ODAとは? ODAちょっといい話

中国内陸部の砂漠を緑化

 人口増加が進む中国内陸部。その奥深くに位置する内モンゴル自治区には、ゴビ砂漠、オルドス砂漠など広大な砂漠が広がっている。ここはかつて、森と草原の豊かな大地であった。それが約300年くらい前から砂漠化が進み、ひいては貧困を生み、貧困ゆえの無謀な農法がまた砂漠化を進行させる、と悪循環を生んでいる。
 ここで行われる農法とは、緑の保全をほとんどしない疎放な農耕と、草を食べ尽くすほどの家畜の過放牧の繰り返しである。これではいくら広大な土地とはいえ、たまらない。砂漠化は急速な勢いで進んでいる。これは中国だけではなく、もはや地球全体の問題である。グローバル・イッシューに積極的に対応しようと考える日本政府は、ODA予算からいくつかの民間ボランティア団体にNGO事業補助金を交付、植林など緑化活動を始めた。
 環境を変えるには、まず、植林の大切さを現地の牧民にわかってもらう必要がある。現地政府と専門家、牧民とで徹底的に話し合い、意思統一を図った後、綿密な調査を重ねて、緑化の方法を決めた。すなわち、まず防風林を作ってからその内側を開墾して、牧草、果樹、農作物を栽培するという計画だ。環境保全とアグロフォレストリー(森林農業経営)の両立を行うことで、地元牧民の生活を向上させようというのである。
 さて、防風林の植林だ。日本からは学生や企業の管理職、シルバー世代まで25名の“植林協力隊”が駆け付けた。中国側は技術者や小中学生から大人までの牧民らが実行部隊。両者は共同で「開溝造林」という植林技術にしたがって行った。ブルドーザーでまず整地、そこに1mくらいの溝を何列も掘ったところに木を植える、という現地式だ。 植えたのは1万本のポプラである。もともと草原地帯だったところなので、今でもある程度掘ると、木が育つには十分な水分が得られる。現地にぴったりの方式だ。
 植林は、回を重ねるごとに地元牧民の協力を得るようになり、日本の協力隊が到着するたびに伝統芸能の「安代(あんたい)の舞」で出迎えてくれるようになった。そして、その舞を日本人に教えてくれるのである。単なる国際協力だけではない、文化交流イベントだ。そして、日本と現地の人々とを融和させてくれる大切なかけ橋である。中国とはいえ、現地の公用語がモンゴル語であり、厳しい自然とも向き合わねばならない。厳しい壁を両国とも乗り越えようとしているかのようだった。
 舞を見ながら、現地技術者は満足げな表情で日本側隊長にこう語った。「もとから中国にあった方法を、日本からの資金と機材で実行できた。日本の支援に感謝する」  こうして、95年末までの7回、360haの土地に合計約42万本の木を植林したのである。
 次は農作物の栽培だ。防風林の内側に、95年に水稲、小麦、牧草を栽培してみたところ、地元牧民が自給するには十分の作物を得ることができた。現地行政府と日本側協力団体は、計画実現に確かな手応えを感じたのであった。
 最近行った現地牧民へのアンケートでは、全員が土地への自主投資を考え、半数以上が家畜を増やす意思があることがわかった。緑を再生することが大きな利益をもたらすと、彼等自身が認識し始めた証しである。
 現在は、こうした森の再生をさらに拡大して地域を広げ、日本の専門家を加えた大掛かりなものにしようと、中国政府と日本政府、民間団体との間で協議が行われつつある。
 国際協力が最終地点とする自助努力。日本の市民を交えてその意義を根付かせた功績は大きい。

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