グローカル外交ネット

令和5年7月26日

久喜市商工会鷲宮支所
経営支援員 野村哲也

1 きっかけはアニメのオープニングに登場する背景と、ネットの書き込み

(アニメ「らき☆すた」オープニングに登場した鷲宮神社鳥居前)

 久喜市は関東地方のほぼ真ん中に位置し、都心から電車で小1時間ほどの距離にあり、車では圏央道と東北自動車道が交差する等、交通の便の良さからベッドタウン・物流拠点として利用されている地域です。関東最古と言われる「鷲宮神社」が鎮座する他、久喜駅前通りでは7月に提燈山車が練り歩く「提燈祭り」が有名です。

 久喜市の鷲宮地域(アニメ放送当時の2007年は合併前のため旧「鷲宮町」。人口は3万人ほど)は、観光名所と呼べるものがほぼ皆無で、歴史ある鷲宮神社も、正月の初詣客は地元や周辺住民が参拝する程度(前年の2006年は9万人ほど)の、良く言えば『落ち着く田舎街』、悪く言えば『何もない平凡な街』でした。

 そんな久喜市鷲宮地域の鷲宮神社通りの商店街に、2007年の5月頃から普段見慣れない若い人たちが歩いたり街並みを撮影したりする光景を目にするようになります。
 2007年4月に放送開始したアニメ「らき☆すた」のオープニングに鷲宮神社と同じ光景が背景に映っていて、それを見たファンが舞台地(どうやら鷲宮やその周辺地域の風景が使われている)を巡っているようでした。

 時を同じくして、インターネットの掲示板サイトに『鷲宮町にオタクが押し寄せて住民が戸惑っている』という趣旨の内容が書かれ、新聞社が地元の商工会に事実確認の問合せに来ました。

 当時はまだ「オタク」というものが、世間からは暗いイメージでとらえられていた時期のため、イメージから来る憶測の記事に対する事実無根の真相を確かめるべく、商工会が新聞社からの取材を受けたところです。その際に、丁度実際に鷲宮を訪れていた「らき☆すた」ファンにもヒアリングを行う機会があり、「放送中のアニメ『らき☆すた』という作品が凄いアニメなんです。その聖地(舞台地)に来てみたかったので来ました。」という話を聞き、遠くから折角こんな田舎の鷲宮まで来ていただいたのであれば、何かお土産を用意した方が良いのではないか、というところからグッズ化が始まります。

2 聖地巡礼ブームの黎明期。未経験ばかりの前例の無い手探り対応

 地元の経済の振興を担う商工会が、アニメや漫画の著作物に関する業界知識を持っているわけもなく、どこに連絡を取っていいのかも分からない中、まず連絡先の分かった版権管理の部署へ、グッズを出したい熱意を伝えたところ、企画書の提出を求められました。
 アニメ・出版業界の常識を知らない地元(商工会)側は、「企画書の提出を求められた=グッズ化OK」と勘違いし、20程のグッズアイデア企画書を送ったところ、本社に呼ばれ、版権担当、原作担当、アニメ関連の方々を交えたグッズ制作とイベントの話に進み、初の聖地販売グッズ「絵馬型携帯ストラップ」と、聖地での初のイベント開催が実現することとなりました。
 版権側もまだ「聖地巡礼」という言葉が一般的ではない時期に、地元地域とのコラボ企画はほとんど経験がなく、とりあえず話を聞かないことには始まらないという、どちらも手探りをしながら距離感を図るスタートでした。

 勿論、常識の異なる業界同士のため版権認識の齟齬によるトラブルが発生することもあり、権利元としては作品のイメージも重視するため、イラストの使用条件等で厳しくなるのが当然ですが、協力的に企画を進められたのは、「らき☆すた」原作者の「美水(よしみず)かがみ」先生の多大な協力と理解があってこそだと思います。

3 地域の商店を巻き込でのグッズ販売。そこからの住民とファンとの交流

(販売した絵馬型携帯ストラップ)

 グッズの販売方法も工夫しました。版権元と商工会で、「聖地グッズは聖地で販売することに意味がある」という共通認識を持ち、通販は基本的に行わず、聖地を巡礼した際に買ってもらう方法に拘りました。
 絵馬型ストラップの販売は商工会で行うのではなく、商工会の会員ネットワークを使い、地元商店にグッズを卸す形で販売店を募集することで、商工会単体ではなく、その地域全体でファンを向かい入れるような体制を整えようとしました。
 もちろん、地元商店のほとんどは、「らき☆すた」どころかアニメ自体も見ない世代なので、ふってわいたグッズ販売の申し出に及び腰なところも少なくありません。
 そこで商工会は、売れた分だけの精算で、在庫が残れば回収するという取り決めで販売店には販売リスクは発生しない形をとりました。

 結果として町内17店舗で1,000個用意した(袋詰めも商工会職員で行いました)絵馬型ストラップは販売開始から30分程で完売。

 地元商店さんからは、「こんなにお店に人がたくさん来てくれるのは久しぶりで、賑わうのは嬉しい。らき☆すた人気凄いね」と、認知されるようになり、賑わう商店を見た二の足を踏んでいた他の商店も2次販売から追加で販売店に加わり、取扱店数は43店舗になりました。
 その後、2次販売は3,000個用意したものの1時間で完売。3次販売では60店舗・8,500個にまで増やしましたが完売となり、商工会が在庫リスクを負ってでも販売店の数を増やしたことで、鷲宮神社通り周辺の地域の人々に、鷲宮が「らき☆すた」の聖地になっていることを周知することにもつながりました。(絵馬型ストラップは4次販売まで行われました)

 また、イベントの一環として、らき☆すたキャラの特別住民票の発行・交付をすることとなり、交付式には4,000人のファンが集まりました。用意した3万枚(1枚300円)は完売し、第2弾も同じく3万枚用意しましたがこちらも完売。特別住民票の売上は、鷲宮神社通りの商店街の老朽化した街路灯の新調費用とし、街路灯に付けるフラッグも「らき☆すた」イラスト入りの仕様となりました。
 「らき☆すた」という作品が、地域の生活向上につながった例の一つになります。

 その他にも、聖地に迷惑をかけないよう心がけていたファンのマナーも良かった(4,000人規模のイベントでゴミが一切出ない。スタッフの誘導にも迅速で整然に従う等々)ため、地域の住民にとっても、「オタクと呼ばれる人たちはシャイでこだわりが強い人が多いだけで礼儀正しい人たち」という認識されるようになり、今では地元の夏祭りにも参加するほど地域の受け入れ態勢も自然な形で浸透しています。

4 ファンと地元民の交流から生まれる新たな段階(伝統と革新の融合)

(上海万博の「ジャパンデー」にて、らき☆すた神輿が渡御した様子)

 商店を巡るスタンプラリーも開催(最大62店舗が参加)し、定期的にファンが鷲宮を訪れるようになると地元住民との会話の機会も増え、思わぬ形で話題が生まれることになります。
 一例として、ファンと親しくなった地元住民がお祭りの会長だったこともあり、その交流は、当時は他に類を見ないアニメ神輿(らき☆すた神輿)を制作するまでに進みました。
 当然、キャラクターを取り扱う神輿なので、版権元にも話を通す必要があり、商工会がその役割を担いました。

 伝統のお祭りの神輿と、アニメの神輿が同じ祭りで渡御(融合)する、そんな珍しいお祭りということもあり、インターネット・SNS等で情報が広まると、一目見ようと多くのアニメファンがお祭りに来るようになり、地元の人がほとんどだった祭り会場を訪れる人の数は年々増加し続け、海外からも訪れる人が増え始めました。

 それならばと、お祭りに併せて商工会でも、グッズ販売や賑やかしの催し(当時は珍しかったコスプレして祭り会場を歩ける「コスプレ祭り」や、野外ステージイベント、アニソンライブ等)を同時開催するなどすることで祭りを活性化させ来場者を増やし、それが地域の商店の売上にもつながり、地元経済にも相乗効果が生まれました。
 これらの取り組みはメディアにも取り上げられ、更なる話題になりました。
 2010年6月に開催された上海万博では、らき☆すた神輿も出張し、会場を練り歩きました。

 鷲宮はファンにとって「ここに来れば隠していたオタクという自分をさらけ出せる『オタクに理解ある、オタクに優しい街』」として認知されるようになりました。

 鷲宮神社も、元々は関東最古と言われている由緒と、「らき☆すた」の主要登場人物の実家という設定であることも相まって、正月の初詣客数も数年後には埼玉県内2位になるほど増加しました。
 今でも三が日は多くの参拝客で賑わい、初売りと称したグッズ(原作キャラクターイラスト入りカレンダー等)を毎年定期的に商店で販売することで、お土産に買って帰る一般客もいて、毎年完売するほど人気が継続されています。

5 アニメがきっかけで地域のファンに

 一般的なアニメは放送終了後、数年が経つと話題が減り、少しずつ尻すぼみになることが多々ありますが、久喜市鷲宮はアニメ放送終了後から15年以上経ちますが、今も定期的にキャラクターの誕生日イベントやお祭り、正月の初売り等を毎年実施。その都度、版権元と協議・打ち合わせを行い、グッズの販売を企画することで、きっかけは「らき☆すた」のファンとしてでしたが、今では地元「久喜市鷲宮」のファンにもなってもらえるようになりました。
 聖地巡礼の行きつくところは、このような形なのではないかと思います。

 観光名所のほとんど無かった地域が、今では聖地巡礼ブームの火付け役としてだけでなく、テレビ等のメディアでも「レジェンド聖地」と称されるまでになり、平成25年には、全国にある商工会の中から、地元の認知度を飛躍的に向上させたとして、グランプリにも選ばれました。

 商工会は、商工会が中心になって利益を優先するのではなく、版権元(原作者)には「常にイラストを使わせて頂いているという感謝」と、ファンには「聖地を訪れてくれることへの感謝」、その感覚を常に持つことで、版権元とファンとの間を取り持ち、信頼関係を築き、それにより発生した売り上げや地域の振興で地元地域にも還元していく流れを維持してこれたことが、15年以上長く続けてこれた秘訣のようなものだと思われます。

6 今後は

 今後の展望は正直に言いますと「わかりません」。
 時代に合わせて商工会の体制やファンのニーズも変化していくでしょうし、またコロナ禍のようなことが起きることも考えられます。
 商工会が行ってきたことが、アニメ×地域おこしの「完成形」ではなく、まだまだ変化の途上であると意識し、その都度その都度、商工会として今いる人たちで今できることを全力で企画・運営していくことが最善だと考えております。

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