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4 我が国の援助の重点分野に対する評価


4.1 経済基盤整備

4.1.1 経済基盤整備の位置づけ

(1) 経済インフラの意義

 対フィリピンのODA国別評価について、経済基盤支援、産業構造の再編成と農業開発に対する支援、貧困対策及び基礎的生活環境の改善、環境保全、4分野を対象に検討を行うが、本章の課題は、対フィリピンの経済基盤整備へのODA供与を検討することである。そこで、まず経済基盤の範囲をインフラストラクチャーとの関連で位置づけておこう。

 インフラストラクチャー(インフラ)は「社会共通資本」、「社会資本」ともいわれ、一国の経済社会の基盤に関わる資本であり、運輸・通信、エネルギー、衛生・医療、教育、灌漑など社会経済の全般に関わる公共性の高い大規模な資本を指し、大規模プロジェクト方式によって整備されるのが一般的である。したがって、インフラの重要性、範囲の広さ、規模の大きさからいって、我が国のみならず、米国、フランスなど多くの援助国は分野別配分の上でインフラ整備が援助の中核を成している。

 インフラを、経済インフラ、社会インフラ、生産セクターの3分野に分類すると、経済インフラは、道路、鉄道、橋梁、港湾、空港、電話、マイクロウェーブ施設、発電所、送電線など、運輸・通信、エネルギーに関わる経済基盤である。これに対して社会インフラは、衛生・医療、教育に関わる社会分野であり、上下水道、医療施設、教育施設など人間開発、人道的配慮を必要とする分野で、収益性は経済インフラよりも低いが、ベーシック・ヒューマン・ニーズ(BHN)支援の中核をなす。生産セクターは、農業や工業のための生産基盤で、農業総合開発、灌慨、治水、肥料工場、製鉄所、資源開発などが含まれる。

 日本の対フィリピンの経済基盤整備に関するODAの対象は、重点分野別の援助実績のうえでは、(1)道路網整備・橋梁建設、(2)港湾整備、(3)鉄道、(4)空港整備、(5)通信関連、(6)エネルギー、(7)電化事業、(8)災害予防、(9)都市計画策定、(10)海上交通、に区別されている。ここで災害予防は洪水・砂防対策、災害復旧機材整備、被災民生活用水供給など緊急援助の側面も強く、都市計画は開発調査など設備を伴わない専門家派遣もある。他方、国別評価の対象は我が国の援助重点分野で、実施案件が多く、相手国にとっても開発優先度が高い分野であることが求められている。そこで、ノンプロジェクトの借款と贈与、緊急無償、専門家派遣事業、研修員受入事業は国別評価の対象外ではあるが、経済基盤整備は経済インフラ整備と一致し、国別評価の最重要点となっている。

(2) 借款による経済インフラ整備の効率性

 経済インフラは建設に伴う雇用増加や波及効果としての生産増加あるいは生産性向上はもちろん、長期的には所得向上、貧困解消にも結びつく。他方、経済インフラのもたらす波及効果は、それを整備し運用する主体の現金収入増加に結びつくとは必ずしもいえず、投下した資金を回収することは困難な場合も多い。これは、貢献した分だけの報酬が市場を通じては確保できないという外部性のためであるが、さらに、経済インフラは、多数の民間企業が並存して小規模な運営をしていては、そのコストは割高になってしまい、大規模な設備を擁しない限り、平均費用が限界費用を上回る。つまり、経済インフラは平均費用逓減型産業であるから、競争的市場の下で、民間企業によって最適な水準にまで供給を増やすことは困難である。こうして経済インフラの外部効果、費用逓滅型座薬としての特徴を考慮すると、地域独占をもたらす傾向にあり、政府、国営企業、特殊法人など公的介入を伴うサービス供給が一般的である。

 ここで、政府が財源不足に陥って大規模なプロジェクトを推進できないのであればODAによってインフラ整備を支援することが考えられるが、贈与か借款のいずれで行うかが問題となる。経済インフラの収益性の高さを考慮すれば贈与の対象とする必要性は小さいが、借款といっても金利、返済期間、据置期間、返済回数から計算され貸付条件の緩やかさを示すグラント・エレメントは25%以上であるから、借り手にとっても低金利、長期の返済と据置期間のために返済の負担は大きくない。かえって借款によって経済インフラを整備することは、返済をふまえて資金の有効利用のインセンティブをもたせつつ、経済発展を進める援助として有効であると考えられる。フィリピンの1995年前後の円借款の場合、金利2.7%、返済期間30年、据置期間10年が一般的である。このように貸付条件が緩やかである反面、経済インフラの収益性は高いため、インフラ利用料を徴収したり、経済が活性化され、政府の税収を向上させるといった直接、間接のルートで借入返済が期待できると考えられる。

 実際、フィリピンヘの我が国のODAにあっても、贈与、特に無償資金協力の金額は1990年代には低下しており、かわって有償資金協力が急増している。これは、一つにはフィリピンが順調に経済発展を進めており、援助の重点が経済インフラ整備にあるためである。

 フィリピンの経済インフラ整備のための借款については、(1)ODAの原資が郵便貯金など財政投融資にも依存しているが、定額貯金の金利も0.5%未満に低下していること、(2)フィリピン経済もアジア通貨危機に直面していること、といった観点から、貸付条件はいっそう緩和されている。また、好材料として、(3)インドネシアなど通貨下落、債務急増がいっそう深刻なアジア諸国と比較して、国際機関の構造改革を受け入れていたフィリピンのアジア通貨危機の悪影響は大きくないこと、(4)1990年代中期からの経済成長が目ざましいこと、(5)外国投資の受入急増、民間活力を導入してのインフラ整備が進展していること、が指摘でき、これをふまえれば貸付条件の緩和は必要ないともいえる。'

(3) ODAによる経済インフラ整備の妥当性

 インフラのもたらす大きな外部効果、フィリピン政府の財源不足に注目すればODAによって経済インフラの整備を進めることはODAの重点項目となっても良いが、同じインフラでも、人材育成等、社会インフラの整備に伴う外部効果も重要である。また、フィリピンは経済発展が目ざましく、フィリピン政府も教育を中心に社会インフラ整備に熱心である。他方で援助国の多くは資金量が限られており、大規模な経済インフラ供給への支援が行えないという事情もある。こうした理由から援助国の多くは社会インフラを重視し、これに食糧援助、緊急援助を加えたBHN支援は1995年に米国、ドイツ、フランス、英国、スウェーデンで50%を超え、経済インフラ支援を遥かに上回っている。もちろん、欧米諸国のODAがBHN支援を中心にしているのは、人道的支援に注力していることに加え、資金量が限られており、大規模な経済インフラ供給への支援が行えないことも理由であろう。

 従って、日本がODAの分野別の重点配分を経済インフラに置いていることが誤りであるとは必ずしもいえない。これは、第一に援助受取国のインフラ整備の水準と1人当たり所得水準が異なるからである。各国の重点援助国をみると米国は戦略的重要性からエジプト、イスラエルなど中東諸国を、フランスは旧植民地 のフランス語、フランス文化維持のためのニューカレドニア、仏領ポリネシア、コートジボワールなどを、ドイツは欧州での影響力維持のためのトルコ、旧ユーゴを支援しているが、日本は政治経済関係の強化を狙ってアジアを重視している。つまり、DAC平均でみればアフリカ諸国や紛争国がODA支援の対象となっているが、日本の場合は1997年通貨危機以来、減速したとはいえ、順調に経済発展を遂げているアジアが重点地域であるという違いがある。特に、フィリピンは1990~1995年までのODA累計額はインドネシア、中国についで第3位であり日本の最重点援助国といってもよい。つまり、経済が低迷していたり、社会インフラの整備が緊急の課題となっているアフリカ諸国や紛争国とは異なり、アジアの成長国がODAの地域的配分の上で重視されているのであって、国毎にODAが必要とされる分野は異なる。つまり、アジアでは既に社会インフラが一定程度整備され、各国政府も財政支援を社会サービスにおいており、経済発展のボトルネックは運輸、通信、エネルギーなどの経済インフラにあるともいえ、ODAの重点を経済インフラに置くことにも意味がある。特に我が国は、贈与ではなく借款によって経済インフラ整備を支援しているのであるから、経済成長国のフィリピンに対して相応の条件で援助をしているといえる。

 第二に、他の援助国との援助分野のバランスの問題である。成長国であるから、経済インフラ整備は民活を導入しつつ、自国で行うべきであるという主張も成り立つ。しかし、経済インフラのニーズを民活や国内資金のみで賄うことは不可能であり、他の援助国が経済インフラヘのODAを行わない状況では、我が国が引き続きODAによって経済インフラ整備を行うことが、妥当であるとも考えられる。フィリピンの場合、ODA受取額の62.8%が日本の援助であるが、残りの米国、オーストラリア、カナダなども援助は社会インフラ、緊急援助などが多く、経済インフラ整備はほとんど実施していない。したがって、フィリピン側からみれば、経済インフラ整備は日本によって、社会インフラその他は他国によって支援を受けているのであって、一国のODAの分野別配分の上で経済インフラが過大であるとはいえなくなる。つまり、対フィリピンODAの国別評価の際にも、我が国のODA配分だけに注目するのではなく、フィリピンの歳出はもちろん他国のODA配分とのバランスを踏まえて検討すべきであろう。

 第三にフィリピンについては、運輸、エネルギーの経済インフラが未整備であることが、生産要素の投入、物資流通、外資導入、消費拡大を制約していると考えられ、このボトルネックを解消することが課題とされる。

 以上のように、成長している低所得開発途上国フィリピンに関しては、政府が社会サービスを歳出の重点とし、大半の援助国は経済インフラ整備よりも社会インフラ整備を支援にしている。したがって、日本は対フィリピンのODA分野別配分にあって経済インフラ整備に重点をおいても良いと考えられる。


表4-1 陸上運輸関連のインフラの推移

(単位:長さはキロメートル)

  1998 1990 1992 1994 1996
 国道延長
 コンクリート
 アスファルト
 橋梁
 全長
26.070
 6.215
 5.875
 6.928
 235.5
26.272
 6.731
 6.011
 7.201
 235.5
26.554
 7.250
 6.379
 7.031
 250.2
26.659
 7.447
 6.375
 7.112
 255.3
27,369
 8,349
 6,806
 7,347
 261.0
注:国道延長には砂利道、未舗装道路を含む。
出所:1997 Philippine Statistical Yearbook, National Statistical Coordination Board,1997,tables 13.13,13.14より
作成。


表4-2 自動車保有台数の推移

(単位:万台)

  1998 1990 1992 1994 1996
 総数
 乗用車
 ジプニー
 バス
 トラック
 NCR比率(%)
127.0
 36,2
 47,2
  1.5
 10,6
  -
162.0
 45,5
 61,6
  1.8
 13.1
  -
188.0
 48,4
 74,4
  2.6
  14,7
 42,5
234.1
 57,3
 91.3
  2.8
 18,0
 41,6
290.4
 70.0
110.0
  2.9
 22.0
 40.9
注:総数にはトライシクル、トレーラー他を含む。NCR比率は全国に対するメトロマニラの自動車数の比率(%)。
出所:1997 Philippine Statistical Yearbook, National Statistical Coordinadon Board, 1997, tables 13.14より作成。


4.1.2 経済インフラの分野別評価

(1) 道路・橋梁

 フィリピンの国道をみると、敷設距離は1981年2万3,489キロメートルで、1988年2万6,071キロメートル、1996年2万7,369キロメートルと15年間で年平均1.02%増に過ぎないが、舗装率は1981年と19961年でアスファルトは20.9%から24.9%に、コンクリートは22.7%から30.5%に上昇し、道路の舗装率は大きく向上している(表4-1参照)。他方、自動車の保有台数は1981年99万700台、1988年127万480台、1996年290万4,500台と年7.43%で増加し、道路敷設距離に対する自動車保有台数は急速に悪化している(表4-2参照)。特に全国の自動車の保有台数の40.9%がメトロマニラの保有になるが、これは全国人口に対するメトロマニラの人口比率の13.8%よりも遥かに高く、メトロマニラの人口集中をふまえても、自動車保有台数は過剰である。つまり、メトロマニラの交通渋滞は増加する車の数に道路整備が追いつかないことが要因である。

 フィリピンの運輸へのODA供与額は、形態別にみると無償資金協力としては、地方橋梁の建設が大半である。一方、円借款の対象となる幹線道路網整備、メトロマニラの環状線や立体交差点(インターチェンジ)、幹線橋梁の建設が金額の上では大きい。そこで、供与額の上で運輸に対する円借款が中核を成すものの、1996年度の対フィリピン国際協力事業団の分野別実績でも運輸交通は16%を占め、日本からフィリピンヘの専門家の累計派遣人数もその16.6%が運輸向けである。

 1998年3月に視察対象ともなったメトロマニラ立体交差点は、信号式交差点やロータリーが引き起こす交通渋滞を解消するために、円借款で整備されている。今後は、貸付条件の緩さ、交通整備の役割分担があるとしても、案件によっては十分に経験を積んだフィリピン側が自ら立体交差点を建設することを検討すべき 時期にきていると思われ、これがフィリピン側の自立発展性を促すごとにもつながるであろう。他方で技術移転や比国企業のノウハウ取得の観点からより高度な技術を要する立体交差を中心に協力を行っていくことも考えられる。

 橋梁は、設置数では1981年の8,599ヶ所から1996年の7,347ヶ所へと減少しているが橋梁敷設直線距離は224キロメートルから261キロメートルヘと15年間で16.3%増加した。つまり、橋梁の大型化が窺われるが、敷設が大幅に進んでいるとはいえない。もちろん、道路と橋梁は一体となって交通ネットワークを形成するから橋梁だけを整備しても意味がないが、立体交差点と同様に結節点として橋梁は重要で、今後もODAによって整備を進めて行くべきであろう。

 フィリピンにおける道路・橋梁整備の問題は、経済の中心たるルソン島の南北ルートは日比友好道路を幹線として整備が進み、レイテ島とサマール島の大連絡橋などもマルコス政権時代に完成しているが、東西を結ぶルートは未整備で、OECFでも、東西を連結する幹線道路と島喚周遊道路の整備が課題として挙げられている。そこで、今後の道路案件は改善されると思われるが、南北ルートを基幹として、そこに東西ルートを結びつける場合、かつての「マルコス疑惑」のように、一部政界の不正蓄財と受注業者の不正受注といった不要な概念を招かないように、ODAと事業計画に関する情報を事後的に公開するよう配慮しなくてはならない。また、島嶼周回道路は、日本の離島や半島部の周回道路と同じ発想と思われるが、フィリピンは国内海運が盛んな群島国家であり、漁船や小型船を使用した貨客輸送が広まっている地域では、周回道路の費用・便益比率は低い場合もあろう。いずれにせよ、周回道路整備を含め、道路案件採択にあたっては、交通量や他の代替手段と比較衡量、経済的内部収益率から、引き続き事業の実施の妥当性を検討していく必要がある。

 第二の問題は、フィリピンでは公共事業への民活導入が進行中で、BOT方式でバタンガス市郊外の地方道路の建設も計画されている。したがって、ODAの対象として強化すべきは、民間ベースに乗らないような辺地の地方道路や村落道路であると考えられる。地方道路については、我が国も対フィリピンのODAで重視しているが、村落道路のような案件は小規模な「草の根無償」の対象ともいえる。実際、OECFでもレベルの異なる道路の機能差化を課題としているが、これにはバランガイ・レベルで地方道路と連絡すること、島嶼周回道路の一部が含まれよう。そしてこれに加えて、水上交通によって交通手段を確保しているバランガイと内陸のバランガイを結ぶような村落道路が検討されるべきであろう。また、草の根の無償では分野別配分では分類不能とされてしまうから、小規模インフラで地域住民が受益者となるインフラを「草の根インフラ」とし、新たに分類することもできよう。貧困解消、地域格差の是正のために、小規模なインフラ整備を目的としたセクターローン等の実施を今後も支援していく必要性が高まっている。

 第三の問題は、援助実施後の維持管理体制、特に維持管理予算が不十分なことで、これもOECFが指摘している。つまり、長期にわたってODAを同じ案件に供与することは、自立発展性の観点から望ましくなく、現地の管理維持体制を整備する人材、機材の充実が求められる。また、自動車輸送が急増する中で、トラックやジプニーの過剰積載が一般化しているが、この取り締まりは財源不足から困難である。そして、道路建設と連関して治水、治山が行われなくてはならないが、これらへの配慮は道路建設自体よりもいっそうの技術的困難を伴う。したがって、プロジェクトの妥当性を評価する場合、このような管理維持体制、道路環境といった広範囲の分野にも配慮がされなくてはならない。

 そこで、この対策としては、中央での管理維持というよりも、財源を手当し、マンパワーを育成した上で、地方自治体への権限を強化し、分権化をすすめることが考えられる。そして、分権化を有効に進めるためには、情報公開を行いつつ案件の計画段階から地方自治体や地元NGO、住民の開発への参加を促進しなくてはならないであろう。

(2) 鉄道

 フィリピンでも陸上交通は自動車以外に、鉄道によっても担われているが、その輸送量は乗客、貨物ともに低下している。特に国鉄は1980年の乗客246.6万人、貨物14.2万トンから1995/96年には各々30.0万人、1.4万トンヘと激減し、メトロマニラレイルも乗客は495.8万人から300.7万人へと減少している。他方、メトロマニラの通勤幹線であるLRTの乗客数は1990年の1億2,782万人から1994年の1億4,580万人へと増加している(表4-3参照)。つまり、フィリピンの鉄道利用はメトロマニラの短距離の通勤が中心となっているが、交通渋滞の解消、大量輸送システムの確立、エネルギー効率の向上のために、メトロマニラとその近郊の更なる鉄道整備は欠かせないと考えられる。

 そこで我が国もLRTの輸送網の増強及び拡張をODAによって支援しており、高く評価できる。ただし、メトロマニラと近郊都市を結ぶ鉄道網の計画はなく、今後の案件発掘やコンサルティングが望まれるところである。というのも、現在のフィリピンの経済インフラ整備は、陸上交通に関しては自動車を中心とした輸送を念頭に置いており、これはフィリピン側の技術、ノウハウも蓄積されている。そこで今後は、日本の鉄道に関する技術、ノウハウを活用して、道路整備にかわる新たな大規模プロジェクトとして、鉄道整備が検討されてもよいであろう。

 鉄道整備については、メトロマニラの大量輸送機関として国鉄通勤線のリハビリ、LRTの延長・新線建設を進め、併せてLRT運営の効率化のために、料金引き上げ、駅周辺企業との連携、広告収入の増加を課題として考えられている。さらに、収益性と公共性の調整を図りつつ民活の導入を進めることも考えられる。

 他方、地方の国鉄については、老朽化している路線を復旧し、マニラとビコール地方との連絡を鉄道によって再確保することが進められつつあるが、大量輸送のためにはより需要の見込めるメトロマニラとその周辺との鉄道の敷設が妥当であろう。OECFではマニラ港と南のバタンガス港および北のサンフェルナンド港 の鉄道連絡は用地取得コストの大きさから困難であるとの判断を示している。しかし、道路でも用地買収に多額のコストがかかること、メトロマニラ周辺の交通渋滞と将来のいっそうの自動車保有台数の増加をふまえれば、マニラ近郊では道路整備以上に鉄道のような大量輸送システムを確立しておくことが、将来的に必要である。輸送の高速化、大量化という目標達成のためには、首都圏の道路建設以上に鉄道建設にODAを充当し、民間資本導入の契機を形成すべきであろう。


表4-3 鉄道輸送の推移

(単位:乗客は万人、貨物は千トン)

  1998 1990 1992 1994 1996
国鉄 便数
    乗客
    貨物
メトロマニラレイル
LRT
2,572
 98.5
 57.0
118.2
  -
1,824
 92.8
 32.2
556.1
12,782
 1,335
 46.7
   4.9
 230.3
12,029
  838
  42.6
  12.3
 285.0
14,580
   -
  30.0
   -
  300.7
    -
注:メトロマニラレイル、LRT(Light Rail Transit
出所:1997 Philippine Statistical Yearbook, National Statistical Coordinadon Board, 1997, tables 13.14, 1995 Philippine Statistical Yearbook, National Statistical Coordinadon Board, 1995, tables 19.1, 19.3より作成。


(3) 港湾

 フィリピンは島興国であって、漁業はもちろん、島々を結ぶ貨物、旅客の輸送は主に船舶に依存している。1996年末の港湾数をみると、1,425港のうち漁港は429港(30.1%)、商業港は821港(57.6%)である。もちろん、設備、大きさにもよるが、港湾はメトロマニラだけでなく、南タガログ州、ビサや地方、ミンダナオ地方と全国に万遍なく分布している(表4-4参照)。他方、船舶の登録は、経済の中心をなすメトロマニラが多く、内航船舶トン数(1億5,270万トン)の23.7%、外航(8,924万トン)50.8%はマニラ港に登録されている。したがって、全国に多数の港湾があるといっても、マニラ港を起点とした海運が中心となり、マニラ港の負担急増が懸念され、地域毎に基幹港を整備すべきである。つまり、周辺部はルソン島中部とビサや地方の経済中心のセブ、ミンダナオ島のダバオ、サンボアンガなど地方都市とを結ぶ航路が主要な海運となっており、まずこれらの港湾、海上安全の整備が求められる。実際、船舶隻数、総トン数は1990年代も順調に増加し、貨物・人員の輸送も急増している(表4-5参照)。そこで、港湾の数というよりもその設備を充実し、航行の安全を保証することが早急に必要であろう。増加する船舶輸送に対して港湾の荷揚げ、係船、倉庫などの設備を整備することはもちろん、通信・情報システムや救難システムの整備、さらに地域格差是正のためには港湾、特に商業港を地方に整備することが求められ、これがメトロマニラヘの集中を分散化すること にもつながる。

 我が国の円借款によって整備された港湾は、マニラ以外にも、セブ、ダバオ、バタンガス、イリガン、イロイロ・レガスピなど地方の基幹港がある。はたバタンガス港開発は南タガログ州の開発に有用であるばかりでなく、マニラ港の代替港とも位置づけることができる。バタンガス港は、フェーズIで旅客ターミナルが1998年3月に完成し、フェーズII,III,IVでは、輸出加工区と連関を強め、貨物や国際ターミナルとしての機能充実が計画されており、いっそうの海運の発展が期待される。また、港湾整備と併せて、港湾に通じる道路の整備も実施しており、交通ネットワークの整備も進捗しつつあることは高く評価できる。しかし、この地域をメトロマニラとの連関の中で開発するには、メトロマニラからその郊外までは人員に関して大量輸送システムを併せて準備することが効率性の観点から望まれ、それが環境問題へ対応することにもなる。

 インフラは一点豪華主義では通用せず、連絡、移動等のネットワークを整備することが不可欠である。この意味で、ODA供与にあたっても、ODA案件とフィリピンの投資計画との調整が必要であり、時間的に整合性をもって完工しないと、ボトルネックによって豪華なインフラが無駄になるおそれがある。

 第二に、内陸との連絡道路、通信、エネルギーや水供給など他のインフラの整備が相伴わない限り、港湾だけを整備しても生産への効果が薄いことである。つまり、道路の場合は沿線の交通量の増大、高遠化に寄与できるが、港湾の場合は港湾と港湾を結ぶ海運と同等以上に、港湾と内陸を結ぶ交通への影響が期待される。この意味で、1998年3月に視察したバタンガス港湾整備事業は、数千人を収容できる旅客ターミナルを完成させたが、対岸のミンドロ島との旅客は少なく、これだけを対象としていては過剰設備となってしまう。 貨物ターミナルを早急に整備するとともに、バタンガス港近郊の輸出加工区との陸上交通の一層の連関強化が望まれる。ただし、キャビテ輸出加工区はすでに旧軍港を要しており、今後のバタンガス港利用の需要がどれほど増大するか心配も残っている。また、バタンガス港では、海上交通安全のための通信管制、気象などをつかさどるコントロール・タワーが計画され、タワー自体は完成しているが、内部に設置すべき機材は、9月末に至っても整備されておらず、旅客ターミナルも使用されていない。つまり、航行の安全を保障する情報システムや、貨客の管理・運行に関するソフトの面で今後、充実させるべき点が多い。特に、1998年9月末の海難事故による多数の死傷者をみれば、救命用具などの機材も含めた海上安全が早急に実施されるべきであろう。

 第三に、バタンガス港開発事業では、約200世帯の住民移転が問題になったが、移転先の土地・用水と住宅資材およびその転居のため手段も案件に含めたことは、人権への配慮として高く評価できる。大きな人権侵害の問題を伴うことなく住民移転を成功させたことは、住民への説明や補償が妥当であったことを意味しており、円借款による人権配慮をした開発として注目される。もちろん、住民移転後、住民の雇用機会はバタンガス港での露天(商店地区は整備中)、トライシクル運転手、建設労働者など限られており、住民側の不満はこの雇用機会の乏しさである。これは他の住民も同様であり、フィリピンのマクロ的な問題ともいえる。また、住民の意向として一部のグループは政治的圧力を行使しようとしたり、マスメディアヘの過剰な演出が問題とされた。さらに、住民移転に補償がなされることが広まると、開発地区に不法占拠者が増加するといった補償目当ての人口移動が生じた。このような問題は、人権確保とはトレードオフの側面もあり、それを解消するためには事業に参加する主体を増やして公正な判断を導いていく必要があろう。


表4-4 港湾の種類別・地域別の分布(1996年末)
  総計
 
漁港
 
商業港
私設
 
公設

全国
NCR
南タガログ
中部ビサヤ
北ミンダナオ

1,425
  69
 253
 150
 198
429
  3
 82
 39
 53
490
 62
 49
 59
 50
331
 4
69
42
41
注:NCR(メトロマニラ)以外は港湾の多い3地域を抽出。
出所:1997 Philippine Statistical Yearbook, National Statistical Coordination Board, 1997, tables 13.15より作成。


表4-5 船舶輸送の推移
  1998 1992 1994 1996

船舶(隻)
紙トン数(万トン)
内航貨物(万トン)
外航貨物(万トン)
乗客数(万人)

151,072
14,954.9
5,240.5
4,094.4
2,794.9
 82,377
16,723.6
 6,184.6
 4,899.0
 3,373.5
215,416
21,035.7
 7,110.8
 5,269.9
 4,044.5
229,410
24,193.3
 7,195.6
 6,751.7
 4,004.3
注:貨物は港湾の積み降ろしベースで、一時取扱いを除く。乗客は乗船者と下船者の合計。
出所:1997 Philippine Statistical Yearbook, National Statistical Coordinadon Board, 1997, table 13.5, 13.6より作成。


(4) 空港  

フィリピンの空港の数は1981年の205ヶ所から1996年の266ヶ所に15年間で29.8%増加したが,その内訳は国営飛行場が85ヶ所から86ケ所に、私設飛行場が120ヶ所から180ヶ所となっており、大規模な国営飛行場は少なく、その設置箇所も増えてはいない(表4-6参照)。しかし、空港の滑走路、ターミナル、通信設備は大幅に整備が進んでおり、空港の設置数だけで判断することはできない。実際、マニラ国際空港(現ニノイ・ア キノ空港)の国際線の発着便数は1981年の2万564便から1996年の4万3,521便に2.1倍増加している。また、国内線の飛行距離、輸送量も航空機の大型化、増便によって大幅に増加している。したがって、航空輸送も拡大しているから、それに見合って既存の空港を拡張、整備することが求められている。日本も、マニラ国際空港はもちろん、サンボアンガ空港など地方の空区の整備を進めており、地域格差の是正や増大する航空輸送の需要に対応するためにも空港整備のODAは高く評価できる。

 また、島唄国の特徴をふまえれば、航空は重要な交通手段であるが、コストの面ではビジネスマンや公務員の幹部の移動はともかく、乗客、貨物の多くは海運に依存する方が効率的である。つまり、日本の1人当たりGNPの5%に過ぎないフィリピンにあって、機会費用は小さく、時間短縮の便益は日本よりも大幅に小さい。利用料金引き上げは航空輸送の需要量を減少させる。つまり、航空交通、特に貨物輸送は水上交通にとってかわることはできない。また、船舶は航空機よりもエネルギー効率が高く、化石燃料の輸入を節約することにもつながる。したがって、適正料金体系を作り、事業主体の民営化を図るためには、航空輸送の拡大への対応(空港の拡張など)はフィリピン側に任せ、ODA支援は航空機の運行安全のために、通信や気象予報関連の事業に充当した方が妥当であろう。ところで、1998年9月末には、フィリピン航空廃業が話題になったが、民営化や規制緩和を進めるとしても、それに伴う混乱を最小化するように配慮しないと、運輸システムは不完全にしか機能しなくなる。この意味で、国営企業の民営化、規制緩和に関するソフトなODAが検討されても良いであろう。


表4-6空港との利用状況の推移
  1980 1988 1990 1992 1994 1996
 空港総数
  国設
 マニラ空港
  国際便数
  利用客(万人)
  206
   86

20,564
 261.7
 180
  86

22,267
 395.3
 219
  86

25,243
 436.7
 216
  86

29,874
 523.6
 300
  86

35,702
 611.6
 266
 866

43,512
 729.7
注:空港総数には私設空港を含む。マニラ空港の利用客は国際便のみ記載。
出所:1997 Philippine Statistical Yearbook, National Statistical Coordination Board, 1997, tables 13.11, 13.12より作成。


(5) エネルギー

 エネルギー供給は電力を念頭に置いているが、発電方式はフィリピンの場合、石油火力発電が中心となり、これに地熱発電、水力発電が次いでいる。また石炭火力発電は1994年までの低迷していたが、1995/96年は増設によって大幅に発電能力を増加させている(表4-7参照)。そこで、停電の頻発といった1990年代初期のエネルギー不足は概ね解消され電力の安定供給という目標は達成されつつある。しかし、電力需要は産業、商業、住居の各部門で増加しており、特に住居の電力需要は生活水準の向上にともなって急速に増えている(表4-8参照)。そこで発電と送配電の効率化に努めるとともに、時間別料金制度の導入などによってピーク時の電力需要量を抑制したり、国営電力会社の分割民営一化、小規模な配電会社・組合の統合も検討されている。したがって、価格インセンティブを活用し、効率性を高めようという市場適合的政策として評価できる。OECFでもこれらの課題を指摘し、併せて国産ないし非化石燃料のエネルギーを開発する援助を実施している。

 ここでエネルギー源はフィリピン国内では石炭、石油も算出するが、その供給は需要を満たすには不十分であり、豊富な降水量を利用した水力発電と地熱を利用した発電が国内自給エネルギーとして期待されている。特に地熱発電は、1996年の発電量の26.6%にまで達しているのであって、フィリピンの地熱発電は、米国、ニュージーランド、アイスランドと並んで世界的にも発電量が多い。こうして、地熱は国内供給が可能であるから、エネルギー輸入のための外貨を節約できるのである。また、自然界エネルギーであるため、発電自体には化石燃料の燃焼を伴わずCO2、や硫黄酸化物の自然噴出も僅かであり、環境調和的エネルギーとしても位置づけられる。

 もっとも、火力発電に関しては、日本では硫黄酸化物と窒素酸化物の排出規制を遵守するためには煤煙集塵機、脱硫装置、脱硝装置を設置するところであるが、フィリピンでは環境法の観点からはともかく、運営上、必ずしもこのような大型で高価な公害防止装置の設置がなされてきたわけではない。例えば輸銀の融資を通じて建設を支援したバタンガス州カラカ石炭火力発電所のケースでは、発電所からの煤煙や硫黄酸化物は住民の健康に支障がでるほどとなり、大気汚染を広めることとなった。

 OECFでは以前よりプロジェクト審査の一要素として環境面でのチェックを行ってきたが、現在では、環境ガイドラインを設けて、援助国の環境保全に配慮するようにしている。また、1997年の「21世紀に向けた環境開発支援構想」(ISD)の行動計画の中に、ODAを中心とした我が国の国際環境協力として、(1)大気汚染・水質汚濁・廃棄物対策、(2)地球温暖化対策、(3)自然環境保全・植林、(4)浄水場・上下水道・井戸の整備、(5)環境意識の向上、を掲げている。つまり、火力発電所の建設についても、公害防止装置の設置を積極的に進める方向にある。そして、OECFもカラカ石炭火力発電所の環境改善や環境測定機材の整備を進めている。

 また、エネルギー政策のグランド・デザインとしては、自然界エネルギーの開発が求められるが、フィリピンの地熱発電所は我が国のODA支援をうけて、発電量は1986年の894メガワットから1996年の2,971メガワットと10年間で3.3倍以上の伸びを示し全体の伸びの1.7倍を大幅に上回った(表4-7参照)。つまり、日本のODAによって環境調和的なエネルギーの開発が進んだのである。たしかに、フィリピンの国内事情からみると、環境への配慮というよりも、外貨節約、自給エネルギーの開発の観点から地熱発電所が建設されているともいえる。しかし、フィリピン側の意図はどうであれ、クリーンネルギーの開発が日本のODAによって推進されることは、環境保全の観点からも望ましい。また、ネグロス島、レイテ島の地熱発電所の電力をセブ島、パナイ島、ボホール島へも供給するように送電線を整備するなど島嶼間のエネルギー供給・融通にも円借款を供与しており、系統的な送電にも寄与している。

 しかしながら、電化については地域格差が依然として大きな課題である。1996年末の電化率は全国平均で市町村レベルで98%で、州別には最高は中部ルソン、西・中央ビサヤ、西・北ミンダナオの100%、最低はムスリム自治区の93%で格差は小さい。しかし、バランガイのレベルの電化率は全国平均68%と低く、最高の中部ルソンの94%と西ミンダナオ48%、ムスリム自治区36%と地域格差が著しく大きい(表4-9参照)。つまり、地方のバランガイの電化率は都市に比較して大幅に低く、我が国のODAは都市貧困層を対象とした電化には大きく貢献しているものの、依然として村落の電化が大きな課題として残っている。

 そこで、ODAの目標ともなっている貧困解消、地域格差の是正のためには、バランガイのレベルの電化率向上が求められるが、これは発電所の建設だけで達成することはできない。送電の整備や地域の電化プロジェクトが不可欠である。また、バランガイの電化促進のためにフィリピン政府による村落開発が何よりも重要であるが、その自助努力を促す我が国のODAが検討されてもよいであろう。つまり、運輸の場合と同じく、エネルギーにあっても草の根インフラの整備が必要になると考えられる。

 環境調和型のエネルギーとしても、地熱発電所を支援する円借款は評価できるが、自然界エネルギーの問題は、発電コストで、コスト負担が多ければ、利用料金の高額化、エネルギー原単位の上昇を招いてしまい、経済効率は悪くなる。しかし、設備設置のコスト、設備耐用年数、輸入エネルギー価格、為替レートに一定の仮定を設ければ、地熱発電の発電コストは火力、水力に比してほぼ同水準であり、効率的なエネルギーである。したがって、我が国のODAによって地熱発電所を支援することはフィリピンの国産エネルギーの開発、効率的発電、環境との調和という観点から望ましいと考えられる。つまり、従来、雇用、生産への効果や効率性の観点から経済発展に有効であるとされた経済インフラ整備のなかにも、環境保全の観点から評価することができる部門も出てきたのである。また、バイオマス・エネルギーとして、廃棄される農産物の殻、カスを利用した発電も検討されているが、このようなバイオマス発電は村落レベルでの小規模発電として利用可能であろう。つまり、効率性の観点からは大規模火力発電に劣ってはいても、環境と辺地の民生向上の観点から妥当と考えられる。実際、フィリピン政府が民活によって発電所の建設を進めようとしている現状では、草の根のインフラのようなバイオマス発電やゴミ発電といった環境配慮のエネルギー支援が日本のノウハウ、技術を活用できる分野であり、早急に援助を実施することが望まれる。

 ここで注目されることは、1998年3月に視察したバリンピノン地熱発電所では、電力販売収人の一定比率を、地方自治体へ支払うだけでなく、バランガイの電化、発電施設の点在する山居地の道路補修、その沿線の植林に充当していることである。こうした電力販売収入の一定比率の積立は法律によって発電業者に課された義務であるが、開発事業者が自ら持続可能な開発を推進していることは高く評価される。


表4-7発電能力の推移

(単位:メガワット)

  1986 1988 1990 1992 1994 1996
 総計
 石炭
 石油
 水力
 地熱
6.503
 530
2,741
2,147
 894
6.640
 525
2,915
2,139
 894
6.869
 525
3,136
2,153
 888
6.695
 405
3,145
2,257
 888
9.212
 550
5,335
2,254
1,073
11,190
1,600
4,319
2,300
2,971
出所:1997 Philippine Stadstical Yearbook, National Statistical Coordination Board, 1997, tables 14.6より作成。


表4-8 電力需要の部門別推移

(単位:百万キロワット時)

  1986 1988 1990 1992 1994 1996
 総計
 住居
 商業
 産業
21,797
 3,536
 2,927
 5,843
24,539
 5,105
 3,978
 8,566
25,245
 5,950
 4,821
 8,982
25,870
 5,988
 4,931
 8,646
30,465
 7,282
 5,865
10,684
36,686
 9,105
 7,150
11,685
注:総計には損失その他を含む。
出所:1997 Philippine Statistical Yearbook, National Statistical Coordination Board, 1997, tables 13.11, 13.12より作成。


表4-9 地域別電化率(1996年)

  市町村 バランガイ
全国

 中部ルソン

 南タガログ

 ビゴール

 中部ビサヤ

西部ミンダナオ
ムスリム
自治区
総数
(カ所)

1,345

  91
       141
       112
       121

  79

  71
電化率
(%)

  98

 100

  99

  96

 100

 100

  93
総数
(カ所)

34,290

 2,065

 3,446

 3,380

 2,717

 2,100

 2,121
電化率
(%)

  68

  94

  73

  68

  72

  48

  36
注:12地域から電化率の高い地域と低い地域を抽出。
出所:1997 Philippine Statistical Yearbook, National Statistical Coordination Board, 1997, tables 14.8より作成。


(6) 通信

 フィリピンのような群島国家にあっては、都市と地方、地方と地方の海運、陸上交通以外にも通信によってコミュニケーションを確保することが重要である。そこで、無線通信施設の設置箇所は1987年の2万8,117局から1996年の16万2,713局へと9年間で5.8倍にも増加した(表4-10参照)。また、電話回線も1995年187.7万回線、1996年335.2万回線と1年で1.8倍もの増加をみている。もちろん、電話回線の半分以上はメトロマニラに集中しているが、その比率は、1995年の60.2%から1996年には57.8%へと低下しており、地方での通信整備も進捗しつつあることが窺われる(表4-11参照)。


表4-10 無線通信施設の推移

(単位:ヶ所)

  1988 1990 1992 1994 1996
 総数
  政府
  民間
   ラジオ局
   テレビ局
   航空通信
   船舶通信
  31,587
   2,015
  29,572
    389
      42
    472
   2,269
 53,725
  2,543
 51,182
   560
    43
   497
 2,774
 82,592
  3,771
 78,821
   426
    64
   503
  3,337
113,633
  6,883
106,750
   472
    63
   509
  3,788
162,713
 15,703
147,010
   510
    59
  516
 3,599
注:軍用通信を除く。
出所:1997 Philippine Statistical Yearbook, National Statistical Coordination Board, 1997, tables 13.6より作成。


表4-11 電話の地域別分布
  回線数 (万カ所) 交換施設 (カ所)

 総数
 NCR
中部ルソン
南タガログ
中部ビサヤ
1995
187.7
113.0
 13.0
 18.3
 10.5
1996
335.3
193.7
 23.4
 38.0
 12.1
1995
601
 73
 80
106
 28
1996
741
 70
106
108
 36
注:軍用通信を除く。
出所:1997 Philippine Statistical Yearbook, National Statistical Coordination Board, 1997, tables 13.17より作成。


 しかし、このような通信整備は日本のODAというよりも、外資を含めた民活導入によって推進されているのであって、その意味で、民間に任せることができる分野に対して、公的資金であるODAをどのように活用するかが課題となる。一般的に、公的資金は民活導入のための呼び水、触媒と位置づけることができるが、通信のように技術革新が急速に進み、リスクも低下した分野では公的資金は民間投資を抑制する効果が強いとも考えられる。したがって、我が国が国内の通信整備にODAを積極的に供与する必要はないであろ う。

 実際、円借款では地方通信私設整備事業を北部ルソンで進め、沿岸無線、気象通信網の整備も行っている。その意味で、地方の通信改善に我国のODAは寄与していると評価できる。しかし、通信分野でも大幅な規制緩和から民活導入が進展し、競争が重視されていることをふまえると、収益性の低い農村や過疎地などの通信整備が取り残される可能性があり、これらの地域への通信整備に対して援助をいっそう重視すべきであろう。


4.1.3 経済インフラ支援の改善

(1) 民間活力の導入との整合性

 DAC諸国のODAの分野別配分をみると、1975~76年平均では社会インフラ20.1%、経済インフラ10.2%、生産セクター21.8%で、教育、医療・衛生および農業のためのインフラが重視され、経済インフラは食糧援助(13.1%)よりも少ない。そして1993~94年平均でも各々26.2%、20.4%、10.4%と依然として経済インフラヘの支援は社会インフラよりも少ないままである。ここで1975~76年と比較して1993~94年に経済インフラヘのODA配分上昇の背景は、我が国もODAの大幅な増額がある。日本のODAの分野別配分は伝統的に経済インフラの比率が高く、そのODA増額がDAC平均の経済インフラヘのODA配分を上昇させたのである。つまり、日本のODAの経済インフラヘの配分は1975~76年36.6%、1993~94年39.3%とDAC諸国の中では群を抜いて高い。そして、フィリピンヘのODAの分野別配分も経済インフラが重視されており、他国が社会インフラを支援しているのとは対照的である。

 他方、インフラヘの民活導入は、外資への市場開放、外国投資受け入れによって急速に進んでいる。フィリピンの場合、エネルギー関連分野への外国からの直接投資の受入額は1994年には217億ペソと製造業への直接投資の64.2%に相当し、バタンガス州、ハンガシナン州の石炭火力発電所の建設など、経済インフラ整備が進んだのである。ODAは民間活力との補完関係を念願しておきつつ、民間企業の呼び水、触媒としての機能を含め、ODAの支援対象を検討していくいくことが適当と思われる。


表4-12 直接投資の部門別受入額

(単位:100万ペソ)

  1993 1994 1995 19961年1~6月
 総計
 工業
 製造業
 観光
 エネルギー
 インフラ
 公益事業
14,415
  201
 9,039
  114
 4,835
   0
   32
62,725
  476
33,875
 2,213
21,741
  725
 3,483
48,112
  537
33,874
 2,368
  898
  893
 9,188
12,148
  425
 5,704
 1,680
  177
  578
 3,530
注:エネルギーは石炭火力発電所、インフラは空港、鉄道、公益事業は電話回線敷設などで、総計には農業その他を含む。1996年は1~6月までの半年。
出所:世界情報サービス『ARCレポートフィリピン』1998年pp.40~42[原資料:BOI]より作成。


(2) 「経済インフラ整備」の広報活動

 近年、我が国では生活者重視の視点が強調されるようになったが、これはフィリピンなど開発途上国に対するODA供与の問題にも影響している。日本では住民の生活改善に寄与できる公共事業として、住宅、公園、上下水道の整備など社会インフラを重視すべきであるとの主張が高まっている。たしかに、四国に連絡橋を3ヶ所も架設し、工業・通勤のための利用可能性も少ない東京湾横断道路を設置することは、建設自体が目的で、その利用の効果はコストに見合っていない。また、漁業後継者のいない漁港の整備、利用の見込みの無い国際港湾の整備、離島の一周道路建設、過疎地域の道路でのガードレール設置などは費用・便益分析からみて効率性は低い。そして林道建設による環境破壊も指摘される。したがって、経済インフラに関する情報を広く公開して透明性、効率性を向上させるとともに、より重視すべきは社会インフラであるとの認識が広まっている。

 このような認識の広まりは、我が国のODA供与についても影響せざるをえないと考えている。フィリピンの貧困をふまえれば、現地で生活している住民にとって必要なものは、まずは衣食住、教育といったBHNの充足であり、病院、学校、水道を整備し、住民の技術や教育水準を向上し、自立できるだけの能力を養成することが重要であると思われる。しかし、貧困問題への対応としてそれだけでは不十分であり、所得を向上させるため、雇用確保、市場整備等に関連し、インフラの整備(特に農村インフラ)の役割も重要である。

 フィリピンに限らないが、ODAの大半を占める経済インフラ整備に関して、援助国市民に受入れ易い情報は少なく、情報を公開してもそれに対する市民の関心は余り高くないのではないかと懸念される。したがって、案件の詳細な計画、受注企業などに関する情報を第三者も含めた専門家に公開することで、公正な、透明度の高い援助(※4)を行うことが重要である。第二に、援助受入側のフィリピンでも経済インフラの利益は外部経済として広範囲に拡散してしまうことが多く、日本への感謝の気持ちを引き出すことは困難である。また、我が国の円借款は多くをアンタイドとしており、日本企業の受注実績は1990~1996年で31~46%と半数に満たない。つまり、インフラの工事は開発途上国や日本以外の先進国が請け負う割合が多く、日本の資金援助であることが現地の住民に伝わっているとはいえない。そこで、援助受入国市民に対して日本の援助であることを示すことは日本の国威発揚といった利己的なインセンティブ以外にも意味がある。これは、案件の効果や改善に関する情報や意見をフィードバックする「参加型の開発」に結びつくからである。広報の方法としては、地元のマスメディアを利用したり、機材や完成した経済インフラにシールやパネルを設置し日本のODAによって整備したことを明示することである。もっとも、ODAの受益者の視点からは誰の援助かは重要ではない場合が多いから、フィードバックを行う潤滑油として日本の援助であることを示すことが求められるのであって、案件に関する情報を、地方自治体、NGO、住民などに広く公開することが、いっそう重要である。参加と情報公開の範囲をいかに広げて行くかが課題となろう。


※4 ODAの透明性・効率性の向上に向け、既に応札企業名、応札額、落札企業名等を事後に公開することとしている(外務省)。



4.2 産業構造の再編成と農業開発に対する支援

4.2.1 産業構造の再編成に対する支援

(1) 輸出競争力の強化

 フィリピンは長くわが国の主要な援助受取国であった。1957年の賠償協定にもとづく5.5億ドルの賠償支払いを資金協力に含めることはおかしいが、1954年以来、多額の有償無償の開発援助を供与して来た。とくに1960年代末からはアメリカ合衆国を上回る援助が続いている。日本の援助受取国としての順位もつねに上位3~5カ国のうちにあった。この事実がフィリピン人に広く認識されるようになったのは1980年代に入ってからだったようだ。

 しかし、鉱工業分野への開発協力は大きなものではなく、1954~95年の間の実績はプロジェクト方式技術協力で10%、無償資金協力で2%、有償資金協力で2%にすぎず、産業都門の開発は主として外国からの投資によって進められてきた。

 ともあれ、独立後のフィリピンの工業化の進展は著しかった。いま、製造業は国内総生産の24%、就業人口の10%、輸出額の86%を占めている(1996年)。かってのココナッツ関連産品・砂糖・木材・銅精鉱などをはじめとした一次産品中心の輸出品の構成は大きく変化し、非伝統的輸出品目とよばれる繊維製品や靴が増え、さらに半導体など電子機器部品・精密機械・自動車部品などが急速に増大している。

 賠償担保の借款によって建設されたマハルリカ・ハイウエーなどの道路網が国内の物資輸送条件を改善したし、バタンガス港の建設によってマニラの港湾キャパシティの隘路の打開やガルバルソン工業団地群のための輸送の円滑化が計られている。

 だが、フィリピンは1980年代以来、経済危機を繰り返し経験し、さらに度重なる天災がそれに追い打ちをかけてきた。とりわけ、1990年代前半にはいちじるしい経済不振に悩み、世界の成長センターとされた東アジア・東南アジアの諸国のなかで、「病人」とまで呼ばれるほどの状況にあった。1990年代半ばからは国内の反政府運動との和解や電力分野での民活導入などが進むなかで、ようやく経済の回復基調を取り戻しつつある。

 産業の開発のためには輸出の促進が必要であるが、輸入代替から輸出志向への転換が遅れたため、他のアジア諸国に比べても、国内産業保護に甘やかされた大企業が多く、賃金水準は低いのに高コストの産業が多い。中小企業の生産性の向上が必要とされている。とくに農業の生産性を高め、工業部門との連携を強化する方策が大事であろう。これまで遅れていた金融部門の自由化も近年ようやく進みだした。だが、労働集約型の産業に甘んじるだけではなく、国際競争力を強化するために、技術移転をすすめ、高付加価値部門の育成に努める必要があろう。産業分野へのわが国の協力もこの点を重視したものでなければならない。

(2) 工業製品の規格化

 世界の経済の国際化の進展は目覚ましいが、とりわけ、近年のアジア域内の経済交流が急速に拡大し、部品資材が国境を越えて流れているが、それは標準化を緊急な課題としている。フィリピンの標準化行政のスタートはアジアとしてかなり早く、1916年には物品規格委員会が設けられていた。さらにその後、商務局規格部が、森林局やバージニア・タバコ庁(現在のフィリピン・タバコ庁:PTA)の協力をえて、規格の分野を担当した。1964年に商務産業省に規格局が設けられ、1968年には国際標準機構の正メンバーとなっている。

 このように行政レベルの建前は整っていたとはいえ、1950年代から輸入代替工業化がある程度の進展を見せても、工業規格は事実上ほとんど普及していなかったといってよい。その後、国内市場の製品需要が増大し、さらに輸出志向型の生産が拡大していっても、規格化の問題は長く製品の品質向上と消費者の安全の両面で課題として残り続けた。アメリカや日本からの進出企業はすべて自らの負担において企業内の標準化に頼らざるを得ない状況が長かった。

 1992年の消費者法によって、現在は、保健省(薬品・化粧品など)、農業省(農産物)、貿易産業省(その他の製品)の3省が標準化の推進を担当している。この貿易産業省製品規格局では標準開発、標準情報サービス、製品証明付与、テスト、訓練、広報、国際計画推進などが実施されている。

(3) 工業標準化・電気試験技術協力事業

 今回の現地調査においては、輸出競争力向上の前提となる規格化と製品検査の分野でのプロジェクト方式技術協力「工業標準化・電気試験技術協力事業」を見ることができた。

 近年の経済の国際化のなかでのフィリピンの電気製品の信頼性を高めるために、品質向上の目覚しかった日本の技術を取り入れることが、1989年から企画された。フィリピンは、戦前から日本の安価な工業製品を輸入していたので、「本国もの(stateside)」と呼ばれたアメリカ製品と対比して日本製品を評価し、長く「安かろう、悪かろう」の固定観が支配していた国であっただけに、1960年頃から日本の工業製品の品質の上昇ぶりに強い関心が芽生えていた。

 近年、国内で家電製品の生産が普及しつつあるが、国内需要者の安全のため、輸出振興のため、そして輸入品との競争のため、製品の品質向上は緊急の課題となっている。しかし、フィリピンでは十分な措置が講じられていなかったうえ、他の援助国や国際機関においてもこの分野での技術協力はほとんど進められていない。その意味できわめて注目すべき協力案件であると言ってよい。

 実際、この協力事業が実施されるまでは製品規格局の試験所の設備は貧弱で民間電気メーカーのラボを借りることもしばしばであったし、規格認定に長い時日を要するのが常であったという。この「工業標準化・電気試験技術協力」は、日本の協力によって1990年に策定されたところの、工業標準化・製品検査・規格開発・製品認証のために試験・検査の制度設備などの改善拡充を推進するためのマスタープランにもとづいて始められた貿易産業省製品規格局に対するプロジェクト方式の技術協力である。1992~97年の4年間、まずフェーズ1として、中期標準化計画の策定、および電気製品試験所の拡充による製品規格試験の充実が実施され、1999年4月からフェーズ2にあたる「電気・電子製品試験技術協力事業」が開始される予定である。

 まず、電線・ケーブル、蛍光管・電灯などの照明器具、スウィッチ・サーキットブレーカー・スターター・安定器などの配線器具などを検査して、製品規格マークの刷込を認可している。海外からの輸入品の場合もこの検査を通らないと市場に出せないことになっている。

 試験所には国内の家電業者によって電線・電球・蛍光管などの電気製品が持ち込まれ、所内は活気に満ちている。試験期間も徐々に短縮されつつある。フェーズ1終了後、その経験の延長1二に製品検査に進んでいることは、順当な方向だと思われる。すでにアイロンなどの検査を始めているが、さらに今後、製品検査の対象領域を拡大し冷蔵庫・ドライヤー・コーヒーメーカー・ステレオプレーヤーなどの家電や電子機器に広げていく予定となっている。製品の品目によっては他の省や民間ラボの検査によることもあるが電機製品の場合はここに限られている。

 これまで、長期4人短期25人に及ぶ専門家の派遣と年間約3人合計14人のカウンターパートの日本研修が行われ、技術移転は順調に進んでいるようである。この日本の援助によって、スタッフが高い技術水準を身につけ、設備も高度の水準のものが揃っていることが、製品検査のイメージの向上に大いに貢献してくれたと、先方実施機関である製品規格局は謝意を表明した。製品規格局によるとこのプロジェクトによって、フィリピン標準品質マーク付与と輸入承認のための検査実績が、これまでの25%から80%へと改善されたという。

 1997年に実施された国際協力事業団の「終了時評価報告書」はこの事業の成功の要因として、製品の品質と国際競争力の向上という明確な目標を持ちフィリピンの中期開発計画の基本戦略に沿うものであったこと、WTO・APECなど国際環境が標準化推進の追い風となったこと、国際協力事業団によるマスタープラン が順調な進展を支えたこと、タイで実施された類似案件を参照しえたこと、協力内容を絞り込んで適正な規模にしたこと、タイでの経験をもつ専門家と優秀なカウンターバートが得られたこと、日本に強力な国内支援委員を得たこと、提案制度・機器管理マニュアル作成・機材台帳作成など試験所の管理運営を工夫したこと、言葉の問題が少なくコミュニケーションが十分であったことなどをあげているが、いずれも首肯できる大事なポイントである。

 なお、フェーズ2の協力内容を検討する過程で、比側より要請のあった分野のうち、EUが輸入条件に含めるようになった「EMC(電磁波両立性)テスト」に関する技術移転と機材供与については、日本側が設備が高額であることと、技術的にかなり高度であるとの理由から協力対象外としたことに対する不満が、受け入れ機関から述べられた。無償援助が、引き起こしやすい外部依存傾向の一つの現れということもできよう。援助国の丸抱えを求めるあまり、自助努力を損なう結果にならないようにする配慮が引き続き必要である。


4.2.2 農業開発に対する支援

(1) 農業分野での協力

 農業開発関連の分野はこれまで長くわが国の対フィリピン技術協力において主要な分野の一つであった。

 1954~95年の間のプロジェクト方式技術協力の29%、無償資金協力の26%、有償資金協力の10%が農業分野に向けられている。事業内容は農村総合開発・食糧増産・稲研究所・優良種子配布・農地インフラ・農地改革支援・淡水養殖など多岐にわたるが、これまでその中心におかれてきたのは、農業開発センター方式による技術移転やダム・水路をはじめとする灌漑関連インフラなどハードウェアの建設であった。その反面、受益者としての農民の福祉に直接照準を定めたものは必ずしも多いとはいえなかったといえる。

 フィリピンの経済発展において農業部門の重要性は論を待たない。それはいまも、製造業が成長し非伝統的輸出品が比重を高めているとはいえ、いまもこの国の国民経済において主要な重みを持っている。1996年の国内総生産の21%、就業人口の41%輸出額の10%は農業部門によるものであった。

 さらに人口の急速な増大はフィリピンに食糧逼迫をもたらしており、食糧自給度が下がって来ている。フィリピンの食糧需給は1980年代に好転したが90年代にはむしろ悪化しつつあり、タイ、ベトナムなどからに輸入に頼るようになっている。なによりも、米、サトウキビ、ココナッツなどほとんどの作物において、その生産性が著しく他の東南アジア諸国に比べて見劣りするのが現状なのである。

 そして、フィリピンの貧困問題は何にもまして、農村部の貧困なのである。官庁統計によっても都市部と地方の所得は6対1という状況なのだから、格差の大きさの実状は想像にあまりある。都市インフォーマル部門の急激な膨張もこれに由来することはいうまでもない。フローではともかくストックも含めれば、フィリピンの農村部の貧困が他の東南アジア諸国に比べて、かなり厳しい状況にあることは、容易に見て取ることができる。

 フィリピン農業のもつ大きな問題点はその成長のスピードの遅いことと生産性の低さである。1993~96年の伸びは2.1%であった。とくにもっとも主要な稲作の場合その単位面積当たりの収量は長くアジア諸国のなかアジアで最低レベルにあった。主要な輸出作物であったサトウキビの場合もタイやマレーシアに追い越されてしまっていた。最近発表された「次期国家開発計画」においても次のように認めている。「アセアン諸国のなかで、フィリピンのトウモロコシとココナッツの収量は最低、コメは下から第2位、コメの1986~96年の収量の伸びは0.6%で最下位。トラクターの利用と施肥量はともに最下位。灌漑地率は下から第2位。」つまり、農業生産の停滞はまことに顕著なままなのである。しかも1998年にはエル・ニ一ニョ早魃が各地で 絶望的な状況を引き起こしている。

 このフィリピンでの農業開発への協力において主要な役割を与えられてきたのは灌漑の分野であった。中期開発計画(1993~98年)で国家灌漑庁は43.7万ヘクタールの新規開発事業と58.6万ヘクタールの改修事業を1993~2002年に実施することを策定している。

(2) アカナン農業開発計画

 今回、調査対象に選ばれたアカナン農業開発計画は、農業生産性の向上・小規模農家の所得向上・農民水利組合の活性化・土地・水資源の有効利用を目的に、ビサヤ地方のパナイ島東南部のイロイロ州のサンミゲル、オトシ、パビア、サンタバルバラの4町にまたがる国営灌厩施設の改良・改修(頭首工の改修・水路のコンクリート・ライニングなど)と収穫後処理施設(稲籾の乾燥場)の建設、さらに資材機材(気象水文観測器・ブルドーザー・トラックなど)の供与を内容とした事業で、1994年に21.77億円の無償援助がおこなわれた。この地域には2,300世帯12,600人が住み、稲作中心の農業を営んでいる。農家の80%は自作農である。

 降水量が2,000ミリ前後で、アカナン川の流量が多くないため、雨期にはほぼ全域で稲作が行われるが、乾期には1,120ヘクタールほどで、作付け率は12.3%にとどまっていた。労動力不足と栽培期間の短縮のため、直播栽培が80%をに及ぶ。平均収量はヘクタール当たり3.8トンで全国平均に近い。

 このイロイロ州はフィリピンの穀倉地帯の一つであって、1923~1960年に建設されたハロル川灌漑事業区、スアゲ川灌漑事業区、サンタバルバラ(テイグム川)灌漑事業区などの5,000~9,000ヘクタール規模の国営灌濫事業区をはじめ多数の国営灌漑事業区が見られるところである。アガナン川灌漑事業区(Aganan River Irrigation System)は1923年に建設されたもので、4,863ヘクタールの灌漑面積をもつ。世銀の援助などによって何度か改修工事が行われてきたが、老朽化が著しく、また近年の洪水による施設の破損も生じていた。

 2,300戸の農家は6つの農民水利組合(Irrigators Association)を構成しているが、従来は上流の組合と下流の組合とのあいだの水利用上の差が大きく、下流部の農民は乾期にほとんど水を得ることが難しかったので、水路のコンクリート・ライニングによって水利用の効率を高め、また農民水利組合連合会を組織して下部組合間の協調を強めることも計画された。

 稲の収穫後処理施設、つまり乾燥場はコンクリート床の天日乾燥ができる。この施設の運営は農民水利組合連合会に委ねられており、利用する農民が経費を負担する方式が取られている。現在は管理費の補助がなされているが自立を予定している。

 これまでの農業開発関連の案件に比べれば、いわゆるハコモノ的な性格が大きく抑制されていると言ってよい。収穫後処理施設についても、供与機材についても妥当だと思える。管見したところ、ブルドーザー・トラックなどの機材のメンテナンスもよいようである。また平型と垂直型の簡易乾燥機は補助的な設備であって、過重な投資とはいえないようである。環境への配慮もなされており、農民水利組合連合会の活動もほぼ順調と見受けられた。

 これまで、農業基盤整備分野の開発協力は、ダム・用水路など灌概施設の建設に偏ることが目立っていたが、この収穫後処理施設との組み合わせば農民の所得向上や地域農民の自発性の増大に大きく貢献するものと思われる。

 とくに、フィリピンの米作地帯では、この地域に限らず中部ルソンを含めて、脱穀後の乾燥場の不足が大きな課題となっているところが多いだけに、この収穫後処理施設は農民に直接裨益するところが大きいと思われる。

 ローカル・コストによって設置した平型簡易乾燥機の機種については現場では若干の不満があり、選定の際にマニラ政府が利用者側の希望をもっと尊重して欲しいという希望が聞かれた。

 この計画が農業生産の増大と同時に、農民所得の向上にも力点をおいたものであることは高く評価できる。問題はこれが現実に農民の生計をどれほど引き上げたかにつき事後調査が必要であろう。JOCV隊員がこの地区において活動している事実からして、そのような長期的な事後調査などがもっと組み合わせられるべきなのではないか。

 収穫後処理施設の運営が農民水利組合連合会に委ねられ、まさに参加型の方式が取られていることも重要である。

 これまでわが国の援助において、インフラ整備の中でも農業分野のインフラ整備は重要な支援対象分野であったが、これからも農業はインフラ整備だけでなく、農民の組織・参加等、ソフト面の支援も含め、重点分野としての取り扱われていくことが必要であろう。

 付け加えて若干一般的にいえば、社会的弱者がより苦しむような状況を作り出さないように配慮することに今後いっそう留意すべきであろう。わが国の農業分野の援助においてこれまで少なからず見られたのは、農業基盤の改善がもたらされたり、単位面積当たりの収量の増大が実現すれば、それで地域の農業への寄与が達成されたとする例が多かったことである。その開発事業の果実が実際に誰の手に入ったのかまでは問おうとせず、それは受取国の国内問題だとして近づかないという状況が珍しくなかった。そのため、灌漑事業が実施されても、地主は喜ぶが直接耕作に従事する農民からはかえって恨まれると言う例さえあった。つまり、誰のための開発協力がというターゲットを明瞭に認識するという視点が欠けている場合もあった。

 もちろん援助供与国が受取国の内政に干渉したり、方向性を与えすぎたりすることは戒められねばならない。だが、開発協力によって、開発利得の公正な社会的分配を実現して、社会的弱者が苦しむような状況を作り出さないように配慮することにもっと留意すべきだと感じられたことが少なくなかったことも事実である。その点で、この灌漑プロジェクトは、生産農民のニ一ズヘの接近が計られており、これからの援助の方向を示すものであるようだ。

 しかし、このような収穫後処理施設が本当に地域の農民に十分利用され、計画通りに籾の販売価格の上昇をもたらし、農家の所得水準を引き上げるようになるのか、渇水期の上流部と下流部のあいだの対立矛盾の低減にどのように役立つのか、限られたトラクターその他の機材の利用が公平に行われるか、用水・籾処理などの施設の改善新設が地域社会にいかなるインパクトをもたらすか、などについてはさらによりインテンシブなフォローアップ調査がなされるべきであろう。それによってこれからの農業開発援助に大きな示唆が得られることにもなろう。その際、この灌漑地区に配置されている青年海外協力隊員の観察を十二分にフィードバックする事が必要であろう。

 ここで一言触れておきたいのは農地改革についてである。1970年代、80年代と違ってこの10年ほど農地改革が政治行政の分野で論じられることが格段に少なくなった。確かに農民運動などの反体制運動は低調になっているが、農村部での貧困はつづき、都市農村間の格差は拡大しつつある。マニラ首都圏やセブ・ダバオなど大都市への人口集中と都市インフォーマル部門の肥大がそれを示している。

 アキノ政権のもとにおいては、1972年以降のマルコス農地改革政策が形式的には基本的に継続されたとはいえ、包括的農地改革法の制定や農地改革相の任命にあたって大統領の逡巡や後退的態度が明らかになったことは、大土地所有層の反撃を醸成することになった。水田地帯ではある程度の進展が続けられたにせよ、サトウキビやココナッツの地帯においては法の施行は行き悩んだ。とりわけ、コホアンコ家の拠点の一つであるルイシータ農園で企業方式の温存に成功したことは、社会政策としての農地改革の流れを大きく滞らせることになった。工業団地の造成をめぐっての工業省と農地改革省とのあいだの確執も少なくなかった。問題は、社会変革の気運をもたらすこと、公正かつ安定した社会を生み出すための決断と合意をどう示すかであった。

 しかし、いま、農地改革は国民の主要な関心の的ではあっても、行政や開発協力の関心から置き去られている。生産意欲の振興、農民のイニシアチブ、生活水準の引き上げ、貧困問題の解消、社会的公正の推進と治安の回復、社会的流動性向上による閉塞感打破と社会の活性化など、農地改革が問いかける課題は多い。国営灌漑事業の最大の問題の一つは水利費徴収の問題である。灌漑庁がいかに灌漑施設を積極的に維持管理しているか、また農民が積極的に水利費を支払う体制(組織)がつくられているかによるようである。これまでの灌漑事業の支援実績より、灌漑施設建設前に受益対象農民をある程度組織化しておいた方が、水利費の徴収率が高まる傾向にあるようである。今後の支援の方向性としてはこうした効率的かつ持続可能な維持管理体制づくりを念頭においたアプローチが効果的であろう。

 農業分野においては、援助効果が見えるようになるまでにある程度の年月がかかるし、とくに、農民・農村地域社会への効果を観察することが重要であり、事を考慮すれば今回のわれわれの視察のような短期で通りすがりのものばかりではなく、じっくりと農民との対話を中心とした調査が、もっと実施されることが必要と思われる。


4.3 貧困対策と基礎的生活環境

 フィリピンのような貧富の格差の激しい途上国において、貧困対策を支援するのであれば、雇用対策や農地改革などより抜本的な対策を重視すべきである。

 農地改革や農業関運産業の開発については、「産業構造の再編成」、「社会的セーフティネットの形成」等という名目で援助が実施されている。同分野の支援において海外経済協力基金(OECF)の果たす役割は、少なくなく、農地改革受益者コミュニティーへは、インフラ支援だけでなく、NGOと連携した組織化支援等も含め、積極的に支援している。また、無償資金協力の枠組みによる農地改革の支援は、データベース整備計画の援助となっている。つまるところ、農地改革省にコンピューターを配布するというものである。

 フィリピンの農地改革の支援は、単なる産業構造の再編成という枠組みを超えている。一つ注意を促したいことがある。両国の農地改革をめぐる条件の差異は、フィリピン政府・農地改革省の強制力・行政能力の弱さ、地主の政治社会的な強さ(市場価格で農地代金を支払う法律など)、または、フィリピン工業化の遅れ等々だけにとどまらないことである。端的に言って、農業生産における「土地」の相対的な意義の低下の故に、フィリピンの農地改革受益者の支援は、さらなる包括的な支援を要するということである。

 まず、大きな差異は、緑の革命やグローバル資本主義の展開等々に象徴される資本主義の深化のため、土地の相対的重要性が減じてきている点である。つまり、農地の移転だけでは、農民の貧困問題を解決できなくなってきた、ということである。したがって、農民にたいする社会的経済的な支援なしには、所得向上の実現は難しくなっているのである。

 しかしながら、アジア開発銀行が実施しているように、農地改革受益者に対する資金援助等を増額すれば、問題が解決するのかというと、必ずしもそうではない。この点に、フィリピンの農地改革と社会開発の難しさがあるのである。というのは、農地改革受益者コミュニティーと称するものも、その実態は、コミュニティーと言えるようなものではないからである。すなわち、斎藤教授がアジアの農協の本質について的確に看破して名づけたように、それらは「借金協同組合」にすぎないのである(※1)。つまり、政府やNGOからお金を借りるために臨時的に召集され、皆で共同して返却しない「集まり」にすぎないのである。

 なぜ「借金協同組合」になってしまうのかというと、フィリピンの農村の直接耕作者は、各世帯の社会的経済的自立度がきわめて低く、自律的なコミュニティー運営という経験を欠いているからである。(わが国においても、小作人が大多数をしめるような村においては、コミュニティーとしての結束を欠いていた、という指摘がある)。だから、わが国の農地改革の経験とは異なり、自分たちの村を再建しようとする農民指導者が、農村内部から自発的に析出するような構造を欠いているのである。したがって、政府・NGOが「上から・外から」コミュニティーを組織化していかなければならないのだが、その作業はそれほど容易ではない。優れたNGOといえども、外部からの誤ったインセンティヴを与えられれば、あまりに簡単にコミュニティーは崩壊してしまうのである。

 私の知る限り、アジア開発銀行が熱心に行っている農地改革コミュニティーへの資金援助の実態-農地改革省はその立場上、高く評価せざるをえないのだろうが-は、多くの場合、「借金協同組合」にお金を注ぎ込んでいるにすぎないのである。どういうことかといえば、農地改革受益者たちが、コミュニティー建設に取り組みだす初期段階において、アジア開発銀行がいきなり金を注ぎ込むので、資金の借入に不慣れな農民たちは、明確な返済意思を持たないまま借り入れてしまうのである。逆に、半年なり一年なりの慎重なトレーニング期間を経ると、農民たちは外部から資金援助を有効に活用できることができるのである。今後の援助にあたっても、適切な連携プレーが考慮されるものであってほしいと願う。

 「貧困対策と基礎的生活環境」と題される(1)保健・医療、(2)教育、(3)基礎的生活環境(上水供給、下水設備)について本報告では、(1)保健・医療を題材にしながら、我が国がフィリピンの「地方分権法」にどのように対応すべきかを論じる。(2)教育と援助(3)基礎的生活環境と「民営化」への対応を考察してみる。


※1 斎藤仁「アジア低開発諸国の農協問題」斎藤仁『農業問題の展開と自治村落』日本経済評論社、1989年、所収。



4.3.1 保健医療-フィリピンの地方分権化をいかに支援していくのか。

 保健医療というテーマは、途上国の社会開発を進めていくにあたって、多くの人々のコンセンサスを比較的得やすく、社会開発の中核を担う領域である。またフィリピンは、依然として乳幼児死亡率が高く全国平均で1,000人中49人、人口増加率もまだ比較的高く2.32%(1990~1995年)となっている。母子保健ならびに家族計画を実施することは、フィリピン社会の需要に適ったものといえるだろう(Philippine Statistic-Yearbook 1997による)。

 さて、フィリピンの保健医療行政は、いくつかの新しい課題を抱えていると言える。特に重要なのは、1991年に設定された地方分権法について、どのように対応し、さらなる成果をあげていくのか、という課題である。保健医療行政は、今や、地方自治体の管轄下に入ったからである。我が国の援助も、この点を充分に配慮したものでなくてはならない。

 本報告では、地方自治体の長所(きめ細かい統合的サービス体制)と短所(意志と能力のない地方自治体のサービス劣化)にたいし、わが国はどのように対処していくべきかをとくに論じることにする。

 フィリピンの地方分権法は、マルコスの独裁体制に対する反省を背景に発足したもので、地方自治体の権限を強化していく趣旨の法律である。かつては中央の様々な官庁の所管であった諸業務を、地方自治体のもとに配属してしまうものである。また、非政府組織(NGO)や民衆組織(PO)などが、行政参加することを認めるなど、斬新な内容も盛り込まれている。

 従来の中央集権的な行政システムは、マニラの各省庁が互いにコーディネートもせず、上から地方末端に指令をくだすものであり、まことに非能率的であった。だから、地方分権法それ自体は、望ましい傾向を体言しているといえるだろう。世界の時流に乗るものと評価することもできるだろう。我が国の援助も、地方分権法案の理念に沿いながら、仕事のできる政府の実現を支援するものでありたい。

 しかしながらこの地方分権法は、必ずしも評判が良いものではない。すでに、1994年3月のJICAの報告『フィリピン国別援助研究会(第2次)資料(現状分析)』においても、その否定的性格が強調されている。

 というのは、責任だけは地方自治体に委譲するのだが、活動に必要な財源や人材を保証するものではないからである。貧しく財源が乏しかったり、中産階層が少ない貧困地域の自治体では、企画・調整・執行能力等に欠くため、行政サービスの劣化が予想されている。また、市民への行政サービスにあまり熱心ではないような首長を抱く自治体に対して、中央官庁の管理・監督が行き渡らなくなるのではないか。こう危倶を表明する保健衛生省の幹部もいる。さらに、パイロット・プロジェクトを先行させたり、猶予期間を置いたりせず、一足飛びに全国一斉に分権化を実現しようとするものであったため、混乱が深まったといえる。

 以上のような事情から、保健省(DOH)の内部からも、大いに不満が生じていたようである。木村(※2)によると、国立病院が地方自治体に移管されると、予算不足から、薬や予防接種が不足してしまい、深刻な危機に陥った。そして、1994年には、議会も医療関係の権限委譲を四年間中止することを議決したのである。

(ラモス大統領は拒否権を行使して、拒絶した)。

 また、地方分権法について、JICAの岩崎氏は、援助する立場からの不都合も述べている(※3)。すなわち、先進国の援助機関からすれば、被援助側の中央官庁に対して技術指導をおこなって、あとはトップダウン方式で地方に波及効果を期待できる。したがって、中央集権体制のほうが効率が良い点もあった、というのである。ある意味でもっともな理屈である。


※2 木村安置『開発・国家・NGO-カラバルソン地域総合開発計画をめぐって』三一瞥房、1998年。157~158頁より

※3 岩崎英二「フィリピンにおける人口分野の国際協力に文科る包括的取り組みについて」



長所の活用

 さて、このように賛否両論のある地方分権法ではあるが、もはや後戻りはできないものである以上、わが国もこの法律の理念を支援し、活用するのが自然の流れであろう。

 地方分権法の一番の問題点は、熱意と能力のある地方自治体と、そうではない自治体の格差を広げるということである。もちろんのことながら、我が国の援助が効果的に活用され、プロジェクトの成果を得るためには、熱意と能力のある地方自治体をカウンターバートに選んでいくのが、きわめて現実的な手法ということになる。今回、筆者が視察した中部ルソン(Region 3)のタルラック州の母子保健プロジェクト(プロ技)などは、まさにこの例であった。比較的に好意的な州知事と、有能で熱意ある幹部(州保健局長)から草の根レベル(保健婦)にいたるまで行政官に恵まれ(※4)、一応の成果をあげてきたのである。

 さらに注目すべきは、一部ではあるが、住民参加的な薬の協同組合の運営にも成功を収めていたことである。住民たちが、すでに経済的な自立をも達成しているとのことである。これは、フィリピンの文化的文脈を考慮すると、すばらしい成果といえる。

 タルラック州の母子保健プロジェクトの成功をモデルとして、今後、他の中部ルソン諸地域に広げることが、現在大いに期待されている。JICAでは、この成功例のモデル化にとりくんでいるそうだ。この成功事例を研究するにあたって、次のような点をポイントとして挙げておきたい。

(I) 地方分権化時代の異文化マネージメント

 現地のカウンターパートである人材や官僚機溝を効果的に活用するノウハウを身につけることが、援助者側(JICA)に求められている。今回の事例は、単なる成功例としてだけではなく、一種の異文化マネージメントの事例として、大いに研究されてしかるべきだろう。

 タルラック州にはタルラック州固有の事情があり、他の州、ましてや他の国に当てはめることができないのである。同一のプロジェクトを始めるとしても、別の州で実施するとなると、ある意味で、一からやり直すことになるのだ。成功経験からの学習とは、今後の「探検」について、組織全体としての勘を養っていくといことなのである。

 中央諸官庁に指導し、後はトップダウン方式に全国へ波及効果をねらうという従来の援助方式は、確かに「能率的」だったかもしれない。しかし、トップダウン方式による行政サービスが、本当に草の根レベルで効果を発揮しているのかとなると、疑問もないわけではなかった。そういう意味で、地方分権化時代の援助は、援助する側にも、援助される側の具体的諸条件に対して敏感に対応することが要求される。もちろんのこと、より草の根を向いた援助が求められているのは、言うまでもない。

(II) 有能なNGO(非政府組織)や現地人材を活用し、コスト・パフォーマンスを良くする必要がある。

 いまだ我が国の援助機関は、南のNGOと協力関係をパートナーシップを結ぶことについては、まだまだ十分な経験を積んでいるとはいえない(※5)。しかし、フィリピンのように、現地人材によるNGOが多数活動しているような国では、現地NGOを積極的活用することが重要だ。またフィリピンは、職業機会が限られているために、毎年数多くの看護婦・医者等を世界各国に送り出している人材流出国である。潜在的には、豊富な人材がいる国なのだから、これを活用しない手はないだろう。それは、わが国の限りある海外派遣向け人材(とくに医者)と人件費を有効に活用し、援助の質を下げないで出費を抑えるためのポイントとではないだろうか。(日本のNGOを活用したことも、大いに評価されて良い。しかしながら、フィリピンのような東南アジアや南アジア諸国の大部分一カンボジアなどの特殊事情の国々をのぞく一では、NGOといえば現地のNGOであることを、あらためて強調しておこう)。

(III) 治安状況等の実施可能性を考慮した結果、タルラック州のように相対的な豊かな土地をパイロット・プロジェクトとして選択するのは誤ってはいない。しかし、今後のJICAの援助計画のなかでどのような意味をもつのか明らかにする必要がある。

 1997年版のフィリピン年鑑(Philippine Statistical Yearbook)によると、乳幼児死亡率、児童死亡率、五歳以下の死亡率は、いずれもマニラ首都圏を除けば、中部ルソンが全国でもっとも低い。これに対し、最下位を争っているのが、フィリピンでも貧しいとされる東ビサヤ地方(Region 8)とミンダナオのムスリム自治区である。乳幼児死亡率に関して言えば、1995年の統計では、全国平均が1,000人中49人、中部ルソンが40人であるのにたいし、東ビサや地方は64人、ムスリム自治区で63人となっている。

 政府の医者・看護婦・保健婦の数についても、中部ルソンは、イロコス地方(Region 1)や南部タガログ地方(Region 4)などと並び、フィリピンではもっとも充実した地方でる。これに対して東ビザヤや中部ミンダナオ(Region 12)などはきわめて僅しかいない。ムスリム自治区に関して言えば、データ無しの状況である。

 健康状況は、経済水準や都市化率を反映していると考えてよいだろう。たとえば、94年度の平均世帯収入の統計によると、中部ルソンはマニラ首都圏についで全国2番目(94,092ペソ)であるのに対し、東ビサヤ地方は(49,912ペソ)で全国最低、ついで西ミンダナオ(Region 9)(50,784ペソ)、ムスリム自治区(51,304ペソ)、と続いている。(全国平均は83,161ペソである)。また、都市人口比率からみると、1990年段階において、中部ルソンはマニラ首都圏をのぞけば最高水準(60.2%)で他の地域を大きく引き離している。ちなみに中部ミンダナオは25.3%、東ビサヤ地方は31.2%、西ミンダナオは30.1%である。(National Physical Framework Plan 1993-2022による)

 このことからも、容易に了解されるように、フィリピン全体の基準からみれば、タルラック州を含む中部ルソンは、健康・経済の水準もレベルが高い。また地方行政体も人材や予算が比較的には余裕があると予測されよう。

 このような裕福な地域6をJICAが選択するのは、なぜだろうか。明確な方針を持っているのだろうか。JICA内部では、いかなるコンセンサスがあるのだろうか。ただし、ここで言及しているのは大部分がプロジェクト方式技術援助についてのことで、青年海外協力隊事業、研修員受け入れ事業などJICA全体の保健医療協力を考慮すると、比較的裕福な地域を中心に選択しているとはいえないかもしれない。

 もちろん、まずは、成功モデルを構築しようという考え方もあろう。しかし、中部ルソンにおける「成功」を、フィリピンの最貧困州、たとえばビゴール地方、東ビサや地方、西ネグロス州、ミンダナオのムスリム自治区などには、到底移転できそうにない。もちろん、今後の我が国の最貧国援助には、直接的には役立たないだろう。それらの貧困地帯では、援助をめぐる諸条件や、援助課題それ自体が、大きく異なってくることが予測されるからだ。なんのための成功モデルなのか、JICAははっきりと自己規定しておく必要があるだろう。


※4 とはいえ、JICA専門家たちによれば、保健省(DOH)は日本の援助には受け身の姿勢であり、積極的に案件を出したりはしないそうである。おそらく、人材不足であり、必要以上の仕事を消化する余裕がないのではないか。

※5 前述の岩崎氏や他のJICA職員は、シード・オフ・ヘルス共同体(SMBKPO)といわれる協同薬局組合をNGOと称している。しかし、このような組織は、普通、PO(People's Organization)(「住民組織」あるいは「民衆組織」と訳される)と呼ばれているものであり、NGOとは、専門職で、第三者へのサービスを提供する機関のことだからである。なぜだろうか。私は違和感を払うことができなかった(成家)。

※6 JICAは、他にセブ州でも、積極的に援助活動を展開している。セブ州の州都セブ市は、マニラ市とならぶフィリピン経済の中心であり、フィリピンでは最も豊かな土地である(成家)。



4.3.2教育-教育支援をめぐって

(1) 教育と途上国支援

 途上国の教育を支援することは、ある意味で、もっとも無難である。関係者から批判的な見解が表明されることは、まずないと言ってよいだろう。民間の慈善事業も昔から、教育支援だったのだ。

 しかしながら、単純な善意を超え、真に意味ある援助を模索してきたかというと、疑問は大いに残る。教育が社会発展の基礎である、と漠然と考える人は多い。しかし、もっと社会科学的な発想をもって教育援助に望むべきではないのか。教育社会学や教育学などの分野の人材を投入し、途上国の教育援助についてもっと体系的な研究をすべきではないか。まずは、このように申し述べておきたい。

(2) フィリピンの理科教育

 我が国では、フィリピンの初等教育の改善、ならびに小中学校の理数科教師の再訓練の支援をする方針をもっている。また、職業訓練等への協力をも考慮することになっている。確かにフィリピンの理科系の大学は少ない。そのうえ、理科系大学を卒業した人間は、給料の高い民間企業に流れてしまう。そもそも、フィリピンの教師の給料はきわめて低く、かつさまざまな雑務(e.g.選挙の際の雑務)があるのだから、魅力のある職業とはいえないのだ。

 しかし、問題は、それだけではなさそうである。そもそも、教師に良い人材が集まらない、理数系教師を確保するのが大変だ、といった悩みはフィリピンに限らない。むしろ、全世界共通の問題である。フィリピン固有の問題とは、途上国としては比較的教育水準が高いところがら戦後の独立をスタートしたのに、それが社会経済的発展には結びつかなかった点にあるのだ。

(3) フィリピン教育の問題

 フィリピンの理数系教育では、教育プログラムの問題がある。このことを認識せずに、理科教育の援助を しても、はたして有効に機能するかどうか、疑問である。

 教育プログラムの何が問題なのか。私はたとえばHigh Schoolの試験内容を少々検討してみたが、理数科ですら暗記問題(「理科の定義はなにか。次の中から選べ」といった問題である)である。一次方程式すら、じっくり解いてみるのではなく、またもや選択問題であった。

 ミンダナオのダバオ市において、フィリピン人指導者や、青年海外協力隊で理科教育を担当している人たちに伺ってみた。すると彼らも、詰め込み主義的なカリキュラムに大きな問題があると証言してくれた。難解な字句を、短い期間(フィリピンのHigh Schoolは4年間しかない)に無理矢理に暗唱させてしまうのだ。たとえば、小学生六年生の理科で、分子構造についての文章を暗記させるといった具合である。(だから、大学にしわ寄せがきて、高校の復習をやりなおさなければならないそうだ)。そして、そういう暗記第一主義の教育を受けてきた人間が学校の先生になり、暗記強要教育の尖兵になるのである。科学実験に求められるのは柔軟な思考力だが、フィリピンの学校教育ではあまり評価されないからだ7。わが国ではそのような状況を受けて、理数科教師訓練のための技術協力も行っており、その動きに合わせて教育機材供与も行っている(※8)。

 なお、フィリピンの公共サービスセクターの職員(政府職員、学校教師、NGO職員など)を、日本の流通業界(小売業、生活クラブ生協、デパートなど)で研修させるなども一案と考える。フィリピンに必要なのは、新しい人材養成メカニズムなのだから。


※7 フィリピンでは教室の数それ自体が不足している。科学実験機具や理科教室の設備よりも、普通の教室を建設することのほうが、はるかに需要が高い(成家)。

※8 また、有償資金協力(貧困地域初等教育事業)では、フィリピンの教育政策についての調査も行い、改善すべき点を今後の政策に反映するよう提言を行うこととしている(外務省)。



4.3.3 生活基盤整備(社会インフラ)-民営化を巡って

(1) 公共サービスの民営化

 フィリピンの生活基盤のためのインフラは遅れており、健全な経済発展ならびに市民生活のための大きな障害となっている。フィリピンでは、社会インフラの整備が大きく遅れをとっており、マニラなどの大都市を含め、十分なサービスがなされているとは言い難い。例えば停電や断水、いつまでも待たされる電話などは、大部分の一般市民の生活の質を低下せしめる原因となっている。

 今回の視察では、我が国のOECFからの円借款の支援を受けて地方都市の水道整備事業を進めている地方上水道公社を通じてローン供与された水道区を実地見学してきた。上水道サービスを民営化することは、世界的にみても注目されている方法論であるが、地方上水道公社は、民営化してはいないながらも、他の官庁と比べて、職員に精彩が富んでいる。とくに注目すべき点は、ビジネスライクに厳しく水道料金の徴収をしたり、消費者一人あたりの職員数を一定限度に抑えるなどの処置が取られていることである。消費者一人当たりの職員数という点からみれば、欧米先進国で1,000世帯あたり23人の従業員であるのに対し、中南米諸国では10~20人ぐらいである。これに対しフィリピンは5.6人だということなので、及第点をあげられる効率を実現していると考えられる(※9)。

 しかしながら、(1)都市中産階層を含む多くの市民が十分な水供給を受けていない、(2)多くの官庁組織が官僚的な停滞状況にある、といったフィリピンの現状では、わが国が公共サービス有償援助をすることには、意味のあることであろうと思われる。

 一方、貧困層ないしは、農山村僻地の住民にたいする飲料水の配給(井戸などの建設)という課題は、有償、無償援助等で既に実施しており、今後も実施していく方針である。

(2) NGOと民営化

 ここでは、公共サービスの民営化という点について、援助機関はもっと真剣にその可能性を模索すべきであると、一言意見を申し述べておきたい。

 フィリピンのNGOの一一つの問題は、海外ドナーに経済的に全面的に依存する組織であるから、海外からの援助が途絶えれば、そのまま、規模を縮小せざるをえないということである。これから下り坂に入ることが予測されていることだ。実際、欧州各国のドナー機関も、フィリピンや東南アジアではなく、もっと貧しい国へ援助しようと方針を新たにしつつある。

 たとえば、ある大型NGOは、支配的な秩序に対抗すべく、中部ルソンにおいて農村部民衆のための代替的な生産・流通・販売機構を打ち建てようと試みてきている。それは、農村組織と連携して農村部民衆の福利向上を追求するばかりではなく、エコロジカルな意味での持続可能的な農業を模索するものであり、誠に興味深い。しかしながら、エコロジカルな次元における持続可能とは、次世代に環境的資源を残していこうという趣旨のことであって、個々の農家世帯や農村共同組合が経済的に持続可能な経営体という意味ではない。むしろ、海外からの資金援助に全面的に寄生しながら、すなわち、永続的な資金援助をうけながら、「代替的」な理念を追求しているのである。つまり、日本の農協や生活クラブ生協などとは体質の異なった組織であり、企業家精神はほとんど欠如し、したがって、自立発展の可能性はほとんどないと言わざるをえない。

 そして、このNGOの最大の問題点は、(1)マニラのテクノクラート支配である。現場の職員のイニシアティヴが軽視され、海外ドナーからお金を貰ってくる能力こそが高く評価されているのだ。(2)職員の真剣さの欠如である。仕事の正否によって給料が決まってくるのではないからである。要するにサラリーマン感覚なのだが、これでは、農業や事業経営者とはギャップが大きくなる。彼等が、農民や農村協同組合を指導する資格があるのだろうか。

 フィリピンのNGOに将来はないのか、というとそうではない。一部のNGOや労働組合の指導者の人間は、みずから事業に乗り出している。つまり、NGOの職員が、農民に農村協同組合を指導してあげるのではなく、自分が経営者になるのだ。もちろんフィリピンのように大資本家が流通機構を牛耳るところでは、相当な苦労がある(※10)。しかし、新しい息吹が希望を感じさせるのだ。

 かつて、ピーター・ドラッカーは、公的機関に対し、次のように問うべきだと主張した。「目的は現実的か。達成可能か、それとも言葉だけか。ニーズと適切に噛み合っているか。目標は正しいか。優先順位は十分検討されているか。成果は、公的な期待と合致するか」(※11)。フィリピンの政府やNGOは、いつも「言葉だけ」だった。しかし、真剣に目標を達成せんとする新しい精神が誕生しつつある。そういう試みを援助するような仕組みが求められている。


※9 Economist(March 21st 27th,1998), "Survey:the environment"



4.4 環境保全

4.4.1 森林の荒廃

 フィリピンの森林の荒廃と回復の困難性についてはよく知られているところである。アメリカ統治期から森林は全般的に公有林とされ、地元民の所有と利用を排除してきた。その反面、特定の伐採業者に広大な面積の伐採権を長期に与えるという特権を与えたので、フィリピンの大企業家層の成長を支える基盤の一つとなってきた。ミンダナオやルソン島東岸をはじめとする天然林は戦前から輸出向け木材の供給地として知られていたが、戦後その状況が続き、再植林は事実上ほとんど行われなかった。

 ラワン材やマホガニー材をはじめとする丸太は1960年代まで、この国の主要な外貨獲得源であったが、1976年以降、丸太輸出は禁止された。これは国内の木材加工業者保護のためであったが、他面、輸出向けの丸太を生産できる経済林が激減したことにもよっている。

 しかも、地方有力者による不法伐採は蹟を絶たず、他方、農地所有の偏在と人口増大のもと、土地を求める地域住民は禁を犯して公有林地に入り込み、不法な開墾や焼畑耕作(カイギン)を行うなど森林の蚕食はとどまるところを知らなかった。

 1934年に国土面積の57%に当たる1,700万ヘクタール近かった森林は、乱伐によって年間10~8万ヘクタールの減少をみせ、1990年には600万ヘクタールまで減少したと言われる。そして森林の荒廃は洪水、土砂流出、河川流量の変動、灌漑水路の効率低下などを招き、環境破壊による経済と生活への影響には著しいものがあった。フィリピン政府は環境天然資源省の手で大気水質などとともに森林の回復に努めているが、その成否はこの国の環境保全の上でまことに大きな重みを持つものといえる。

 林業に関する施策のなかで注目すべきものに、地域住民対策事業を統合強化しようとする社会開発のためのプログラム「総合的社会林業計画(Integrated Social Forestry)」がある。これは山間地農民の必要性に応えることで彼らを森林保全活動に参加させ、それによって荒廃した生活のための資源的基礎の回復を計り、併せて住民生活の安定を達成しようというものである。つまり、社会林業とは森林資源の所有と管理を地域住民に委ねることによって、住民の経済状態の向上と森林資源の保全の双方を実現しようという林業の形態を意味している。

 この方向での施策が始められたのは1975年の「森林選挙管理」計画からで、農民の森林地の選挙を合法化して林地利用慣行を制御し、環境天然資源省が策定する計画に従って森林保全活動に従事させようというものであった。さらに「樹木栽培地計画」と「家族型植林計画」などが付け加えられ、公有林地での植林事業に農民が参加する道が開かれた。1981年に山間地開発計画がフォード財団の援助ではじめられ、学者やNGOも加わり、1982年に、総合的社会林業計画となったのである。1991年に社会林業計画は3,676カ所の65.7万ヘクタールをカバーするに至った(※12)。そして1994年までに山地住民には22万の管理用益契約証書(Certificate of Stewardship Contact)が交付され、39の村落グループ集団に村落管理用益圏が与えられた。

 わが国の開発協力においても林業セクターは重視され、長期にわたって実施された中部ルソンのパンダパガン造林計画などがあるが、1986年に始まった国家造林計画の達成のため、海外経済協力基金はアジア開発銀行との協調融資により、1988年から5年間の森林セクタープログラムローンによって27.2万ヘクタールの造林を行ってきた。さらに、1993年からADBによる地域住民による森林管理の導入を目指す「森林セクタープロジェクト」に対し、海外経済協力基金が協調融資を行っているもので、事業面積は8万ヘクタール、融資金額は総事薬費の75%に当たる92.94億円である。


※10 私の知るある農村協同糾合は、比較的蜆模が大きく、また豊かな農民とプロフェッショナルなマネージャーのもとで、健全運営がなされている。しかしながら、マニラの大資本家にかかっては無力であり、なかなか米の代金を支払ってもらえないという。彼等には、政治家とのコネで守られているのである(成家)。

※11 ドラッカー『抄訳マネジメント』ダイヤモンド社、1975年、88貢。



4.4.2 森林セクター事業計画

 今回、評価対象案件に選ばれたのは、この森林セクター計画のサブプロジェクトの一つである。パナイ島イロイロ州のマアシン水源林植林プロジェクトは、イロイロ市(人口33.4万人)の上水道の水源であるマアシン川の上流に位置する。マアシン川は同時に川沿いの2,000戸のに水をもたらし1,276ヘクタールの農地を潤している。

 このマアシンの山地が水源林として告示され、その開発利用が禁じられたのは1923年のことであった。だが、かっては鬱蒼とした森林に覆われていたであろうこの山地は、焼畑その他の耕作によって、また燃料価格の高騰がもたらす薪採取の増大によって、著しい荒廃ぶりを示している。いま、早急に手を打たなければ、表土の浸食、河川床の土砂堆積などによる環境破壊が進み、水源林が失われることは自明である。

 この計画は植林・地域住民の生活水準向上・河川改修などを内容とするものであるが、とくにNGOを組み込んで住民の組織化をすすめ事業を分担させる等、住民密着型の方式を採用しているところに特色があって、イロイロ市に拠点をおくNGOグループのKSP(Kahublagansang Panimalayヒリガイノン語で「コミュニティ運動」の意)がフィールド・オフィスを設け、環境天然資源省第6管区事務所および地方自治体と緊密な協力を保ってプロジェクトの実施に当たっている。

 事業内容を具体的にみると、マアシン・アリモディアン・ハニワイの3町に広がる6,738ヘクタールのマアシン水源林のうち、2,685ヘクタールを対象として、1,050ヘクタールの植林(マホガニー・アカシアなど)、1,164ヘクタールの農業林agroforestry(ジャックフルーツ・カカオ・グアバ・柑橘類・コーヒーなどの果樹)、300ヘクタールの竹の植栽、171ヘクタールの護岸林などを実施しようというものである。そして3町の16バランガイの10,400人の住民が参加者とされている。

 1998年2月までに、24ヘクタールの農業林(カシュー・コーヒー)、100ヘクタールの竹林、42ヘクタールの植林、60ヘクタールの護岸林が植えられ、15の苗圃が開かれ、113万本の苗木と26万本の果樹苗木が育成された。

 この事業において、地方のNGOが中心的な役割を演じていることはきわめて印象的である。フィリピンはアジア諸国のなかでもNGOの活躍が目立つ国なのであるが、とくに、マルコス政権末期からアキノ政権の時期にかけて、その質的成長ぶりが著しかった。PBSP(社会進歩のためのフィリピン・ビジネス)、フィルドラ(phildhrra:Philippine Partnership for Development of Human Resource in Rural Areasフィリピン農村人材資源開発組合)、アンゴック(ANGOC,アジアNGO会議)などをはじめとする、多数のNGOグループが農村地帯で社会正義や貧困撲滅のための献身的活動をしているし、政府諸機関との協調と協力も広まっている。我が国のODAは長くNGOとの協力関係を持つことが少ないまま、開発援助を進めてきたが、1980年代末から、接触が深まり、草の根無償及び有償資金協力事業などでの協力は大きな伸びを見せている。この点は今後さらに発展して欲しいと思われる。

 しかし、地域住民に比較的手厚い報酬が支給されていることは社会林業政策のもとでの地域住民の所得の上昇のタイミングがずれた場合にはその間隙の処理について深刻な課題が生じるかもしれないという危倶がある。


※12 Sylvia Jopmo, Developing a Social Forestry Program: The Bulokaw Experience, Quezon City: Institute of Philippine Culture, 1994



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