人権外交

平成27年1月15日

 世界人権宣言の作業を終えた国連人権委員会は、次いで、人権規約の作成作業にとりかかることとなりました。

 国連における国際人権規約作成の作業は、国連人権委員会における規約草案の作成の段階と国連総会第3委員会における審議及び採択の段階に大別することができます。

(1) 国連人権委員会における草案の作成(1949年~1954年)

 国連人権委員会は、第5回(1949年)から第10回(1954年)までの6会期を費して、草案の作成に努力しました。

 国連人権委員会の第5回会期(1949年)と第6回会期(1950年)においては、第2回会期(1946年)と1947年及び1948年の起草委員会とで作られたテキストに基づいて審議が行われ、一応の草案が出来たのですが、その草案には市民的及び政治的権利(Civil and Political Rights)(いわゆる自由権及び参政権)に関する条項と、その実施措置として人権委員会(Human Rights Committee)の制度に関するものが含まれていました。

 1950年の第5回国連総会においては、世界人権宣言が理想とする「自由な人間」であるためには市民的及び政治的権利が保障されるだけでなく、欠乏からの自由、つまり経済的、社会的及び文化的権利の確保が必要であるとの観点から、規約草案にこれらのいわゆる社会権と男女平等の規定を含めることが決定されました。

 その後、1951年の第6回国連総会においては、規約草案の作成に当たり、市民的及び政治的権利に関する規約と経済的、社会的及び文化的権利に関する規約とに分けて2つの国際人権規約を作成することが決定されました。

 1954年、国連人権委員会は、それぞれ実施措置を盛り込んだ2つの国際人権規約の草案、すなわち、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(以下「A規約」と略称)及び「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(以下「B規約」と略称)の草案を作成しました。

(2) 国連総会第3委員会における審議及び採択(1954年~1966年)

 規約草案は、第9回総会(1954年)から第21回総会(1966年)にかけて第3委員会において逐条ごとに審議され、種々の修正を経た後、1966年12月16日、総会において全会一致で採択されました。また、これらの両規約のほかに、B規約の実施に関連して同規約に掲げる権利の侵害について締約国の個人が行った通報をこの規約によって設けられた人権委員会が審議する制度について規定した「市民的及び政治的権利に関する国際規約の選択議定書」(以下「選択議定書」と略称)が賛成66、反対2、棄権38で採択されました。

(3) 第二選択議定書の作成及び採択(1980~1989年)

 B規約第6条に言及されている死刑制度に関連して、死刑廃止を目的とする選択議定書草案の起草についての検討が1980年の第35回国連総会で開始されました。その後、検討は国連人権委員会及び国連差別防止・少数者保護小委員会に委ねられ、同小委員会より任命された特別報告者は、1987年、議定書草案を含む報告書を小委員会に提出しました。同議定書草案は小委員会、人権委員会をコンセンサスで通過した後、経済社会理事会を経て、1989年第44回国連総会に送付されました。同草案は、「市民的及び政治的権利に関する国際規約の第二選択議定書」(以下「第二選択議定書」と略称)として、同年12月15日、賛成59、反対26、棄権48で採択されました。

(4) 効力の発生

 A規約は、1976年1月3日に、B規約及び選択議定書は、1976年3月23日に、第二選択議定書は1991年7月11日に、それぞれ効力を生じました。

 1997年12月現在の締約国数は、A規約が137カ国、B規約が140カ国、選択議定書が93カ国、第二選択議定書が31カ国です。

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