国際協力の現場から 03
干物ビジネスで女性たちが立ち上がる
〜スリランカの漁村で貧困に苦しむ女性を支援〜

日本が提供した乾燥魚づくりのための、木箱等の道具(写真:西森光子/パルシック)
スリランカ北部の先端に位置するジャフナ県は、三方を海に囲まれた漁業が盛んな地域です。長年にわたる内戦と2004年のインド洋津波の被害によって、夫を失った寡婦の世帯が増加。2010年のデータでは、寡婦の数は北部だけで約4万人に上るといわれます。女性が夫の代わりに漁業を行うことは伝統に反するとされ、女性に残された仕事の選択肢は限られているため、寡婦世帯の多くは貧困状態にあります。こうした女性たちは、獲った魚を仕分ける作業をしたり、余った雑魚で乾燥魚(干物)を作るなど、漁業周辺の仕事をしながら細々と生計を立てていました。
本格的な乾燥魚づくりを支援
国際協力やフェアトレードを主な活動とする特定非営利活動法人パルシックは、2003年、内戦の停戦中にこの地へ調査に入り、2004年にジャフナに事務所を設置して寡婦に対する支援を開始しました。もともとスリランカには干物を食べる習慣がありますが、砂が混じっていたり塩分が多いなど、製造方法には問題も多かったといいます。そこで、寡婦の収入源として品質の良い乾燥魚づくりを学んでもらい、本格的な乾燥魚づくりを支援していこうとした矢先にインド洋津波が発生しました。2005年からは津波被災者支援に切り替えて活動を行いましたが、その後、内戦が再開して撤退を余儀なくされました。内戦終結後の2010年になって、ようやく乾燥魚事業を本格的に開始することになり、JICAの支援を受けて、草の根技術協力事業※1「ジャフナ県乾燥魚プロジェクト」がスタートしました。実施期間は2010年10月から2013年9月までの3年間。2010年12月に現地へ入り、プロジェクト終了まで携わったのが、パルシック民際協力部の西森光子(にしもりみつこ)さんです。
「このプロジェクトでは、寡婦の女性たちの生活向上のために、一定額の収入を継続的に得られるようにすることを目標に、乾燥魚づくりの支援を行いました。ジャフナ県の女性たちは、ヒンドゥー教の影響もあり、男性に守られる存在として育てられるため、周囲から経済的な自立を期待されておらず、成人しても自ら現金収入を得たことがないという人が大勢います。こうした社会で育った女性たちが、内戦や津波で夫や男兄弟などを失ったことで、自ら稼がなければ子どもたちや自分自身すら生きていけない状況に追い込まれてしまったのです。」
パルシックは、日本から漁師を招いて衛生的な乾燥魚づくりの研修を行い、品質管理や販路の開拓、経理記録をつけるための研修なども実施。従来は魚を地面に直接置いて乾燥させていたため衛生的にも問題がありましたが、乾燥させるための専用の木箱なども提供し、衛生的で品質の高い乾燥魚づくりを支援しました。しかし、プロジェクトを進めていく上で、いくつかの困難にぶつかったといいます。
スタッフの意識が変わる
「最初に直面したのがカーストの問題でした。ジャフナ県はスリランカの中でもとりわけカースト制度が強く残る地域で、漁民カースト※2以外は、一般的に魚を扱うことを嫌がる傾向があります。また、ヒンドゥー教徒にとっては、魚の匂いや殺生(せっしょう)をする仕事を忌(い)むところもあるようです。パルシックのスリランカ人スタッフも、村の女性たちにアドバイスや指示はするものの、実際に魚に触れたり、干物を運んで販売を手伝うことにはためらいがあったようで、干物の販路がなかなか広げられないことが大きな問題でした。そこで、販路の開拓には外国人の私が積極的に同行するようにしました。干物店主に対して、日本人がかかわっていることで品質の良さを印象づけることもできたようで、取引を開始するきっかけにもなりましたね。取引がうまくいき始めると、スタッフの干物に対する意識も変わってきました。スリランカ人スタッフが自ら村の女性たちとの仲介を引き受け、取引量の拡大に積極的に取り組むようになりました。」
漁業の盛んな日本から来た専門家が衛生的で高品質の干物づくりを直伝し、製造から販売、収益確保まで一貫して教えることによって、「これまで十分な収入が得られなかった寡婦の女性たちに対して、持続的に収入が得られる手段を具体的に提示できました。」と西森さんはいいます。と同時に、「それまであまり横のつながりがなかった女性たちがグループとして働き、互いに話し合い、助け合いながら協力関係を築けたことも大きな成果だと考えます。」
漁村の女性たちの生活が向上

寡婦の女性たちの乾燥魚づくりを手伝う西森さん(左)(写真:西森光子/パルシック)
プロジェクトに参加した寡婦の一人、7歳の子どもを育てる20代のアヌシャさんはこう語ります。
「村の漁業協同組合からこの話を聞き、自ら収入を得られるようになる良い機会だと思い参加しました。道具類も与えられ、最初に魚を買うための費用も負担してもらえたことで、無理なく干物づくりを始めることができました。特に、日本人の専門家が自ら干物の作り方を実際に見せてくれて、衛生的な干物づくりを直接学ぶことができた点が大きな助けになりました。また、スリランカ南部での鰹節(かつおぶし)づくりの研修やコロンボでの市場訪問など、南部を訪問できたことも良い勉強になりました。このプロジェクトに参加したことで、好漁期には良い収入が得られるようになり、土地を買うこともできました。今後は、息子に良い教育を受けさせるためにも、鰹節以外の干物づくりにも挑戦し、生産量も増やしていきたいと思います。」
また、3人の娘を持ち、現在、下の娘2人と暮らす50代のバヌマティさんは、「16年前に夫を亡くし、2004年の津波では息子と娘を亡くしました。自ら家族を養っていくため、干物づくりなどの仕事をしていましたが、干物の生産や販売をもっと増やしたいと思っていたとき、この事業のことを知りました。衛生的な干物づくりの方法を学べたことはもちろん、会計や利益の算出方法を学べたことは有意義でした。パルシックのスタッフに定期的に生産現場の様子を見に来てもらったり、販売について支援してもらったりしたことも効果的だったと思います。干物を見る目が養われ、高品質の干物を作ることができるようになったおかげで、ほかの干物よりも少し高い金額で売れるようになりました。この事業は、漁村の女性たちの生活向上にとても役立っています。」と答えています。
現地パルシック事務所で働く30代女性のスリランカ人スタッフ、アネシャさんは、今回のプロジェクトについてこう語ります。「日本の支援によって、干物の生産を始めるためのあらゆる資材や道具が提供され、女性たちが集まって作業をする加工場が建設されたことはとても有意義でした。また、西森さんが常駐し、3年間にわたる長期の事業が実施されたことの意義も大きかったと思います。西森さんをはじめ日本人は時間に正確な上、仕事ぶりが誠実で感心しました。今後も、干物づくりだけでなく、サリーのリサイクル製品の販売などにも協力しながら、引き続き女性たちの生活を支援していきたいと考えています。」
プロジェクトは終了しましたが、その後も女性の生活向上ための支援は続けられています。西森さんは、プロジェクトを振り返ってこう考えています。

乾燥魚を作る寡婦の女性たち。木箱などの資材は日本側が提供した(写真:西森光子/パルシック)
「プロジェクトに参加した女性たちが、収入を得られるようになっただけでなく、自信をつけたことで、より積極的に行動できるようになった姿を目にしたり、その様子を人づてに聞くと、この事業の成果を実感します。私自身、内戦の影響を受けた地域で暮らし、働くことは初めての経験でしたが、これまでいかに平和で自由な世界を当たり前に思っていたのかを思い知らされました。スリランカ北部では、単に欲しい物が手に入らないというだけではなく、女性の言論や生き方も制限されています。そんな中で、自ら働き、収入を得て、生きていく術(すべ)を身に付け始めた女性たちの姿にはたくましさを感じます。そして、こうした困難な場所に生きる女性たちにも日本のODAを通じて支援が届いていることを多くの人に知ってもらいたいです。先進国のように社会福祉制度が整っていない国では、日本や他の先進国からの支援が彼らの生活を支えている例が数多くあります。そうした海外の状況にも関心を持っていただき、NGOなどの市民活動にも参加していただけたらと思います。」
※1 国際協力の意思を持つ日本のNGO、大学、地方自治体および公益法人等の団体による、開発途上国の地域住民を対象とした協力活動を、JICAが政府開発援助(ODA)の一環として、促進し助長することを目的に実施する事業。
※2 カースト制度の下で漁業従事者とみなされている人々。