広報・パンフレット・刊行物

2012年度

平成26年2月7日

2012年度/No.4(平成25年3月28日)

 2012年6月末時点、中国のインターネット利用人口は5.38億人に達した。マスメディアが党・政府によって統制されている中国において、インターネットは党・政府が完全にコントロールすることができないメディアであり、2003年ごろからさまざまな世論がインターネット上で生じるようになっている。中国のインターネット世論は、国内の問題については、公権力に対する公正さの要求や社会正義を追及し、国際問題や外交、国防に関する話題に関しては、強い愛国心を示す傾向が強い。利用者の年齢層の偏りや議論が大衆化しやすいといった特徴もあり、必ずしもインターネット世論が国民全体の意見を反映しているわけではないが、民意をくみとるチャンネルに乏しい中国にあっては内政・外交に大きな影響を及ぼしている。

2012年度/No.3(平成25年3月8日)

 冷戦後、国内紛争の多発・激化の中で、民族、宗教等の理由による虐殺や迫害が度々生じた。かつて、一国内の紛争や人道危機は、国内管轄事項と位置づけられていたが、1990年代初頭のクルド危機以降、深刻な人道危機は、国際の平和と安全に対する脅威と認定され、武力による強制措置も含めて様々な対応策が試みられた。しかし、集団虐殺を防げなかったケース、採るべき措置をめぐる国連安全保障理事会常任理事国間の意見の対立等、多くの課題を残した。このような経験から、一国内の深刻な人道危機に対して国際社会が如何に対応すべきかについて、様々な議論が行われ、いくつかの制度や原則が生まれたといえる。その流れと背景を整理し、国際社会で大きな論議を呼んでいる人道目的のための武力介入について、我が国内での更なる議論と検討のための参考としたい。

2012年度/No.2(平成24年12月20日)

 応用一般均衡モデルGTAPに国際労働移動を加えたGMigモデルにより,今後の人口動向が各国の経済に及ぼす効果を試算した。人口動向が各国のGDP 及び一人当たりGDP の成長に及ぼす寄与度が数量的に明らかになった。 日本は,人口動向によるGDP総額への影響が比較的大きいが,一人当たりGDP への影響はそれより小さい。人口動向が各国の産業の成長に及ぼす寄与度が数量的に明らかになった。人口動向に伴う世界的な価格動向が各国産業の成長へ影響を及ぼすことが明らかになった。人口のみを変化させ,天然資源賦存量の変化を見込んでいないこともあり,鉱業,農林水産業,牧畜業,素材産業等の世界価格は上昇する。ロシアはその恩恵を大きく受ける。

 2010年末から2011年にかけて,アゼルバイジャンではカスピ海の同国領域で新規天然ガス鉱床が発見されるとともに,過去数年間の懸案事項であった,同国最大のガス鉱床であるシャフ・デニズ・ガス田のトルコ向け輸送・供給問題が解決したことによって,同国のガスを欧州市場に直接輸出する新規ガス輸送構想(「南エネルギー回廊」計画)実現に向けての第一歩がようやく動き出した。EU がサポートするこの計画の実現によって,アゼルバイジャンの天然ガスは,今後トルコを含む欧州地域にとって,ロシアの天然ガスへの依存度を減らす貴重なエネルギー供給源としてさらに貢献していくことになろう。「アラブの春」,および東日本大震災に伴う福島原発事故の発生によって,エネルギー供給源・供給ルートの多角化の重要性が再認識された国際的なエネルギー環境の変化の中で,このような天然ガスをめぐる新たな動きは,資源国としての同国の存在感を高めつつある。
 さらに近年アゼルバイジャン国営石油会社(Azerbaijan State Oil Company (SOCAR))は,特に石油・ガス化学部門の強化に力を入れ,関連組織を同社の傘下に統合し,国内のみならずグルジア,トルコ等の黒海周辺地域において下流分野の事業を積極的に推進し,総合石油エネルギー会社として,同国の産業多角化を担う重要な存在ともなりつつある。このように,トルコおよび欧州地域を中心的なターゲットとした同国のエネルギー戦略は,欧米諸国との積極的な協力関係によって,ロシア依存から脱却し,国を発展させてきたヘイダル・アリエフ前大統領時代からの方針を受け継ぐ国の外交政策とも相通じており,注目に値する。

2012年度/No.1(平成24年8月30日)

 近年,小島嶼開発途上国(SIDS)及びその「脆弱性」に対し国際社会の関心が集まっているが,SIDSリストにどの国が含まれ,「脆弱性」が具体的に何を指すかということについてのコンセンサスは未だ得られていない。一部のSIDSは,国際社会による特別手当の拡充への期待から,後発開発途上国(LDC)のように,国連におけるカテゴリー認定を強く望んでいる。その場合,SIDSの定義付けが必須となり,「脆弱性」が重要な規定要因となり得るが,同概念は複雑で捉えどころがないとの声が今も根強い。本稿では,まず,現在までに国連関係機関等が開発を試みてきた経済・環境・社会面での脆弱性指数,及び国連経済社会局(DESA)によるSIDSの脆弱性・回復力評定プロファイルの特徴と課題について分析した。そして,国連でのSIDSカテゴリー認定に係る論点を整理し,国連関連機関等に期待される役割の考察と,我が国にとっての今後の方策に関する具体的提言を行った。

 本稿は,本月報2010 年度/No.1 の続編である。明治維新から1886年(明治19年)までの期間に置かれた諸外国の駐日公使館のそれぞれにつき,館長及び館員の氏名,館長の信任日,公使館の住所等を提示することを目的に執筆した。スペースの関係で,今回はプロイセン(のち北ドイツ連邦,ドイツ),オーストリア・ハンガリー,ベルギー及び清国の4カ国を取上げる。(外務省外交史料館にある最古の外交団リストは1887年1月版で,それ以前に刊行された版は保存されていない。)
 1886 年までに日本に公使を派遣した国は計17カ国で,残る13 カ国の公使館については次回で扱うこととする。
 明治時代の最初の十数年の状況を眺めると,次のような傾向が観察できよう。(1) いくつかの国は公使でなく総領事または領事を日本に置いた。これら領事官は本来の意味における領事官でなく,いわば「外交使節の性格をもつ領事官」であって,純粋な領事事務の遂行にあたる領事官とは区別されなければならない(本月報1987 年度/No.1,拙稿,32,93 頁参照)。 (2) 公使館の一部は横浜に置かれたが,これらは次第に東京に移されるようになった。また,(3) 公使には特命全権公使,弁理公使(駐在公使)及び代理公使(代任公使)の3 階級があったが,諸外国は次第に駐日公使の資格を格上げするようになった。特命全権大使が任命されるようになるのは日露戦争後のことである。


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