ODAとは? ODAちょっといい話

アジアのポリオ根絶に向けて

 ワクチン投与で防げるはずの病気、ポリオ(小児麻痺)。それが原因で歩行が不自由になったり、亡くなってしまう子供が、アジア、アフリカを中心に、年間5千人いるといわれる。


ポリオ経口ワクチンの投与を受ける子供たち
 WHO(世界保健機構)は、西暦2000年までに地球上から根絶しようと各国に呼び掛けているのだが、途上国政府はなかなか財政的に手が回らない。そこで、日本政府は、ODA予算から各国へワクチン提供と技術協力を行うなど、積極的に関わっている。

バングラデシュの熱い1日

 ポリオ根絶計画は、5歳未満のすべての子供にワクチンを1か月の期間をおいて2回投与する方式。それを3年間続けて野生株ポリオウイルスが伝わるのを遮断、根絶しようというものだ。
 日本政府は、世界各地でUNICEF、WHO、ロータリークラブなどと協力して実施。バングラデシュでは、全費用の約半額を負担し、大成功を収めている。
 バングラデシュ政府は、96年5月16日をポリオワクチンの2年目の全国一斉投与(National Immu-nization Days:NID)と設定、その日を目指して、1か月以上前からキャンペーンを開始していた。
 行政府の建物、バス、テレビはもちろんのこと、宣伝用の垂れ幕、ポスターが町のそこかしこに貼られた。重要な交通手段であるリキシャは、ポスターをボディに貼り、宣伝用の歌を流しながら練り歩いた。
 一方で、保健省の指導員やフィールドワーカーらスタッフは、人々の目につかないところで奮闘していた。彼らは小さな村々を回って、どの村に子供が何人いるかを事前調査。母親たちがNID当日、子供を連れてくるように説得して歩くのである。
 こうして、文字が読めない人にも、情報の届きにくい地域に住む人にも、「ポリオのワクチンを受けて、病気を防ごう」の気運が盛り上がり、いよいよキャンペーンも終幕を迎えた。
 一斉投与の前日、アブドル・ラーマン・ヤージ保健大臣が国の保健センターを訪れ、ワクチン一斉投与を宣誓。いよいよワクチンは国の保管庫を出て県・郡の保管庫へ、保冷車を使って運ばれた。  さらにワクチンはコールド・ボックスに入れられて、リキシャで市町村レベルの保健所へ。そして、ワクチンを入れるすべての冷蔵運搬器材には、NIDのマークと日本のODAのマークが印してある。日本が供与した器材だからだ。
 そしていよいよ当日。まだ夜も明けぬ3時半、保健所で暗闇の中をボランティアがワクチンをキャリアーに詰め込んでいる。しばらくすると、リキシャがやってきて、それを村の仮設センターへ運んでいった。道路や空港などインフラ整備が行き届いていない状況ゆえ、人海戦術で運搬するわけだ。
 さて、会場の仮設センターには、朝7時ごろからすでに子供を連れ、着飾った女性たちが集まってきた。晴れやかな笑顔を浮かべながら、賑やかに列を作って待っているのである。見ていると、まるで何かのお祭りのようですらある。いつもの仕事を離れ、女同士のおしゃべりに花を咲かせているのだろうか。
 もちろん、センターに来られない人もいる。そうした女性たちのために、バスステーションやスラム街でも受けられるよう手配がされていた。1人でも多くの人が受けられるようにとの配慮だ。 ところで、その様子を嬉しそうな表情で見守っている日本人女性たちがいた。青年海外協力隊の保健婦である。彼女たちは日頃は絵カードを使って栄養と発育の関係を教えたり、生活状況を把握したりする、地味だが大切な仕事をしている。その合間を縫って、この日のために綿密な事前準備を重ねてきたのであった。
 日本人保健婦と共に保健指導員としてNIDに参加したラヒマ・カトゥーンさんは、こう語った。「バングラデシュの人々は医学知識がほとんどありません。だから、私たちが呼び掛けているのです。物を知れば意識が高まる。意識が高まれば病気も防ぐことだってできます。母親の意識が高まるように、私はNIDに参加したのです」
 カトゥーンさんの言葉は、日常の母子保健指導があってこそ、NIDの大キャンペーンが成功するのだと、教えてくれたのであった。
 この日参加したボランティアは55万人。受けた子供の数は2千万人以上。すべての子供に健康を――。そんな人々の熱意が国全体を覆ったかのような1日だった。

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