通常兵器の軍縮及び過剰な蓄積禁止に関する我が国の取組
地雷問題・対人地雷禁止条約(オタワ条約)の概要
令和4年4月21日
1 地雷問題の沿革
カンボジア、アフガニスタン、アンゴラ等の紛争地域を中心に埋設された地雷は、非戦闘員である一般市民に対し無差別な被害を与えるという、人道上極めて重大な問題を引き起こし、また、そうした地域の紛争終結後の復興と開発にとって大きな障害となっている。
2 国際社会の取り組み
(1)契機
1990年代初頭より対人地雷問題に関する国際社会の関心が高まり、ICRCやブトロス・ガーリ国連事務総長(当時)、クリントン米大統領(当時)等がイニシアチブをとって対人地雷問題への取り組みの必要性を訴えた。
(2)特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)改正議定書IIによる規制
1980年に採択されたCCWの地雷等に関する議定書(議定書II)は、対人地雷が主に使用される内乱には適用されず、また、探知不可能な地雷等を禁止していないなどの問題点を内包していたことから、地雷問題に関する国際的な機運の盛り上がりを受けて、1996年5月、同議定書が改正された。この改正議定書IIは内乱にも適用され、また、探知不可能なもの及び自己破壊装置のないものなど、悪質な対人地雷を原則使用禁止とし、移譲の制限が盛り込まれるなど規制の内容が強化された。2017年9月末現在、日本を含め104か国が締結している。他方、この改正議定書IIも対人地雷の「生産」、「貯蔵」を禁止はするには至っておらず、また、「使用」や「移譲」の禁止に関しても一定の条件の下の規制となっており、全面禁止とはなっていない。
3 対人地雷禁止条約(オタワ条約)の経緯・概要
- (1)特定通常兵器使用禁止制限条約に基づく部分的な禁止では対人地雷問題の抜本的な解決には至らず、使用、貯蔵、生産、移譲の全面禁止が必要であるとする国際世論を踏まえ、地雷廃絶国際キャンペーン(ICBL:International Campaign to Ban Landmines)をはじめとするNGOと、対人地雷全面禁止に賛同する諸国の協力により、対人地雷禁止条約への道が開かれた。カナダ政府が1996年10月にオタワで開催した国際会議に端を発する、いわゆるオタワ・プロセスを通じて作成された対人地雷禁止条約(オタワ条約、正式名称は「対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約」)は、1997年12月のオタワでの署名式において署名のため各国に開放され、1999年3月1日に発効した。
- (2)対人地雷禁止条約は、基本的に対人地雷の使用、貯蔵、生産、移譲等を全面的に禁止し、貯蔵地雷の4年以内の廃棄、埋設地雷の10年以内の除去等を義務付けるとともに、地雷除去、被害者支援についての国際協力・援助等を規定している。(条約の規定概要)
- (3)対人地雷禁止条約が発効した1999年以降、締約国会議が毎年開催されている。2004年11月には、条約発効後初の検討会議がナイロビで開催され、対人地雷廃絶に向けた5年間の取り組みの成果や課題をまとめた「検討」、残された課題に対する2004年以降5年間の行動の指針たる「行動計画」及び対人地雷廃絶という目標についての政治的コミットメントを示した「ハイレベル宣言」の3つの文書が採択された。
- (4)2009年には、コロンビア(カルタヘナ)において、第2回検討会議が開催され、条約発効から10年間の道のりの評価及び、2010年以降5年間の行動指針となる「カルタヘナ行動計画」及び締約国の強い決意を表明した政治的宣言「2009年カルタヘナ宣言」が採択された。「カルタヘナ行動計画」の採択により、地雷被害者の社会・経済への統合のための支援、迅速な除去活動による開発や人間の安全保障の確保等、67項目の具体的行動が確認された。
- (5)2014年6月には、モザンビーク(マプト)において、第3回検討会議が開催され、条約発効から15年間の道のりの評価及び2014年以降5年間の行動指針となる「マプト行動計画」及び締約国のコミットメントを謳う政治宣言である「マプト+15宣言」が採択された。併せて、第2回検討会議(2009年)以降の条約の運用・締結状況を記録した「履行状況報告書」が最終報告書に盛り込まれ、更に、地雷除去、被害者支援のための委員会等を強化するための条約の機構改革案も採択された。
- (6)2019年11月、ノルウェー(オスロ)において、第4回検討会議が開催され、条約発効から20年間の道のりを評価し、2020年以降5年間の行動指針となる「オスロ行動計画」及び対人地雷対策への締約国の決意を表明した政治宣言である「オスロ宣言」及び第3回検討会議(2014年)以降の5年間の条約の運用・締結状況等を記録した「履行状況報告書」の3つの成果文書が採択された。