グローカル外交ネット
外務省での勤務を通じて
外交実務研修員 岩井 麻吏
(堺市より派遣)
1 はじめに
私は,平成30年4月に堺市より派遣され,外交実務研修員として国際文化協力室で勤務をしています。堺市には平成26年4月に入庁し,以降4年間,スポーツ関連の部署で施設利用予約システムの運営・維持管理,指定管理者制度による体育館等の管理を担当していました。
2 国際文化協力室での業務
私が勤務している国際文化協力室は,ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)や国連大学にかかる事務を所掌しています。その中で私は,主にユネスコ「世界遺産」に関する業務,特に本年7月に世界遺産となった「百舌鳥・古市古墳群」(以下,「百舌鳥」という。)の世界遺産登録へ向けた業務を担当させていただきました。
また,世界遺産登録のみならず,横浜市で開催された「TICAD7(第7回アフリカ開発会議)」といった大型行事関連業務など様々な業務に取り組む機会を与えていただき,約1年半の間に非常に多くのことを学ぶことができました。
3 「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産登録
「百舌鳥」は,堺市に位置する「百舌鳥古墳群」と羽曳野市・藤井寺市に位置する「古市古墳群」からなる古墳時代最盛期(4世紀後半~5世紀)に築造された45件49基の古代日本列島の王たちの墓群で,群として築造された墳墓の規模と形によって当時の政治・社会の構造を表現した古墳時代の文化を物語る傑出した証拠です。
1つの候補案件における世界遺産登録の一連のプロセス(推薦書提出~世界遺産登録まで)に要する期間は約1年半です。毎年2月1日までに,各国がユネスコに対し世界遺産候補案件の推薦書提出を行い,同年秋頃の専門家による現地調査を経て,翌年5月初旬頃に世界遺産委員会の諮問機関であるイコモス(国際記念物遺跡会議)による評価・勧告が出され,この勧告をもとに夏の世界遺産委員会で登録の可否が審議されます。
当室では,文化庁,宮内庁,大阪府等と密に連携し,「百舌鳥」の資産価値をイコモスや世界遺産委員会委員国に伝えるために最適な説明戦略について,検討や協議を重ねました。そして,登録を確実なものとすべく,世界遺産委員会直前まで関係者に対し「百舌鳥」の資産価値について説明を行いました。
迎えた審議当日の令和元年7月6日,地元自治体ではパブリックビューイングが行われ,多くの方が見守る中,審議が開始されました。諮問機関であるイコモスから資産概要や勧告内容が示された後,世界遺産委員会委員国から「百舌鳥」の世界遺産登録を支持する発言が次々となされました。その内容は,「百舌鳥」の歴史的価値だけでなく,周辺の市街地化が進む中1600年にもわたり守られ,高いレベルの法的保護のもとに保存管理されていること,開発圧力などから住民運動により守られてきた資産が構成資産に含まれており,地域に根ざした資産であることなどにも言及されており,いずれも「百舌鳥」の資産価値やなぜ世界遺産にふさわしいのか等を十分に理解した上での発言でした。そして,世界遺産に登録する旨の決議案が全会一致で採択されました。
平成19年に世界遺産暫定一覧表に記載されて以降,3度の国内推薦落選を経験するなど「百舌鳥」の世界遺産登録までには紆余曲折あり,実に10年以上の歳月を費やしました。私が本件に携わった期間は,これまで長年「百舌鳥」の世界遺産登録のために尽力された関係者の方々に比べると短いものでしたが,「百舌鳥」の世界遺産登録という堺市の歴史に残る事業に携わったことは,堺市職員として今後の糧になる貴重な経験となりました。
4 おわりに

会場の様子

「百舌鳥・古市古墳群」審議の様子
国際分野には以前から興味はありましたが,まさか自分が外務省での勤務を経験することになるとは夢にも思っていませんでした。私にとって外務省は未知の世界だったので,外務省派遣が決まった時は正直不安の方が大きかったです。堺市が長年にわたって取り組んでいた「百舌鳥」の世界遺産登録に関わることは,大きなやりがいを感じる反面,自分で自分にプレッシャーをかけてしまうこともありました。そんな中,ここまで挫けずに何とかやってこられたのは,国際文化協力室の皆様にたくさん助けていただき,丁寧に指導していただいたおかげです。国際文化協力室を始め外務省の皆様には,右も左も分からない中,たくさんご迷惑もおかけしましたが,いつも優しく暖かく見守っていただき,約1年半でたくさんのことを学ばせていただきました。
このような貴重な機会を与えていただいた外務省と堺市に改めて心から感謝申し上げます。本省での勤務も残り半年を切りましたが,毎日を大切に過ごし,少しでも成長できるよう精進したいと思います。