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磁器が結び付けた絆
(佐賀県有田町とドイツ連邦共和国マイセン市の交流)
外務省地方連携推進室


有田町は佐賀県の西部に位置し、美しい景観を誇る田園地帯や、黒髪連山など豊かな自然に恵まれた人口約2万人の町です。同町は古くからやきものの町として知られており、元和2年(1616年)に朝鮮人陶工李参平らによって泉山にて磁器の原料となる陶石が発見され、日本で初めて磁器が焼かれました。
以来、佐賀藩の元で、磁器生産が本格化し、谷あいに「有田千軒」と呼ばれる町並みが形成され、繁栄を極めました。文政11年(1828年)の大火でそのほとんどが一度消失してしまいましたが、その後復興し、歴史的価値の高い建物が数多く残る町並みは平成3年(1991年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
ドイツ連邦共和国マイセン市は、ザクセン州の都市であり、エルベ川河畔に位置する緑豊かなヨーロッパの古都です。面積30平方キロメートル、人口約3万人の小さな市ですが、ヨーロッパ磁器発祥の地としてその名を世界に知られ、高級磁器の代名詞にもなっています。17世紀後半にザクセン選帝侯として君臨したアウグスト強王が芸術をこよなく愛し、東洋からもたらされる陶磁器の製造を実現しようと錬金術師をザクセン国の都ドレスデン近郊のマイセンのアルブレヒト城に幽閉し、製造の研究をさせたことがマイセン陶器の誕生につながったと言われています。
また、穏やかな気候と豊かな土壌を生かして葡萄が栽培され、ワインの生産地としても知られています。さらに、マイセン市周辺には大聖堂や城など有名な建築物も数多く建立されており、文化財保護地区の一つとなっています。
この二つの遠く離れた町が交流をもつことになったきっかけは磁器でした。
17世紀中頃、大量の古伊万里や柿右衛門様式の古い有田磁器が、オランダ東インド会社により輸出されていたという歴史的事実を確認するために、有田町から窯業界の代表が昭和45年(1970年)に当時の東ドイツを訪問し、ザクセン州の州都ドレスデンのツヴィンガー宮殿にあるドレスデン美術館の地下倉庫で膨大な数の古伊万里や柿右衛門様式の古い有田磁器を確認しました。
そして、福岡大博覧会で「古伊万里里帰り展」として、ドレスデン美術館秘蔵の有田磁器を公開しました。これを機に、有田町はマイセン市に姉妹都市の提携を申し入れ、昭和54年(1979年)、当時の有田町の青木類次町長と国立マイセン磁器製作所カール・ペーターマン総裁との間で姉妹都市の調印が行われました。
その後、40年以上に渡り、二つの町は「陶都」として世界に誇る陶磁器を生み出し続けながら、途切れることなく交流を続けてきています。
姉妹都市提携25周年(2004年)ではドイツ各都市において「ドイツ有田陶芸展」が開催され、その後も有田町の陶磁器まつりにマイセン市訪問団が訪れるなど世界有数の名陶磁器を誇る両都市間の交流は続けられてきましたが、交流分野は陶磁器にとどまりません。
近年では、姉妹都市40周年を記念し、令和元年(2019年)に有田町の訪問団が、マイセン市のワイン祭りの時期にあわせて同市を訪問しました。
祭りでは、有田町のブースを出店し、日本や地元の文化を紹介するとともに、揃いの浴衣姿でパレードに参加して、有田くんちの皿踊りを披露しながら市内を練り歩きました。両手に有田焼で作られた小皿を持ち、踊りにあわせて打ち鳴らす皿踊りの方法を来場者にも教え、音頭に合わせて輪になって一緒に踊ることにより来場者同士の交流を深めました。
また、姉妹都市交流の一つとして長年実施されているのが、有田マイセン青少年友好親善使節団派遣事業です。
当初、一般社団法人陶都有田青年会議所の20周年事業として、平成4年(1992年)に始まったものでしたが、姉妹都市マイセン市との交流を確実なものとするために、平成7年(1995年)に有田マイセン友好協会が設立され、本事業が引き継がれました。
これまで累計280名の町内の中学生や高校生がマイセン市でホームステイ交流を実施し、1年おきに有田町とマイセン市の青少年がお互いの姉妹都市を訪問して友好を深めてきました。
一世代30年と時間のかかる交流であるものの、二つの町の関係が将来に渡って末永く続いていくようにとの思いも込めて、本事業は今日まで続けられてきています。

