グローカル外交ネット

令和4年7月21日

愛媛県新居浜市 地域コミュニティ課
Noor Farahnaz Abu Mansor(ヌル ファラナス・アブ マンスル)

 「暑かろう!?ここでゆっくりして行かんかい!」
 令和最初の夏。国際交流員(CIR)として着任した初日に、あいさつ回りに行った先で私を迎えてくださったのは、満面の愛顔(えがお)(注)のおじさんでした。初対面で外国人の私に向かって、まるで私もこの土地で生まれ育った「はまっこ」かのように、コテコテの新居浜弁で話しかけてくださいました。そのおおらかな人柄に魅了され、心の壁が一気に壊れて行き、それまでに感じていた不安や緊張も、この年、次から次へと猛威を振るう台風と一緒に、どこかへ消え去りました。

 その瞬間からだったと思います。「ずっとここにおりたい」と思い始めたのは。

(注)愛媛県では、「愛」と「笑顔」あふれる県を目指し、「えがお」のことを「愛顔」と表記しています。

ちょうど良いまち、新居浜

(写真1)太鼓台とヌル ファラナス・アブ マンスルさん 新居浜太鼓祭り

 東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会で私の母国であるマレーシアのバドミントンチームを受け入れるホストタウンを務めた愛媛県。その東予地方に位置する新居浜市は、日本の貿易や近代化に貢献した別子銅山の開坑以来、約300年にわたって住友グループ企業とともに発展してきた工業都市です。北には瀬戸内海、南には四国山系、臨海部には工場群。この「ほどよく都会、ほどよく田舎」感がチャームポイントとなり、「全国住み続けたい街2020」(生活ガイド.com)調査で、新居浜市が全国815市区町村のうち、四国1位(全国32位)に選ばれました。

 普段穏やかなこのまちは、秋風が吹くとその雰囲気が一変します。毎年10月16日から18日まで、四国三大祭りの一つに数えられる「新居浜太鼓祭り」が開催され、例年20万人ほどの観衆が全国から訪れます。金糸銀糸に彩られた54台の太鼓台はそれぞれ約3トンの重さがあり、1台を差し上げるには150人余りの男衆の力が必要となります。また、祭りの裏シーンで太鼓台が鉢合わせて「喧嘩」することもあり、その熱気と迫力から「男祭り」という別名としても知られ、「愛らしい媛」とは一味違った「愛媛」を新居浜市で味わうことができます。

 「新しいものにこんにちはと言えるまち」という意気込みを表した「Hello! NEW」をスローガンとする新居浜市は、長年にわたって「外からの人」を多く受け入れながら発展してきた歴史があり、新しいヒト、モノ、コトなどにウェルカムな風土を持っています。その土地柄は、地域の国際化にも反映され、総人口12万人弱の新居浜市では現在、ベトナムをはじめ、フィリピン、韓国、中国、インドネシアなど、計38の国と地域から約1,300人にのぼる外国人が在住しています。また、多文化共生社会の形成を図るために2019年に新居浜市国際交流協会(NIC)が設立されたことや、新居浜市にとって初となるCIRを招致したことも、新しいことに対して前向きな証拠です。

新しいこと大歓迎!の新居浜で、新しい国際交流の在り方

(写真2)オンライン文化交流会でお箏を弾いている様子 オンライン文化交流会でお箏を弾いている様子

 新居浜市に着任してから3年。人と接触するのも一苦労するこのご時世で、国際交流という業務をこなしていくには非常に大変な時期ではありますが、振り返ってみれば、コロナの「お陰」でたくさんの新しいことができたのも事実です。市内外の学校や施設を訪問し、国際理解講座や異文化交流イベントを行うほか、テレビやラジオなどに出演し、マレーシアや新居浜の魅力をはじめ、CIRとしての役割について紹介するなど、普段からもたくさんの活動の場をいただいていますが、コロナ禍で新たな国際交流の仕方を追求してたどり着いたのは、オンライン交流でした。

 中でも特に紹介したいのは、「新居浜市×スバンジャヤ市 オンライン文化交流会」という、マレーシア・スバンジャヤ市の市民の方々とZoomで繋がり、画面越しでパフォーマンスを披露してお互いの文化を紹介し合う企画です。音楽や踊りなどを通して言葉の壁を乗り越え、楽しく異文化理解を深めることを目的とするこの企画は、最初は団体同士で交流するという小さなスケールで行っていましたが、日本とマレーシアの友好関係の基盤となるマハティール前首相が提唱した「東方政策」が今年40周年を迎えたことを記念し、新居浜市総合文化施設・美術館「あかがねミュージアム」のステージを借りて、観客入りのコンサート形式で開催したほど企画として成長しました。

 また、新居浜市立別子中学校とマレーシアのMaktab Rendah Sains MARA Tun Ghafar Baba(通称:MRSM TGB)をつなげて、英語によるオンライン国際交流プログラムもコーディネートしています。このプログラムを通して、実践的な英語力はもちろん、文化や生活習慣が異なる同年代の学生たちの考え方に触れることや、プレゼンテーション及び動画作成などのスキルも身に着けることができるので、学生にとっても担当の先生方にとっても良いチャレンジになっています。ほぼ毎月行われる交流会で、学生たちが少しずつ打ち解けて、英語で話し・質問することに自信を付けていく姿をみて、非常にうれしく思います。

私にとっての新居浜

(写真3)集合写真 地域の皆様と一緒に「ハリラヤ(断食明けの祝日)」を祝う様子

 私は新居浜に来る前に、東京で6年間留学した経験があります。当時、外国人の人数は今ほど多くなく、その珍しさからなのか、私のようなヒジャーブを巻いている東南アジアのムスリム女性は、どこに行っても注目され、時には警戒され、コミュニティに溶け込めないまま留学期間が終わってしまいました。それでも、長い年月を日本で過ごしたせいか、母国に帰ってもまたすぐ日本が恋しくなり、日本に戻る機会をずっと探し続けましたが、留学時代の寂しい記憶もあり、新居浜市での採用が決まったときも正直、不安で不安で仕方がなかったです。

 しかし、その不安も、着任初日から地域の方々の温かさと優しさに触れたことによって一気に晴れ、今やもう新居浜を故郷と呼びたいほど愛着を抱いています。このまちのちょうど良い感じも、秋に訪れる男臭さも、新しいことが大好きな土地柄も、どれも魅力的ですが、私から見て新居浜の一番の宝ものは、「人」そのものです。自分が違う国にいる「外国人」だということを忘れてしまうほど、外見や、言葉、文化、信仰などの違いを乗り越え、私を「仲間」や「友人」「娘」や「姉・妹」、そしてなにより「ファラ」として受け入れてくださったその人柄こそ、私にとってかけがえのない「居場所」であるこの新居浜の魅力です。

 いつかお別れを告げる日が来るまで、ここで「ゆっくりしてこおわい」(ゆっくりしていきます)。

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