ODAとは? ODAちょっといい話

途上国同士を結ぶ「三角協力」

 「内戦で生じた難民や地方農民が落ち着いて暮らせるように生活改善指導をしたい。そのための技術指導と、資金援助をしてもらえないだろうか」復興を目指すカンボジアが、そんな熱意を日本に伝えてきた。国民が生きる術を手に入れれば、産業に乏しく治安にもまだ不安を残すこの国でも安んじて暮らしてくれるだろう、国も安定するだろう、という狙いである。この意図を受け、92年7月に開催されたアセアン拡大外相会議で日本が打ち出したのが、アセアン諸国からカンボジアに技術者を派遣し、日本は技術指導と財政負担をする『三角協力』だった。
 協力の内容は、地方の農民の生活を改善するための、農業、教育、衛生、生活向上の技術指導である。


タイ専門家による洋裁指導
 対象となったのは、プノンペンの隣のコンポンスプウ州とタケオ州。プログラムの受益者は現地の農民である。日本はまず、この2つの州に指導拠点のセンターとサブセンターを作った。ここに、アセアン諸国のタイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンは技術者を派遣。カンボジアは土地、要員などの便宜供与を行い、国民への普及を行う。日本は青年海外協力隊の隊員と、JICAから専門家を派遣し、財政負担を行うという仕組みだ。
 さて、94年6月18日の開所式を終え、いよいよスタートである。センターでは主たる産業である農業のほか、窯業、魚の養殖、裁縫、単車修理など、身につければ現金収入になる技術が指導される。裁縫コースに参加した農家の女性は、内戦で一家の男の働き手を失い、「これで内職ができるし、少しは生活が楽になる」と喜んでいた。公衆衛生の指導には、インドネシア、タイの保健専門家が当たる。当初の心配をよそに、専門家のチームワークは極めて良く、実にスムーズに運営された。難しい会議などは英語でするのだが、日常会話は技術者も受講する農民も、国籍を越えて全員がクメール語でのやり取り。日本の隊員たちも2か月もすると、日常会話には不自由しなくなってきた。
 この三角協力はカンボジアでもアセアン諸国でも大きな話題になった。成功の秘訣は、カンボジアの発展段階に合った適正技術が供与されていること、派遣専門家、青年海外協力隊員が強い熱意と使命感をもって一人ひとりから、何が求められているのか確認したことだった。現在の日本が得意とする最先端の技術は、復興を始めたばかりの国には相応しくない。どんな技術が必要か、その見極めを行う“目”は、とても大切だ。日本からの支援は、まさにそうした現地ニーズをしっかり捕らえたプログラムだったのである。「対象地域を広げて、もっと農民全員が受講できるようにしたい。今後とも続けて欲しい」と、現地政府からの要望が日本政府に寄せられている。

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