国際協力の現場から 02
きめ細やかで高い技術の義肢装具製作を人々に
~東ティモールにおける義肢装具士の奮闘~
2002年にインドネシアからの独立を果たした東ティモールでは、岩手県ほどの広さに約118万人が住んでいます。独立後は石油・天然ガスを中心とした豊富な資源収入を背景に、近年はGDP成長率が約4%超となる経済成長を遂げてきました。しかしその一方で、医療関連インフラの未整備により医療施設へのアクセスが容易ではなく、医療関係者の人材不足や質の低さなどの理由で保健分野の水準は極めて低い状態にあります。
東ティモールには、独立戦争時の負傷、病気、交通事故、不慮の事故などで手足を失い、日々の生活に支障をきたしている人々が多く存在しています。特に地方ではワニによる被害で手足を失う人もいます。ところが、こうした人々への義肢や、脊髄損傷、脳梗塞などの後遺症のある人々へ装具を提供できる義肢装具士は、アシスタントも含めて国内にわずか5名しかいない状況でした。
義肢装具士の宮田祐介(みやたゆうすけ)さんは、青年海外協力隊員として現地の国立リハビリテーションセンターに2016年7月から派遣されています。このセンターは、東ティモールの首都ディリにある国内唯一のリハビリテーションセンターで、この国で義肢装具が必要な患者は全員がここで診察を受けています。

装具製作指導を行う宮田隊員。(写真提供:宮田祐介)
同センターのスタッフは、首都ディリ以外の地方も巡回訪問し、手当てが必要と診断された人々を同センターで診断し、適切なリハビリを行うとともに義肢、装具の提供を行っています。宮田さんは、派遣された当初の現場の様子を次のように振り返ります。「現在は、現地の同僚が5人、自分を含めて6人で活動していますが、ここに来た当時、正直なところ義肢装具の質自体は非常に低い状態でした。たとえば、患者さんに義足が合わなくて痛みがあって歩けないような状態でも、それは患者さんの脚が悪いと判断してしまうような状況でした。しかし、それは技術的に解決できる、という基本を教えることから始め、その後少しずつ一緒に仕事をしながら義肢装具技術を指導してきました。」
宮田さんはまず患者からの聞き取りを行い、装具が必要とされる部位の麻痺や怪我の程度を判断した後、必要な装具製作を行います。また、過去に装具を提供した患者に対し、身体の状態変化に合わせた装具の修正も行っています。交通事故などで手足を失った患者は、1週間もすると筋肉の減退などにより装具の接続部となる部位の太さや形状が微妙に変化してしまうため、短時間での装具製作が重要になります。現地の同僚が1か月かけて製作する装具を、宮田さんは早ければ2、3日で製作することもあり、約10か月の派遣期間の間に新しく製作した義肢装具は100個以上に上ります(2017年5月時点)。東ティモールの高温な気候に合わせ、装具に穴を開けて通気性を確保するなど、使用者を第一に考えた工夫も多く施してきました。こうした繊細で、かつ高度な技術に裏打ちされた仕事は、実際に装着した多くの患者に感謝され、医療関係者からも高い評価を得ています。一方で、宮田さんは、同国には特有の課題もあると指摘します。

子どもの患者と装具の歩行練習を行う宮田隊員。(写真提供:宮田祐介)
「東ティモールで大きな課題となっているのが、住民のみなさんの医療に対する意識です。病気や怪我で病院にすぐ行くという習慣がありません。各地域には祈祷(きとう)師のような人が行う伝統医療が根強く存在していて、たとえば骨折をした場合でも塗り薬だけで治療するようなことが普通に行われています。実は、同じ施設で働くスタッフが先日骨折してしまったのですが、そんな医療関係に勤めている人でさえ病院に行こうとせず、伝統医療で治そうとしていました。スタッフが地方を訪問し、治療や義肢装具などを必要とする患者を探すようなことを行っているのには、こうした背景があります。まず、伝統医療による治療の遅れを少しずつでも直していき、病院は怖いところではないということを伝えていきたい」と宮田さんは話します。
同国には地域住民の医療への認識の改革、新しい技術者の育成など未だ多くの課題が存在しています。義肢装具士である同僚に対しての医療的・技術的な支援や助言を行う日々の中、日本の高い技術を駆使して「患者第一」をモットーに、宮田さんの奮闘は続きます。