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8. イエメン、エジプトにおける経済協力評価

アジア経済研究所研究員 佐藤 寛

(現地調査期間:1995年9月2日~9月16日)

 

イエメン、エジプトプロジェクト配置図

  

評価対象プロジェクトの概要


案件名 協力形態 協力期間、金額 案件概要
建設機械センター建設計画
(イエメン)
無償資金協力 1992年度、
10.35億円
 鉄道がなく、道路が人・物の重要な輸送手段である仁メンにおいて、技能工の実習訓練を実施するための整備・修理工場の建設及び関連機材を供与する。
アッシール婦人訓練センター設備改善計画
(イエメン)
草の根無償資金協力 1993年度
33,100米ドル
 Assir Women Training Centerは、サナア市で掘立小屋で生活している家族の生活水準向上のため、対象婦人に対し技術修得指導を行っている。同センターは自主運営を図るため、服装制作ユニットを編成することを計画しているところ、これに必要な機材供与を行う。
ハズ村飲料水供給計画
(イエメン)
草の根無償資金協力 1993年度
22,005米ドル
 飲料水を容易に確保できるよう、ハズ村の中心より1キロメートル程度離れた水源(井戸)より同村までの水道管を敷設するための資金を供与する。
カイロ大学付属小児病院
(エジプト)
無償資金協力
プロジェクト方式技術協力
1980年度、
20.00億円
1981年度、
20.00億円
1986年度、
1.34億円
1987年度、
17.88億円
1988年度、
9.81億円
フェーズ1
1983年7月~
1989年6月
フェーズ2
1989年7月~
1996年6月
 立ち遅れているエジプトの小児医療の中核として、小児科病院の設立、病院施設の拡充、関連機材の供与及び関連医療技術の指導を行う。
教育文化センター建設計画
(エジプト)
無償資金協力 1984年度、
13.75億円
1985年度、
21.44億円
1986年度、
29.66億円
 青少年に対する情操教育、社会人に対する文化的教育の場として、芸術を鑑賞するためのセンターを建設する。

1. 評価の視点=援助プロジェクトの社会的持続可能性とその社会的背景

評価者は、中東アラブ地域を専門とする地域研究者であると同時に、開発援助の社会的側面を研究課題としている開発研究者でもある。今回の評価では、こうした評価者の視点から「援助プロジェクトと社会」の関係を中心に譜面調査を行った。

 援助プロジェクトは受け入れ機関や周辺の社会に、当初想定された以外のさまざまな副次的影響や波及効果を及ぼす。こうした副次的影響・波及効果は、当該プロジェクトの援助終了後の持続可能性や、受け入れ国の当該分野での自立的発展可能性に大きな意味を持っている。こうした観点から、今回の評価作業では、プロジェクトが想定した効果をどの程度達成できたかの評価よりも、プロジェクトが周辺社会にどのように受けとめられているのか、援助終了後にこのプロジェクトが社会的に持続可能なものであるかどうか、という点に主眼をおいた評価を試みた。また、我が国マスコミにおいて批判的な報道があったエジプトの2案件については、こうしたプロジェクトが日本の社会に受け入れられるためにはどのような対処の仕方が必要であるかという点についても考察を加えることとした。ODAの原資は国民の税金であり、広く国民からの支持が得られない援助プロジェクトは、日本の中で社会的持続性が無く、ひいては国民の間に援助疲れ」を引き起こす契機となり得るのであり、適切な対処の仕方が肝要と考えられるからである。

2. 評価概要

2-1. プロジェクトの効果

 評価対象の5案件の「効果」について言えば、現在のところ当初プロジェクトが想定した効果が十分に発現されているものばかりであった。また、投入された資金、機材が活用されていなかったり、無駄になったりという問題はほとんど見受けられなかった。その点だけで見ればいずれも優良案件と評価されて良かろう。しかし、今回の評価の主眼である「社会的持続性」を考慮するときには、今少し各案件の社会的背景についても考察した上で評価をしなければならない。

2-2. 個別案件評価

【エジプト】

(1) 教育文化センター建設計画同センターにおける公演は非常にコストがかかるうえ、通常はそれほど観客が入っていないので、もしも独立採算性であれば(実際には文化省が所管)経営は非常に苦しいものとなろう。にもかかわらず政府予算を投入してこれだけのレベルが維持できているのは、国家の威信をかけて維持・管理を行っていることの証左である。この意味で本施設は、エジプト政府によって大変に感謝され、非常に大切に使われていると言える。

 良好な維持・管理がなされている今一つの要因としては、この施設の建設にあたった建設会社の独自の努力が寄与している部分も大きい。同社カイロ駐在員は本施設のサイトマネージャー時代からエジプトに駐在し続けている人で、施設完成直後からこまめに視察に行ってはアドバイスをし、かなりの程度手弁当でメインテナンスをしているようである。本案件は日本の新聞でその「賛沢さ」が当初批判されたこともあって、同社としても気を使ってメインテナンスしたものと思われる。この姿勢もまたエジプト側からは高く評価されている。これは無償資金協力が日本企業タイドであるからこそできる利点と捉えることもできる。もしもアンタイドで他の国の企業が建設した場合には、当然メンテ契約以外のことはしないだろう。

 本案件のエジプト側関係者とくに文化省、国際協力省からの評価は非常に高い。特に彼らは周辺国に対するshow up効果が高いことに満足している。これは「カイロに外国のVIPを招ける場ができたことを誇りに思う」というコメントに象徴的に示されている。本施設やカイロの地下鉄など、周辺国に威張れるものに関してはエジプトは大事にするのではないか、という現地大使館のスタッフのコメントがあったが、これはうなずける見方である。

 一方この案件は、援助を供与する日本側と、これを受け入れるエジプト側との間の援助の意図をめぐるギャップの大きさを露呈した例であるといえよう。象徴的なのはこの施設の名称である。日本側の書類では終始一貫してこの施設は「教育・文化センター」となっており、「教育」に大きな比重を置いた名称となっている。一方、エジプト側ではこの施設は通称「オペラハウス」で知られており、これを管理する組織の正式名称も「国立文化センター」であって、エジプト側では「教育」の文字はほとんど意識されていない。

 なぜこの様なことが起きたのであろうか。もともとエジプト側には「教育」は必要なかったのである。しかし日本側としては「教育」を落とすと日本の世論を説得しにくいということで、当初計画に「教育」という言葉を入れるよう求めた経緯がある。したがって日本からの援助を受け入れるために当初は「教育」が入っていたが、結局エジプトと日本の考えのギャップは埋まらず、最終的には先方の意向通りの名称で落ちついてしまった。そして名前の通り、教育の部分に関しては日本側が期待するような活動は行われていないし、そのような意図もエジプト側にはないのである。

 日本が教育の部分を強調するならば、本来教育省にカウンター・パートを求めるべきである。教育省と文化省は目的も活動の指向性も異なるのは当然である。もちろん文化省の中にも文化の一般普及のための活動がある。しかし、これを担当する文化省の下部組織では「文化宮殿」で、全国の中小都市に「文化宮殿(カルチュラル・パレス)」を設置し(これは図書館とか公民館の小さいものを考えれば良いようだ)、ここで大衆への文化の普及活動を行っている。同じ文化省の下部組織とはいえ、本施設を管轄する「国立文化センター」とは全く別の組織なのである。もちろん世界の一流の舞台を見せる本施設でも庶民が見ればそれは普及活動になるという反論はある。しかし料金はそれほど高額ではないとしても、「社会的な敷居の高さ」を考慮するならば、現実には本施設での公演が大衆への文化普及に寄与しているとは言えないし、またエジプト側がそれを意図しているとは考えられない。

(外務省注:本施設では、コンサート、演劇、バレエ等の上演以外にも、社会人・学生を対象とした各種シンポジウム、会合、セミナー等開催されており、教育活動の拠点ともなっている。)

 

(写真)廊下で母子に話しかける専門家

 

(2) カイロ大学付属小児病院

 これもかなり高度な医療機器を含め、先進的な施設であるが、施設の維持・管理は日本側専門家がいることによって維持されている。高度医療技術の移転という技術協力の目的に関しては、日本側、エジプト側から共通に「医療技術は及第点」との評価がなされている。

 しかし日本側、エジプト側ともに問題点として指摘するのは「病院管理が必ずしも円滑に行われているとは言えない」という点である。しかしこの点に関しては日本側とエジプト側に「管理=マネジメント」という言葉の意味をめぐってギャップがある。日本側が言っているマネジメントとは、清潔観念とか、勤労意欲、ディシプリン等の欠如を含むエジプトの文化・社会的背景を反映したものだが、エジプト側は同じ「マネジメント」という言葉を使いながら、それを単なる技術・機器の問題として捉え「コンピューターの導入による解決」を求めているのである。

 当プロジェクトに対してエジプト政府側では、小児医療の最高峰としての評価が非常に高い。当プロジェクトのカウンターパートは教育省の下にあるカイロ大学だが、保健省傘下に小児専門病院は無いので、小児医療に関しては当病院がその頂点に位置する。このため三次医療(高度治療)が必要なすべての患者が、保健省のシステムを一切経由せずに、直接ここにリファーされてくる。すそ野を含めて小児医療のシステムがあまり機能していない中で巨峰がそびえ立っている状況である。本来この病院は高度医療だけを分担するはずであるが、今一つの小児病院(これもカイロ大学の付属)が先年の地震による被害を受けて現在改築中で閉鎖されていることもあって、当病院を訪れる患者が非常に多い。

 運営費用の不足、ないしは支出にかかわる官僚的硬直性に関する問題点が指摘されている。この対応策として、一部病棟の「有料ベッド」化が行われている(原則的にはエジプトの公共医療は無料あるいは低廉である)。有料化することによってメインテナンスコストをまかなうとか、人材をつなぎ止めるということは、米国などのドナーからも奨励されている。しかし一般庶民・患者から見た場合には「安価=公立:高級=私立」という棲み分けが存在している社会で、カイロ大学小児病院が「高級な公立」を目指すことは意味のある事なのだろうか。高級でありたいし最高峰でありたい、しかしそのための資金が不足している、同時に公立病院としての使命もある。これらを両立させようとするところに、社会的な持続性は期待できるだろうか。「高級な公立」の存在意義は何なのかが問われなければなるまい。

 この件に関連して、カイロ市内の高級住宅地にある「ミスル・インターナショナル」という私立高級病院に調査に行ったが、ここのスタッフはほとんどカイロ大学の病院と同じである。午前中はカイロ大学の病院の先生、午後は私立病院の先生ということで、医療のレベルは非常に高い。人材が同じで、給与水準が異なる以上、カイロ大学小児病院がミスル・インターナショナルよりも高度、良質な医療を提供できると考えることには無理がある。「高級な公立」の存在意義を、彼らは教育病院である点に求めている。カイロ大学医学部は日本で言えばいわば東大医学部であり、そこはエジプト医学(あるいはアフリカ、中近東の医学)の頂点でなければならず、この「特殊なステイタスを理解して欲しい」とのコメントが複数の関係者からあった。この「プライド」、「威信」自身は理解できない事もないが、それを日本の無償資金協力でまかなう事は妥当なことであろうか。

 94年1月13日付けの毎日新聞に、この病院に関する批判記事が載っている。これはカイロ特派員が書いたものだが、主旨はこの病院ではお金を持って行かないと後回しにされ、その結果子供が死んでしまったというものである。事の経緯の解釈は別として、そうした事件があったことは事実であろう。かならずしもフェアな報道とは言えないかも知れないが、そういう批判が全く的外れではなく、庶民からは若干距離があるのもまた事実である。とはいえ、この病院はそもそも高度医療を目指したもので、庶民から距離があるということをもって、自動的に批判されるべきものではない。

 冒頭に述べたように、当病院が医療技術面では「最高水準の維持」に一定の成果を上げてきていることは事実である。現在JICAから派遣されている6人の長期専門家すべてと面談したが、彼らが一律に指摘するのは「マネジメントのレベルと技術レベルとの乖離が甚しい」という点である。プロジェクト開始以前は、エジプト側のマネジメント能力に応じた技術レベルであった。ところが日本の技術協力が入ることで技術レベルは向上する。エジプト側カウンターパートも技術的には高度なことを望むし、何とかこなしてはいる。しかし、高度化した医療技術に見合うだけのマネジメント能力が欠如しているということである。その結果が先の新聞記事のような事例につながるのではないだろうか。あるべきマネジメント能力と現実のマネジメント能力の間のギャップは技術レベルが高度化するにしたがって拡大しており、結果としてそれを埋めるのが専門家の役割となっている。ここに専門家の苦労と悩みが凝縮されているように見受けられた。技術の高度化を図るほど、それにつれて専門家の悩みが大きくなっていく構造にある。これ以上日本人が間に入ってギャップを埋めることは、少なくとも援助終了後の社会的持続性を考える場合には望ましい事ではないと判断されよう。この問題は、この病院に対する今後の援助を考える場合に非常に重要な点であろう。

 ただし、教育文化センターも小児病院も、エジプト側が期待した効果は非常に良く果たされているし、相手側から非常に高く評価されているのは確かで、この点はおさえておく必要がある。

 

(写真)手術室で機械の扱い方を説明する専門家

 

【イエメン】

 イエメンでは昨年1994年5月から7月にかけて内戦があり、これにともない我が国からの援助はすべて停止され、JICAの専門家、青年海外協力隊員らは全員引き上げた。

内戦終了後94年12月に外務省の安全確認調査団が訪問し、援助再開を確認しているが、(長期)専門家・協力隊員の復活は未だに実現しておらず、この点に関してイエメン側から再三の期待が表明された。

(3) 道路公社建設機械センター

 当建機センターは、イエメンの道路建設の主体である「道路公社(ハイウェイ・オーソリティー)」所有の多くの道路建設機器(シャベルカー、ロードローラー、掘削機、大型トラックなど)の稼働率を上げ、道路建設の効率を上げるべく、そのセントラル・ワークショップとして無償資金協力で建設され、1994年6月に建屋が完成、併せて機器修理用の機材も据え付けられた。本件は技術協力とセットになる計画で、JICA専門家も2名人選され派遣前研修を受けていたが、内戦で派遣中止になった。したがってこのプロジェクトでは最初からJICA専門家が存在していない。こうした経緯にも関わらず、少なくとも修理に関しては効率的に維持・管理されている。評価者が過去十数年間にイエメンで視察したプロジェクトの中でも最も良く維持・管理されているプロジェクトと言えるだろう。

 その理由の一つには、受け皿機関の道路公社がイエメンの他の政府系組織と比較した場合、かなり広い自立的な権限を持ち、財政基盤もしっかりしており、組織運営も非常に整然としていることがあげられよう。これは同公社の総裁が首相経験者であり、その後もつい最近まで公共事業大臣のポストを維持し続けてきた人であり、1970年代以降のイエメンの道路網整備を実質的に切り盛りしてきた実力者であることによっている。同氏は高齢のために最近閣僚ポストからは退いたが、道路公社の総裁ポストだけは維持している。このため関連省庁である運輸省、公共事業省の大臣も同公社の運営に口を出すことができない。イエメンでも政治的な理由で道路建設が決まることはままあり、その場合道路建設資金は時によっては大統領から直接配分されるので予算的な制約も少ない。また、政府の道路建設プロジェクトを民間の建設業者に下請けに出すこともあるが、その場合は道路公社が政府の委託を受けて監督業務を行い、この業務によっても政府からコンサルタントフィーを受け取ることができる。また、政府関連機関が建機を輸入する場合、同公社が外国の建機メーカーの代理店契約を持っているので、この輸入業務からも収入がある。

 ところで、同案件が行われた背景には、イエメンの道路建設における日本製建機の重要性がある。ある日本の建設機械会社はイエメンにおける道路建設機械の70~80%のシェアを持っており、長年にわたる使用、過酷な使用条件、不適切な操作・管理技術などとも相まって、その修理へのニーズが高い。このため本案件は1980年代後半に「日本でなければならない」プロジェクトとして、当時公共事業大臣であった総裁自らによって要請された。このような背景があるため、内戦によって専門家派遣は実現しなかったものの、技術指導のためにドバイにある同社のエージェントからエジプト人エンジニアが一人派遣されている。これは同社の費用でまかなわれており、比較的きめの細かいフォローアップが行われている。

 また本案件が日本のプロジェクトであることは、関係者の間では強く認識されており、イエメンにおける日本の存在感を強調することに寄与していると思われる。

 このように、同建機センターが比較的順調に維持・管理されていることを踏まえて、イエメン側は「今の設備能力では順番待ちをしている機器(同センターのヤードに百台以上並んでいる)の修理を済ますのさえ何年かかるかわからないので、修理能力を倍増すべく設備を拡大したい」、「当初から計画されていたトレーニングコースも開設したい」としてプロジェクトの「第二フェーズ」の実施を求め、専門家の派遣を求めている。

 トレーニングコースは日本人の専門家がいないと実施できないということである。無償資金協力で建設した建物の中にはJICA専門家用の部屋が確保されており、先方はその部屋を空けたままで待っているところにも、先方の期待の高さがうかがわれよう。

 こうした現状からみて「第二フェーズ」の支援には意味があると思われる。また、第二フェーズを行っても同プロジェクトはイエメン側による社会的持続可能性が高いと思われる。ただし内戦勃発によるハプニングとはいえ、「日本人なし」でやっている現状を損なわない配慮が必要と考えられる。日本人が入るとしても、せっかくの「自助の芽」を摘み取らない程度に彼らの活動を側面から支援することに徹するべきであろう。同公社にはそうした自助の能力が潜在的にあると考えられるからである。

(4) 「アッシール婦人訓練センター」(家族開発社会機構/SOFD)

 受け皿となっているNGOは「家族開発社会機構:Social 0rganization for Family Development」で、その本部に草の根無償資金協力でミシンを供与した教室がある。このNGOの活動内容、無償で供与した機材の使用状況については全く問題がない。SOFDはサナアのバラック居住地域を対象に貧民層の女性、少年に対する職業訓練支援、識字教育、母子衛生関連の活動などを積極的に行っており、NGOの活動環境が良いとは言えない同国における数少ないNGOとして刮目すべき活動をしている。特に、単に女性だけではなく、貧しい家庭の全体としての生計向上を視野に入れていることは評価すべきであり、本案件名「婦人訓練」はSOFDの活動方針に照らすと適切ではない。

 SOFDの活動は高く評価できる。が、現在多くのドナーから脚光を浴びているゆえに援助資金の流入が加速化している。わが国からの草の根無償資金協力もその一つであるが、こうした資金流入に応じて、活動を急速に拡大し過ぎると、将来的には社会的な持続可能性が損なわれる危険性があるので、今後の資金投入には慎重を期すべきであろう。

 一方、本案件は日本から供与したミシンで服を作っているのだが、これを販売することによって活動経費をまかなうことになっており、売れなければ活動は持続できない。

 このため活動の持続性のためには、縫製した被服のマーケティング努力が不可欠であるとSOFD自身も自覚している。しかし外国製(中国など)の安価な工場縫製製品が市中に出回っている現状を考えるとこれは容易ではない。この点、たまたま評価者が建機センターを訪問したときに聞いた話では、「作業用のユニフォームを作りたいが、市中で買うと高いので無理」ということであった。もしもSOFDが作った服を建機センターのユニフォームとして販売することが、例えば日本大使館の紹介などによってできるならば、これらプロジェクトを有機的に連関させることも可能となろう。このようなきめの細かいフォローアップに現地大使館のスタッフが多少骨をおることも、我が国援助プロジェクトの社会的持続可能性を高めるための努力として必要なのではないだろうか。

(5) ハズ村飲料水供給

 本案件は、サナアから北西に車で一時間程の乾燥農業地帯の村(ハズ村)に、草の根無償資金協力で水源から村の中のタンクまで給水し、そこから各戸に水道を引いているものである。本案件の水道施設は、村人の自助努力によって非常に適切に維持・管理されている。水道料金徴収も村人の組織で自主的にきちんと行われている。よほど大きな技術的トラブルがない限り、本案件も社会的に持続可能なものと判断される。また、村人の間にこれは「日本の援助」であるということの認識も大きく、村人の日本に対する好ましい認識醸成に寄与している。

 本案件の成功の最大の要因は、案件の受け皿選定が適切であったことに求められる。すなわち、管理能力のある受け皿を見いだせば草の根無償資金協力はうまくいくということの典型例である。しかし、この案件の受け皿は厳密にはNGOではない。要望調査書にはNGOあるいは「Local Development Council」が受け皿として書いてあるが、実質的には日本大使館との「Face to face」のコンタクトがある計画省の役人が受け皿であり、ハズ村はこの人の出身村である。この役人は有能で、好人物であり、草の根無償資金協力のスキームを開始した当初、彼の村にこういうプロジェクトはどうだろうということで、行われたものと考えられる。

 評価者はこれを「利益誘導」とか「汚職」として批判しているのではない。むしろそうした不正を防ぐために、受け皿の信頼度が優先された案件選定であったと言えるだろう。実際に資金はプロジェクトのために適切に支出されており、何よりも村人たちはプロジェクトから日々利益を得ていることは確かであり、われわれの税金が無駄になっているわけではない。案件選定過程になんらかの偶然性が働いたとしても、それが良い結果をもたらすならばそれ自身が悪いとは言えまい。しかし、ハズ村でなければならない必然性が少ないのも事実であり、この点の説明を求められた場合、どのように説明するかのロジックを備えておくべきであろう。そうでなければ、同村からさらなる援助要請があったり、周辺の村から自分たちの村にも同様な援助がほしいと言われたときに対処する基準がなくなってしまうからである。とりわけ周辺村に「ジェラシー」を引き起こしてしまえば、日本に対する逆恨みを買うこともないとは言えず、その場合には日本の援助プロジェクトの社会的持続可能性になんらかのマイナスの影響を及ぼしかねない。

3-3. 「社会的に持続可能な援助」をめぐるいくつかの問題点

(1) 「誰が稗益するのか」

 ODAの原資を担う日本国民としては「その援助プロジェクトによって誰が利益を被るのか」が気になるところである。とりわけ無償援助案件ではこの点が評価の際の重要な基準の一つとなる。エジプトの2案件は、これまでこの点で議論があった。この点について日本側とエジプト側の認識の間には大きなギャップがある。

 まず教育文化センターについて言えば、エジプト側はこれが徹頭徹尾「高級」であることに価値を見いだしている。したがって「庶民」への被益というようなことは一切視野に入っていない。この点は日本側がいくらそれを求めても無理だろう。

 また、カイロ大学小児病院についてもエジプト側は「庶民」を対象として考えてはいない。ここでもエジプト側の当プロジェクトに対する評価と日本への期待は「最高水準の維持」にあるのであって、それ以外には一切無い。実際、庶民を対象とする「一時医療/PHC(プライマリー・ヘルス・ケア)」や母子保健は保健省の担当であり、本病院は教育省の付属病院であって、保健省のプロジェクトとの間に直接的な連関はないし、また保健省の側にもカイロ大学の側にもその意識はない。エジプト側のこの様な認識を、日本側はきちんと認識しておくべきである。

(2) マスコミの批判に対する対応

 両プロジェクトは中近東・アフリカ随一の大都会カイロに存在するゆえに、多くの人の目にも触れるので日本のマスコミも幾度か両プロジェクトを取り上げている。その場合の中心となるのは上の「誰のためのプロジェクトか」という点である。マスコミの批判には断片的、一方的なものも少なくなく、外務省としても対応に頭を痛めていることと思うが、これまでの両プロジェクトに関する外務省の対応には若干の問題があると思う。

 教育文化センターの場合は、完成直後の1988年の10月に朝日新聞の投書で「こんな賛沢なものを作る必要があるのか」という指摘があったという。評価者は実際の新聞記事を見つけられなかったのだが、これに対する外務省の反論は「確かに高級ではあるが、庶民にも裨益する」という主旨のものであったと聞いている。また、今回調査の下調べの段階でも、小児病院に関しては一直接的には庶民のレベルでないとしても、ひいては庶民に裨益する」、教育文化センターについても「最近は子供の教育などで文化の普及に務めている」という説明を聞いた。

 しかしながら、上に指摘したように、教育文化センター、小児病院いずれも、エジプト側の捉え方は庶民に裨益することを目指したものではなく「高級」であることに意義を見いだしている。にもかかわらず、日本側だけが「風が吹けば桶屋が儲かる」式に、「ひいては」庶民の役に立つといった説明はすべきではない。もとより日本政府の意図と期待はそこにあったとしても、プロジェクトの主体であるエジプト側の意図がそこにはない以上、そのような説明のしかたをすることは、結果として国民を欺く事になるのではないだろうか。

 マスコミの批判は時にセンセーショナルにすぎることもあり、的を得ていない場合も多々ある。しかし事実誤認を指摘することによって反論は事足れりとするやり方は生産的ではない。むしろそのプロジェクトが本質的に持っている問題を正面から受けとめた上で反論すべきであろう。教育文化センター、小児病院に関しては、そもそも高度な文化、高度な医療を求めるものであり、庶民に直接裨益することを目指したものではないということを正面から説明すべきで、その上でこうしたプロジェクトを行う意義があるのだと反論するべきであろう。そうでなければこの様なプロジェクトは、将来的に日本国内における社会的な支持が継続することは期待できない。

(3) 顔の見える援助」をめぐって

 「顔の見える援助」という概念については様々な解釈が可能である。教育文化センターのようなプロジェクトは「日の丸がみえる」という意味では効果があるし、存在感を誇示することにもつながるが、それにともなうリスクも当然ある。

 また「日の丸が見える」ことで途中で引けなくなってしまう、泥沼に陥るということもあり得る。無償資金協力、技術協力を問わずカイロ大学小児病院にかかわる計画書や調査団の報告書の冒頭には「当病院は『日本病院』として、親しまれている」という一文が必ず書いてある。これはいわば口説き文句である。無償の第二フェーズで建物の5、6階部分を建て増す時にもこの一文が重要な決定要素となったものと考えられる。1~4階は日本が建てて親しまれている、だからこのメンテナンスと拡充も日本がやらなければならない、というロジックである。しかし、これは非常に危険な罠ともなりうる。

 「日本病院」として親しまれているとしても、それをもってわれわれが次の無償なり技術協力なりの援助を行うことを正当化する理由としてよいのか。とりわけ本来の無償資金協力なり技術協力の援助目的に照らしたとき、正しい判断の根拠となり得るだろうか。こうした口説き文句は、相手側もその効果を計算してかなり意識的に使っている点に注意が必要である。

(4) 草の根無償資金協力発掘作業

 一般に「草の根無償資金協力」の案件発掘は非常に難しい、特にローカルレベルでの情報に対するアンテナが少ない国ではその傾向が強い。イエメンではこの草の根無償資金協力のスキームが始まってから3、4年続いているが、当スキームの滑り出し段階では、他のドナーからの評価も高い優良NGOの「安心案件」から始めた。これは妥当な戦略であり、実際にうまく行っているし、成功によるデモンストレーション効果も大きい。

 しかしまもなく大使館等手持ちの優良NGO案件のストックはタネ切れになることが予想される。良いNGO、あるいは信頼できる相手のいる場所はそう多くはない。

 その時に少ない大使館スタッフで、どのように適切な案件を選ぶのかが非常に重要になってくる。経済協力の専門担当官がいる訳ではなく、協力隊員もいないし、JICA事務所も無いというイエメンのようなところではとりわけ大変である。

 エジプトでも同じで、数多く応募はあるがその「スクリーニングが大変である」との担当官の指摘があった。この草の根無償案件発掘に関しては根本的な解決策を探らなければ、いずれ問題が発生することが懸念される。本年のバングラデシュの有識者評価報告でも指摘されていたが、草の根無償は今後かなり歩留まりが低くなる可能性がある。このリスクをどう回避するのかが検討されなければならない。

 例えば、草の根無償スキームの専門家(JICA、外務省などから)と、地域の専門家(外部から)の二人一組のチームによる定期的巡回調査などを派遣することによって、相手国の状況を理解した上で優良案件を選ぶことも可能ではないか。このような方法で、現場担当官の時間(他の業務との兼務)、経験(援助業務の不慣れ)、知識(過去の当該国の援助の経緯)の不足を補うことが考慮されてよいと思われる。

(5) 戦略援助

 上のマスコミによる批判とも関連するが、そもそもODAはすべからく庶民を対象にしなければならないのかという議論がありえよう。これはODA大綱に欠けている部分であって、誰をターゲットにするかということはODA大綱には書いてないのである。

 したがって、一つの考え方としては、庶民を直接の対象としないODAがあっていいのだと主張することは可能であろう。他の地域とは異なる、中東に対する援助の理由付けとしてしばしば「戦略援助」ということが言われる。すなわちアラブ・パレスチナ問題を含めた地域の安定性に寄与するエジプトの重要性のゆえに、「戦略援助」が必要であるという議論である。エジプト側も援助要請にあたって再三「エジプトの特殊性」を強調する。この「特殊性」には地勢学的、政治的、外交的配慮が含まれ、通常の援助における人道的、経済発展的観点だけでは説明できない。この場合、どの様な援助を実施するかを決定するのは「政治過程」である。教育文化センターや現在検討されている「スエス運河に架ける橋」などはこうした「戦略援助」の例として捉えられるかも知れない。

 「援助」も国際社会の中に生きる日本の「外交」の一環であるという立場に立てば、そうした援助が存在してもよいだろう。しかし、評価者はその場合にも国民に対してはそれを正面から説明すべきだと考える。一般的な無償援助のロジックで説明しようとするから無理がある例も多々あろう。そのような「戦略援助」の必要性をどの程度国民に説明できるのか、説明して納得してもらえるのかは困難な問題である。しかし困難だからといってそうした説明を避け、その代わりに「ひいては庶民に裨益する」というような説得力の乏しい対応を行うことはODAに対する国民の支持を確保する戦略として適切な対処とは言い難い。なぜならそれは結果として国民の支持を失うことになりかねないからである。援助プロジェクトの社会的持続可能性を左右するのは、途上国の社会状況だけではない。日本社会における支持がなければ、そもそも援助プロジェクトは実行できない。

(6) 在外公館の経済協力実施体制

 これはエジプト、イエメンに共通して言えることだが、経済協力担当官が自分の着任以前に当該国と日本側との間でなされた交渉の経緯を把握していないことがほとんどである。相手側の担当者の交替はそれほどないので、同じ人間が日本との交渉を継続して行っており、これまでの経緯を把握している。したがって場合によっては重要な事実を日本人だけが知らないということもありえ、相手側がこれを活用する可能性もないとは言えない。やはり過去の経緯をきちんと引き継いでおくべきだし、少なくとも主要な出来事、やりとりに関しては把握しておく必要がある。また、日本での批判の動向にも注意する必要がある。例えば、教育文化センターに関する新聞記事のファイルが在カイロ大使館の経済協力班にも、広報文化センターにも、本省の地域課にも見あたらないといった状態は好ましくない。もしもそうした記録の蓄積をすべて自前でやるのが難しいならば、情報開示をすることで記録を蓄積する人を増やし、また広い意味での地域専門家を活用することを考えて良い。その地域を継続的に見ている人であれば、過去にどのような案件があり、それをめぐるどのようなやりとりがあったかを知る機会が多いだろう。本省の外交官が3年程度の自分の任期以外のことを周知することは不可能であり、むしろそうした外部人材を活用して援助案件の形成や、継続的なウォッチのために動員することを考慮してよいのではないか。

 またイエメンの場合は日本人館員が少なく他の業務との兼務が多いために、大使館全体としてもこれまで援助に関連する省庁と我が国の間にどのようなやりとりがあったのかという経緯を把握し切れておらず、また今後どのような案件発掘の可能性があるのかを十分に調査する余裕がないように見受けられた。その理由はなすべき仕事量が多すぎること・十分な基礎情報を入手する制度的な手だてを持ち合わせていないことに求められる。

 現在イエメンでは援助受け入れ官庁(計画開発省)内に派閥争いが存在し、大きく二派に分かれているのだが、これまで大使館は一方の側としかコンタクトがなかった。情報の客観性を高めるためにもぞうした事情を考慮した上で双方とコンタクトを図る必要があろう。また過去に築かれてきた大使館とイエメン側の役人などとの人脈が引き継がれていない。例えば1990年の南北統一前まで日本担当であった計画省の役人は、現在同省の別のポストにいるが、間接的に日本のプロジェクトとも関係がある。しかし大使館側がきちんと人脈を引き継いでいないために、過去三年間日本との接触が途絶えていた。これは非常に残念なことであり、これまでの日本の援助の経緯を知っている人を一人でも多く「日本ロビー」として活用する努力が必要ではないだろうか。

 このような事情については、実は経済協力担当の大使館のローカルスタッフが承知しているのだが、ローカルスタッフに全く権限がないために人脈が引き継がれない結果となっている。もちろん日本人スタッフを増やすことが望ましいが、同時にローカルスタッフ(イエメンの場合は過去10年ほどやっている)にある程度の権限を与えることを考えて良い。それは草の根無償案件のこまめな発掘ともつながる一つの対応策となり得よう。もちろん、そうした権限を与えることによって汚職や利益誘導を起こさないようなチェック体制は必要だし、最終決定は日本人がするべきであろう。しかし案件の情報収集、初歩的スクリーニングの一部は任せることで日本人スタッフの負担を減らすことができるし、日本人以上に現地の事情を理解したローカルスタッフの判断を活用することは意味がある。

 また、誰にでも納得のいく明文化された草の根無償資金協力の案件選定基準を定めることによって、作業の効率化、公正化を図ることも必要であろう。

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