃器を使った凶悪犯罪を助長している。

 他方、こうした問題をコントロールすべき司法制度が十分に機能しているとは言い難く、当局に対する一般市民の不信感が高まっている。後述するように、一部の市民の間では、法制度を無視して犯罪者に対する報復行為を行おうとする傾向さえ出始めている。今のところ大規模な社会的混乱には至っていないが、社会秩序の安定が十分に担保されない現在の状況が続けば、一般市民の間にも精神的な荒廃をもたらしかねず、早急に何らかの対策が必要であろう。新たな共同体の構築の必要性を指摘する専門家もいる。

2.治安の悪化

 現在の社会情勢の中で、最も懸念されている問題は一般犯罪の急増である。特に銃器を用いた殺人等の凶悪犯罪の増加が顕著で、1994年以降、年間殺人発生件数は平均7,700件4を超えている。人口10万人あたりの殺人発生率では120から140に達しており、これはコロンビアを抜いて中南米最悪の水準である。コロンビア人経済学者ロベルト・ステイナー氏とエルサルヴァドルの民間シンクタンクFUSADES(エルサルヴァドル経済社会開発基金)が1997年に実施した調査では、調査世帯の実に27.5%が何らかの犯罪被害に遭っていた。さらにそのうちの89%もの世帯が、被害にあったにもかかわらず、警察に被害届を出していなかった。その理由として、同調査では警察に対する不信感の存在をあげている。同調査によれば、殺人以外も含めた全犯罪に対する犯人検挙率は、わずか3%にとどまっている5。殺人事件に限ってみても、国家公安審議会(CNSP)が公表した97、98年の犯人検挙率は7.14%である。司法当局の事件解決能力にはほとんど期待できない状態だといってよい。

 こうした問題の背景として、司法制度上の不備も指摘されている。内戦終結後に解体された国家警察(PN)に代わり、新たに組織された国家文民警察(PNC、人員は約1万8,000人)には、現行犯以外での逮捕権限は認められておらず、捜査方法にも法的に数々の制約がある。PNCは、実に年間に300人もの殉職者を出しているのである6。実質的捜査権限は検事総局(FGR)にあるが、有効に機能しているとは言い難い。一方でPNC内部では、旧PN、元FMLNゲリラ、民間出身者の間で主導権争いがあるといわれ、またPNCと警察学校が全くの別組織となっているため、実態に即した訓練が行われていないとの指摘もある。

 このような治安状況の悪化と当局の事件解決能力の低さは、次のような問題を生じさせている。第一に、内戦終結を機に国外から帰国した有能な人材の一部が、再び国外に流出しているという問題である。第二には、警察や司法制度を信頼しない市民の一部が自警団的な組織をつくり、犯人に対して残虐な報復行為に出るケースが増え始めているという事実である。前述のステイナー氏とFUSADESの調査によれば、アンケート回答者の46%が、自警団による犯罪者への報復行為を肯定している。

 また、今後新たな問題となりそうなのが、犯罪歴のある在米エルサルヴァドル人の強制送還問題である。米国当局は、1995年以降に米国に移り住んだエルサルヴァドル人の内、犯罪歴のある者の強制送還を開始しており、その数は年間約5,000人に上っている。今後犯罪者の雇用に関する何らかの有効な対策がなければ、治安問題の解決をさらに困難にする要因になるだろう。


4 El Diario de Hoy紙、1999年2月15日付
5 ステイナー氏とFUSADESの調査については、El Diario de Hoy紙、1999年2月9日付による。
6 注4に同じ



3.内戦の後遺症と新たな問題

(1)内戦の後遺症

 10年以上にわたった内戦は、特に農村部における伝統的な共同体を崩壊させた。その結果、内戦が終わって故郷に帰還しても知り合いがほとんどいなくなっているという状況がしばしばみられるという。地方で安定した現金収入を得られる仕事がなければ、結局首都に流入する以外にない。しかし首都における雇用吸収力はとうに限界を超えており、都市部で新たな貧困層を生み出している。そのことが、さらに環境破壊や犯罪の増加を招くなど、社会的生態系の均衡破壊につながっているのである。

 また内戦の影響や貧困問題によって、家族関係に変化が生じているともいわれている。例えば、殺人や傷害事件の原因として、政治的意図によるものはいまや極めて少数であるが、それに代わって遺産相続など、金銭トラブルによる家族や親族同士の殺傷事件が増えているとの指摘もある。

(2)内戦からの復興と社会指標

 一方、内戦後のエルサルヴァドルにおける復興状況は、各種社会指標を見る限り、総じて着実に進んでいるように見える。しかしながら、前節の「経済情勢」の頁で指摘しているように、都市と農村における著しい格差の問題については、未だに解決されないままとなっている。成人識字率でみると、サン・サルヴァドル90.1%に対して、モラサン55.4%、平均余命ではサン・サルヴァドルが70.4年、カバーニャス64.1年など7、国内の経済格差は、そのまま社会開発の格差として反映されている。農村部における貧困問題の解決は、極めて重要な問題といえよう。

(3)ハリケーン・ミッチの被害

 1998年末に中米を襲ったハリケーン「ミッチ」によるエルサルヴァドル国内の死者は240人、被災者数は約34万7千人、全半壊家屋数は約1万戸にのぼった。これはホンジュラスほどの被害状況ではないが、東部海岸地域、首都圏と国内各地を結ぶ道路網、橋梁等に大きな被害をもたらした。

 ハリケーンはまた、貧困問題の別の側面をあぶり出した。もともと貧困層が居住する地域は、急斜面や崖の近くなど、建築上も安全性に大きな問題がある場所がほとんどであるが、ハリケーンにもかかわらず、そこから避難しなかったために犠牲になった者も多い。サエンス・サン・サルヴァドル大司教によれば、貧困層の居住地域では、自宅を数日空ければすぐに第三者が家屋を占有をしてしまうため、住人が家を空けて避難することをためらい、被害を拡大したという。


7 Ministerio de Economia y PNUD, Informe sobre Desarrollo Humano en El Salvador, 1997 p.48



4.課題

 先に述べた社会の諸問題は、いうまでもなく相互に密接に関係している。貧困や失業問題の解決が犯罪を減少させ、社会の安定を保障する有効な手段であることはいうまでもない。たが短期的には、やはり司法当局の捜査能力の向上を含めた司法制度の改革・強化が必要だろう。

 その他にも、犯罪者の更正や失業者のための職業訓練機会の提供、共同体再構築や社会への参加意識を高める方策(教育における親の制度的な参加もそのひとつであろう)、銃器規制の強化等が求められている。ちなみにUSAIDは、前科のある若者の社会復帰を支援するための試みとして、彼らを雇用するためのボタン製造工場の建設を援助したことがある。

 前出のステイナー氏は、さらに余暇開発の重要性を指摘している。これは意外に見逃されがちだが、たしかにエルサルヴァドルにおける犯罪急増現象の背景には、心理的な側面も大きく影響しているように思われる。

表4 エルサルヴァドル主要社会指標
非識字率(%) 乳幼児死亡率
(千人あたり)
平均余命(年) 上水道にアクセス
可能な世帯(%)
1994 25.8 38.5 67.7 58.0
1996 19.5 36.0 68.6 62.0
1998 16.5 32.0 69.4 n.a.
出典:Ministerio de Relaciones Exterioresde El Salvador, Indicadores Economicosy
Sociales de El Salvador, El Salvador in Figures
, 1999


2-2.開発計画・復興計画

1.経済社会開発5カ年計画(1989-94)

 1979年に勃発した内戦により、エルサルヴァドルでは長期間、経済計画の作成が困難な状況が続いた。89年に発足したクリスティアーニ政権の下で90年にようやく、「経済社会開発計画89-94」(以下5カ年計画)が発表された。同計画は、内戦による被害を犠牲者7万人、経済的損害は50億ドル、国外避難民を100万人と指摘している。5カ年計画の基本方針は、市場経済に基盤を置きながら、自由主義的な経済政策を進めることとし、政策目標を人間尊重、自由主義、法の下の平等、社会正義の実現、政府の役割を補助的なものにすること、などに置いている。

 1990年から94年のマクロ経済の目標数値としては、実質国内総生産(GDP)の成長率を2%、インフレーションを10%にまで引き下げること、国内総固定資本形成の対GDP比率を17%に引き上げること、などとしている。なお内戦勃発の間接的なきっかけの一つで、貧富の格差の根本要因でもある土地所有の不平等に関しては、その解決策として農地改革を推進すると述べている。特に家族農への法的、経済的、技術的援助に重点を置くとして、従来の農業協同組合中心の政策からの路線転換を明記している。

 5カ年計画では、内戦中に国家管理に置かれた外国貿易の自由化、国有化された銀行の民営化、国営企業の民営化を中心とする政府組織の再編成など、一連の自由化政策を打ち出している。これは1980年代後半から90年代前半の、ラテンアメリカの多くの国で採用された、いわゆるワシントン・コンセンサスと呼ばれる、国際金融機関の推進した新自由主義政策(ネオ・リベラリズム)に沿うものであった。他方、このような自由化がもたらすマイナス効果に対しては、当初から根強い懸念と批判が存在した。特に従来の公共料金、基礎食料品や医薬品への補助が撤廃あるいは削減され、生活水準の一層の低下が予想される極貧層への措置として、セーフティーネットの必要性が強く求められた。

 5カ年計画の社会部門は主としてこの問題を扱っている。該当箇所では基本方針として、政府の社会サービスを可能な限り直接個人を対象に行うこと。教育面では当時の現状を、全国平均の義務教育対象者の就学年数を4.5年、労働人口の非識字率を30%と推定し、その改善のために学校給食の実施、教員の教育と訓練の充実の必要性を指摘している。保健・栄養面では、1980年から88年にGDPに占める保健・衛生部門の国家予算の比率が、3%から1.5%に、保健衛生省の予算も79年から実質で30%それぞれ減少した。5カ年計画が作成された80年代後半のデータでは、千人当たり乳児死亡率は56人で中米諸国の中でも最悪の数字であった。5才以下の子供の47%が何らかの栄養障害を持っており、上水道とトイレにアクセスのある人口はそれぞれ全体の42%、58%と低かった。

 5カ年計画ではこのような社会面の現状についての厳しい認識を明らかにし、予算の増額を伴った、プロジェクト(保健所の再開、予防接種の拡充、ポリオ撲滅、水道とトイレの建設促進、極貧層への食料配布など)の実施を掲げている。しかしながらその財源に関する記述は見当たらず、努力目標的な色彩の濃いものとなっている。

 5カ年計画は環境問題に関して末尾で次のように述べている。エルサルヴァドルでは伝統的に単位面積当たりの農薬使用量が多く、その結果環境破壊をもたらした。国土の4分の3が、土壌侵食に無防備である。70年代に森林の15%が破壊された。河川と沿岸海域の汚染が進行した。このような現状を踏まえた上で、環境問題の意識を高めるための環境教育の必要性を指摘している。しかしながら、行政面、予算面での具体的な対策は明記していない。

 クリスティアーニ政権は内戦の終結を最重要政策課題として掲げ、FMLNとの和平に積極的に取り組んだ。この結果92年1月に、国連の仲介が功を奏して、和平合意が成立する。エルサルヴァドル政府はこの直後に以下紹介する「国家再建計画(以下再建計画)」を作成し、直ちに実行に移した。

2.国家再建計画(1992-97)

 「国家再建計画」の作成は、エルサルヴァドル政府が内戦終結の見通しに確信を持った、1991年11月に開始された。中心となったのはリエバノ企画省大臣(当時)で、企画省(MIPLAN)内に国連開発計画(UNDP)の資金援助を受けた特別プロジェクトが設置された。ちなみに「再建計画」の作成に参加したエコノミストの大半は、このプロジェクトが採用した人達で、国家公務員の俸給水準よりかなり厚遇の給与を保証された。「国家再建計画」の中味はその後国際金融機関やFMLNとの対話を通じて手が加えられ、最終版(第4版)は92年4月に公表された。

 同計画では、再建を第一(緊急)局面から第二(中期)局面に分類している。第一と第二局面のプロジェクト実施期間はそれぞれ6カ月と5年間である。全体の費用総額は14億2,800万ドル。再建計画の目的は、(イ)経済安定のための緊急措置、(ロ)持続的な経済成長、(ハ)中長期目標として極貧状態の解消の3点である。以上の経緯を考慮に入れると、「国家再建計画」が第二局面で意図する、中長期の経済復興計画の内容は、その後のエルサルヴァドルの経済開発計画の基本的な枠組みを示したものと理解することができる。従って以下その内容を若干立ち入って紹介することにしたい。

 「国家再建計画」は内戦により被害を受けた国民が、和平プロセスに「統合」されることを優先課題としている。具体的には国内避難民1万2千世帯、キャンプ生活中のFMLN戦闘員とその家族、関係者など2万6千人、戦闘地域に居住する80万人の貧困農民が緊急援助の対象となる。中長期の目標として、電力、通信、幹線・地方道路、橋梁、水道、保健・教育施設などのインフラストラクチャーの整備に約6億ドル程度を要する。なおFMLNの支配地域における土地の帰属権の取り扱いは、土地銀行を設立して旧地主に土地代金を補償する。その上で該当の土地を現実に使用している農民に、長期融資して購入させることとなった。しかし土地の測量などの技術的な問題、土地銀行の要する莫大な資金の手当てなどについては、十分に考慮されてはいなかった。

 1994年に発足したカルデロン政権は、クリスティアーニ前政権が作成した上述の「国家再建計画」を基本的に踏襲した。しかしカルデロン政権の経済政策の優先課題は、通貨安定や市場経済化の一層の推進といった、短期的色彩の強いものである。95年1月の新経済対策(ヒンディプランと呼ばれる)は、(イ)ドル経済圏化の推進、(ロ)関税の引き下げによる貿易自由化、(ハ)付加価値税の実質引上げ、(ニ)公的部門の合理化の4点を挙げている。しかしドル経済圏や関税引き下げについては、内外の批判が強く、政府はこれを長期目標とすることでトーンダウンさせた。

 エルサルヴァドルでは従来から国家開発計画の作成を担当していたのはMIPLANであった。しかし同省は95年8月頃、一旦経済社会開発調整省(MICDES)に改組され、その直後に外務省に吸収合併された。この再編成の結果、国際機関、外国政府の経済・技術援助の窓口となっていた外務省の対外経済協力局が、対外協力関係の調整の任を引き受けることになった。こうしてエルサルヴァドルでは国家開発計画の作成を担当していた中央官庁が消滅し、その機能が大幅に縮小された。

3.政府開発計画(1994-99)

 MIPLAN消滅直前の1995年5月には「政府開発計画1994-99(Plan de Gobierno de la Republica de El Salvador)」が公表された。「政府計画1994-99」は「エルサルヴァドルを機会のある国に」をスローガンとして、内戦の戦後処理の段階から民主化の定着と持続可能な経済開発をいかに進めるかを最大のテーマとして取り上げている。具体的には政治発展計画、法治国家と治安の強化計画、経済開発計画、社会開発計画、環境対策と国土開発計画という5つのサブ計画に分けて、それぞれの計画の達成目標を述べている。ちなみに経済開発計画の期間中の実質国内総生産成長率の目標値は6~7%である。

 このようななかで1997年3月に行われた国会議員・地方首長選挙で野党FMLNが善戦し、政局が不透明となった。国会では与党ARENAとFMLNの議席差は僅かに1議席。首都サン・サルヴァドル市長選選挙でも、FMLN候補のエクトル・シルバが当選した。政府の主たる関心事は、新たな政局をいかに乗り切るかに傾斜した。後述のように新たな政局は、「政府計画1994-99」の見直しも余儀なくした。1997年5月、カルデロン大統領は選挙対策もあり、国民各層の声をより反映した国家開発計画を作成するための諮問委員会の設置を発表した。指名された6人の委員の一人には、かつて軍民評議会政権時代に教育大臣を務め、軍部の弾圧のため亡命を余儀なくされ、その後ゲリラ活動を続けていたサルヴァドル・サマヨアが入った。彼以外の委員の顔ぶれも、必ずしもARENA寄りという訳ではなく、バランスの取れた人選といえる。委員会は翌98年1月に「国家計画の基本」(Bases para el Plan de Nacion)を公表し、大きな反響を巻き起こした。

4.国家計画の基本(1998年1月)

 「国家計画の基本」は、具体的な数値を盛り込んだマクロ・ミクロの経済計画ではなく、文字通りエルサルヴァドルがこれからどのような国作りを目指すのか、そのグランドデザインを描いたものである。貧困の撲滅、民主主義、政府の役割、国民の参加、市場の持つ機能、地方分権、教育、環境問題などへの取り組みへの基本的な考え方を述べたものである。同文書は内戦終結後の経済・社会全体のあり方を、政府が公に論じたもので、エルサルヴァドルの経済社会政策の基本指針といえよう。

 「国家計画の基本」の概要は以下のようである。まずエルサルヴァドルの最大の問題は構造的な貧困の存在である、と指摘している。これが国内で多数の社会・文化的に孤立する人口を生んでいる。この解決のためには、

  • (1)政治面では、民主化の促進、代表民主制の強化、選挙・政党法の改革、政府の権限の地方分権化、政府の役割の再検討、行政単位の再編成
  • (2)教育・文化面では、家族を中心とする新しい文化の基盤、教育制度の改革、科学技術の振興、教員の養成
  • (3)経済社会面では、発展の優先領域の確定、中小企業の振興、金融部門の整備、財政改革、マクロ経済の安定、基礎的な消費財の確保、環境の保全
  • (4)市民参加では、組織の強化による参加の促進、市民の責任の明確化
  • (5)制度面では、行政府の近代化、人間開発の促進

などである。大半は抽象的な内容で具体性に欠ける印象は免れない。しかし、例えば地方分権の項では、現在の14の県単位の行政区分に変更が必要であると述べるなど、突っ込んだテーマにも触れている。

 「国家計画の基本」は速やかに、政党関係者、経済界、各社会運動の代表者の参加する作業グループを設置し、同書の内容を検討すること、それを踏まえて「国民的合意」を形成し実行に移す、またその成果を評価するためのメカニズムも同時に設けることを明記している。しかしながら現時点で、このプロセスがどの程度進捗しているかの情報は乏しい。

5.まとめ

 エルサルヴァドルの国家開発計画の近年の動きを要言すると次のようになろう。クリスティアーニ政権時代の1990年に「経済社会開発計画1989-94」が策定された。この間92年1月に和平合意が成立するというエポックメーキングなできごとがあり、エルサルヴァドル政府はもっぱら西側諸国からの復興援助を当てにした「国家再建計画」を作成した。「国家再建計画」は内戦中の被害の復興に力点を置き、第二局面として5年間の中期計画を視野に入れてはいるが、緊急対処的な色彩の強いものであった。95年5月には「政府開発計画1994-99」が公表された。同計画は内戦後のエルサルヴァドルの経済社会開発の基本方針を述べたものである。しかし97年3月、カルデロン前政権下で実施された国会議員選挙で、ARENAが大敗(ほぼ同じ時期、国連エルサルヴァドル監視団の任務も終了)し、与野党の対立が先鋭化し政局が混乱した。このため長期的な視点に立つ国家開発計画の作成は、超党派の諮問委員会に任されることとなり、「国家計画の基本」が策定された。同文書は現在国民各界において議論されつつある。開発の理念そのものについて意見の対立もあり、コンセンサスを得るには時間がかかるであろう。従って、具体的なマクロ経済の数値目標を含んだ、与野党の合意する「国家経済開発計画」が策定されるには、今しばらくの時間を要すると予想される。


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