演説

伴野外務副大臣演説

第8回日・シンガポール・シンポジウムにおける
伴野外務副大臣基調講演
「震災後の日本とその地域外交」

2011年4月25日

英語版

ザイヌル・アビディン・ラシード・シンガポール外務担当上級国務大臣閣下、
トミー・コー共同議長、
谷内正太郎共同議長、
御列席の皆様、

(はじめに)

 日本国外務副大臣の伴野豊です。こうしてシンガポールの皆様方にお目にかかれて光栄です。

 この度、日・シンガポール・シンポジウムが8回目の開催を迎えたことについて、お喜び申し上げます。8といえば縁起の良い数字であり、漢字で「八」と書けば末広がり、数字の「8」を横にすれば無限大、アニメの世界ではエイトマンは正義の味方、そして私の選挙区も8番です。この栄えある場で日本側を、そして日本国民を代表して基調講演をさせていただく機会を得ましたことを、大変光栄に存じます。

 本日は、「震災後の日本とその地域外交」と題しまして、東日本大震災後1か月半経った日本の状況について御説明した上で、この未曾有の大震災を経て、アジア太平洋地域における日本の外交がどう変わるのか、あるいは変わらない分はどこか、変わるべきなのはどこなのかについて、私なりの展望を述べさせていただきたいと思います。

 本論に入る前に、まず何よりも、震災に際し、貴国から頂いた温かいお見舞い及び支援に、日本国政府及び国民を代表し、深く感謝申し上げます。3月11日の震災発生直後、貴国からは、日本側が必要とする協力を可能な限り行う用意があるとの力強いお言葉を頂き、翌12日には、救助犬を含む救助チームを早速派遣していただきました。毛布、水、非常食等、被災地のニーズに応える形で支援物資も頂きました。そして貴国政府からの寄付を含め、シンガポール赤十字には多くの寄付金を集めていただいております。ナザン大統領、リー・シェンロン首相を始めとする多くの要人の皆様からも、温かいお見舞いのメッセージを頂きました。また、リー・シェンロン首相やゴー・チョクトン上級相、ジョージ・ヨー外相、そして本日この場にお見えのザイヌル大臣やトミー・コー大使を始め、多くの方々に、弔問記帳のため日本大使館に足を運んでいただきました。今一度、厚く御礼申し上げます。

(日・シンガポール・シンポジウムの意義)

 御列席の皆様、

 このシンポジウムは、1994年の日・シンガポール首脳会談でその実施について一致し、翌1995年に第1回を東京で開催して以来、ほぼ2年に1回のペースで、交互に開催してきております。我が国は、このシンポジウムを、各界の一線で活躍する両国関係者が一堂に会し、地域の抱える課題や将来の展望について大所高所から議論する、日・シンガポール知的交流の柱として大変重視しております。

 我が国として、このような知的交流の場を定期的に実施しているのは、東南アジアではシンガポールのみであります。それは、主に三つの理由によるものです。第一に、シンガポールが、戦略的な国家運営により発展してきたASEANの知的リーダーであることです。第二に、シンガポールが、地域の経済活動においても新たな価値を創造するトップランナーとなっていることです。第三に、我々が更に重要だと考えているのは、シンガポールが、我が国とは利益や考えを共有するパートナーであることです。以上申し上げた三つの理由は、実はそれぞれ今回のシンポジウムの三つの主要テーマの土台でもあります。

 日・シンガポール・シンポジウムは、両国の関係強化はもとより、東アジア地域全体の発展を重視する日本にとって貴重な財産です。今回は、震災後間もない難しい時期ではありましたが、日本政府の変わることのないコミットメントを示すことが重要であると考え、短時間の滞在ではありますが、私が参加することとなった次第です。

 また、このシンポジウムへの参加は、先程基調講演を頂き、2月にここシンガポールでお会いしたザイヌル大臣とのお約束でもあります。あいにく、今回のシンガポール滞在も前回同様慌ただしい日程にはなりましたが、しかしザイヌル大臣とのお約束を果たし、今こうして基調講演をさせていただくことができ、本当にうれしく思っております。約束は守るためにあると思います。前回は7時間、今回は9時間の滞在なので、次回は11時間の滞在を目指したいと思います。

(東日本大震災)

 御列席の皆様、

 3月11日の地震とそれに続く津波により、1万4千近くの尊い命が失われ、また行方不明の方が同様数おられます。約15万人の方々が、今も避難生活を強いられております。

 御心配をおかけしている福島第一原子力発電所の状況については、現在、事態の収束のためにすべての資源を動員し、一日も早い安定化に向けて努力しています。菅総理の指示を受け、4月17日、東京電力は「福島第一原子力発電所・事故の収束に向けた道筋」を発表しました。この「道筋」では、3か月程度で放射線量が着実に減少傾向となる状態を達成し、それから3~6か月程度で、放射性物質の放出が管理され、放射線量が大幅に抑えられる状態を達成することを目標にしています。これは、これまでの「応急措置の段階」から、「計画的・安定的な措置の段階」へ移行するための大事な一歩です。事態は依然として予断を許しませんが、事態の収束に全力で対処していくとともに、国際社会に対し、最大限の透明性をもって迅速・正確な情報提供に努めていく所存ですので、是非皆様にも冷静に見守っていただきたいと思います。シンガポールの皆様にも、是非日本を信頼していただきたいと思います。

 今回の震災を通じて、改めて痛感したことが三つあります。

 一つは、人は「生きている」のではなく「生かされている」のだということです。人間は、自然に謙虚であらねばならず、自然に挑戦しようとか、対抗しようといった考えは捨てねばなりません。科学は万能ではないし、人間の能力は無限だとかいった考えは大変おこがましい考えです。そういう発想に立てば、たとえば今後の防災計画も、自然を克服するのではなく、自然に対する恐れの上に立てることが必要であると考えております。

 シンガポールには、マレー語で「Balik kampung(バリック・カンプン)」という言葉があると承知しております。直訳すれば「里帰り」といったところでしょうが、特にシンガポールの環境団体の方々の間では、カンプンをより広く捉え、地球、自然を大切にするという意味が込められていると聞いております。冒頭、日本とシンガポールは考え方を共有しているというお話をしましたが、私の信じる自然に対するあるべき姿勢と、このバリック・カンプンは、まさに通ずるものがあるのではないでしょうか。

 私が震災を通じて痛感したことの二点目は、人は一人では生きていけないということです。人は人の中でしか生きられないと言っても過言ではないと思います。そして生きるための助け合いは、国の垣根を越えるということです。先程申し上げたシンガポールからの精神的・物理的支援を始め、日本は国際社会から多大なる支援を頂いております。多くの外国政府、そしてその国民の方々が、「日本はこれまで我々に支援の手を差し伸べてきてくれた。今度は我々がそのお返しをする番だ」として支援と連帯を示してくださっていることに、私を含め、日本国民は大変感動しております。特にASEANについては、ASEAN側のイニシアティブにより、今月9日、日・ASEAN特別外相会議を開催していただき、ザイヌル大臣にも御出席いただきました。その場でも、この地域において日本は一人ではないという連帯がはっきりと示されました。日本は今、極めて厳しい状況にありますが、同時に、日本は世界と共にあるということ、日本と国際社会の「絆」を、改めて実感することができたことに心から感謝しております。

 第三は、生きるということは、ピンチをチャンスに変えるということです。ピンチはチャンスに変えられるから意味があると思います。例えば、震災による日本経済への影響について、懸念されている方も多いと思います。もちろん被害は甚大です。短期的には、企業の設備・建物や物的インフラの損壊による生産減がありますし、原発事故による風評被害も看過できません。観光業も大変苦しんでいます。

 しかしながら、日本は復旧、そして復興の段階へと移行しつつあります。ここに震災というピンチをチャンスに変える鍵があると思います。すなわち、災害経験を踏まえ、新しい社会を創っていくチャンスです。菅総理は、(1)自然災害に強い地域社会、(2)地球環境と調和した社会、(3)人に優しい、特に弱い方々に対して優しい社会、という三つの点を述べています。そのために、震災からちょうど1か月後の4月11日、東日本大震災復興構想会議を開催することを決定しました。被災された地域住民の声、そして広く国民の英知を結集し、未来志向の復興を目指すこととしております。そして、これだけの災害を経験したからこそ災害対応分野での協力を、原発事故を経験したからこそ原子力安全分野での国際的取組を、我が国が国際社会においてリードし、将来に向けて貢献していくことこそが使命と考えております。

 多くの犠牲が生じましたが、日本は必ずや再生し、さらにすばらしい国になります。シンガポールを始めとする国際社会が示してくださった温かい激励と連帯に応えるためにも、その新生への道を歩むことこそが、我が国の責務であり、また最高の御恩返しであると考えております。

(震災後の日本の地域外交)

 御列席の皆様、

 続いて、震災後の我が国の地域外交について、本日のシンポジウムの三つのテーマにできるだけ沿うような形で、簡潔に御説明したいと思います。

 セッション1のテーマは「主要国間の関係」です。ASEANの共同体構築、連結性強化を支援していくという日本の姿勢は、震災後も変わることはありません。また、北朝鮮の核・ミサイルの問題、拉致問題を含めた人権状況は、引き続き国際社会の重大な懸念事項です。

 セッション2のテーマは「地域経済統合」です。我が国は、「包括的経済連携に関する基本指針」を策定し、地域経済統合の推進に向けたAPEC議長としての決意を示しました。震災後も、日本が国際的に役割を果たしていく上で、一層の国力充実が必要であるとの認識の下、経済外交を推進していくことは引き続き重要と認識しています。その中で、「新しい日本をつくる」という視点から必要な政策を位置づけていく中で、十分な議論を行っていきたいと考えております。このシンポジウムにおいても、FTAAPに向けた見通しなどについて、自由な意見交換が行われることを期待しております。

 セッション3のテーマは「東アジア地域アーキテクチャーの進展」です。ASEANが2015年までの共同体構築を目指す一方、本年は米国とロシアが正式にEASに参加する予定であり、地域アーキテクチャーの深化と拡大が進んでおります。こうした中でASEANが地域協力フォーラムの「運転席」にあるべきとの日本の方針は全く不変です。このシンポジウムにおいても、望ましい地域アーキテクチャーの在り方とそこへ至るロードマップについて、従来の発想にとらわれない議論がされることを期待しております。

(結び)

御列席の皆様、

 私の地元愛知県知多半島に、美浜町という町があります。その名のとおり、美しい浜のある町です。1832年、その美しい浜から出航した船が難破、乗組員は14か月余りも漂流し、アメリカまで流れ着き、先住民に助けられました。そのうちの一人が音吉という男です。ロンドン、マカオ、上海を転々とした後、音吉が定住したのが、ここシンガポールでした。音吉はシンガポールで海運業に成功し、1867年、明治維新の前年にこの地で亡くなりました。

 150年前、私の地元(カンプン)の大先輩の音吉は、どんな災難に遭っても、不屈の精神をもってすればピンチをチャンスに変えることができる日本人の強さを改めて教えてくれました。同時に、そのような日本人を受け入れてくれたシンガポールの寛容さも学びました。私の震災後の初の訪問先がシンガポールの地であることは、単なる偶然ではないと思います。まさに、「まさかの友は真の友」なのです。日本は必ず再生する。そしてそれは、この地域の「真の友」のシンガポールの支えあってこそのことであると確信しております。その決意と感謝を改めて皆様にお伝えすることで、私の基調講演を締めくくらせていただきたいと思います。

 御清聴ありがとうございました。


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