日本の種と農業技術で地域開発

インドネシアで栽培されるようになったマスクメロン 写真提供(財・オイスカ)
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日本は農業においても高い技術を持つのだから、技術指導を行ってほしい――そんな要望が日本政府に寄せられている。中でも、品種改良など努力を重ねて生み出した種や、栽培技術は、農業方法が安定していない途上国には魅力的な存在だ。
そこで、政府も農業分野への協力を重視、ODA予算から日本のNGOに資金を提供している。
フィリピンでコシヒカリ生産
ここはフィリピン・ネグロス島、活火山カンラオンのふもと、標高500 ~600mの穀倉地帯。一面に稲の緑が広がり、色づき始めた稲穂が農民に収穫のときを待ち侘びさせている。
政府から支援を受けた、ある民間団体が、ここカンラオン研修センターで、70年代末から日本米、コシヒカリを栽培しているのである。日本で研修を受けたことのある若者が、日本から技術者を呼ぶと共に、種もみ(といっても原種ではないが)を取り寄せ、栽培するようになったのだった。
年平均気温が25度。乾期にも山からの湧き水で水田に水を張れるし、土地は肥沃と、稲作には願ってもない環境なのである。この地に惚れ込んだ日本の技術者が「ぜひ作りたい。どんなにかうまい米が作れるに違いない」と意気込んだのも、無理はない。
現地の若者と技術者は共に栽培に精を出し、耕作面積は徐々に広がっていった。努力の甲斐あって、数年後には、フィリピンの最高収量を記録したのであった。
やがて、地元のプランテーション農家も作付けするようになり、地元の人々が食べるだけではなく、フィリピン在住の日本人家庭やレストランに卸すまでになった。その名も『Mt.FUJI RICE コシヒカリ』。“本家”の味に優るとも劣らず、値段も手頃で良心的とあって、需要は増える一方。日本食の人気の高まりが追い風になって、今ではこの地方の名産品となった。
センター運営に中心的役割を果たしているカレル・カドゥハダ氏は、こう語っている。「以前から地域の農民に農業指導をしたいと思っていたが、このセンターを任されて、やりがいがある。フィリピン人も日本人のような規律を身につければ、きっと自ら発展できる」
カレル氏は年間20人の地域の研修員を指導し、多くの農村青年が育っているのも見逃せない。育った人材は地域開発の重要な担い手なのである。コシヒカリの普及は、同時に現地の農民たちに“進んで働く”という姿勢も普及したようである。
インドネシアでマスクメロン
さて、コシヒカリの次は、マスクメロンである。ところはインドネシア・中部ジャワにあるカランガニアル。ここに1984年、日本から帰国したばかりの、なみなみならぬ意志を抱いた青年が、農業普及所長として着任した。ムルヨノ氏である。
彼は米作りを中心に年間20~30人の地元農民に、こつこつと農業研修を行ってきたが、彼の頭にはいつも、たわわに実る日本のマスクメロンの姿があった。あのメロンの、なんと甘かったことか。水分をたっぷり含み、繊細で、だれでも1度食べたら忘れられない味だった。インドネシアにはないあの味を、人々に食べさせてみたい。そうだ、あれを作ろう。
ムルヨノ氏は、米作りの合間にマスクメロンの栽培に取り掛かり、ほどなく成功した。農民たちは、採れたマスクメロンを食べるや、「これはうまい」と、びっくり。かくして、その味の良さに惚れ込んだ農民が各地で栽培を開始、インドネシア全土に拡がるようになったのであった。
多くの途上国では、農業が国の根幹である。日本の支援によって、農業が産業として確立し、農民が豊かになりつつあることは、大きな成果である。