演説

「ジャーナリスト会議2010」武正外務副大臣基調講演

平成22年3月3日

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於:東京・日本プレスセンタービル


御列席の皆様、

 本日は、外務省主催「ジャーナリスト会議2010」に御出席いただき、誠にありがとうございます。

 私からは、地域協力や今年のAPECに取り組む日本の基本的考え方に触れつつ、本日の基本コンセプトについて紹介申し上げます。

(2010年APEC議長としての日本の基本姿勢)

 このジャーナリスト会議が初めて開催されたのは1995年。1995年と言えば、日本が大阪で初めてAPECを主催した年でもあります。私にとっても、1995年は、議員としての活動を開始した年であり、大阪でのAPECは鮮明に記憶に残っております。

 その後、15年という時を経て、本年、日本は再びAPECを主催することになりました。APECは、昨年誕生20周年を迎え、本年は、新たな20年に向かって動き出す年です。また、いわゆるボゴール目標、すなわち、先進国・地域が2010年までに、途上国・地域が2020年までに、自由で開かれた貿易と投資を実現するという目標の、先進エコノミーにとっての達成期限という節目の年でもあります。この年に、日本がAPECに用意したテーマは、「チェンジ・アンド・アクション」です。国際社会そしてアジア太平洋地域の経済を取り巻く状況が大きく変貌を遂げる中で、APECが今後も意味のある存在であり続けることができるよう、必要な「チェンジ」を構想し、それを具体的な「アクション」に移したいというのが、日本の考えです。

 まず、先進国・地域によるボゴール目標の評価について、これを信頼性のある形でしっかりと行うことが重要です。その上で、今後のアジア太平洋地域の発展を更なる高みに導くビジョンを打ち出すことを目指します。より具体的には、地域経済統合、新たな成長戦略、そして人間の安全保障という三つの柱を立てて、APECとして進むべき今後の方向性を示し、その下で、具体的な成果を一つでも多く実現していきたいと考えています。

(アジア太平洋地域における協力の現状と共同体構成)

 アジア太平洋地域の新たな連携を探求するAPECがその産声を上げた1989年は、冷戦が終結に向かう激動の年でした。11月にキャンベラで行われた第1回閣僚会合と時をほぼ同じくして、欧州では、ベルリンの壁の崩壊という大事件が起きています。その後、欧州では、この20年の間に、統合に向けた動きが、多少の紆余曲折はあるにしても、着実に進んできています。

 もともと、欧州の統合は、二度の大戦を経て、ドイツとフランスが三度総力戦を戦うことになれば大陸欧州の復活はないという強い政治的信念と危機感に端を発し、その原因となる天然資源を国際共同管理することから出発しています。したがって、共通通貨ユーロや昨年発効したリスボン条約が象徴するように、その起源から、地域の安定と繁栄の手段として、政治・経済・社会にわたる制度的な統合を強く志向したものでした。また、その背景として、欧州におけるかなり明確な形での東西陣営の対峙状況や、域内における宗教、歴史、文化的背景の共有という点もありました。

 一方、我々の位置するアジア太平洋地域では、東西陣営の対立は朝鮮戦争やベトナム戦争というより具体的かつ悲惨な形で現れました。しかし、域内各国の政治体制・発展段階の違いや文化・歴史的背景の多様性から、地域統合という考えは、概念としては随分以前から唱えられつつも、なかなか現実的な動きには結び付きませんでした。

 しかしながら、1980年代後半から、東西冷戦構造の終焉と域内各国の民主化及び経済的発展、それによる経済的相互依存の高まりを背景に、ようやくこの地域でも、地域統合の動きが具体化してきました。まず1989年にAPECが誕生、その後、「ASEAN+3」等の地域的な枠組みが生まれ、各々の取組を進めてきました。そうした取組は、今や、貿易や投資といった伝統的な国際経済アジェンダのみならず、経済社会開発、テロ対策や感染症対策、知的・人的交流等、多種多様なものになってきています。

 さらに、最近、それらの様々な取組の積み重ねを土台に、これらを束ねながら、より深化した地域統合を目指そうとする構想も提唱されるようになってきています。鳩山総理が提唱する「東アジア共同体」も、既存の協力に立脚して安定と繁栄を共有できる開かれた地域を実現していこうとする長期的なビジョンの一つです。

 昨年11月のAPEC首脳・閣僚会議でも、2010年において、アジア太平洋自由貿易圏構想(FTAAP)に向けたあり得べき道筋を検討することが指示されました。このような地域経済統合のビジョンを描き、その下での具体的な取組を進めていくことが、本年、日本がAPEC議長として取り組みたい重要な課題です。

 ここで重要なのは、個別具体的な取組・協力の積み重ねということです。このような下支えがあってこそ、「共同体」構想の展開が可能となります。なぜならば、そのような具体的な努力を通じて、地域の中に住んでいる人々の「顔」が見え、「声」が聞こえるようになる、自らの所属する「地域」、それが「東アジア」であれ「アジア太平洋」であれ、そこに住む「隣人」たちの存在が、我々一人一人の頭の中で具体的なイメージを結んでくるからです。

 APECの域内貿易比率は65%であり、APEC参加国・地域による貿易総額の実に3分の2はAPEC内で行われていることになります。この結果、私たちの日々の生活の中でも、太平洋を取り巻く地域のどこかからやってきた品物を目にする可能性が高くなっています。

 2010年のAPECにおいて策定しようとしている新たな成長戦略も、地域全体の成長に一人一人が参加し、その成果とそこから得られる機会を享受し、また、環境・エネルギー面への配慮にも協力していくことが、究極的には、地域における一体感、共同体意識の醸成に繋がるという考えに基づいています。さらに、「人間の安全保障」に係る取組により、テロリズムや災害、感染症といった、自由で開かれた貿易・投資を妨げる脅威への対応能力を高められるようになれば、地域の安定が図られ、ひいては、域内の信頼感、一体感を一層強化することができるでしょう。

(「共同体」意識の形成を支える情報コミュニケーションとメディア)

 その関連から、特に本日の会議の趣旨を踏まえ、自由で活発な情報の交流の重要性についても触れたいと思います。経済の相互依存関係の深さも背景に、この地域でネットワーク上を行き交う情報量は、やはり圧倒的に地域内のものが多いのではないでしょうか。その結果、地域の「隣人」たちの生活や思考が、文字による二次情報にとどまらず、映像、音声を介した一次情報により、直接私たちの目と耳に伝わってくるようになりました。

 本日、域内各地を代表するジャーナリストの皆様に、アジア太平洋の地域協力について御議論をお願いしたのも、まさにこの「地域」というものの存在感を高め、確立していく上で不可欠な「情報発信」というお仕事に携わる方々であるからです。「共同体」という構想の来し方を振り返り、行く末を占う上で欠くことのできない視点、すなわち「我々は、地域としての一体感を実感できているのだろうか?これからできるようになるだろうか?」という疑問に答える上で鍵となる「インフラ」の部分を担っていらっしゃる方々であるからです。

 もちろん、情報コミュニケーションの急速な活発化は、良い果実だけをもたらすとは限りません。互いの相違をよりはっきり認識する結果となり、ひいては独善的なナショナリズムの温床となるかもしれません。私たちが地域として本当に一体感を持てるかどうかという点から見て、メディアの発達には、「正」と「負」の両側面があるでしょう。ジャーナリストの現場経験を踏まえて、アジア太平洋地域の将来像を左右するであろう、こうした側面について率直に議論していただくことも、本日の会議の成果として期待するところであります。

 さらに、そうした議論を踏まえ、将来において、東アジア共同体やアジア太平洋自由貿易圏といった構想が、どの程度実体化できるのか、また、その過程においてメディアは、情報発信という所作を通じてどのような貢献が可能なのかについても、様々なアイデアを頂ければ幸いです。その結果、日本が、2010年APECの議長としてリーダーシップを発揮し、アジア太平洋地域の更なる発展に向けてどのような将来像を描いていくべきなのか、外交政策の責任者として考えていく上でのヒントとなれば、私自身にとっても大きな喜びとするところです。

(結語)

 なお、本日、この会場には、外務省の記者研修事業により訪日中のベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジア、フィリピンの記者の方々もオブザーバーとして出席されています。これらの方々にとっても、本日の議論が有用な知的刺激となることを確信しております。

 皆様による自由で実り多い議論を期待しつつ、私の挨拶の結びとさせていただきます。御清聴ありがとうございました。

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