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三島村とギニア 「次の世代」の交流に向けて
駐ギニア日本国特命全権大使 加藤隆一
1 ジャンベを通じた三島村とギニアの豊かな交流

鹿児島県三島村は南西諸島の最北端に位置する三つの島(竹島、硫黄島、黒島)からなる、人口349人(2025年1月1日現在)の小さな村です。最初に、三島村と西アフリカのギニアの交流の歴史について振り返ってみましょう。ギニア出身の世界的なジャンベ(太鼓)奏者であるママディ・ケイタ氏からの「日本の子ども達と一緒に合同演奏がしたい」という要望に三島村が応えたのが交流の始まりでした。ママディ氏は1994年夏に三島村を初めて訪問、19人の子どもたちにジャンベを教え、一緒に日本国内ツアー公演を敢行、大きな反響を呼びました。ママディ氏は島を愛し、2021年に逝去するまで、計14回三島村を訪問、ジャンベを通じた日本とギニアの交流を推進したのです。
三島村側もママディ氏を愛し、ギニアとの関係を深めました。村はママディ氏の協力で2004年には硫黄島に「ジャンベスクール」を開校、翌2005年からは「ジャンベ留学制度」を始め、これまでに全国各地から計83人が半年間ジャンベを学ぶ機会を得ています。2024年からはママディ氏の甥であるセクー・ケイタ氏がジャンベ講師として招聘され、ジャンベスクールで教えています。
一方、1999年には三島村の中学生4人がママディ氏の故郷であるバランドゥグ村を訪問し、二週間現地でホームステイをしました。日本からギニアへ飛行機で二日、さらに首都のコナクリからギニア東部バランドゥグ村まで車で約600キロの距離をさらに二日。子どもたちにとってどんなに大変な、しかし貴重な経験だったことでしょう。2008年には大山辰夫村長自らがバランドゥグ村を訪問、三島村からの資金援助による診察所の起工式に出席しました(同診察所は2011年に開設)。2019年には三島村がバランドゥグ村の子どもたち4人を日本に呼び寄せて交流を実現しています。
ジャンベを通じたこのような豊かな交流が高く評価され、三島村は2018年には東京2020オリンピック大会でギニアのホストタウンに登録されました。2019年には第7回アフリカ開発会議(TICAD7)関連イベントである野口英世アフリカ賞授賞式レセプションにおいて、三島村とギニアの子どもたちが天皇皇后両陛下の御前でジャンベ演奏を披露しました。また、大阪・関西万博の「万博国際交流プログラム」にも選ばれ、本年6月10日のギニア・ナショナルデーには万博会場で三島村の子どもたちがジャンベの演奏を行うこととなっているのです。
2 バランドゥグ村、そして三島村訪問

2024年5月、私はベルギー在住のママディ氏のご子息の案内で、バランドゥグ村を訪問する機会を得ました。ママディ氏の墓は村の全景を見渡すことが出来る丘の上にあり、その墓前に手を合わせることができました。しかし、村の様子は想像していた静かな農村とは大きく異なるものでした。金鉱脈が発見されたため、ゴールドラッシュが起きていたのです。金を求めて国内のみならず、近隣国からも多くの人々が集まってくる村に変貌していたのです。

そして、2025年2月には、カマラ駐日ギニア大使と共に三島村を訪問しました。当初はジャンベスクールのある硫黄島で現場視察を行う予定だったのですが、荒天のため、船が欠航となってしまい、渡航は断念しました。しかし、三島村役場が鹿児島市内にあることから、大山村長を始めとする三島村役場、教育委員会関係者等からこれまでの交流の歴史を伺うとともに、今後の展開についてカマラ大使も交えてじっくりと議論することが出来ました。
3 ママディ氏亡き後の「次の世代」の交流に向けて
人口300人余の三島村がジャンベを通じたギニアとの交流事業を村の看板事業の一つとして30年に亘って展開してきていること自体が驚嘆すべきことです。今回、三島村の関係者からお話を伺って、その原動力は大山村長を始めとする村のリーダーシップと行動力、政府、県などの関係者の巻き込み、そして何よりも村民の理解にあることがわかりました。大山村長になぜわざわざギニアまで脚を運ばれたのかと伺ったところ、「ママディ氏が三島村まで来てくれているのだから、私がギニアに行くのは当然のこと」と何の衒いもなく話してくれました。交流開始から30年、そしてママディ氏亡き後の「次の世代」の交流に向けて、現場での人と人の交流を大事にする姿勢は引き続き必要不可欠です。
今後の交流の可能性を調査するため、2025年2月末には三島村の調査団がギニアを来訪されました。その際にはコナクリ市内にある松浦晃一郎元UNESCO事務局長の名前を冠した「マツウラ学校」という小学校を訪問していただきましたが、三島村とギニアの学校間の文化交流は一つのアイディアです。
また、2024年からは私の出身地である山形県酒田市にある泉小学校と三島村の硫黄島学園をオンラインで結んだジャンベ交流プログラムも実施されています。泉小学校は国際理解教育の一環としてアフリカを取り上げており、その一環としてジャンベの演奏にも挑戦しているのです。三島村が国内の拠点となってギニアと結ぶこともできるでしょう。また、子どもたちを再びギニアに派遣する計画もあると聞いています。これからの新たな展開を楽しみにしています。