グローカル外交ネット
福島と世界をつなげる架け橋



福島大学国際交流センター マクマイケル・ウィリアム
1 はじめに
私の名前はマクマイケル・ウィリアムです。カナダのバンクーバー市から2007年に福島県に移住をし、14年が経ちます。現在は福島大学国際交流センターの教員として、主に留学生を対象とした授業を担当しています。それ以前は、2007年から2010年まで福島県国際交流協会にてJETプログラムの国際交流員(CIR)として勤めておりました。JETプログラムの一員として福島県に派遣されるまでは福島県がどこにあるのかさえよく分かっていませんでしたが、現在では学生に「実は福島出身」であるとか、「なんちゃってカナダ人」と呼ばれてしまうほど、筋金入りの「福島ファン」として、福島県の魅力を世界に伝える様々な発信事業に携わらせて頂いております。そして、2018年には、福島県の「あったかふくしま友好観光大使」にも任命され、昨年は東京オリンピックの聖火ランナーにも選出していただきました。
2 新渡戸稲造との出会い
元々福島とは縁もゆかりも無かった私が、現在の活動をするきっかけとなったのは、幼少の頃に読んだ「新渡戸稲造」の伝記でした。カナダ人の父親と日本人の母親を持ち、5歳から8歳まで四国の徳島県で育てられた私は、その頃母親が買ってくれた新渡戸稲造の伝記を読み、そこに書かれていた「我、太平洋の橋とならん」という言葉に、強い感銘を受けました。そして、それ以来ずっとこの言葉の様に「太平洋の架け橋になる事」を、将来の夢として追い続ける様になりました。このフレーズになぜこれほど強い影響を受けたかは明確には覚えていませんが、新渡戸氏が国レベルでの外交に止まらず、著書「武士道」などを通して日本人に対する固定概念を草の根から変えていった事に、子どもながらに憧れと尊敬の念を覚えたからだと思います。そして、この夢をカナダに帰国後もずっと変わらず追い続けた私は、大学を卒業し社会人として数年働いた後に、草の根での国際交流に関わる事を目指してJETプログラムに応募をしました。その結果、前述の通りCIRとして福島県に採用され、県内を周りながら地域の人たちに対して外国人に対する固定概念や偏見を無くす活動に携わらせていただく内に、福島県が心から大好きになり、いつしか「福島と世界をつなげる架け橋」になる事を目指す様になっていきました。そして、国際交流協会に3年間努めた後に、福島大学に転職をし、今度は大学生の教育に関わる形で、この新たな夢を追いかけることを決意しました。この様にして、幼い頃に読んだ新渡戸稲造の伝記が、私の人生に大きな目標と、福島県との出会いを導いてくれたのです。
3 震災と風評被害
しかし、福島大学への転職から半年も経たないうちに、東日本大震災という未曾有の複合災害が発生しました。その結果、原子力事故が引き金となった国際的な「風評被害」という難問に福島県は苦しめられる様になりました。この頃から、「福島と世界をつなげる」という私の夢は、「外国に対する偏見をなくす」から、「福島に対する偏見をなくす」ものへ、新たな意味を含む様になりました。そして、一人でも多くの海外の人に福島の本当の姿や課題を知ってもらう事が、自分ができる地域への恩返しであると考え、2012年6月に福島の正しい姿を世界に伝える人材育成プログラム、「Fukushima Ambassadors Program」を立ち上げました。このプログラムでは、海外から放射線科学や社会学を学ぶ優秀な留学生を約2週間福島県に招き、福島大学の学生と共に被災地や福島第一原子力発電所などをまわりながら、英語で福島の「過去」、「現在」、そして「未来」の諸課題について理解を深める事で、参加者がそれぞれ海外と福島をつなげる「Ambassador(大使)」としてプログラム後に活躍することを期待しています。これまで14回開催され、209名の留学生と、600名以上の日本人学生が参加をしています。参加者からは、プログラム後「福島のイメージが津波と原子力による壊滅的なものから、希望、力、そしてコミュニティに変わった」、「福島の問題だけでなく、福島から何を学べるのかについて、自分の目が開いた。福島から、命の脆さ、社会を形成する上での私たちの役割など、より大きな問題についても気づかせてもらえた」などと、福島での学びや課題に対する広い視野と共感が強まったという感想が数多く寄せられています。東日本大震災からまもなく10年が経過しようとしていますが、残念なことにいまだに風評被害は完全に収束したとは言えない状況にあります。その証拠に、インターネットでFukushimaという言葉を画像検索すると、今でも福島とは全く無関係な恐ろしい奇形生物や、燃えさかる石油コンビナートなどの写真が検察結果に出てきてしまいます。しかし、私はこれからもこういったプログラムを続ける事が、遠回りの様で最も確実な風評払拭の手段だと信じています。
4 最後に
私が知っている福島県は、素晴らしい日本の原風景や、世界トップクラスの食材など「生活の中で気づかされる豊かさ」があふれる土地であり、また、他人を思いやる心の温かさや、災害にも負けない地域の団結力など、震災を機に改めて気づかされた「福島らしさ」、「頼もしさ」で満ち溢れた場所です。よく、地域の活性化には「よそもの」「わかもの」「ばかもの」の力が必要であり、外からの客観的な視点から地域の魅力を発見し、発信していくことが重要であると言われますが、私はこの事は福島の世界への情報発信にも言えるのではないかと考えています。情報発信では、「何を伝えるか」はもちろんですが、「誰が伝えるか」がとても重要です。これからも「よそもの」として、「ばかもの」と呼ばれるほど福島に対して強い気持ちを持ち続けながら、世界中の「わかもの」に福島の正しい姿を伝え、私の様なファンを一人でも多く創出していく事で、福島の本当の姿が世界に伝わる事を心から願っています。そして、その結果、世界中に福島と世界をつなげる「福島の新渡戸稲造」が、たくさん誕生していく事を、これからも自分の夢として追い続けたいと思います。