元青年海外協力隊(JOCV)隊員の楠原健一さんは、任地の西サモアから帰国後、九州の某大学医学部を受験し、見事、合格を果たした。
彼は、大学卒業後JOCVに応募、西サモアで活動しているうちに「医者になりたい」という願望を抱くようになったという。赴任先が無医村だったことで、開発途上国での医者の重要性を痛感したのだった。
西サモアは、サバイ島とウポル島の2つの大きな島と、小さな島嶼(とうしょ)群から成り立っている。1962年、南太平洋地域で初めて独立を達成した。面積は2831平方キロ、日本で言えば神奈川県とほぼ同じ大きさだ。人口約17万人、そのうちの9割がポリネシア系サモア人。島国のため、凶悪事件などはほとんどなく、ウポル島にある首都アピアですら、日本の小さな田舎町をほうふつとさせる。
彼の任地は、のんびりした雰囲気の漂う西サモアを代表するようなサバイ島のアオポ村。世帯数は約40戸、人口500人ほどのこじんまりとした村だ。
農業は自給自足で、余った物を売る程度。これといった産業もなく、外貨収入はもっぱら出稼ぎに頼っている。彼は、このアオポ村の長老会議の要請で、JOCVの村落開発普及員として赴任した。
アオポ村は溶岩台地の上にあるため、水資源に乏しい。そしてそれが「西サモアの中で最も貧しい村」と言われる所以でもある。村では以前から、オーストラリアやニュージーランドの援助で、井戸を掘ったり、数少ない水源からポンプアップして水を引いたりしようとしたが、どれも成功しなかった。
雨水タンクで一石二鳥を狙う
彼は赴任早々、この水不足の解消に焦点を絞った。カウンターパート(協力者)の一人でもあるマタイ(長老)の家に下宿しながら、水資源の調査に歩き回った。
年間の降水量、井戸掘削のコスト、メンテナンス、資金、これまでの前例などを調査した結果、現在、村人たちが利用している雨水タンクを大型化することが最良と判断。実現に向けて、次は本格的な金策である。
資金調達はJOCV支援経費から300万円、草の根の無償資金から350万円。その資金で、各戸の家族構成に合わせて、22トンと17トンの雨水貯蔵用タンクを全戸に設置することに決めた。乾期にもその水を利用して、野菜づくりや養鶏を可能にし、村の現金収入をふやしてゆくという一石二鳥の計画だ。
1号タンクが完成したのは、赴任してから8カ月目。彼の献身的な姿を目の当たりにして、村人たちは以前にも増して積極的に協力するようになった。タンクづくりの作業員たちの食事も、村人たちが負担し始めたのである。
雨水タンクの設置は順調に進み、楠原さんの2年間の任期中、アオポ村には農業用を含めて47個の雨水タンクが完成した。楠原さんの功績を称えるために集まった近隣の村のマタイたちは、楠原さんに脱帽、マタイよりも位の高いハイチーフ(伝統的首長)の称号を与えた。
余談だが、ハイチーフの就任式では、任命された者が村じゅうにご馳走を振る舞う習わしになっている。楠原さんは1カ月分の生活費をはたいたそうである。
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西サモアには、「アオポに雨が降る」という諺がある。“有り得ないことが起こる”の例えだが、47個の雨水タンクは、この諺を変えた。
楠原さんは、「アオポの人たちが好きです。だから彼らに必要な開発を手伝っただけなんです。今度、開発途上国に行く時は、医者として行きたい。無医村のアオポ村で暮らしているうちに、そう思うようになりました」と話す。
献身的な彼の夢は、医大に合格したことで、その第一歩を踏み出した。JOCVはこうした青年たちの情熱に支えられている。