平成21年2月23日
(注:当日本講演は全て英語にて行われた。(英語版はこちら))
基調講演を行う伊藤副大臣
ザイヌル外務担当上級国務大臣閣下、
トミー・コー共同議長、
谷内正太郎 共同議長、
ご列席の皆様、
今回のシンポジウムは、折からの金融危機に端を発する世界経済の混乱など、世界情勢が不透明性を増す中での開催となりました。このような状況の下、アジア地域及び世界の発展に寄与する東アジアの統合と発展について議論することは大変有益であります。いみじくも、本年はシンガポールがAPECの議長国であり、来年は日本が議長国となります。その両国が東アジア地域統合について議論することはまさにモメンタムを得ており、今回のシンポジウムでも活発なやり取りがなされることを期待します。
(東アジアの現状と向かうべき方向性)
現下の世界経済の情勢をうけ、アジアの経済情勢は楽観を許さない状態が認められます。しかし、危機こそ好機(チャンス)とよく言われますが、そうした厳しい状況であるからこそ、我が東アジアが、「開かれた成長センター」として世界経済回復を牽引していく役割が期待されます。金融危機の克服のため、アジア諸国が、金融セクターの改革、チェンマイ・イニシアティブの強化、国際金融機関との協力強化等金融面での協力を進めるとともに、アジアの成長力強化と各国の内需拡大に向けて一致した取り組みを進めていくことが必要です。
目下、世界的には保護主義的な風潮の台頭が懸念されています。しかし、各国が互いに保護主義的な措置を取り合い、世界経済が萎縮してしまうとどうなるのでしょうか。人類は第二次世界大戦に至る過程で苦い歴史の教訓を既に得ていると考えます。やはり、金融危機と経済的混乱に対応し実体経済の回復を図るためには、自由貿易体制の維持・強化と、それに伴う秩序ある各種投資の増大を図ることが必要です。かかる観点から、東アジアが開かれた形で統合を進め、持続的成長を達成し、世界に範を示すべきだと考えます。
我が国も、昨年12月以降、ASEAN諸国との間で順次発効している日ASEAN包括的経済連携(AJCEP)協定や東南アジアの7ヶ国と既に発効・署名済の二国間EPA等により、アジア地域の貿易・投資の自由化を進めています。こうした我が国の重層的な経済連携の取組みも、地域経済の更なる活性化と統合へ向けたダイナミズムに一層貢献するものと確信しております。
(我が国の取組み)
我が国は、今般の金融危機そのものにアジア諸国と協力して対処するための取組みも鋭意進めています。昨年11月から、豊田正和・鹿取克章両総理大臣特使がアジアの11ヶ国を歴訪し、各国と協調し具体的な対応策を作り上げていくための環境作りを行ってきました。
先日のスイスでのダボス会議では、麻生総理大臣自らが日本の取組みについて演説を行いました。金融面では、最大1000億ドル相当の対IMF融資に加え、チェンマイ・イニシアティブの強化に言及しました。また、アジアに対する約1億ドル相当の緊急支援の実施を表明しました。これに加えて、アジア自身の成長力強化と内需拡大の推進に向けて、メコン開発やインドのデリー・ムンバイ産業大動脈といった広域開発構想への日本の積極的な取り組みを紹介しつつ、ODA総額170億ドル以上の支援並びにOOF及び民間資金を動員してアジア諸国を後押ししていくことを発表しました。
(東アジア共同体構築の意義)
もちろん、アジア域内の活発な協力関係は、経済分野に限ったことではありません。一国では克服できない様々な課題に対して、域内各国が協力して対処をしていく必要があります。この点、これまでも1997年のアジア通貨危機、2001年の米国同時多発テロ以降のテロ対策、2003年のSARS流行、2004年のスマトラ沖大地震及びインド洋津波等について一致協力してきました。そのなかで、関係各国・地域同士の協力関係につき、良いプラクティスと信頼関係が醸成されてきています。
このように協力関係が発展する一方で、我々が直面する課題もそれにも勝る勢いで更に増加し、規模も拡大しております。地域横断的な諸課題はもちろん、人類の未来を決するような地球規模問題に対しても、我々アジア地域の国々は協力して対応することが求められてきています。ここに、将来の「東アジア共同体」の形成を視野に入れ、既存の各種対話や協力の枠組みを活用しつつ、更に幅広い分野で協力を深化させていく必要性が、今日、益々高まってきているのではないでしょうか。
(東アジア共同体構築におけるASEANの位置)
しかしながら、東アジア共同体は、一朝一夕で出来るものではありません。ただし、一つ確実に言えることがあります。それは将来的に「東アジア共同体」が形成される場合、ASEANがその中核になることが期待されているということです。
それは既存の地域的枠組みを俯瞰する場合、ASEAN+1、ASEAN+3、ARFそしてEASという具合に、いずれもASEANが「運転席に座る形」で、開放性・透明性・包括性を有しつつ、地域協力が進んでいることからも自明だと考えます。したがって、実際に「東アジア共同体」構築のロードマップを考える前提としてASEANが「統合」を深化させ、その求心力を増すことが極めて重要になってきます。
その文脈から、2015年までのASEAN共同体の実現を目標に統合努力を加速化することを謳ったASEAN憲章が昨年12月に発効したことに、私は大変勇気づけられています。この憲章には、民主主義、人権尊重、法の支配、グッドガバナンスといった普遍的価値や原則が盛り込まれています。こうした方向性こそが、ASEANの統合深化・求心力の増大に大いに貢献すると言えるからです。
(欧州共同体との比較)
さて、「東アジア共同体」構築の議論をする上で、常に先行モデルとして取り上げられる事例が、国際社会における地域統合体として最も先行しているEUです。しかしながら、来るべき東アジア共同体の構築に、EUモデルをそのまま当てはめて倣えばよい、という訳には参りません。敢えて一般化して申し上げると、西欧諸国の経済的発展度が比較的近似しており、またキリスト教の影響が各国社会に通底しているのに対して、東アジアでは経済発展段階が大きく異なり、宗教的背景や政治理念、安全保障政策等も実に多様です。従って、EUのような政治的・機構的な制度や枠組みの導入を当初より目指すことは難しいでしょう。少なくとも当面は、広範な分野において、各課題に即した個別の協力を推進することが実践的です。その点、既にASEANをハブとした地域横断的協力において、現在推進されている「機能的アプローチ」は、来る東アジア共同体の形成過程においても大いに参考となる、大変スマートな実践であり、実績であると思います。
(欧州的価値観とアジア的価値観)
このように「東アジア共同体」について議論するに際し、今般の未曾有の金融危機と世界経済の混乱を踏まえ、多分に私見を交え、敢えて文明論的観点からも西欧と東アジアのバック・グラウンドを簡単に見てみたいと思います。
西欧で近代市民社会が形成されるにあたり、個人主義的自由と共に効率的な市場主義経済が確立されました。その結果、地球上の少なからぬ人口が、人類史上空前の物質的豊かさと快適な生活を享受できるようになりました。この市場経済システムは、効率的な物財の生産と消費を極大化できる利点を有しています。他方で、このシステムの発展は、本来は狩猟民族として自然に対しても征服的な態度で臨んできた西洋の理念に基づくものを、穏健なものとしてきたプロセスと考えられます。したがって、現代的には政府等の介在によって緩和されているとはいえ、本源的には、競争による弱肉強食が不可避の原理であります。
翻って、近代的西欧システムに接触し取り込まれる以前の東アジアを考えてみましょう。産業社会的意味合いでは相対的に低開発だったかも知れません。しかし、一部の都市型商工業の例を除けば、概ね農耕、牧畜及び漁労を営み、地域毎の文化や価値の多様性を背景に過度に競争的ではない村落的共同体での「共生」の姿があったと思います。このアジアにおける共生の価値は、西欧における宗教的命題や倫理のように明文化されていません。しかし、私としては、農耕民族として自然と共存してきたアジアの人々のDNAの中に太古から脈々と引き継がれていると考えます。
さらに、この数十年は、西欧近代主義的進歩が直面する現代世界の諸課題の解決を指向して、「近代の超克」があらゆる識者から論じられておりますが、決定的な解答は未だ得られていないことは皆さんもご承知の通りです。
(東アジア共同体が目指すべき方向性)
故に私は、「東アジア共同体」を論じる際には、アジアの伝統的な精神を生かしながらも、現代的意味の経済的繁栄も十分に達成できる、アジア独自のモデルの探求が必要ではないかと考えます。それは欧米的モデルの模倣ではないが、かといってその否定でもないでしょう。効率的な市場経済に不可避の「競争」原理と、アジア的「共生」精神の両立を目指す。これは、二律背反的に見えますが、歴史的実験としてチャレンジする価値があります。東アジア共同体は、この両立を可能とする枠組みとなる時、世界に範を示す地域統合となると考えます。
また今般の金融危機にしましても、私は、その混乱の究極の原因は、人間の際限のない欲望(greed)にあるのではないかと見ています。勿論、欲(desire)自体は人の向上心にもつながるので否定するものではありません。しかし限りない欲望(greed)は、本来経済の潤滑剤であった金融を実体経済から離れた抽象的な存在に変えてしまいました。さらに、金融工学の精緻化もあり、自らの利得を社会の具体的成員の犠牲より優先させるという暴走を招いてしまいました。金融危機の教訓として、目下、世界の専門家により金融システムの適切な監督や制度の整備について論じられております。しかし、そもそもサブプライムローンの破綻が生起するような社会公共体のあり方、人の生き方といったことを見直していく必要があるのではないでしょうか。この点、参考となるのは我が国でいわれる「足るを知る」精神や、中国を中心としたアジアでも孔子の昔から息づいている「中庸の徳」という精神でしょう。如何に経済が高度化し手法が精緻化しても、こうした大局的な精神を欠いては、羅針盤なく大洋を彷徨する船のようです。現下の世界の混迷に向け、我々はアジアの叡智を発信すべき立場にあるのではないかと思う次第です。
経済的効率性・合理性は追求しつつも、むき出しの競争や市場原理主義ではなく、「共生」や「中庸」といった東アジア各国が有する伝統的精神をベースに、現代的な地域の発展と繁栄を実現していくことは、前例のないことです。特に、深層にアジア共通の精神をシェアしながら、価値の多元性や文化の多様性も生かし包含する形で地域共同体を構築することは、産みの苦しみともいうべき一定の困難を伴う作業でしょう。しかし、まさにそうした歴史的挑戦であればこそ、シンガポールを始めとするASEAN諸国と日本というアジアの仲間が手を携え取り組んでいく必要があると思います。
シンガポールはASEANの知恵袋として東アジア全域において要(かなめ)の国であることは論を待ちません。平素から卓越した外交手腕と高い政策遂行能力で関係国との調整を行ない、地域の平和と繁栄に向け、我が国がなかなか踏み出せない先進的な取組みを進める姿は、まさにお国のシンボルである獅子の如きです。
我が国は東アジア地域の統合に向けて継続的に関係国と一致協力して参画してゆきますが、シンガポールはその際の不可欠なパートナー国の一つです。世界のスタンダードともいうべき普遍的価値を共有することは勿論、前述したアジア的精神も共有していることは大きなアセットです。国際社会に対するビジョンも基本的に一致しており、かつて両国首脳会談で述べられたように、日本にとって信頼できるパートナーであります。
こうした成熟した協力関係にある両国が、長く、野心的なロードマップとなるであろう「東アジア共同体」の構築に向けて、今後、相互補完的に協働していくことになります。その際、先ずもって、官民の様々なセクターによる両国の知的交流と対話が重要となります。本件の構築の為にはあらゆる英知を結集し、継続的に議論していくことが不可欠ですし、その中で、他の関係各国とも共に議論ができる機会も出てくるのだと考えます。その意味で、既に第7回に時を重ねる本シンポジウムの今日的意義は甚大であり、活発な議論が交わされ、また今後も継続されることを期待します。
ご静聴、有り難う御座いました。