グローカル外交ネット
奈良県川上村で過ごす『上流の日々』
マタレーゼ・エリック
奈良県川上村役場・集落支援員,anaguma 文庫代表

吉野川・紀の川の水源地である奈良県川上村。僕はこの村に来て,もうすぐ丸4年になります。半導体のメーカーで翻訳と通訳をしていた僕は,友達のつながりで川上村を見つけ,村の宿泊施設と観光を支援するために地域おこし協力隊として移住することにしました。翻訳と通訳をしながら,僕はこの村で感じた魅力を日本語と英語で綴り,「anaguma 文庫」という名前で小冊子を出版しています。3年前から村の広報に和英新聞を折り込んでいて,2年前から月刊ソトコトで『上流の日々』という連載記事も毎月書かせていただいています。 100年の単位で考えられる吉野杉,500年の歴史をもっている吉野林業,1500年前にこの山々に来られた雄略天皇と比べて,僕の過ごした4年はまだ小さな苗のように感じます。僕はこの村に来た1年目から村の文化と歴史を取り上げたり,生活を経験するうち,自分の理解,観点,価値観が徐々に変化してきました。そこで,この村で感じた魅力や,見つけた「宝物」を紹介させていただきたいと思います。
Being There: 時間の過ごし方の重要さ

アメリカのロサンゼルスに生まれて育った僕は,ここに来るまでずっと都会に住んでいました。岐阜に2年間,京都に3年間住んでから,川上村に移住した僕は,まず「時間の過ごし方が違う」ということに気がつきました。役場の担当者と一緒に村を周り,地元の人に挨拶をしていた時,僕らは2分で用事の話を済ませた後,最近の調子はどうか,何かあったかどうかなど,様々な立ち話をしました。当時,僕は慌ただしくて,次のところに行きたかったのですが,役場の担当者の様子を見習いました。地元の人にとっては,そういう時間が大事かなと感じたのです。そして,だんだん分かるようになったのは,立ち話の時間だけではなく,地区のお祭りや道路の掃除の時間も大事ということです。神社での祭事が終わってから公民館でみんなで乾杯したり,道路の掃除が終わってからみんなで缶ビールを川沿いのテーブルで開けたりする習慣があります。もちろんワイワイするのが楽しいのです!僕はいつも喉が痛くなるほど爆笑します。しかし,それより深い意味がある気がします。立ち話でも,飲み会でも,地元の関係を作り,その関係を保つために,時間を一緒に過ごすのがとても重要なのです。その習慣が昔から受け継がれ,今でも地元の人たちはお互いの時間を大切にしています。しかも,近年の過疎化に伴い,その時間がより大切になっている気がします。
お祭りや道路の掃除や年明けの「どんど焼き」は,昔からの習慣でありながら,僕のための村への入り口のようにも感じました。移住者である僕は,地区の行事に参加することによって,地元の人との関係を少しずつ構築することができました。それはこの村に来るまでなかなかできなかったことでした。都会のマンションに住んでいると,隣に誰が住んでいるかすら分からず,そこの祭りや行事がいつ行われるかも知ることができませんでした。都会の祭りに行ったとしても,知っている人は誰もいなかったでしょう。それと比べて,僕は現在の地区のみんなの顔を知っているし,地区の行事を最優先にしていて,仲良くなった人たちとワイワイするのが楽しいのです。もちろん過疎化の問題も関係しています。地元の人がこれほど村外(と海外)からの人を歓迎していることが,過疎化との小さな戦いになっているのではないか,と僕は思います。日本でもアメリカでも,小さな村の人は排他的で,外の人を歓迎しないというイメージがありますが,僕の経験はその正反対です。
Mountain Work: 田んぼがないから,これしかない

川上村の山々はそれほど高くなくても,勾配がとても急です。数えきれない渓流はそういう山の間を蛇行して,吉野川に合流してから「下(しも)」へ流れます。平地がないため,昔からこの地域では田んぼがなかなか作れませんでした。それが吉野林業の起源だと言われています。500年前から地元の人はこの山々に木を植えて,育てて,販売することによって,お米やこの地域で作れないものを手に入れてきました。木を伐採した後,また木を植えるという過程が繰り返されます。
昔の人たちは丸太で「修羅(しゅら)」という滑り台のようなものを作り,山の斜面を使い,木を山の上から下まで滑らせました。それから何本もの木をまとめて,「筏(いかだ)」を作り,人は筏に乗りながら,吉野川の下流へ木を運送しました。現在は,ヘリコプター,架線,トラックの方が効率がよく,安全かもしれませんが,昔の修羅と筏を想像するのは楽しいです。
吉野林業は昔から木を密植することによって,吉野杉とヒノキの繊細で綺麗な年輪を作っていきます。この方法は全国的に知られている美しい木材を作りますが,一年中手間暇がかかります。木を植えたり,草を刈ったり,枝を切る「枝打ち」をしたり,木を間伐したりすることで,木の成長を管理します。その中で,木が自然に日差しを求めて,雨を飲み,山の土からどんどん上へ育ちます。冬目と春目が交互にだんだん生まれながら,柔らかい赤みのある茶色い色彩を僕らに提供してくれます。
地元の人が「山の仕事」と言ったら,それは山に行って,木の世話をする仕事という意味です。昔から今日まで,山の仕事をする人たちは基本的に「晴れた日に山に行く,雨や雪の日に山に行かない」生活をしています。晴れた日にも山の仕事は危険ですが,雨や雪の日に急な斜面でチェーンソーやノコギリを使い,大きくて重い木を倒すのはさらに危険です。晴れた日の数が限られているため,このように天候に合わせた生活をすることがほぼ決まっています。
川上村に来るまで,僕は「木を切る」ことを自然の崩壊と連想していました。しかし,それは山を皆伐したり,炭鉱を作ったりする場合でしょう。吉野林業は木を切っても,また木を植える方法で山を守ります。昔,田んぼが作れなくても,修羅や筏を使ってこの地域の自然な地形を活かして発展した吉野林業は,なんだか大自然と人間の共同事業のように感じます。こういう風に木と向き合い,天候に合わせて生活することは大自然のリズムとつながっている気がします。この山々は地元の生業だけではなく,雨の水を集めて,清らかな渓流を生み,綺麗な水を村民たちに恵み,吉野川の下流へと流します。どんなに手間暇がかかっても,川上村は次の500年間もこの自然豊かな山々を守るのでしょう。