1 情勢認識
日本を取り巻く安全保障環境は、一層厳しさと不確実性を増している。国際社会におけるパワーバランスの変化が加速化・複雑化する中、国境を越える脅威が増大し、もはやどの国も、一国のみで自国の平和と安全を守ることができなくなっている。
同時に、グローバル化の急速な進展への反動が広がり、米国や欧州など、これまで自由貿易の恩恵を受けていた国々の中でも保護主義・内向き志向が顕著となっている。また、力を背景とした一方的な現状変更の試みやテロ及び暴力的過激主義の拡大などにより、日本を含む世界の安定と繁栄を支えていた自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的価値に基づく国際秩序が挑戦を受けている。
(1)中長期的な国際情勢の変化
ア パワーバランスの変化
新興国の台頭などに伴い国際社会のパワーバランスは大きく変化し、自らに有利な国際秩序の形成や影響力の拡大を目指した国家間の競争が更に顕在化している。こうした中、既存の秩序をめぐる不確実性は増大している。
イ 脅威の多様化と複雑化
近年、安全保障の裾野が経済・技術分野にも一層拡大していることを踏まえ、これらの分野における安全保障政策に係る取組の強化が必要となっている。また、大量破壊兵器や弾道ミサイルなどの移転・拡散・性能向上に関する問題は、テロ組織などによる大量破壊兵器の取得・使用の可能性を含め、引き続き大きな脅威となっている。こうした中、日本の周辺には、質・量に優れた軍事力を有する国家が集中し、軍事力の更なる強化や軍事活動の活発化の傾向が顕著となっている。
テロについては、イラク及びシリアにおける「イラクとレバントのイスラム国」(ISIL)掃討作戦の結果、ISILの支配領域は解放されたものの、ISILの影響下にあった外国人テロ戦闘員の母国への帰還や第三国への移動により、テロ及び暴力的過激主義の脅威は、アジアを含め世界中に拡散している。2019年4月にはスリランカにおいて、日本人を含む250人以上が犠牲となった、アジアで近年最大規模の同時多発テロが発生したほか、12月にはアフガニスタンで日本人医師が殺害される銃撃テロ事件が起きた。また、ソーシャルメディアによってテロ発生時の映像が瞬時に拡散されるといった事案も発生するなど、テロの形態・背景は多様化している。
近年の科学技術の進歩により、宇宙・サイバー空間における活動が活発化しているが、これは大きな機会と共に新たなリスクや脅威も生み出しており、安全保障上の観点からも国際的なルール作りが課題となっている。
また、IoT(モノのインターネット)、5G(第5世代移動通信システム)、AI(人工知能)、量子技術など、今後の社会や国民生活の在り方に本質的な変化をもたらし得る新たな技術革新が進展している。各国は、国の競争力に直結するこれらの技術開発にしのぎを削るとともに、技術を安全保障領域に応用する動きを活発化させており、今後、イノベーションの成否が安全保障環境にも大きな影響を与えることが予測される。
ウ 世界経済の動向(保護主義、内向き傾向の顕在化、経済摩擦)
世界経済は、グローバル化やデジタル技術を始めとするイノベーションの進展とともに、世界的なサプライチェーンと金融システムの発達により、これまで以上に相互依存が強まっている。これにより、一地域における経済ショックや商品相場の変動などが、他の地域あるいは世界経済全体に対して及ぼす影響が増大している。加えて、AI、ロボティクス、ビッグデータなどに代表される、第4次産業革命による情報通信技術の革新的な進歩は、人々の生活に劇的な変化をもたらし、国際経済秩序に一層の変容を迫っている。また、国境を越えた経済活動を更に円滑なものとするため、ルールに基づいた経済秩序の維持・構築の必要性が一層高まっている。
一方、グローバル化に逆行する動きとして広がった保護主義や内向き志向は、引き続き世界各地で顕著に見られる。その背景は、国内所得格差の拡大、雇用喪失、輸入品の増加、移民の増加、地球環境問題など一様ではない。欧州では、2020年1月末をもって英国が欧州連合(EU)から離脱した。一方、離脱による英国・EU関係の急激な変化を緩和するために設けられた移行期間中に行われる、英国とEUの間の経済関係を始めとする将来の関係の在り方をめぐる交渉の動向が、引き続き不確実性リスクとなっている。米国では、トランプ大統領が引き続き「米国第一主義」を強調し、米中間の経済摩擦は日本を含む国際社会の関心を集めている。
エ 地球規模の課題の深刻化
国際社会全体の開発目標である持続可能な開発目標(SDGs)が、その第一の目標として掲げているのが貧困の撲滅である。貧困は、一人ひとりの生存・生活・尊厳を脅かすのみならず、社会的不公正・政情不安や暴力的過激主義の根源ともなっており、その撲滅は人間の安全保障の観点からも極めて重要である。
また、感染症は、人々の生命・健康を脅かし、社会全体に大きな影響を及ぼす深刻な課題である。グローバル化により国境を越える人の移動が飛躍的に増加し、感染症の流行・伝染の脅威も深刻さを増している。2019年末以降、中国で発生した新型コロナウイルス感染症が世界各地で猛威を振るい、経済、社会、外交など様々な面で世界に大きな影響を及ぼしている。
さらに、世界各地で大型台風や集中豪雨、森林火災などの大規模な災害が相次いだ。今後も、気候変動の影響により自然災害が激甚化することが予想されており、特に脆弱(ぜいじゃく)な環境にある人々に深刻な影響をもたらすことが懸念されている。世界人口の増加や工業化・都市化が水・食料問題や保健問題を深刻化させる可能性も指摘されている。
これら地球規模の課題を解決するためには、SDGsへの取組を着実に実施し、社会・経済・環境分野の課題に統合的に取り組むことが重要である。
オ 不安定化要因・課題を抱える中東情勢
中東地域は、エネルギー資源を世界に供給する重要な地域であり、同地域の平和と安定は日本を含む国際社会にとって極めて重要である。しかし、中東地域は、イランをめぐる緊張の高まりや、シリアやイエメンの情勢を含む「アラブの春」以降の政治的混乱の継続、イスラエル建国以来の歴史的課題である中東和平問題など、同地域を不安定化させる様々な課題を抱えている。ISILなどのイスラム過激組織の拡散のリスクも、今なお各地に残存している。
(2)大変厳しい状況にある東アジアの安全保障環境
ア 北朝鮮による核・ミサイル開発
北朝鮮は、2019年5月から11月にかけて、20発を超える頻繁な弾道ミサイル発射を繰り返し、2020年3月にも弾道ミサイルの発射を行うなど、累次の国連安保理決議に従った、全ての大量破壊兵器及びあらゆる射程の弾道ミサイルの完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法での廃棄を依然として行っていない。
イ 中国の透明性を欠いた軍事力の強化と一方的な現状変更の試み
中国の平和的な発展は、日本としても、国際社会全体としても歓迎すべきことである。しかし、中国は国防費を継続的に増大させ、透明性を欠いたまま軍事力を広範かつ急速に強化・近代化しており、宇宙・サイバー・電磁波といった新たな領域における優勢の確保を目指している。また、東シナ海、南シナ海などの海空域で、既存の海洋法秩序と相いれない独自の主張に基づく行動や力を背景とした一方的な現状変更の試みを続けている。
東シナ海では、尖閣諸島周辺海域における中国公船による領海侵入事案が続いており、中国軍もその海空域での活動を質・量共に急速に拡大・活発化させている。また、中国は、排他的経済水域及び大陸棚の境界が未画定の海域で、一方的な資源開発を継続している。さらに、近年、東シナ海を始めとする日本周辺海域で、中国による日本の同意を得ない調査活動や同意内容と異なる調査活動も多数確認されている。
南シナ海をめぐる問題は、地域の平和と安定に直結する、国際社会の正当な関心事項である。中国は、南シナ海で大規模かつ急速な拠点構築及びその軍事目的での利用など、現状を変更し緊張を高める一方的な行動、さらにはその既成事実化の試みを一段と進めている。米国シンクタンクの発表によれば、2017年の段階で中国が完成又は着工した恒久的な施設の総面積は約29万平方メートルに及ぶ。2019年に入っても、中国は、紛争のある地形に南シナ海のほぼ全ての海域を射程とするミサイル・システムを配備したほか、対艦弾道ミサイルの発射実験を行った。また、中国は、南シナ海をめぐるフィリピンと中国との間の紛争に関して国連海洋法条約に反する主張を行い、中国による埋立てなどの違法性を認定した仲裁裁判所による最終判断の法的拘束力を否定するなど、南シナ海における領有権などについて独自の主張を続けている。