グローカル外交ネット
スリランカでのJICA青年海外協力隊と隠岐海士町の職員を経験して
「なせばなる、なんとかなる、なるようになる」
島根県海士町 牧野稔氏への書面インタビュー
島根県海士町教育委員会 伝承教育係 牧野 稔
1 牧野さんの今までのご経歴を簡単に教えていただけますか。

1984年生まれの岡山県出身です。大学を卒業後、2010年4月に民間企業へ就職しました。そこでは11年働きましたが、いろいろと思うところがあり退職しました。次の仕事を決めずに退職したのですが、ちょうどJICA青年海外協力隊の募集を見る機会があり、応募してみました。退職したのが2021年5月末のことで、募集の期限が2021年6月末でした。運よく採用され、2022年の2次隊としてスリランカへ赴任することになりました。
赴任前の国内研修として、海士町でのJICAグローカルプログラムに参加し、その後、駒ヶ根訓練所での訓練を経て、2022年11月にスリランカへ赴任しました。スリランカではサッカー隊員として活動し、2024年11月に無事に2年間の任期を終えて帰国しました。
2025年4月より、JICAグローカルプログラムでお世話になった海士町に移住し、現在の生活を始めています。
2 スリランカからの帰国後は海士町に戻ってお仕事をされていると聞きました。現在海士町でどのような活動をしていらっしゃるのか教えてください。

海士町では教育委員会に所属して仕事をしています。その中でも、町の歴史や文化を伝承する部署である「伝承郷育係」に配属されており、主な仕事は、町が開催している「隠岐後鳥羽院大賞」という詩歌(和歌・短歌・俳句)の大会の事務局です。
これまで経験してきた仕事とは全く異なる分野ですが、大会の理念に共感いただき全国各地にこの大会を楽しみにしていらっしゃる人がいるということを知って、とても興味深く取り組んでいます。
偶然にも、私自身も日本のテレビ番組の影響で俳句に少し触れていたことがあったためか、スムーズに大会に関われていると感じています。
日々の目の前の仕事も大切ですが、これまでの大会の経緯を踏まえて、これからの大会をどのようにしていきたいのかという観点も重要であり、この大会がどのように変わっていくのか楽しんでいきたいと思います。
3 ご出身は岡山県倉敷市と伺いました。島外から移住されたわけですが、現地に馴染むために苦労したことや、むしろ移住者だからこそできたことはありましたか。
元々、前職でも何度か転勤の経験があったため、新しい土地に行くことには抵抗がありませんでした。これまでは、宮城県や福島県、新潟県での生活が長かったのですが、海士町はこれまでの生活地域に比べると、出身地である岡山県から近い土地になるので、気持ちとしては気軽なところがあります。まだ海士町に来て2カ月ですので、馴染んでいるという感覚はありませんが、強いて言えば、色々な町のイベントに参加できているということでしょうか。今の海士町では、多くのイベントが町の各所で開催されています。移住者だからこそ、よく声を掛けてもらえますし、自発的に興味を持って参加することもあります。日々の仕事も含めて、そういったイベントを通して、町の人とのつながりが増えていくのが面白いですね。あとは、やはりJICAグローカルプログラムをこの海士町で経験したことで、町の人との関係が出来ていたことが大きいと感じています。移住の際は、とてもお世話をしていただきまして、驚くほどスムーズに海士町での生活が始まりました。
4 海士町でのお仕事に、グローカルプログラムやJICA協力隊での経験がどのように役立っていらっしゃるでしょうか。

JICA青年海外協力隊としての活動は、素直に楽しく活動できる一方でその意義に悩むことがずっとありました。そのような時にいつも考えていたことは、その国や地域の文化や風習を大切にするということです。そして日本と比べないこと。海外に行くと、無意識でも日本ではこうだという感情を持ちがちですが、その国の背景を知ることが大切だと考えるようになっていました。すぐに新しいことを導入するのではなく、まずは、その国や地域の在り方から触れていくことが第一だと思います。今の自分の年齢的なことも影響しているかもしれませんが、2年間の海外でのボランティアを経験したことで、そんなに気持ちが焦ることなく海士町での仕事に係われていると感じています。すぐにどうこうという結果を求めるのではなく、まずは一つ一つのことを丁寧にこなしていこうと思います。
5 海士町や隠岐の地域おこしや活性化のため、更には日本の地方創生を見据え、今後どのような活動をしていきたいとお考えでしょうか。
すでに海士町は地方創生の取り組みが活発に行われており、自分も刺激を受けることが多いです。「半官半X」という制度を取り入れ、人手不足を解消するために役場の職員が地域へ飛び出して様々な仕事に挑戦したり、「島留学生」として島外の若者を町に呼び込んだりなど。ちなみに、奇しくも私が移住して来た今年は国勢調査の年でして、町内ではその関心が高まっています。そのような制度や取り組みを見て、自分なりに地方創生や地方での仕事・生活について考えていきたいと思っています。どうして海士町の皆さんがこんなにも活発に継続的に活動できるのかとても興味があります。グローカルプログラムやJICA青年海外協力隊でよく聞いていたことの一つとして、自分の活動に周りを巻き込むということが印象に残っていますが、海士町での生活ではまずは自分が色々と巻き込まれてみようと思っています。その中で、自分に何ができるのか?という気持ちでいます。
スリランカで同じ時期にJICA青年海外協力隊として活動していた人たちは、全ての人がとても魅力的でした。そして、今でも海士町にいることで、その人たちとのつながりが続いていることも面白いです。海士町での仕事である詩歌の大会もそうですが、どこか遠くにいる人とのちょっとした関わりを大切にしたいとも思っています。
あまり後のことを考えずに前職を退職し、勢いでJICA青年海外協力隊にたどり着いたところもありますが、これまでの生活感が180度変わったことはポジティブに捉えています。ちなみに、自分にとって人生初めての海外がJICA青年海外協力隊でした。なせばなる、なんとかなる、なるようになる、という言葉が今のモットーです。