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令和4年11月30日

ランディー チャネル 宗榮

1 はじめに

 私はカナダ出身で、京都在住のランディー チャネル 宗榮(そうえい)と申します。

 私は25年以上の間、伝統的な茶道の流派のひとつである裏千家で茶道に携わり、お茶を教えています。今回は私の日本文化への想いや京都で茶道を教えるに至ったきっかけについてお話いたします!

 幼少の頃について思い返すと、私は典型的なカナダの中流階級育ちだったと言えるかもしれません。スポーツが大好きで、観戦するのもプレーするのも好きな少年でした。特にカナダでは(アイス)ホッケーが有名で、人気のあるスポーツです。私にとってホッケーはメジャースポーツで、試合では審判を担当したこともあります。その他にはスキーやラグビーも経験し、幼い頃は柔道もやりましたが、それが日本に興味を持つきっかけになったわけではありません。では、私はいつ、日本に興味を持ったのか。それは幼少期から何年も経った後、香港で武道を学び始めた時でした。

2 私の人生を変えた「文武両道」の精神

(写真1)剣道する様子 武道にいそしむ私

 私の同世代の多くがそうであったように、私もブルース・リーの大ファンでした。カンフーに触れ、実際に学んでみたいという思いから香港に移り住んだ私は、住み込みでカンフーを学ぶ内弟子となりました。そして、私はそこで、私の人生にとっての指針ともいえる、ある言葉に出会います。その言葉こそ、「文武両道」です。
 私にとってこの概念はとても魅力的であり、「文」と「武」のバランスを保つべく、この価値観を大切に今後の人生を歩みたいという強い思いが芽生えました。そして、この指針はやがて私の人生の哲学となり、今日もこの哲学を実践しています…!

 香港に住んでいる間、地理的に近い日本を何度も訪れました。正直なところ、私は日本のイメージについてあまり先入観を持っていなかったように思います。私にとって1970年代から1980年代にかけての日本の印象は、「ビジネスや金融分野で成功し、技術的にも進歩を遂げた、整然とした国」というものだったと思います。そんな日本で私は日本古来の武道である、剣道を嗜む友人を訪ねました。次は日本古来の武道に触れるため、早速、香港から日本へ渡り、私自身の「文武両道」生活をスタートしました。

3 「茶道」との出会い

(写真2)茶道の様子 お点前の様子

 香港からすぐに京都へ移り住んだわけではありません。まずは短期間の東京生活の後、数年間を過ごした長野県松本市では、剣道、弓道、居合道、薙刀、二刀流にチャレンジしました。しかし、武道を極めようと邁進した結果、「文武」の「武」の方に偏りすぎてしまい、自分の中の「陰」と「陽」というか、自身のバランスのようなものが崩れることを危惧した私は、何か「“文”化的」なものを探しました。書道、琴も、やってみよう!と試みたのですが、どうやら私には才能がなかったようで花開かず…。さて、ここでも私に転機が訪れます。これは運命だったのでしょうか、なんと私の隣人は、茶道の先生だったのです!先生と初めて茶道を経験した時のことは印象的で、今でも鮮明に覚えています。「茶道と武道には共通点がある。所作や物を持つ時の姿勢や、礼に始まり、礼に終わるという概念も一緒だ。武道から学んだ残心と無心の精神を、茶道で生かせるかもしれない。」そんな思いを持ち、はじめは趣味として夢中になった茶道でしたが、まさか、茶の湯が武道からとって代わって、私の人生のメインテーマ、まさしく「道」になるとは、この時は思ってもみませんでした。

 そんな私に、数年後、茶道と京都を結びつける新たな契機が訪れました。
 京都では全日本剣道演武大会(通称、京都大会)が定期的に開かれており、武道に親しんだ私にとっては毎年の楽しみでした。そのころから京都は日本の文化や歴史があふれたまちで、東洋と西洋が融合した独特の雰囲気があると感じており、楽しい場所だという印象がありました。あるとき、京都大会で京都へ行った際に茶道裏千家に関わる機会がありました。私の好きな京都で裏千家学園茶道専門学校に入学するというチャンスを得た私は、趣味としての茶道を深く学んでみたいと感じ、すぐに京都に拠点を移すことを決断し、1993年に学校に入学しました。

 その後1996年に学校を卒業してから、茶道文化を教えるべく教壇に立っています。この学校は全日制の専門学校で、お茶の入れ方、歴史、伝統だけでなく、茶の湯の核となる美学や哲学的な理想も教えています。この学びも勿論大切ですが、私は、日本の文化史の中で茶道が果たした役割と、今日に至るまで茶道が日本文化に貢献してきた点についても重要視するようになりました。茶道は建築、庭園、和菓子、懐石、陶芸、漆芸、竹工芸、華道、書道など様々な日本文化が融合された、いわばお茶をキーにした総合芸術であると感じるようになったのです。

 すでにお読みいただいた通り、私が茶道を教えるまでには様々なきっかけがあり、武道は私の人生に非常に強い影響を与えました。茶道と武道は正反対と捉える方が多いかもしれませんが、サムライ(武道)と茶道のつながりや共通点を知っている私にとっては、この「道」への転換は自然な流れであったように思います。例えば、茶道の水指を持つ姿勢と剣道の中段の構え、そして弓道の弓構えは同じもので、上半身の基本の姿勢は一緒です。体に軸を作り、精神を統一して心を落ち着かせる姿勢は似通っています。2つの道の共通点は体の動きや姿勢にとどまりません。茶道の四つの精神、「和敬清寂」についても、剣道などの日本の武道全てに共通する美しい日本の精神であり、それもまたすべてに通ずる「道」なのだと感じています。

4 「茶道」を伝える活動

(写真3)お茶 私が点てたお茶

 前述のとおり、私は1996年からここ京都で茶道を教えています。最初は自宅の4畳半の茶室から始めましたが、すぐに御所の東側にある梨木神社に別の教室を開きました。現在も梨木神社の教室がメインですが、自身がオーナーを務めるカフェ「らん布袋(ほてい)」でも茶道を教えており、世界各地でZoomレッスンも行っています。新型コロナウイルス感染症拡大以前は日本全国で頻繁に講演を行い、東京では月に一度対面式レッスンを行っていたのですが…。同志社大学でも10年以上前から茶道の講義を担当していますが、ここ2年はZoomでの開催が多く残念です。

5 最近の取組

 加えて最近、私は重要なプロジェクトに携わるようになりました。皆さんの多くは、文化庁が京都に移転されることをご存じでしょう。光栄なことに、私は京都の文化庁に関連する、「京都府文化力による未来づくり審議会」審議委員に任命されました。私たちは、日本、とりわけ京都の歴史と伝統に基づいたさまざまな生活文化を通じて、「生活文化」の保存と振興に携わっています。日本の伝統文化の中心地、京都で活動する私たちの目標は、既存の「伝統」を保存・促進するだけでなく、日本の生活に根ざしたあらゆる文化を前進させることです。もちろん私自身は、これまでと同じように、これからはお茶のあり方を見つめ直し、国内だけでなく海外にも広めていくことが大切だと考えています。

6 最後に

 この30数年間、私は日本で暮らしながら、この国が最先端の技術を持つ金融大国から、過去の栄光を取り戻そうと奮闘する国へと変化していく様子を見てきました。バブル崩壊後、日本は金融に打撃を受けました。それに伴い、意外なことに文化芸術に対する一般的な関心も失われてしまったのではないでしょうか。バブル経済の頃、人々は自分の「道」を「再発見」することにより関心があったように思いますが、悲しいかな、最近はそうでもないような気がしています。人は時として、自分にとっての当たり前に気づかないことがあります。

 ですが皆さん、日本には、世界に共有すべき素晴らしい文化があります。日本を訪れる観光客の多くは、茶道をはじめとするその文化に触れるために来ているといっても過言ではありません。ですから、皆さんにはそんな文化と共に生きる機会があることに誇りを持っていただきたいです。多くの日本人が自身の「道」を見つめなおし、日本文化を「再発見」して、人生を豊かにできることを心から願っています。

 最後に、私から日本の皆さんへ、この言葉を贈りたいです。
「日本の文化は日本だけのものではありません。世界の宝物なのです。」

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