各論

1 サブサハラ・アフリカの地域情勢

(1)南北スーダン情勢

スーダンは、イギリス統治時代にアラブ系住民が多い北部と、アフリカ系住民が多い南部の交流が制限されていたこともあり、独立前から南北間の溝は大きかった。独立前年の1955年には南北間で内戦が勃発し、1972年に停戦が成立したが、1983年に南部スーダンの武装勢力が「スーダン人民解放軍(SPLA)を設立して、政府軍を攻撃したため、20年以上に及ぶ内戦が再発した。2005年に南北包括和平合意(CPA)が成立し、内戦は終結した。CPAに基づき2011年1月に実施された南部スーダンの住民投票で、約99%の住民が分離独立を支持したことを受け、7月9日に南部スーダンがアフリカ54番目の国、南スーダン共和国として独立した。独立式典には日本から菊田外務大臣政務官が出席し、同日に国家承認をするとともに、同国との間で外交関係を開設した。

南北スーダンの間では、南北境界に位置するアビエ地域の帰属を問う住民投票、南北国境線の確定や石油収入配分等の課題が未解決となっており、今後の関係の悪化が懸念される。

スーダン西部のダルフール地域では、伝統的にアラブ系遊牧民族とアフリカ系農耕民族の間で、水や牧草地をめぐり争いが存在していたことに加え、同地域の開発の遅れに中央政府が無関心であることに対し、地域住民が不満を抱いていた。2003年、ダルフールの反政府勢力による攻撃以降、政府及び政府の支持を受けたアラブ系民族と、アフリカ系民族との間で紛争が激化した。その後、ダルフール和平を妨害する関係者に対する制裁措置等を定めた国連安保理決議の採択や、国際刑事裁判所によるバシール大統領に対する逮捕状発布にも事態は発展した。以上のように、ダルフールで紛争が続いていたが、2010年12月からドーハ(カタール)で対話を行ってきたスーダン政府と「自由・正義運動(LJM)」は、7月、「ダルフール和平に関するドーハ文書(DDPD)」の受入れに合意した。LJM以外の反政府勢力は署名していないが、12月には同合意の履行支援のための共同委員会が設立されるなど、和平に向け着実に進展している。

国際社会は、1月の南部スーダン住民投票に際しての国連監視パネルの設置、7月のスーダンに関する安保理閣僚級会合など、スーダン和平に対する支援を積極的に実施している。日本は、南部スーダン住民投票に際して、国際平和協力法に基づき住民投票監視団を派遣したほか、菊田外務大臣政務官(7月)や山根外務副大臣(10月、アフリカ貿易・投資促進官民合同ミッション)の南北スーダン訪問などの機会を通じ、両国に対して和平の進展に向けた働きかけを積極的に行っている。さらに、日本は、国際社会全体の責任ある一員として南スーダンの国づくりに積極的に貢献すべく、11月及び12月にはUNMISSへの司令部要員及び自衛隊施設部隊などの派遣を閣議決定した。自衛隊施設部隊は、2012年1月に現地への展開を開始した。

南部スーダンにおける住民投票(1月9日~15日に実施)の様子(南スーダン)
南部スーダンにおける住民投票(1月9日~15日に実施)の様子(南スーダン)

(2)東部アフリカ情勢

アフリカ東部の「アフリカの角」地域では過去60年間で最悪の干ばつによる食糧危機が発生し、ジブチ、エチオピア、ケニア及びソマリアにおいて支援を必要とする人々が約1,330万人に上った。日本は、東日本大震災に際してアフリカ諸国からお見舞いや支援を受けたことも踏まえ、干ばつ被害への対策を国連、アフリカ諸国、NGO等と協力して進めた。

ソマリアでは、8月にイスラム過激派の反政府勢力アル・シャバーブが首都モガディシュから撤退し、10月にはケニアがソマリアのアル・シャバーブ拠点に進攻する等、重大な局面を迎えている。日本は、国際社会と協調し、ソマリア暫定連邦「政府」(TFG)1やアフリカ連合ソマリア・ミッション(AMISOM)の治安能力強化や人道・インフラなどの分野を重点とした対ソマリア支援を実施している。9月の国連総会の際に開催されたソマリア・ハイレベル会合では、外務大臣ステートメント(声明)において、日本が今後とも国際社会と協力してソマリアにおける人道危機への対応及び中長期的な安定のために支援を継続する意思を表明した。

エリトリアに関しては、同国がソマリアの反政府武装勢力に対する支援を継続し、ソマリアや地域の平和を損なうなどの安保理決議違反を行っているとして、12月に、対エリトリア制裁強化を内容とする国連安保理決議第2023号が採択された。一方、エリトリアはこの決議に反発する姿勢を見せている。

ジブチでは、4月に大統領選挙が実施され、現職のゲレ大統領が三選を果たした。6月にはソマリア沖で海賊対処活動に従事する日本の自衛隊の活動拠点をジブチに開設した。アフリカの角地域では、ジブチは比較的政情が安定している。

マダガスカルでは、2009年3月から憲法手続にのっとらない形で発足した「暫定政府」の統治が続いており、国際社会の承認を得られずにいるが、2011年9月、南部アフリカ開発共同体(SADC)による調整の下、「危機打開のためのロードマップ」が19の政治勢力によって署名され、10月のベリジキ国民暫定連合政府首相の任命、11月の組閣など、ロードマップの履行に向けて少しずつ進展を見せている。

(3)南部アフリカ情勢

南アフリカ共和国は、5月に統一地方選挙が実施され、与党のアフリカ民族会議(ANC)が6割以上の得票で勝利した。その一方で7月には、鉱山労働者が労働条件の改善を要求するストライキを行うなど、政府・与党に対する批判も見られた。また、ANC内においても、同党指導部や近隣諸国に対する批判的言動を見せていたマレマANC青年同盟総裁が党から懲罰を課されるなど、盤石と思われた同党の一体性が揺らぐ動きも見られた。外交面では、同国は、悪化するリビア情勢やコートジボワール情勢における仲介に努め、COP17を主宰するなどの取組を行った。

ジンバブエでは、民主化の鍵となる新憲法制定プロセスが当初の予定より遅れており、憲法上の強力な大統領権限を主張するムガベ政権と、大統領権限の制限と権力の相互監視を主張する旧野党との対立が継続している。

ザンビアでは、9月に総選挙が行われ、野党第1党である愛国戦線(PF)のサタ党首が現職のバンダ大統領を破って大統領に選出され、1990年の複数政党制導入以来初めて与野党間で政権交代が起きた。

マラウイでは7月、首都を中心に経済状況の改善等を求める反政府デモが行われた。また、ボツワナでは、4月に賃上げを目的として公務員全体の約30%が参加する大型ストライキが発生した。

(4)中部アフリカ情勢

チャド(4月)、カメルーン(10月)、コンゴ(民)(11月)において大統領選挙が実施され、いずれも現職大統領が再選された。チャドの選挙は、野党がボイコットする中で、強行された。コンゴ(民)の大統領選挙では、投票日前後に投票所への放火や与野党の衝突、略奪行為等の混乱が各地で発生した。日本は、選挙機材の供与及び選挙監視への参加を行ったほか、選挙後、暴力行為を憂慮し、全ての当事者に自制を呼びかけるとの外務報道官談話を発出した。

(5)西部アフリカ情勢

コートジボワールでは、2010年11月の大統領選挙の決選投票の結果をめぐり、国際社会が当選を支持したウワタラ候補(新大統領)と権力の移譲を拒否したバグボ候補(前大統領)の対立により政治的混乱が生じていたが、国連などの介入により4月にバグボ前大統領がウワタラ派により拘束され、ウワタラ候補が正式に大統領に就任した。また、12月には、国民議会議員選挙が平和裏に実施されている。

2010年2月のクーデター以降、暫定政権による統治が続いていたニジェールでは、1月に国民議会選挙、3月に大統領選挙の決選投票が実施され、イスフ新大統領が選出されるとともに民政移管プロセスが完了した。

ベナン(3月)、ナイジェリア(4月)、カーボヴェルデ(8月)、リベリア(11月)、ガンビア(11月)において大統領選挙が実施され、現職大統領が選出された。リベリアの大統領選挙は内戦終結後2回目であり、直前にノーベル平和賞を受賞したサーリーフ大統領が再選されたことで、同国の平和の定着の進展が印象付けられた。8月のカーボヴェルデ大統領選挙では野党候補が当選したことにより、選挙による政権交代が実現し、民主主義の定着が示された。

ナイジェリアでは、8月に首都アブジャで国連ビル爆破テロ事件を起こした、イスラム過激派ボコ・ハラムによるテロ攻撃がその後も続いており、情勢が不安定化している。

また、ブルキナファソにおいては4月に、軍部が蜂起し一時情勢の混乱が見られたが、その後の情勢は安定している。

(6)地域機関・準地域機関との協力

アフリカ54か国・地域が加盟する世界最大の地域機関であるアフリカ連合(AU)は、スーダンやソマリアへの平和維持部隊派遣に加え、スーダン和平交渉、コートジボワール、リビアにおける政治的混乱時の調停活動など、平和・安全保障分野で積極的な役割を果たそうとした。また、2010年1月のアフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)統合以来、開発分野についても積極的に取り組んでいる。

また、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)、SADC、政府間開発機構(IGAD)等の準地域機関も平和・安全保障分野や経済分野で積極的な役割を果たしている。

1 2011年末時点で、日本は、アフリカ諸国の中ではソマリア及びマダガスカルに対する政府承認を行っていないため、本文中では「」で示している。

このページのトップへ戻る