外交史料館
外交史料館 特別展示「日本とスペイン―外交史料に見る交流史―」
両国の交流に関する文書を求めて
概説と主な展示史料
平成25年7月22日
外交史料館には、幕末以降の外交に関する記録が保存されていますが、その中には、前近代の日本とスペインの交流を示す記録も含まれています。最後にこれらの文書をご紹介します。
1933年(昭和8年)7月、内田康哉(うちだ・やすや)外務大臣は各在外公館長に宛てて、任国内にある日本外交に関する史料の収集を命じました。その趣旨は、内外の外交史料の収集・充実を計り、これを永く保存・陳列して省員の参考に供するとともに、場合によっては、外交史料展覧会等を開催し、国民への外交知識の普及に役立てるというものでした。
この訓令に従って、スペイン国内でも調査が行われ、1934年、青木新(あおき・あらた)公使は広田弘毅(ひろた・こうき)外務大臣宛に、セビリアのインディアス公文書館に所蔵されている二通の書状の写を送付しました。
送付されたのは、慶長14年12月28日(1610年1月22日)付の徳川家康からレルマ公爵((Duque de Lerma)スペイン国王の寵臣)に宛てられた書状の写と、翌慶長15年5月4日(1610年6月24日)付で将軍徳川秀忠がレルマ公爵に宛てた書状の写で、いずれも、スペイン船の日本への渡航を許可したものです。書状に名前が出てくる宣教師ルイス・ソテロは、通訳の役目も果たしていました。彼はこの後、伊達政宗と出会い、慶長遣欧使節の一員として、支倉常長に同行し、スペイン国王フェリペ3世やローマ教皇パウロ5世(PaulusV)に謁見しました。
1935年には、シマンカス公文書館に所蔵されている支倉常長の書状の写真が送付されました。この書状は、慶長19年8月26日(1614年9月29日)付で支倉常長がレルマ公爵に宛てた書状で、伊達政宗が藩内の者全員にキリスト教への改宗を命じたこと、常長にスペイン国王とローマ教皇に謁見し、宣教師の派遣を依頼するよう命じたことなどが記されています。
結果として、慶長遣欧使節の目的は達成されず、また日本国内でのキリスト教禁令のため、使節の記録は秘匿され、その存在は長い間、忘れられていました。しかし、明治維新後、岩倉使節団がイタリアで支倉常長の書状を発見したことで、再び世に知られるようになりました。そして、派遣から400年後の今日、彼らの業績は、日本とスペインの関係の基礎となり、両国を結びつける上で、大きな役割を果たしています。彼らが遺した「慶長遣欧使節関係資料」は、日本とスペインの共同推薦のもと、本年(2013年)6月、世界記憶遺産に登録されました。
〈参考〉支倉常長像
仙台市博物館所蔵
1933年(昭和8年)7月、内田康哉(うちだ・やすや)外務大臣は各在外公館長に宛てて、任国内にある日本外交に関する史料の収集を命じました。その趣旨は、内外の外交史料の収集・充実を計り、これを永く保存・陳列して省員の参考に供するとともに、場合によっては、外交史料展覧会等を開催し、国民への外交知識の普及に役立てるというものでした。
この訓令に従って、スペイン国内でも調査が行われ、1934年、青木新(あおき・あらた)公使は広田弘毅(ひろた・こうき)外務大臣宛に、セビリアのインディアス公文書館に所蔵されている二通の書状の写を送付しました。
送付されたのは、慶長14年12月28日(1610年1月22日)付の徳川家康からレルマ公爵((Duque de Lerma)スペイン国王の寵臣)に宛てられた書状の写と、翌慶長15年5月4日(1610年6月24日)付で将軍徳川秀忠がレルマ公爵に宛てた書状の写で、いずれも、スペイン船の日本への渡航を許可したものです。書状に名前が出てくる宣教師ルイス・ソテロは、通訳の役目も果たしていました。彼はこの後、伊達政宗と出会い、慶長遣欧使節の一員として、支倉常長に同行し、スペイン国王フェリペ3世やローマ教皇パウロ5世(PaulusV)に謁見しました。
展示史料17-1
徳川家康からレルマ公爵宛書状の写
1934年(昭和9年)1月6日付スペインより送付
(原本はインディアス公文書館所蔵)

原本は世界記憶遺産に登録された。原本では、押印は朱印。
1935年には、シマンカス公文書館に所蔵されている支倉常長の書状の写真が送付されました。この書状は、慶長19年8月26日(1614年9月29日)付で支倉常長がレルマ公爵に宛てた書状で、伊達政宗が藩内の者全員にキリスト教への改宗を命じたこと、常長にスペイン国王とローマ教皇に謁見し、宣教師の派遣を依頼するよう命じたことなどが記されています。
結果として、慶長遣欧使節の目的は達成されず、また日本国内でのキリスト教禁令のため、使節の記録は秘匿され、その存在は長い間、忘れられていました。しかし、明治維新後、岩倉使節団がイタリアで支倉常長の書状を発見したことで、再び世に知られるようになりました。そして、派遣から400年後の今日、彼らの業績は、日本とスペインの関係の基礎となり、両国を結びつける上で、大きな役割を果たしています。彼らが遺した「慶長遣欧使節関係資料」は、日本とスペインの共同推薦のもと、本年(2013年)6月、世界記憶遺産に登録されました。
展示史料18
支倉常長からレルマ公爵宛書状の写真
1935年(昭和10年)10月10日付スペインより送付
(原本はシマンカス公文書館所蔵)


仙台市博物館所蔵